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ブルース・アントラッド・ベリシティ

   
         
馴れ合うつもりはありません。

  

 制御系魔導師の選出期日が明日に迫った、その日。それまで、演習フィールドのバックルームから一歩も出ようとしなかったイルシュ・サーンスが、座っていたパイプ椅子から急に立ち上がった。

「? どうした? サーンス」

 これまでの十二日間、グランに「サーンスを頼むよ」と言い渡されて、勢い、毎日一緒に小部屋に詰めていたリーディー・クロウ・ガンが、イルシュの横顔を斜めに見上げて問いかける。

「うん。明日は大隊長に成果を見て貰う日だから、そろそろ決めようと思って」

 今日もフィールドには五種類の魔導機が顕現しており、それぞれ無意味に飛び回ったり何かのプログラムを確認したりしていた。それから目を離さないままリーディーに答え、でもすぐに口を閉ざしてしまった、少年。その、透明で澄んだ琥珀色の目が何を見ているのか、とつられてリーディーがフィールドに顔を向けて、すぐ、イルシュは「教官」と笑みを含んだ声で彼を呼んだ。

「一回、みんなの魔導機を臨界に戻させてくれる?」

「ああ……」

 それだけ言い置いたイルシュが、さっさとバックルームからフィールドへと降りる階段につま先を向けた。

 やせっぽちの少年。発育不全で、礼儀もないっていない。

 しかしその背中は既に…魔導師のように堂々として見える。

「…………………資質かもな…」

 リーディーは口の中でそう呟いてから、フィールドに居る生徒たちに指示を出した。

        

        

 なんなんだよ、あいつ。毎日毎日こんな事ばっかさせて。威張ってんじゃねぇってんだよな。

 と誰かが言った。

 そうだよ。ちょっと先に配属が決まったからってさ。

 と誰かが答えた。

 しかもあいつさ、ホントは「クラッカー」なんだろ?

 と誰かが口を挟んだ。

 ミラキ卿と懇意だからって、いい気になってんじゃねぇのか。

 と誰かが締めた。

「彼」は何も言わなかった。

「…なぁ、お前もそう思わないか? ブルース」

「彼」は………。

 そうやって誰かの事を口汚く罵らなければ自分の不安を隠せない哀れなお前らより、多少マシなんじゃないのか。と言う代りに、「興味ない」と答えた。

 それまで、適当に出して見せろ、と言われていた魔導機に臨界帰還命令が出た意味を、少年たちは勘違いしていたのだ。

 これで選出は終わり、リーディー教官がひとりの名前を告げて、この場に残されたひとりだけが魔導師隊大隊長に引き合わされる。その時、あの「イルシュ・サーンス」は相変わらず怯えたような顔で横に立っているだけだ。と。

 だから、バックルームからイルシュだけが出て来た時、ぼそぼそと彼の悪口を言い合っていた四人の少年は、ちょっと呆気に取られてから、俄かに作った笑いをイルシュに向け、「彼」だけが無言で佇んでいた。

 少年たちは、見た事がない。

 イルシュの「サラマンドラ」を。

 そして少年たちは知らなかった。

 その「サラマンドラ」とあの「ディアボロ」が、いっときでも戦った事を。

 おまけに。

 グランの「ヴリトラ」に立ち向かおうとした事も。

 何も、知らなかった。

 イルシュはまだ真新しいままの紺色の制服を着ていた。訓練校に途中編成されたものの、その期間は三ヶ月に満たなく、しかも魔導師隊へ行く事も多かったために、ほとんどこの制服に袖を通す暇がなかったのだ。

 紺色の詰襟にスラックス。それだけの制服。

 迎える五人の少年たちよりずっと幼い印象のイルシュ。伸びっぱなしの髪は薄茶色で、目は琥珀。隠れて暮らし、痩せて頼りない子猫のような少年。

 バックルームからフィールドに降りて来たイルシュは、愛想笑いの少年たちも無言の「彼」も無視して真っ直ぐにフィールド中央まで突き進み、そこでやっと彼らに向き直った。何かを監察するような瞳をじっと五人の少年に向けたまま、黙って。

 何をする気なのか。と首を捻った少年たちに一瞬だけ固い笑みを投げかけてすぐ、イルシュは…。

 イルシュ・サーンスは、制服の襟を正して両手をしっかりと組み合わせ、祈るように胸まで持ち上げた。

 刹那、その足下に赤銅色の光が渦巻きを描き始める。それは見つめる「彼」…ブルース・アントラッド・ベリシティの目と似た色にも見えた。

 だから、ではないのだろうが、不可視モードの索敵陣を反射的に立ち上げたブルースが、微かに眉を寄せる。信号が滅茶苦茶に混在していて陣の目的が判らない。アカウントだけはなんとか読み取れたが、「サラマンドラ」という知った名前でありながら通常より複雑な構成の機械信号を映像に変換するには、まだ少し時間がかかりそうだった。

「……出すつもり?」

 ブルースが呟く。

「なんで」

 イルシュの足下に広がった渦巻きが、直径がきっかり一メートルになったところで拡大をやめ、右回りに回転し始める。通常電脳陣は直線で放射状に描き出され、線が固定されてから曲線が派生するのだが、後天的な「焼きつけ」処理で魔導師になった、臨界との接触方式が基本から違うイルシュの陣は、ぐにゃぐにゃと形状の定かでないカオス状態で現実面に描き出されるのだ。

 臨界内の「どこか」に存在する未使用領域に割り込み、自己の占有「保証」電素を上限まで確保してから稼働する、イルシュの陣。立ち上がりまでの時間が劇的に速い訳ではないが、ここに居並ぶ少年達に比べれば、十分に速いと言えるだろう。

 占有電素数が規定数値に達したのか、刹那で光のうねりが整列し鮮やかな文様を地面に穿つ。それでやっとこれが「電脳陣」なのだと気付いた残りの少年たちが索敵陣を張った瞬間、直系一メートルの陣が、一気に高さ二メートルまで立ち上がった。

「…三重構造の立体陣か」

 冷静を装って呟いてみたものの、ブルースの内心は大いに震えた。「クラッカー」で「臨界第二位」の魔導機を操る、とは聞いていたが、まさかイルシュが立体陣の形成まで出来るとは思っていなかったのだ。

 見くびっていたことを反省する。

 選出は、まだ続いていた。

 立ち上がって高速回転を開始した立体陣。始めは落書きのように見えた光の列がいつの間にか正しく臨界式文字を形成して行くのに気を取られている間に、イルシュの頭上数メートルの中空に、直系三メートル以上はありそうな…真っ赤な臨界接触陣が浮かび上がる。

 燃えるような光を吐き出す、大型の陣。

 イルシュは、回転する立体陣の只中に佇み、じっと少年たちを見つめている。

 そして。

「それ」は、あの日孤独なイルシュを守ろうと臨界に帰る事を必死になって拒んだそれは、今日はイルシュの友達を見に、臨界を離れこの世に顕現ましました。

 ろくな訓練も受けず突発的に「出て来て」しまった最初は相当な衝撃で周囲の物を薙ぎ倒した「サラマンドラ」も、イルシュと一緒に訓練した甲斐があったのか、今回は大人しく臨界から姿を現した。その大きさと姿に唖然とする少年たちを、てらつく真っ黒な双眸でじろりと睨んだのは、かなり行儀悪かったが。

 とにもかくにも、「サラマンドラ」は臨界接触陣から細長い胴体をずるりと引き出し、一度だけ円を描くようにして空中を泳ぎ、すぐ、佇むイルシュを守るよう滞空した。

「…………………」

 少年たちは、声も出ない。

 それはあまりにも大きく、優雅で、不気味な姿だった。

「サーンス! それは…本当にあの「サラマンドラ」と同じものなのか!」

 立体陣の立ち上がりを確認したところでバックルームから飛び出して来たリーディーが、思わず悲鳴を上げる。何せ、彼がイルシュを任される折りに一度見せられた「サラマンドラ」と、今目の前に居る「サラマンドラ」は、大幅に違う形状になっていたのだから。

「それは………………。あ!」

 回転する立体陣の中で何か言おうとしたイルシュの琥珀が、演習フィールドの出入り口に向けられ、刹那、少年は歓喜に頬を染めて、なんと、陣の中で手を振ったではないか。

「アンさん! スゥさん!」

 明るい声にはっと出入り口を振り返ったリーディーが、姿勢を正して会釈する。その緊張した視線の先には、魔導師隊の制服を着たスーシェとアン少年…。

「と、スレイサー衛視」

「俺はおまけか?」

 と、衛視姿のヒューが立っていた。

 穏やかににこにこと微笑むスーシェに、少年たちが慌てて会釈する。ここではスーシェだけが正式な魔導師であって、アン少年は彼ら「以下」の魔導予備修師だった。

「あ、サラマンドラだ。うん、いい出来だね。よかったよかった」

 微妙に複雑そうな視線などまったく意にも介さず、アンが微笑んでイルシュに頷いて見せる。が、アンをどう扱っていいのか戸惑っていた少年たちは、彼の背後に腕を組んで佇んでいるヒューに睨まれて、これまた慌てて視線を逸らした。

「…スレイサー衛視。ガリューじゃないんだから、辺り構わずそこらを威嚇するのはおやめになった方がいいのでは?」

 くすくす笑いのスーシェが、軽く振り返って言う。

「別に脅かしたつもりはないんだがな」

 わざとのように肩を竦めてから離れて行ったヒューに苦笑いを向け、嘘ばっかり、と口の中で呟くアン。急に倒れられたら困るから、などと訳の判らない事を言い出し、自分の仕事そっちのけで(とアン少年は思っている)くっついて歩き始めて既に一週間近く、一体何人がヒューに睨まれて逃げ去った事か。

「ああ見えて、意外と大人げないんですよ、スレイサー衛視って」

「ガリューもそうなんだから、ああいうタイプは、案外大人げないのかもね」

「…ああいうってどんなだ? ゴッヘル卿。というか、俺はガリューと同列か?」

 などと暢気なスーシェとアンだが、訓練校サイドはそうも行かない。アンはまだ「生徒」の分類でいいにしても、ひとりは魔導師であるゴッヘル卿で、もうひとりは陛下付きの衛視。リーディーでさえ、親しく話しをする機会は少ない。

「ところで…質問をいいか?」

 アンとスーシェから一旦は離れたヒューが、じっと「サラマンドラ」を見上げたまま呟く。それに顔を向けたアンが小さく頷くと、彼は組んでいた腕を解いて、赤い炎を纏う龍を指差した。

「前見たのと違うぞ」

「ちがくないです」

 あはは、などと声を立てて笑う、イルシュ。

「モデリングを変えたんですよ、スレイサー衛視」

 それを引き継いで答えてくれたのは、そのモデリング変更に立ち会った事もあるアンだった。

「なぜだ?」

 それは是非わたしも聞きたい。と頷いたリーディとヒュー、それから、スーシェなどを見回してから、アン少年は「じゃ、説明しますね」と、やたら気楽そうな笑顔を見せた。

  

   
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