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タマリ・タマリ

   
         
過去を振り返ってばかりなんてご免だ。

  

 もしかしたらこの制服に袖を通すのは最後かもしれない、とアン・ルー・ダイは思った。

「じゃない。最後なんだってば」

 と、廊下を走りながら自分で突っ込む。

 深緑色の長上着。腕章には電脳魔導師隊の紋章と「F」の刺繍。確かに、目にしただけで逃げ出す連中も居る不吉な制服ではあるが、キライではない。でも、これにしがみ付いて置き去りにされるのはイヤだなとも思う。

 だから。

「とりあえず、集合時間に間に合う努力をしよう…」

 アン少年は難しい顔でそう呟き、階段を駆け下りて魔導師隊執務棟地下にある演習室に滑り込んだ。

「はいっ! 三十秒前」

 顔の前にクロノグラフを翳していたアリスが、飛び込んで来たアンを迎えるように声を張り上げ、くすくすと笑う。その艶やかな笑みを肩で息しながら睨んだアンは、大きく一回深呼吸して姿勢をただしてから、改めてぴしりと敬礼した。

「アン・ルー・ダイ出頭しましたっ。…ってー…小隊長は?」

「来てる訳ないじゃない」

 バカね、だからそんな慌てて来なくたっていいのに。と付け足したアリスが、やたら乾いた笑いを演習室の高い天井に吐き付ける。

「しかも今日のハルはアンの魔導師申請の立合いで、その前にスゥとイルシュが居るからね。そのうち暢気に来るわよ」

「その、スゥさんとイルくんはどこ行ったんです?」

「? ああ、今大隊長に呼ばれて、監視ブースに入ったけど?」

「…………あーのー。アリス事務かーん」

 真っ赤な髪をかきあげながら監視ブースへ顔を向けたアリスの横顔に、アンがおどおどと声をかける。上目遣いに見上げて来る幼い印象の顔は、二年前の、泣いてばかりいたアン少年となんら変わりないようにも見えるのだが…。

 でも、二年でアンも随分大人になった。

 アリスがそれを感じたのは、あの臨時議会の日、ドレイクとスーシェ相手に一歩も引かず自分のしようとしている事を説明していた時の、後ろ姿。

 きっと、衛視の黒い制服を着たらもっとそう思うのだろう。

「なに? アン」

 はっとするような笑みを唇に載せ、アリスが小首を傾げて見せる。自分にだけ向けられているこの笑顔がとても贅沢に思えて、アン少年は照れたように笑った。

「…スゥさんの「相方」は、誰なんですか?」

「……………」

 笑顔で訊く少年。

 しかしアリスの方は、笑顔を凍り付かせた。

「あああああああああああああああ。やっぱりそうなんですね!」

「…そうよ。他に誰が居るっていうの? あの「スペクター」を見失わないで観測出来る人間が」

 凍り付いた笑顔のままあくまで冷静なアリスの返答に、アン少年が半泣きだけを返す。

 ところがアリスは…。

「というか君、そんな暢気な事言ってていい訳?」

 アンの方が心配だった。

「…泣いても笑っても一回勝負ですよ、アリス事務官」

 笑み消して小さく言い置いたアンが、不意に俯く。

「普通なら二度目も三度目もあるんでしょうけど、ぼくのチャンスは一回きりです」

 そう。

 魔導師になるチャンス。ではなく、今の第七小隊とともに「衛視」になるチャンスは、一回しかないのだ。

「…だったら余計に、接続待機の確認だとか、そういう準備、しておくべきなんじゃないの?」

 短い時間でもいいから何かした方が安心出来る、とアリスは訴えたつもりだった。しかし、気の強い赤い髪の美女が見せた…珍しく…心配そうな顔に、アンは笑顔を向け直しただけだった。

「ありがとうございます。アリス事務官」

 これがハルヴァイトやドレイクのような余裕綽綽の笑顔ならアリスももっと気楽に笑みを返せたのだろうが、アン少年には「余裕」など皆無に見えた。しかし、ぎゅっと固めた両の拳も、緩やかな弧を描いた小さな唇も、緊張気味ではあるが…不安そうには思えない…。

 だから、アンは覚悟を決めたのだ。

 一回勝負。

 泣いても笑っても、自分で自分に与えたチャンスは一回きり。

「一生友達でいましょうね、アン」

 艶やかな笑顔で呟いたアリスに、アン少年が照れた笑いを返す。

「? ところで、なんでアリス事務官がここに居るんですか?」

 ようやくその不自然さに気付いたアンがいつも通りの幼い表情で小首を傾げると、魔導師隊事務官の青い制服を纏った美女が、ちょっと意地悪く口元を歪める。

「アンちゃんが心配だからに決まってるでしょ? それとも、あたしに心配されたら迷惑なの?」

「え! いいえ、そんな事ないですよー!」

 顔の前で必死に手を振りながら「違いますー!」と悲鳴を上げたアンにほぐれた笑顔を見せ、アリスがぺろりと舌を出す。

「実は制服の採寸に来たのよ。まぁ…君たちみんなが気になるから、今日にして貰ったんだけどね」

「…もー、意地悪言わないでくださいよぉ、アリス事務かーん」

 弱った顔で抗議しながらも、アリスの言い分は大いに頷けるとアンは思った。

 自分の事は…本当に心配される要素しかないと自覚しているし、イルシュにしても、魔導師としては立派に顕現も済ませてはいるが、それ意外では問題が多いだろうし…。

 それに、スーシェは。

「…スゥさんは…、本当にそれでいいんでしょうか…」

 一度は挫折したはずだ。魔導師である事に。

「デリが付いてるわ。と言いたいけれど、それはスゥ個人の問題ね。二週間、スゥはそれなりに悩んだはずよ。それで今日答えを出すの…。魔導師に戻ってあたしたちに「協力」してくれるのか、事務官として残るのか…」

 ただ。とアリスは、先日兄のカイン・ナヴィがバカ受け(……)しながら教えてくれた事を思い出し、苦笑いした。

            

「ゴッヘル卿に「新しい息子」がひとり増えるってさ。しかも…あの酒豪の卿に、朝まで付き合えるような「立派な」男らしいけど、アリスちゃん…心当たりある?」

          

「あるなんてモンじゃないわよ…まったく」

 本気でハルヴァイト(ドレイクは「少し」弱い)をツブし、自分は平然としていた男なら知ってるわ。と答えたアリスに、カインはさも可笑しげな笑みだけを返してきたが…。

「……どっちにしても、スゥは大丈夫よ。それに、ここで魔導師に戻らなくても…誰も文句言わないんだろうしね」

 複雑ながら、アリスは肯定する。

 だからデリラは、先に自分が衛視になる事をゴッヘル卿に告げた。衛視。陛下の側近で、しかも新設の電脳班所属。

 それで、貴族を黙らせた。「スラムのちんぴらが身体の大きさを誇張するみたいにね、おれはおれを誇張して、喧嘩する前からいい位置に付けといただけなんだけどね」と、笑って。

 スーシェがこの先どう振る舞おうとも、伴侶は「陛下のお傍に控えた衛視」なのだ。

 きっとデリラもこれから大変なのだろうと思う。でも彼は、そんな「大変」など気にもかけてくれないのかもしれないが…。

「なら…いいんですけ………。あ?」

「…なんで、アリスまで来てんの?」

 アン少年が短い息を吐いてそう呟いた途端、演習室のドアが開き、衛視がふたり姿を見せた。

 ミナミと、ヒュー。

「ひやかし」

 うふ。と赤い唇で微笑んだアリスに薄い笑みを向けたミナミが、肩を竦める。

「嘘だって判ってるのに信用出来そうで怖いんだけど、それ」

 微妙にいつもと違う突っ込みに、ミナミの後ろに控えているヒューが苦笑いした。

「アイリー次長は今朝からどうも落ち付かないみたいなんで、あまり吹っかけるな」

「やだ! そんなミナミも珍しいわー」

 と、わざちらしく驚いた顔でミナミを見つめてから、アリスが首を捻る。

「なんで?」

 いや…判らなくはないような…判らないような…。

「……今朝方ガン卿から電信あってさ…なんか判んねぇんだけど、すっげーおっかねー顔で「覚悟して来い」つわれた」

 ?

「しかも、直後にさ…あのひとが………」

 俯いて、細やかな金色の髪をかきあげる、ミナミ。いつもの無表情ながら、その指先は戸惑っているように見える。

「ガン卿とちょっと話ししてから、外部通信端末…………ぶっ壊したんだよ…」

………。

「…それ………」

 訳が判らなくて、顔を見合わせるアリスと、アン。

「ど………」

「てーか何! この占有面積の多い衛視はさー。デカいってのー。どいてください。どけてちょーだい。どきなさい。どけ。どけろこんにゃろう! 邪魔だつってんのがわっかんねぇのかよ!」

 を無視して、物凄いきんきら声が喚いた。

「にゃ? おお! アリちゃんにアンちゃんじゃーん。元気してたかな?」

 と………………その…スライドドアの前に突っ立った緑系の塊が気安く手を挙げて笑顔を振りまき、ミナミは……。

「……こうさ、もっと普通っぽいキャラいねぇのかよ…ここには…」

 小さく溜め息を吐いた。

  

   
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