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サラマンドラ=ドラゴンフライ / ディアボロ=フィンチ

   
         
己の意味を知れ。

  

 演習フィールド上。待機状態の「ディアボロ」は相変わらず全身に真白い小鳥を停まらせたまま、ハルヴァイトのように腕を組んで倣岸に佇んでいる。

 朗らかな笑みで後退してきたスーシェと、軽く手を振りながら「負けっこないけど、勝てないんだからさー」などと失礼な事を言うタマリに、イルシュはちょっと緊張気味の固い笑みを向けたが、ブルースは赤銅色の瞳でふたりを見つめただけで、一言も答えようとはしなかった。

「ブアイソなコなのね。部下んなったらいじめちゃうぞ」

 わざとのように口を尖らせたタマリだったが、無言のブルースが行き過ぎ、不意に不安げな表情に戻ったスーシェの横顔に視線を流した時には、神妙な面持ちで微かに眉を寄せている。

「ね、すーちゃん? あれ…ブルースってコは…、もしかしなくても、ヘイゼンの親戚?」

 ヘイゼン、という名前を耳にして、ついにスーシェは長い睫を伏せてしまった。

「……遠縁だけれど、関係は深いそうだよ。今朝、みんなよりも早くここに呼び出されて大隊長にそう言われた。ベリシティ系の魔導師は今、ヘイゼンとあのコしかいないそうだ」

「すーちゃんは、臨界と魔導師系貴族との関係って、知ってる?」

 唐突なタマリの質問に、スーシェがゆっくり首を横に振る。

「そっか。じゃ、無駄な知識植え付けんのはやめよ。とにかくさ、魔導師の家系だからって、バカみたいに強力なヤツらが量産される訳じゃないんだよね、つまり。枝が多くなればなるほど、能力は薄れる。だから、…………アタシみたいな「忘れられた存在」ってのは化け物みたいに強くなるし、アンちゃんみたいに一族で魔導師割合多いと均等に弱っちいくなる。

 ね、すーちゃん」

 タマリは、先ほどと変わらず腕を組んで佇むハルヴァイトとドレイクを振り返り、まるで自分を納得させるかのように言い足した。

「ヘイゼンは、ハルちゃんを怨んでない。たくさんいる一族の中で孤高の魔導師になっちゃったのを怨んでも、ハルちゃんの事は…怨んでないよ」

 こういう不運もあるさー。と最後は気楽に言って笑ったタマリの横顔を、スーシェは複雑な思いで見つめていた。

 過去は消えてくれないんだからと諦めた。

 悩むのもやめた。

 それでホントに嫌われたらそれまで。

 魔導師なんて王城エリアでも四十人程度しかいない狭い人間関係を背負っているのだから。

 しょうがない。

「ヘイゼンと「オロチ」は、今でも元気だよ」

 同じ第七エリアにいたタマリはそう言って、スーシェににっこりと微笑んで見せた。

          

         

「イルくんがどういった戦法で来るのか、ちょっと愉しみではあるがなぁ」

 待機状態でゆっくりと回転する立体陣。その只中に佇むドレイクが独り言みたいに囁いたが、ハルヴァイトは何も答えなかった。

 ブルース・アントラッド・ベリシティという名前を聞いた時、すぐに思い出したのは、「ヘイゼン・モロウ・ベリシティ」という魔導師の事。不幸な…別れ方をして既に五年以上が過ぎ、しかしハルヴァイトの中でそれは、絶対に薄れない面影でもあった。

 ミナミと、ミナミを虜辱した五十八人のように?

 というよりも、タマリとデリラの間に横たわる三十二人のように…か。

「タマリは、羨ましいほど強いな…」

 少女のような外見でやかましい。

「……そうでもねぇさ。昨日俺んトコによ、夜中に電信よこして、今にも泣きそうな顔で「帰りたい」つったぜ」

「……」

「スーシェに会うのも、デリの顔見んのも怖いつってよ。ま、二年前にあんな別れ方したんだしな、判らねぇでもねぇさ」

 それでも、タマリは以前と少しも変わらず陽気にやかましく登場し、まるで今までもそこにいたような顔をしている。

 自分はどうだろうか。とハルヴァイトは思った。

 後悔してはいけない。

 怯えてはいけない。

 タマリほど決定的でないにせよ、ハルヴァイトの足下にも、二つの死体が…いつも転がっている。

 悔やんではいけない。ヘイゼンは、そう言った。

         

「私は「オロチ」の相棒を失ったかもしれないが、お前は…残った」

        

 小さく溜め息を吐いて、憂鬱な過去をいっとき忘れる。

 ハルヴァイトが俯いてもう一度顔を上げた時、「ディアボロ」は首だけを回し、無表情に彼を見つめていた。

「ディアボロ」が、ハルヴァイト・ガリューが、怒りと諦めに任せてぶつかり合った。

 諦めてはいけない。ヘイゼンは、そうも言った。

        

「誰もお前を、怨んでいない」

        

 偉そうに説教するのが好きな男だった。ヘイゼンにとって昔のハルヴァイトは格好の獲物だったのか、彼はよく、やる気なく執務室でサボっているハルヴァイトを見つけては飽きずに人生を解いたりした。

 最後の説教を聞いたのは、医療院のベッドの中だったが…。

 またもやあのブザーが鳴る。

 ハルヴァイトはそれで…本当に何もかも、忘れた。

          

            

 打ち合わせ通り、先に立ち上がったのはイルシュの立体陣の方だった。

「索敵信号に圧縮なし。…しかしこれでは、ミラキ副長に観測されるぞ」

「うん、いい。というか、ブルースじゃドレイクさんを出し抜くなんて出来っこないから、正攻法で行く」

 同時に描き始めた電脳陣。しかしイルシュの立体陣はブルースの平面陣の倍近いスピードで立ち上がり、既に接触陣が上空に出来上がっている。

「タマリさんの言う通り、勝つのは無理。「ディアボロ」に一発入れたら、あとは降参するくらいの心構えでないと」

「……勝ちたいとは思わないのか」

「? 勝てたらいいなとは思うけど、無理」

 薄黄色の光に取り囲まれたイルシュは、正面を向いたままきっぱりとそう言い切った。

「努力が報われる範疇があるとして、でも、あのひとたちはその向こうにいる」

 向上心のないヤツは嫌いだ。と言う代りに、ブルースも視線を前方へと向ける。

 待機状態で既に魔導機が顕現しているのにも関わらず、ふたりは何か話し合っているようでなんの動きも見せない。

「次元が違うよ、ブルース」

 イルシュが呟いて、刹那、上空で待機していた接触陣が高速回転し、「サラマンドラ」が臨界から飛び出してきた。

 訓練校で呼び出した時は周囲を窺いながらゆっくりと、だったはずが、今回は出てくるなり完全臨戦体制。鞭のように自由に動く触覚を根元から立て先端で放電し、細長い巨体をくねらせて「ディアボロ」に突進する。

 その動きを感知するなり、「ディアボロ」に纏わりついていた「フィンチ」が一斉に飛び立ち、その場に取り残された悪魔だけが、燃える文字列を纏った火龍が真紅の矢のように迫り来るのを、胡乱な眼窩で眺めている。

 回避しないのか。

 その必要もないのか。

「小ぶりになったおかげで、速度が上がったな」

「動作プログラムに無駄が多いとは思いますけどね」

「これからでしょ、イルくんは」

 腕組みしたままにやにや笑うドレイクに答えて、ハルヴァイトも薄っすら笑う。

「まだまだこれから、でしょうね…」

「フィンチ」からの情報で新たな接触陣の陣影確認を受け、「ディアボロ」はやっと踵で地面を突き放した。長い手足を縮めて後方に大きく跳び退り、危なげなく、柔らかく踵で着地する。目標に逃げられた「サラマンドラ」の方は、地面すれすれで頭部を持ち上げ激突を回避、長い尾の先端を床に擦り付けながら上昇し、再度佇む「ディアボロ」を睨む。

「…「ドラゴンフライ」だな。出るぜ、向こう」

「完全補助系を後発させるとは、イルシュは何を企んでるんですか?」

「ドラゴンフライ」も「アゲハ」同様観測のみを行うタイプの魔導機で、攻撃の補助は出来ない。しかも「アゲハ」と違って実体があり、空間そのものを全て観測する訳ではない、 いわゆる、移動式監視カメラなのだが?

 ただし、ハルヴァイトもドレイクがイルシュに指示してなんらかのモデリング変更を行ったのは知っているし、元あった浮遊式の熱線砲射出口をプラグラム化して待機させるプログラム自体は、ハルヴァイトが基本を組んだのだ。それをどう「ドラゴンフライ」と組み合わせて来るのか。

「……わたしでないからやらないだろう、などと甘い事を言わないのであれば、これは…手強いコンビか…」

 淡く発光しながら回転する文字列の照り返しを受けた鉛色の瞳が、ふと笑う。

「「フィンチ」は「ドラゴンフライ」の動向を引き続き観測。…二機、「ディアボロ」に「着け」ておいてくれますか?」

「やっぱ、それしかねぇか」

「「ドラゴンフライ」と組むならわたしも同じ手を考えます、という予想ですがね。「フィンチ」には?」

「ヴィジョン系のプラグインでも仕込んどこうかね」

 腕を組んだままイルシュとブルースを睥睨するドレイクの横顔に視線だけを向けたハルヴァイトが小さく吹き出し、ドレイクは片眉を吊り上げてくすくす笑いのハルヴァイトを振り向いた。

「なんだよ」

「逃げ切る気満々だなと思いまして」

 俯いて笑う、ハルヴァイト。

「はっ。お互い様だろ?」

 しかも。

「ドローじゃなく、降参させようっておめーよかマシじゃねぇか? 俺の方がよ」

 それもお互い様でしょう? とハルヴァイトが笑いを含んだ声で言い返すのと同時、上空を旋回していた「フィンチ」のうち二機が、「サラマンドラ」の特攻を避けて真横に転がり跳ね起きた「ディアボロ」の肩にふわりと舞い降りる。

 ドレイクを取り巻く文字列。ステルスされたもの、そうでないもの入り乱れ、大小様々、実に十数個のモニターが忙しく稼働する。ブルースはそれを必死になって観測しているのだが、中にはよく出来たダミーまであり、少年の索敵プログラムがようやく防衛ラインを突破して接触した途端にキャンセルを食らって目標を見失う、という無様を何度も晒すハメになったりした。

 徐々に、不安になる。

 訓練校では成績優秀だった。

 誰にも負けた試しがなかった。

 それなのにここでは…。

「……ブルース。「ドラゴンフライ」を」

 落ち付いたイルシュの声に「やかましい」と怒鳴り返す代り、彼は、じっとドレイクを見つめていた。

 索敵系のプログラムと、ドレイクの陣に割り込ませているハッキングプログラムを幾つか切らなければ「ドラゴンフライ」は操作出来そうにない。それなのに、敵わないと判っていても、「それなのに」、ドレイクはブルース以上のプログラムを動かしながら、八機のフィンチを全て完璧に制御している。

「ブルース」

 もう一度急かすように名前を呼ばれて、ブルースは小さく舌打ちした。

 跳ね回る「ディアボロ」。纏い付く「フィンチ」。「サラマンドラ」は果敢にそれを追いかけ回しているが、薙ぎ払われる尾も絡みつこうとする胴体も叩きつけようとする頭部も、全部が全部「寸で」のところで躱わされている。

 ブルースは焦っている。そして、イルシュも焦っている。

 否。

 勝てない相手に恐怖している自分を、否定している。

 それならばあくまで冷静に、有効に立ち回るべきだと諦めをつけたのか、ブルースは不用と思われる索敵陣とハッキングプログラムの全部をドレイクの陣から切り離した。

 それで待機させていた接触陣にエンターを書きこもうとして、ふと、一個のプログラムがエンドを受けつけていないのに気付く。

 一番深くドレイクの陣に食い込んだハッキングプログラムが、終了しない…。

「………まさ…か?」

 やられた! とブルースが内心悲鳴を上げそうになった、瞬間、勝手に稼働していたプログラムの文字列が下から上に向かって高速で真っ赤な「COUTION」に書き換えられ、最後に一列だけ「ごくろうさん」と…清々しい緑色の文字が出たではないか。

 目の前が真っ暗になったような気がした。耳の後ろがやけに寒く、なのに、鳩尾の辺りが異様に熱い。

「食い込んだんじゃなく…誘い込まれたのか」

 ブルースは、いつものように涼しい顔でそう言ったつもりだった。しかしそれは、決して成功しているとは言えなかっただろう。

 声が震えた。

 どうしようもなく悔しかった。

 何度も防衛ラインに弾き出され、弾き出されるたびにプログラムの「隙」を突いて侵入した。

 つもりでいた。

「……ブルース?」

「「ドラゴンフライ」を出す。シンクロ用の陣は」

「あ…うん」

 シンクロ用に支度されたのは「空」の平面陣で、回転速度はブルースに合わせてイルシュの平均電速よりも遅めに設定してある。その陣に欠けていたアカウントを描き込み、イルシュ経由で「ドラゴンフライ」を呼び出す…。などという事が出来るのか? とブルースは不安になったが、エンターして、刹那、イルシュと繋いだモニターに「OK」が返り、不安定ながらも爆裂したブルースの臨界接触陣から、高周波の羽音を響かせた「ドラゴンフライ」が顕現して来た。

「うん、ここまでは予定通り。リハなしでよくやってるな、おれら」

 イルシュは愉快そうにそう言いながらも、琥珀色の瞳を「ディアボロ」から離さない。

「…二度目なんだから、そう簡単にはやられないよ、おれだって」

「二度目?!」

「? うん。「サラマンドラ」が「ディアボロ」に会うのは三度目。まともに戦うのは二度目で、一回は「ヴリトラ」と喧嘩しそうになったのをぶっ飛ばされただけで歯も立たなかったけど」

 と、イルシュはけろっと言い退けた。

「う……」

 嘘だろ。と言いそうになったのを気合で飲み込み、変わりに「ああ、そう」と、物凄く呆れた口調で言うのに成功した。

「勝てないからね」

「………なんで」

「勝てないよ」

 そんなブルースの内情など知らず、イルシュは笑うのをやめて「ディアボロ」と「フィンチ」を睨み、呟く。

「多分、もうバレてる」

 呟く。

「対策されてる」

 呟く。

「大隊長の命令だからやり返されないだろうけど、あのひとたちは…」

 最悪の。

「ヤになるくらい性格そっくりでさー、手出しできないから逃げ回ってるんじゃなくてこっちが追っかけるから逃げて見せてるだけでさー、なんか仕掛けようもんなら、「おめーらじゃぜってーおれたちにゃ勝てねぇぜ」ってのを見せ付けて来んだよ!」

 最強の。

「抵抗しないで、完勝するよ」

 警備兵。

「「ドラゴンフライ」をフィールド上空に散開。カウントダウン開始…。「ディアボロ」がどう出ても、「フィンチ」が邪魔して来ても、一回だけ…あれをやる」

 立体陣に囲まれたイルシュが、そこだけ大人びた表情でゆっくりと笑った。

「失敗していいよ。当然だよ。でもさ、ブルース…。

 何もしないであっさり負けを認めるくらいならおれは、「生きててよかった」って自己満足出来る程度にがんばりたいよ」

 後悔しても、泣きたくなっても、自分で自分を「許せる」程度には、何かしたい。

「…………そうだよね、ミナミさん…」

 イルシュは、あの晩餐会の日のミナミとハルヴァイトを思い出した。

「そうなんだよね、小隊長」

  

   
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