■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

ディアボロ=フィンチ

   
         
己の意味知るを放棄するな。

  

 失速するように接触陣から落下して来た「ドラゴンフライ」が体勢を立て直すまでの、刹那。両肩に「フィンチ」を停まらせた「ディアボロ」は、背筋を伸ばしただ佇んで、じっと銀色の「トンボ」を空洞の眼窩で睨んでいた。

 全長六十センチ、カラーリングを施していない金属質な白銀の、半透明な羽根を持つ「ドラゴンフライ」。頭部の殆どは直系十五センチ近い球形のカメラアイで、その動きや形状は「トンボ」というよりも「カメレオン」に似ている。胴体は三節に折れ曲がるらしく、四枚二対の羽根と上下に動くこの胴体を使ってかなり自由に空中を飛び回れるようだったが、まだ操作系に余計なプログラムがあるのか、少々動きはぎこちない。

 それが五機、最早知能の低い原始の生物である事をやめた、威風堂々とする骸骨の悪魔を取り囲んで上空を旋回し、わざとだろうか、その機体すれすれ、機体と機体の狭い隙間を「フィンチ」が空気を引き裂いて行ったり来たりしていた。

「気が散る」

「それがドレイクさんの狙い。だから、意地でも無視するんだ、ブルース」

 通常の「言語」を使ってお互いの状態を確認し合うイルシュとブルース。対峙するハルヴァイトとドレイクは、腕を組んだままにやにやと笑っているばかりで、少々薄気味悪い。

 実はこれもひとつの威圧行為だった。会話らしいものも交わさずに見せる見事なコンビネーションプレイ、というのは相手に精神的なプレッシャーを少なからずとも与えたし、事実、そういう「意地の悪い」戦法を得意とする魔導師コンビは少なくない。

 いい例としてまず、グランとローエンスがいる。こちらの年寄り(…)どもは本当に、全く、お互い何をしようとするのか確認しもせずにいきなりどちらかが行動に出て、もう一方はその行動を予測して次の手を打つのだ。それで今まで食い違った事が殆どないというのだから、やはり彼らは「最強」である。

 そのグランやローエンスから見ればまだひよっこのハルヴァイトとドレイクは、可視モードのウインドウで文字列による通信をひっきりなしに行っているのだが、果たしてそれが相手ないし観測しているその他大勢に漏れているか、というと、そうではない。

 彼らは、特殊な圧縮信号による通信を行っている。モニターを流れる「会話」は長さと区切りの違う垂直の短い線によって現され、それは………誰にも読み取る事が出来ない。

 莫大な電素数を食う「暗号解読パッチ」を起動させておけば読み取れるそうだ。しかし、戦闘時にそんな…盗み聞きのために無駄な電素数を使いたいヤツなどいないし、もしも第三者として専門の監視者を置くにしても、このパッチは。

 どういった構造なのか、知っているのはハルヴァイトとドレイクだけなのだ。魔導師になった瞬間から全身のどこかに刻まれている。

 父親の違う兄弟でありながら。

 彼らは、共通する「暗号」を持っている。

 それを不思議だと思わなかった訳ではない。しかし、臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)を洗いざらい解析する事を、

 ハルヴァイトは、面倒だ。と思い。

 ドレイクは、やらなくていい。と思った。

 それは…。

 ハルヴァイトには「どうでもよく」、ドレイクは真相を「畏れた」という事か?

 ドレイクからの通信を受け、ハルヴァイトは「ディアボロ」をフィールドの中央まで移動させた。滞空する「ドラゴンフライ」の間を滑るように進む鋼色の悪魔。燃え盛る火龍は進路を邪魔して地面すれすれをくねりながら横切っては急に戻って来たりしたが、悪魔は軽くジャンプし、頭を低く下げ、時には一旦後退して、「サラマンドラ」をやり過ごす。

「フィンチ」の準備終了。という信号を受けて、「ディアボロ」はついに足を停めた。見上げるように顎を上げ、上空の「ドラゴンフライ」と「フィンチ」、迫り来る「サラマンドラ」を胡乱に眺める。

 違うのだと、ハルヴァイトは思う。今だから、かもしれないが…。

 同じ高圧縮信号の解読パッチ。身体に刻まれた、文様。

 それだけで、安心出来た。「家族」がいると知った。今だから判る。

 起源を探りたくなかった本当の理由は、ハルヴァイトも、ドレイクも、同じだったのだ。

         

 父親も母親も亡くした。大勢の中の孤独から目を逸らそうとしていた。

 だから。

 例え嘘でもいいから「兄弟」のままでいたかった。

         

 秘匿された真相を自ら晒し、でも、ハルヴァイトは後悔しないだろう。

 ずっと「兄弟」であればいいし、ドレイクには「家族」も出来るだろうし、ハルヴァイトには、「ミナミ」がいる。

 やり直せばいいじゃないか。と。

 どうせ、元を正せば最初は他人と他人なのだから。と。

 相当大雑把で乱暴な意見だが、ハルヴァイトは本気でそう考えていた。

 だから彼は、佇む「ディアボロ」の背中を見つめ、ゆっくり、口の端を歪めて、笑う。

「……反省も後悔も五分と持たない自分に、関心だな…」

 ブルース・アントラッド・ベリシティに向ける「礼儀」など、ハルヴァイトは持ち合わせていなかった。

           

         

「ディアボロ」の動きが停まってすぐ、「ドラゴンフライ」が飛来して頭上を旋回する。位置に決まりがあるのか、鉄製のトンボはプラズマの羽根で器用に滞空し、五角形の布陣で「ディアボロ」を取り囲んでいた。

 相変らず「フィンチ」は周囲を煩く飛び回っている。「ディアボロ」の肩に残った二機の目的が定かではないが、「あの方法」で一撃でも悪魔にヒットさせられれば、もしかしたら、他の魔導機にだって楽勝出来るかもしれない、とブルースは思っていた。

 そうかもしれない。

 あくまでも、ヒットさせられれば、だし、無抵抗の「ディアボロ」に攻撃出来ても、大した自慢にはならないかもしれないが。

「ドラゴンフライ」が不意に羽根の角度を変える。移動。とドレイクからの通信。「ディアボロ」は「フィンチ」を肩に胡乱な眼窩で「ドラゴンフライ」を見つめたまま。

 見つめたまま。

 待つ。

 カメラアイをぎょろつかせて目配せし合った(?)「ドラゴンフライ」どもが一斉に動き出す。それぞれが中央に位置する「ディアボロ」に向いていた状態から、対角線を描くように一直線に高速飛行。頭上で交差しすれ違う鉄製のトンボ。移動が直線なのは、まだ、操作系に不安があるからだろうか。

 甘いな。とドレイク。

 あと十年は訓練してからでないと。とハルヴァイト。

 まさか負けてもやれない。

 六機の「フィンチ」は「ドラゴンフライ」の直線移動が始まった途端にそれよりも上空に逃げ去り、様子を窺うよう「8」の字を描いてその場から離れない。実はそれで既に勝機が消え失せたと知らないブルースはあの「悪魔」に勝ちたいと思い、イルシュは何をされるのかと…びくついていた。

「うー。手加減してよー、ガリュー小隊長!」

           

「無理に決まってんじゃん。イルちゃん頭悪ぅ」

「…タマリ…。楽しそうに言うの辞めなよ」

         

「ドラゴンフライ」は見ていた。「ディアボロ」の姿を追っていた。脇から水平に滑り込んで来る「サラマンドラ」が悪魔を追い立てるだろう軌道を予測値で弾き出し、まだ通過しない「ディアボロ」の動きを予想して…。

「エンター」

 ブルースは、イルシュの稼働させている「熱線砲プログラム」に「ドラゴンフライ」の視覚情報を重ね合わせ、シンクロ陣にエンターを描き込んだ。

 真横から滑り込んで来る「サラマンドラ」。その体当りを避けるためか、踵で床を蹴り離し、前方に転がり出る「ディアボロ」。集中し過ぎて極端に狭くなった視界の中、ハルヴァイトの陣が吹っ飛んだような気はしたが、ブルースはそれを気に掛けなかった。

 これが本気の戦闘なら、イルシュとブルースは負けていただろう。八機の「フィンチ」と「ディアボロ」に、ではなく、ドレイク・ミラキとハルヴァイト・ガリューに。

 ハルヴァイトのモニターに、ドレイクからの「エンター」が返ってくる。

「サラマンドラ」が、「ドラゴンフライ」の作る五角形の「罠」に突っ込む直前、頭部を強引に持ち上げてその「観測空間」への侵入を緊急回避。前方に飛び出した「ディアボロ」は頚椎付近からケーブル状に延びた文字列の尾を引きながら、鮮やかに身を捻り危なげなく床に膝を付いて停まった。

 ガガン! と本物の尾が鉄製の床を苛立たしげに打ち据えて、瞬間、五角形の布陣を崩さない「ドラゴンフライ」の、高速で羽ばたき続ける羽根の残影に、四重構造の小さな電脳陣が浮かび上がったではないか。

 工事中の道路で似たものを見た事がある、とその時ミナミは思った。確か、細い棒状の「何か」(それがなんなのか、ミナミは知らない)を頭上で左右に振ると、棒状機械表面で明滅している赤い点の残影が、何もない空間に発光する文字列でメッセージを浮かび上がらせるものだ。

 中空に隠れた透明な電脳陣の影なのか、「ドラゴンフライ」の羽根に隠れた電脳陣の残影なのか定かでないが、しかし、五機の「ドラゴンフライ」は間違いなく、なんらかの陣を「背負って」「ディアボロ」の上空を制圧している。

 どれかの背負った陣がかっと赤光を放ったのは、床に膝を突いていた「ディアボロ」が微かに頭部を揺らした刹那だった。

「うむー。「熱線砲」の射出口をプログラム「だけ」にしといて「ドラゴンフライ」の索敵情報を流し込み、リンクさせた陣を使って「ドラゴンフライ」を移動式の射出口にしよってハラですか。うんうん、なかなかやるじゃん、ガキども」

 そこでタマリは、一機の「ドラゴンフライ」が吐いた熱線砲の軌跡を眺めながら、ゆっくりと口の端を引き上げた。

「でも、ハルちゃんとレイちゃんは、そんな甘くないでしょ?」

 まるで「ドラゴンフライ」の全身から放たれたように見える、高温の光。それが真っ直ぐに「ディアボロ」を貫き、ブルースは……。

 にやにやと笑いたい衝動を必死に堪え、ハルヴァイトとドレイクに視線を向けた。

 しかし。

 ハルヴァイトもドレイクも、相変らず倣岸に腕を組み、薄笑いを浮かべて佇んでいる。しかも、ハルヴァイトの周囲には立体陣の陣影さえない。

 ない。なのに「ディアボロ」は………、沸騰する光に刺し貫かれても尚、平然とその場に「立っている」ではないか。

 果敢に再度攻撃を仕掛ける、「サラマンドラ」。「ディアボロ」は火龍を避けて床を転がり、その隙に待ち構えていた「ドラゴンフライ」が、跳ね起きようか、という悪魔に熱線砲を浴びせ掛ける。

「「サラマンドラ」で追い回し、「ドラゴンフライ」が攻撃するのか。ま、有効っつえば有効ではあるな」

「「ドラゴンフライ」は完全補助系ですからね、まさか攻撃してくると思っていない相手なら、油断してくれるでしょうし」

「これでよ、ハル。熱線砲の射出プログラムを相当自由に出来りゃぁ、このコンビは使えると思わねぇか?」

「それもこれからでしょう?」

「だな」

 などと暢気に茶飲み話するハルヴァイトとドレイクだが、その間、「ディアボロ」は数回、熱線砲の直撃を受けていた。

 なのに、悪魔は平然としている。

 その悪魔と「開門式プログラム」で直結されているハルヴァイトも、平然としている。

 悪魔の肩にちょこんと乗っかった、真白い小鳥も…平然としている?

「あああああ。あーーーはははは! 判ったぁ」

 そこで、タマリだけが大爆笑し始めた。

 イルシュとブルースは、どんなに攻撃しても倒れない「ディアボロ」に振り回され始めていた。「ドラゴンフライ」の布陣が徐々に崩れ、「サラマンドラ」の動きも戸惑うように雑になって来ている。

「監視ブース、アリちゃんどーぞー」

 その模様をにやにやと眺めながら、タマリは取り出した通信端末にやたら気楽そうな声で呼びかけた。

『はい、こちら監視ブースです』

「そっちでさー、今フィールドで起こってる事、正確に監視出来てる?」

『……………。出来てないと思うわ』

 苦笑いを含んだアリスの不安な返答に、タマリが「じゃね」ともったいぶった声で答える。

「アタシがドレイク裏切って説明したげるからさ、とりあえず、ちびちゃんたちに戦闘の終了命令出してあげてって、大隊長脅してよ」

 言ってタマリは、当惑したように見つめてくるスーシェに微笑んで見せた。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む