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13.エンドレス

   
         
(1)

  

「……なんかいい事ねぇかな…、とか思わねぇ?」

「……………はぁ」

 キッチンを背にしたソファに寝転がっていたミナミが、それまで読んでいた本を胸の上に置き天井に向かって短く言ったのに、テレビを観ているハルヴァイトが府抜けた答えを返す、昼下がり。

 というと彼らが昨日も今日も明日もこんな風に暢気に暮らしているような気がするが、ハルヴァイトとミナミが揃ってこの時間…一日のうちでもっとも怠惰に振舞える時間…にリビングで顔を合わせたのは、貴族院が再編され、ミナミが特務室に戻り、旧第七小隊が電脳班として衛視になって一ヶ月近く過ぎてから、始めてだった。

 予想以上の忙しさ。

 殆ど気紛れのように登城し、「アドオル・ウイン」の取り調べ(といっても、データの解析みたいなものなのだが)を行っては関係施設や関係者に事情聴取するハルヴァイトは頻繁に自宅を出入りしていたが、貴族院再編に伴う内偵処理に追われていたミナミは、何日も城に泊り込み、やっと明け方戻って来てその日の午後にはまた呼び出されて出て行くという、不規則勤務を繰り返していたのだ。

 となると、当然ハルヴァイトは…面白くない。

 以前と違って執務室は隣接しているものの、陛下に付き添い上級居住区などに出向いている事も多いミナミと顔を会わせる機会は極端に減り、今回の人事異動では特に、室長…クラバイン・フェロウの職務負担を軽減するという目的もあったせいで、逆に、以前は日勤しかなかったミナミの仕事は、着実に増えていた。

 それでも、ハルヴァイトにしてみれば奇跡的に、最初の一週間はなんとか大人しく職務をまっとうしていたようだが、それが十日過ぎ、二週間過ぎ、二十日過ぎ、日々傾いていくハルヴァイトの機嫌にアンやドレイクが一抹の不安を覚え始めた頃、その…待機状態でなんとか平静を保っていた「事故」は、暴発する。

 大した事ではない。

 予想も出来ていた。

 だから…、ハルヴァイトがアドオル・ウインの「取り調べ」を行っていたのが本丸でなく別の施設で、元は倉庫に使われていた独立した建物だったのだし。

 が、それは起こり、予想外の…被害を出すハメになった。

 しつこいようだが、大した事ではない。

 いつもより多量の荷電粒子が、いつもより高い電圧で、いつも以上に派手に炸裂し、取り調べ室のある建物と隣接する施設の電気系統をいっぺんにダウンさせたため城の警報装置がそれを「なんらかの攻撃行為」と判断してしまい本丸に非常事態警報一号が発令された、程度…。

「……程度じゃねぇっての…」

 そういう訳で、見事ハルヴァイトは一週間の謹慎。ついでに、今まで働き詰めだった「電脳班」には休暇が与えられ、ハルヴァイトの監視名目でミナミにも自宅待機が言い渡される。

 ただし、ここにはミナミの知らない事実がひとつだけあった。

 ハルヴァイトは、駆け付けて来たクラバインに問いただされても、なぜそんな事故を起こしたのか、絶対に話さなかったのだ。

 ダウン、というよりも大破した端末を前に、ディスケットから取り出した「臨界式ディスク」を叩き壊さんばかりの顔つきで睨み、音のない、真っ白な火花を部屋中に放ちながら彼は、「わたしの我慢にも限界があるんです」と言った。

 こうなる事は、判っていた。

 ハルヴァイトにも判っていたはずだ。

 彼は、もう二度と恋人を手放したくないと思うハルヴァイトは、だからこそ、アドオル・ウインを高密度臨界式ディスクに焼き付けなければならなかったのだから。

 アドオル・ウインが何を考えていたのか。

 アドオル・ウインが何を求めていたのか。

 アドオル・ウインが何を………したのか。

            

 議事堂の天使に。

 身代わりの、ミナミに。

 それから。

         

 結局クラバインはミナミに、施設の電気系統復旧作業に数日かかるだろうから、その間にハルヴァイトの機嫌を取っておけ、というような苦しい命令を出し、こちらも相当働き詰めで、しかもハルヴァイトが起こした騒ぎのせいですっかり疲れ切ったミナミも、それ以上クラバインに余計な事を訊いたりせず有難く自宅待機に入った。

 そして、今回の騒ぎの原因が「それ」なのかもしれないと、ミナミも思っていたのだ。

 アドオル・ウインの取り調べ結果は全てクラバインに報告される事になっており、ミナミはハルヴァイトに、一度もアドオル・ウインの取調べが順調かどうか、訊いた試しがなかった。

 訊けなかったのか、訊きたくなかったのかは、ミナミにも定かでない。とにかく彼はそれをハルヴァイトに一度も尋ねず、ミナミは自分をほったらかし(とハルヴァイトは思った)て仕事にばかりかまけていて、アドオル・ウインは……。

 アドオル・ウインに訪れているのは、「死」ではなかった。生命活動の「停滞」ではあったかもしれないが、「消滅」ではない。そして彼の意識は正常に「生きて」いて、過去を過去のデータとして「閲覧」するハルヴァイトだけが、アドオル・ウインと接触している。

 ややこしい話しで申し訳ないが、アドオル・ウインは自分の身に何が起こっているのかまったく理解出来ておらず、しようともしないまま、「なぜこんな場所にわたしを閉じ込めておくのか?」という質問を、延々とハルヴァイトに繰り返し続けているのだ。

 それで、ミナミにかまって貰えない(……)のとアドオル・ウインがしつこいのにぶっキレたハルヴァイトが、別棟の電気系統を一瞬で大破させた「くらい」なら、許せる範囲だろう? と、疲れ切ったミナミにウォルは笑って見せたものだ。

「…つうか、許すなよ…。何度考えてもみんなおかしいっての」

 というのが、中間の事情を省いて状況を説明されたミナミの感想だった。

 とにかく、それで彼らは久しぶりに暢気な昼下がりを過ごしているのだが…。

「いい事というと?」

 本気で問いかけてくるハルヴァイトの顔をじっと無表情に見つめ、ミナミはすっぱり言い切った。

「アンタが暴れないで普通に休暇が貰えるとか」

「………………………」

「つうのは無理だとして」

「というか、無理って…」

 酷い言われようだと言い足したい気分はあったものの、ハルヴァイトは苦笑いでミナミから視線を逸らし、そのセリフを飲み込んだ。果たしてこの場合どちらが「無理」なのか、非常に微妙な心持ちだったのか…。

 ハルヴァイトが暴れないで、普通に休暇が貰える。

 と。

 ハルヴァイトが暴れないで普通に、休暇が貰える。

 では、何か違うのだろうし。

「うん、さすがに俺も疲れた…。貴族院再編付随任務って、つまり貴族連中の身辺調査なんだけどさ、これが…まぁ…、結構大変」

 浅い溜め息混じりのセリフ。いかに貴族にも議会にも興味ないとはいえ、ハルヴァイトにも「貴族社会」がどういったものなのか多少は知っているのだから、ミナミが「疲れる」原因も、自ずと判って来る。

「でも、アンタのおかげで今回はずっとマシだってヒューは言ってたけどな」

「? わたしですか?」

 さて、一般衛視と一緒にそんな雑務をする訳のないハルヴァイトのおかげでマシ、とは、どういう意味なのか。

「…俺」

「ああ………」

 ミナミの浮かない顔を見つめて不思議そうにしていたハルヴァイトが、短い恋人の言葉にいかにも得心したように頷く。

 つまり。

 身辺調査中になんらかのトラブルが発生した場合、調査対象になった貴族の御方はうるさく嗅ぎ回る衛視を捕まえて丁重に屋敷へ招待し、自分の都合の悪い事は報告しないでくれと買収しようとする。が、そこで金品を受け取ったのが発覚すれば、まず、衛視は確実に王城エリアから「どこか」へ飛ばされてしまう。過去にはそういう愚行を犯した衛視もいたが、現在の衛視長…クラバイン・フェロウの情報網と決断の早さと陛下に対する忠誠心を知っている部下ならば、そんな、自分の首を自分で斬り落とすようなマネは死んでもしない。

 バレないだろう。などという甘い考えは、あの男の前では存在出来ないのだ。

 しつこく食い下がる貴族。だがまさか、奥の手であるクラバインに直接連絡する訳にも行かず、衛視はここで幾つかの方法を考え出し貴族の手から逃れなければならないのだが…。

 現在特務室に詰めている衛視たちはその殆どが民間人で、貴族にコネはない。だからこそ彼らは唯一「陛下」のためにだけ、貴族も民間人もなく接する訳だが、貴族連中から見れば、たかが民間出のくせに何を威張り腐っているのか、と、なって来る。

 されど民間人である。陛下風に言うならば、貴族は彼らにこそ威厳のある姿を見せなければいけないだろう。

 さてここで、衛視はにこやかに言う。

            

「わたしではその判断を下しかねますので、次長においで頂きましょう」

          

 彼らが次長といったら、天地がひっくり返ってもひとりしかいない。それはまるで、直接「陛下を呼びましょうか?」と問われているに等しい重さを持って、あくまでもあっさりとにこやかに、宣言されるのだ。

           

「次長がいらっしゃるという事は、ハルヴァイト・ガリューも来るぞ」

            

 といったニュアンスたっぷりで。

 この「脅し」で九割九分相手は諦める、と父親の名前を明かした方が効果ありそうなルードリッヒに言われた時は、さすがのミナミもかなり複雑な気持ちになった。まぁ、ハルヴァイトのおかげ、でミナミが自分を指し、すぐに納得されたのもかなり複雑な気持ちではあったけれど。

 何にせよ、そういったもの全てを含めミナミはすっかり疲れ切っていたが、一ヶ月ぶりにミナミと自宅でのんびりしているハルヴァイトはそれなりに落ち着いており、この恋人が落ち着いているとなれば……。

「それはそれでいいんじゃないんですか? 面倒な事はあるよりないに越した事ないですし、あるなら、早めに終わってくれればいいでしょう?」

 傍から見たら、などという言葉はこの世に存在しないのではないかと思われそうな事を、平気で言って退けやがる。

 別に、ミナミだって特別人目が気になる訳ではないが、ハルヴァイトの「世間様無視」っぷりには呆れるものがあった。

 なんとなく、ドレイクに会いたいなと思う程に。

「…まー、そんな事どうでもいいんだけどさ…」

 相変わらずソファに寝転がったまま、ぶつぶつと何か口の中で呟いて、再度疲れ切った溜め息を吐く、ミナミ。そういえばいつだったか誰だったかが、溜め息を吐くと幸せが逃げる、などと言っていたが、アレは一般的な話なのか出所も定かでない噂というか正体不明なのにずっと信用されている子供のおまじないに似たものなのか、とハルヴァイトは思ったが、あえて、というか、わざわざそれを口には出さなかった。

 それをミナミが知ったら、なんと……突っ込んでくれるのか気になる。

 恐ろしいまでに日常会話の弾まない家…。

 もしかしたら居心地悪いくらいに見つめられて、ミナミはソファから身を起こした。

 リビングの片付けでもしようかと思う。ハルヴァイトばかり出入りしていたせいで、なんとなくどこもかしこも散らかっているのだ。しかし、気持ちが付いて来ないのも確かで、つい、また溜め息をついてしまう。

「…買い物にでも行きます?」

 とここで、ハルヴァイトが珍しい事を言い出した。

「別に、買うもんないだろ」

「じゃぁ、ドレイクの不景気な顔でも見に行くとか?」

「…今日は貴族院再編後初の貴族会で、ミラキ卿もそっち出てるよ…」

 言ってしまって、ミナミはちょっと憂鬱な気持ちになった。

 今日の貴族会には、ウォル…陛下も列席しているのだ。

「では、レジーとマーリィを訪ねる」

「んーーーーーーー。室長は陛下に着いてったしなぁ」

 それならいいか、と言いかけたミナミに、ハルヴァイトはちょっと意地悪く微笑んで見せた。

「という口実で、上級居住区でちょっと…暗躍してみます?」

「……………」

 あまりにも平然と言い放たれたセリフに、ミナミはゆっくり恋人を見つめた。

「ドレイクの身動きが取れないのは、チャンスだと思いますけど?」

 ミナミの微かな杞憂も知らず、ハルヴァイトはなんだか…楽しそうだった。

  

   
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