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13.エンドレス

   
         
(2)

  

 ハルヴァイトとミナミがフェロウ家に行こうか、という相談をしている頃、一般居住区のとある場所では、こちらも電脳班に合わせて休暇を与えられた特務室電脳班直属警備部隊(未だに三十六連隊と呼ばれているが)部隊長ギイル・キースが…非常に…困惑していた。

「どうしても、譲っていただけないのでしょうか?」

「あの…はい…。申し訳ありませんが…これは……」

 もうひとり、ギイル以上に当惑しているらしい店主が助けを求めるように彼を見上げ、見上げられたギイルが苦りきった顔でしきりにがしがしと短い髪を掻き回す。

 場所は一般居住区二十五丁目、繁華街の一角。レストランやカフェに混じって手作りの雑貨を売る店が多くある場所で、連なる店舗の店先には、室内装飾品や宝飾品など、いわゆる「趣味の小物」が所狭しと並んでいた。

 ギイルの訪ねたその店に、目立った看板はない。ショーウインドウもささやかで、品のいい木造のドアを入ると幾つかショーケースが置かれているだけの、本当に小さな店。

 店主はアミ・ケルー。小柄で落ち着いた感じのする男性で、スーシェやレジーナと並べても見劣りしないだろう。

「他にもペンダントヘッドやリングがございますし、お時間に差し支えなければ、オーダーメイドでお作りする事も…」

 取り扱っているのは、軍払い下げの通信端末を解体して採取した「金」や他の金属を再利用した宝飾品だったが、資源の限り在る浮遊都市ではこういう店は珍しくない。鉱物資源さえ着陸調査で採取し解析して合成するか、永年使い続けるかなのだ、こういった閉鎖空間では。その一部でささやかなアクセサリーを作り着飾るのは、都民の楽しみでも在る。

「でも、これと同じデザインにはしてくださらないのでしょう?」

 食い下がる女性の細い指先が示すのは、レジカウンターの上に載せられた宝石箱。固く錠前を下ろした透明な箱の中には青い別珍の御座が設えられており、それにひっそりとうずくまっているのは、男性用だとしたら少々華奢なくらいの、艶やかな銀とつや消しの銀で精緻に飾られた、一個のリングだった。

 確かに、趣味の宝飾品は眺めるだけでも楽しみではある。それはアミにも判るし、だからこそこんな小さな店でもそれなりにやっていけるのだ。

 が。

 まさか…私設の警備員に周囲を固められた「女性」が訪ねて来て、よりによって…これ…が欲しいと言い出すなどと、夢にも思っていなかった。

 だから、困惑。偶然ギイルが居合わせてくれなかったら、卒倒していたかもしれない。

 アミを悩ませている女性の名前を、ギイルは当然知らなかった。ただ、豊かなブルネットのウエーブヘアに深い緑色の瞳とラズベリー色の唇が非常に美しい、健康的で少々気の強そうな美人だとは思ったが。

 彼女の周囲を固めた警備員は、全部で五名。女性のひとり歩きだと思えば多いのか、少ないのか、と一瞬考えを巡らせてしまってから、ギイルは内心吹き出した。

 何せ彼の知る「女性」と来たら、やたら腕っ節が強くてなまじの男では敵わないような美人だとか、清楚で可憐なのに有無を言わせぬ穏やかな迫力で男どもを黙らせてしまうような少女だとか、男も女もなにもかもいっしょくたに「友達」になってしまう姫様だとか、どこから見ても王様みたいな女王様だとかなのだ。しかも、警備員も警備兵も着けずに、勝手にすっ飛んで歩きそうな…。

 そう思うと、この「女性」を特別扱いするのがばかばかしく思えてくる。確かに女性は希少であって大切にするべき存在だとはギイルでさえも理解出来るが、無駄に萎縮したりするのは…なんだか失礼な気がした。

「…そんな事したら、姫様にけっとばされっちまうし」

 ルニは言う。

            

「なんでみんながマーリィを「そう言う風」に見るのかルニ考えたの、ね、キース。

 で、ルニは判ったの!

 つまりね、みんな…女性を大切にし過ぎなのよ!」

        

 だから、劣っている部分が誇張されるのだ、とルニはギイルに「教えた」。

「…あんたがそのデザインを気に入ってくれたつうのは、アミも嬉しいだろうけどさぁ、お嬢さん? 残念ながらそいつにゃぁ、正当な…持ち主つうのがいんのよ」

 居た。と言うべきか。

「え?」

 それまで通りすがりのような顔で片隅に小さく…は、この体格なのではなはだ無理なのだが…なっていたギイルにいきなり声をかけられて、彼女は本当に驚いて彼を振り向いた。

 見上げるように立派な体格の、ちょっと厳しい顔つきながら奇妙に優しげな瞳の男。華奢で美しい宝飾品の並ぶ店には不釣り合い過ぎでいかにも怪しく、ブルネットの女性を囲む警備員が一斉に腰の警棒に手を伸ばす。

 ただのものではない雰囲気。

 在る意味、それは正解なのだが。

「そいつはさ、アミ…ここの主人が」

 遠い昔に。

「恋人の指を飾るようにって一生懸命作ったモンなんだけどねぇ、その恋人と来たらさ」

 遠い場所に。

「受け取る前に、死んじまったのよ」

 アミと、ギイルを遺し。

 美しい顔に輝いていた緑色の瞳が、一瞬だけ微かに見開かれる。カウンターの中に佇んでいたアミはギイルの言葉に俯き、ギイルは、当惑する彼女に笑って見せた。

「受け取るはずだったのがおれの兄貴だから、そいつは、兄貴の形見になっちまった。だからおれにも半分だけ発言する権利があるとして、悪ぃけど…ホントに……、アミがそいつをまだ手放せねぇつうから、諦めて貰えねぇかな」

 ギイルが言い終えてすぐ、控えていた警備員のひとりが「お嬢様、そんなものは縁起が…」と言いかける。それを遮るように警備員を睨んだ彼女は、すぐアミに向き直ると、白くて細い手を身体の前で組み合わせ、本当に済まなそうな声でこう言いながら深々と彼に頭を下げた。

「そんな事情も知らず、無理を言って申し訳ありませんでした。想い出は大切になさいますように…。でも」

 長い髪が、ふわりと揺れる。

「囚われてばかりでもいけませんわ。

 あなた様が一日も早くお幸せになる事を、あのリングの持ち主であるお方も望んでいる事でしょう」

 彼女は、惚けたアミにそう言い置き、にっこりと微笑んで見せた。

 それは、紛れもなく美しい、清々しい笑顔。

「他人の踏み込んではいけない事情をお話くださったあなた様にも、感謝申し上げます。わたくしの…」

「あ! ああ、いいのいいの。アミがもっと早くに言っときゃぁこんな騒ぎになんなかったんだから、お互い様だよ」

 笑顔の彼女に向き直られ、ギイルが慌てて首を横に振る。

 こんな非常識な摂理が常識みたいにまかり通っているファイランであろうとも、結局、「男」は「女」の美しさに弱いものなのだ。

(だからかねぇ…ナヴィ嬢にもマーリィちゃんにもルニ姫さんにも女王陛下にも、結局おれたちの誰も頭上がんねぇのはさ)

 などと暢気に考えながら、ギイルは少し照れたように彼女から目を逸らした。

「にしてもさ、こんな町の片隅にある店見つけるとは、あんたも物好きだな」

 ちょっと失礼な内容をすらすらと言ったギイルを、彼女がくすくす笑う。

「…お友達がとても素敵なブレスレットをしていて、どこで買い求めたのかしつこく訊いてやっとこのお店を教えていただいたんです」

「はぁ、お友達ねぇ」

 そりゃ、そちらのお方も物好きだな、と呟いたギイル。

「普段は父の監視が厳しくて、居住区のお店に自分で足を運ぶ事は出来ないのですが、今日はその父が不在なので、内緒でお買い物に」

 彼女はそう言うと、茶目っ気たっぷりに肩を竦め、唇の前に人差し指を立てた。

 その仕草はなんというかこう、頭がよさそうなのに……。

「………あんた、かわいいな」

「………………」

 ギイルは、呆気に取られる彼女と警備員を前にして、クソ真面目に言った。

「あんなにあのリング欲しがっててだな、こういう理由でダメなんだよっても、諦めねぇヤツだって当然世の中にゃいるでしょ? でもあんたは素直に申し訳ねぇーって謝って諦めてくれたし、事情を話したおれにも感謝してくれたしね。素直でかわいいよ」

 傍若無人自慢とまで言われているギイル・キースではあるが、本物の傍若無人ではないようだ。

「だから、おれから何かプレゼントするかな」

「…でも………」

 困った彼女が助けを求めるようにアミを見つめ、アミは、なぜそうなる? とギイルに突っ込みたくなった。

 これでは、まるで全員の立場が変わってしまっているではないか。

「? いいっていいって。つかよ、まさか生きてるうちに女性に何かプレゼントする機会なんてのも、この先ねぇだろうし」

 にしし。といつもの調子で笑う、ギイル。

「てかよぉ、おれもいろいろ大変でさぁ、なんつうかこう、散財しねぇとやってらんねぇ! みてーな気分なのよ。でも自分のモン買ってもつまんねぇし、だからって飲むのも癪に障るしさぁ、だったら、お美しいお嬢さんに何か差し上げた方が、数百倍気分いいってモンでしょ」

 ね? と不器用にウインクして見せるギイルに、彼女は朗らかに微笑み返した。

「では、わたくしはあなた様のお手伝いを?」

「そうそう。気安くね」

 なぜか妙に気が合うらしい二人…。

「それなら…」

 と彼女は、狭い店内をゆっくり一回だけ見回し、ふと、出窓に飾られている幾つかのガラス製品の所で視線を停める。

「…あの、銀飾りのついたグラスをプレゼントしていただけますか?」

 それは、ほっそりと背が高く、縁と足に柔らかく細い銀の線を流した、シンプルだが姿の美しいワイングラスだった。実はこれ、レジーナが第八エリアの工房で作ったものを、ギイルの紹介でここに置いて貰っているのだが、実用品として地味な作りながら立ち姿のいいのをアミが気に入り、レジーナに掛け合って宝飾品として銀飾りをつけたものだったのだ。

「あれは、置き物としても十分美しいのですが、元々日用品として技士の方がお作りになったものですので、銀飾りにも特別な処置を施してあります。ですから、普通にお使い頂いて結構ですよ。もしも銀に曇りが出たらこちらに持ち込んでくだされば、いつでもクリーングして差し上げますし」

 言いながらアミがショーケースを開け、ふたつ並んだグラスから一客だけを取り出す。

「…ふたつ…」

「?」

「ふたつ、頂けます? あ! あの…ひとつは自分で買います…けれど」

 困ったような、恥ずかしいような顔で俯いた彼女をぽかんと見下ろしてから、不意に、ギイルが笑い出す。

「どっちも丁寧に包んでやってくれよ、アミ。ふたつともおれがこちらのお嬢さんにプレゼントするからさ」

 確かこのグラスは。

         

「ふたつ揃いなんだよ。そういう風に作ったんだ」

         

 このグラスをアミの店に置く際、ギイルにレジーナはそう言わなかっただろうか?

         

「まったく同じでもないし、ふたつ揃ったからどうって事もないけれど、ぼくは、これを「ふたつでひとつ」だと思って作った。だから、一緒に買ってくれる人がいたら嬉しいな」

         

 第八エリアで、近いのに遠いクラバインを、彼は想ったのだろう。

 アミが死んだギイルの兄に向けた想いだとか。

 レジーナが二度と会わないと自分に言い聞かせながらも絶えず向けていた想いだとか。

 目の前の美しい女性は、それをちゃんと受け取ってくれたのか。

 手際良くグラスを梱包するアミの手元をぼんやりと見つめていたギイルが、ふと頬に視線を感じて微かに顔を傾ける。

 あの深い緑色と、目が合った。

「…お名前を窺ってもよろしいでしょうか?」

 長い睫の、ふくよかな唇の、美しい女性。

「ギイル・キースですよ、おきれいなお嬢サン」

 なぜかギイルはその時、なんの躊躇いもなく差し出された彼女の手を取り、その指先に軽くキスを押しつけていた。

 さすがのギイルも最近はいろいろあって、こういった行動に慣らされていたのだろう…か?

 細くて折れそうな指先。

 桜色の小さな爪。

「……わたくしは、ミル=リーと申します、キース様。

 またどこかでお会いできれば、光栄ですわ」

 囁いてミル=リーは、本当に美しく……天然種の蘭のごとき笑顔でギイルを見つめた。

  

   
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