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13.エンドレス

   
         
(3)

  

 貴族会なんてものの役割は一体なんなんだ? とその時、いい加減な愛想笑いの記憶されてしまった顔のまま、ドレイク・ミラキは本気で悩んでいた。

 城の大広間で開催される貴族会に当代ミラキ卿が出席したのは実に一年ぶりの事で、普段は「軍の職務が忙しいから」などと嘘を言ってこの気疲れする会合を避けていたのだが、運悪く彼には今日、どんな言い訳も通用しない明らかな理由があったのだ。

 ドレイク・ミラキは現在、王下特務衛視団電脳班所属の魔導師として本丸に勤務しており、彼らに対する命令権を有しているのは現ファイラン国王だけ。その国王が列席するとなればまず出席辞退理由の半分は消えるだろうし、重ねて、数日前にその電脳班の班長……が謹慎一週間の処分を食らい、電脳班自体も特別待機を言い渡されている。

 という事は、陛下も衛視長もドレイク・ミラキが「何もせず屋敷にいる」と知っている訳であり、そうなれば、まさか「仕事で」という見え透いた嘘で貴族会を蹴る事は出来ない。

 だから、ドレイクは地味な濃茶色の古風な長上着に身を包み、口々に衛視昇格を賞賛して来る下心丸出しの貴族どもに作り笑顔で会釈し続けるハメになる。

 ミラキ邸全部よりも広い大広間を埋める、貴族達。その大半の顔をドレイクは知っており、ほとんど全員がドレイクを知っていた。

 浅黒い肌に煌くような白髪、曇天の瞳。大柄だが威圧的な雰囲気はなく、いかにも軍人然としていた先代に比べれば、どこか飄々とした感のある若い当主。

 入場してすぐに飲み物などを渡され、他の貴族や貴族会に出席を許された「娘」を連れた親などと挨拶を交わしているうちに、陛下がおいでになる。地味な紫色の上着を白いシャツで飾ったウォラート・ウォルステイン・ファイランは短く挨拶しただけですぐに玉座を降り、貴族会という名前の付いた適当な寄り合いは静かに続いた。

 どうせ目的は貴族院に上がるため陛下のご機嫌を取る事と、年頃の娘達を貴族の前に連れ出して見せびらかす事であり、ファイランの運行にはなんら関わりがない。

 社交場か。とドレイクは思った。

 空々しい笑いがさざめき、あちこちで着飾った女性達が笑顔を振り撒いている。

 なんとなく室内を見回すと、なぜか人の群が一瞬だけ開けて、その向こうで誰かと話している陛下の姿が見えた。護衛はクラバインとヒュー・スレイサー、それから…。

「……ルード…も、衛視になったつったか…。なるほど、警護班な」

 薄く微笑む陛下のやや後ろには、漆黒の制服を完璧に着込んだクラバインと、普段はああも派手で横柄なのに、今日はまったく気配さえないもののようなヒュー。その三人からやや下がった場所居り、こちらは油断なく周囲に気を配っているのが見知った顔だったのに、ドレイクはひとりで納得した。

 ルードリッヒ・エスコー。ドレイクとアリスに行儀作法を教えたフロイライン・エスコーの息子で、片親は、あのローエンス・エスト・ガンだった。

 貴族の中にもルードの顔と名前を知っている連中が多いのに彼を連れて来るとは陛下も大した度胸だが、回りから注がれる好奇の視線をまったく気にしていないルードの度胸も、それ以上だとドレイクは思う。

 随分大人になってから聞いた、真実。

 フロイラインはそれを少しの躊躇いもなくドレイクに聞かせ、ドレイクは…。

(……………だから、俺ぁ何も知らない方がいいと思っちまったのかもな)

 ドレイクの聞いた「真実」は、ルードリッヒの片親がローエンスだという…ありきたりの事柄だけではなかった。

 それがなければもしかしたらハルヴァイトの出生についてもっと突っ込んだ調査をしていたかもしれない、とドレイクは、疲れた溜め息を吐きながら陛下から視線を逸らした。今更そう思っても仕方がないし、この先、やろうとも思わない。

 複雑な気持ちだった。

「ミラキ卿!」

「?」

 不意に人垣の向こうから声をかけられて、ドレイクがうっそりと顔を上げる。

「カインくんじゃねぇか。久しぶりだな」

「…というか、君までぼくをカインくんって呼ぶのやめなさい。しかも、久しぶりでもないじゃないか」

「あーーー。そーだった」

 赤い髪に亜麻色の瞳。顔立ちはアリスに似ているが、いかにも気の弱そうな彼女の兄を前にして、ドレイクは気安くそう言い、笑った。

「珍しいね、君が貴族会に顔を出すなんて」

「暇なんだよ、暇。仕事でもありゃぁよかったんだろうが、残念ながら…」

「ハルくんが何か壊したんだっけ?」

「ま、そんなとこだ」

 苦笑いするドレイクにちょっと意地の悪い笑みを投げつつ、カインが「ご苦労様」と朗らかに言い放つ。

「カインくんはナヴィ家の代表? じゃぁ…ねぇよな?」

「うん、ぼくはシスのお伴だよ。あっちで囲まれてたから、ちょっとサボってみようと思ってさ」

 シス・ナヴィ。カインのすぐ上の姉で、アリスとはよっつ違いだったはずだ。

「シス嬢は未だ独り身かい。親父殿も気が気じゃねぇな」

 ごたつく中央から壁際に下がり、声を潜めて話し合う、ドレイクとカイン。

「アリスの件が消えて、あわててシフィルをオーン・ガン家に嫁がせてみたものの、子供は出来たが少しも幸せじゃない、って面と向かって言われたからね、親父も。どうやらそれが効いてるらしくて、シスには自由にさせると決めたみたいだ」

「…結局、アリスが屋敷に戻れねぇでいんのも、その辺りが理由なのか?」

「マーリィちゃんの件もあるよ。アノ子は、ひとりに出来ないでしょう? ま、でも、そのマーリィちゃんがプリンセス・ルニのお傍に上がって、対外的に、親父やねーさんたちの態度も徐々に軟化してるってスタイルになってるけどね」

 そう言って肩を竦めたカインが、ちょっと複雑そうに苦笑いした。

 ここでも、そうなのか。と落胆する。

「…デリんとこといい、アリスんとこといい…」

 王室がなんぼのモンかね、と続けかけて、ドレイクも苦笑する。

 王室は、結局「王室」なのだ。それに払う敬意を持ち合わせていないのは、後にも先にも自分だけのような気がする。

「不敬罪決定だな、こりゃぁ」

 ドレイクが呟いて、不思議顔のカインになんでもないよと手を振って見せた直後、数えるもの面倒なほどの男達に囲まれていたシスが包囲を抜け出して近寄ってくる。アリスよりも艶っぽい印象だが、ややくすんだ煉瓦色の髪を極端に短くしたシスも、顔立ちはどことなく彼女に似ている。

………。カインの方が、もっとアリスに似た「美人」だとは思うが。

「あら、久しぶりね、ドレイク。元気?」

「ああ、まぁそれなりだよ」

「そのワリに浮かない顔してるじゃない?」

「こういった華やかな場所は苦手でね。着飾ってお美しいお嬢様を誉めてるより、地下演習室の方が性にあってる」

 差し出された手を取って指先にキスを落としながらドレイクが肩を竦めると、シスは真っ赤なショートヘアを震わせて笑った。

「でしょうね。君は、こんな所で女性のお相手してるより、あの弟にお節介焼いてる方がお似合いよ」

「その弟の恋人に突っ込まれてるほうが楽しいしな」

 とそこで、ミナミを知らないシスはちょっと不審そうに小首を傾げたが、あの臨時議会でミナミを見たカインの方は、いかにも感心たように頷いた。

「やっぱりこう、なんというか、ただものじゃないんだね、アイリー次長は」

 あのハルヴァイト・ガリューに、城中の目が集まっていると知りながらも「あそこまでやらせた」恋人。そのミナミがドレイクをからかって(? なのか?)平然と突っ込んでいるのを、なぜ今更驚く必要があるだろうか。

 シスとドレイクが何か談笑しているのを遠くに聞きながら、カインはふと注がれる視線に気付いて周囲を見回した。さっきまでシスを取り巻いていた男達がなんとなく遠巻きにこちらを見ている気配に、思わずしてやったりの笑みが零れる。

 さすがは「ミラキ卿」か。これがもっと下位の貴族ならば威張って会話に割り込んで来そうな連中も、シスの相手がドレイクだから、無用に話しかけたりして来ない。

 ナヴィ姉妹のうち長女と次女はとうに嫁いでおり、「シフィル」はアリスの二番目の姉。その下にシス、アリス、と続くのだが、もしもアリスが陛下との婚約解消後屋敷に残るか他の誰かと結婚でもしていたら、シスの取り巻きもこう増えなかっただろうに、とカインは内心苦笑する。

 陛下との婚約は解消されたが、アリスは陛下と「お友達」であり、現在はフェロウ家に厄介になっている。陛下側近であるクラバインがアリスを預かる経緯というのも、実は、婚約解消で屋敷には居づらいだろうから、と陛下直々にクラバインにアリスの面倒を見てくれるように頼んだという「噂」だし、今現在、アリスも…ひととき密やかに囁かれたあの「ジュダイス・レルト家の娘」も(カインには「マーリィちゃん」という認識だったが)、極めて王室に近い場所に居るのだ。ナヴィ家では末っ子のアリスを勘当した、と言われてはいるが、実際はシスもカインもよくアリスに連絡を取っていたし、カインはアリスもマーリィも可愛がっている。

 で。次のナヴィ家当主は兄弟の中で一番情けなかろうがなんだろうがこのカインであり、カインは特にアリスを溺愛していて、機会があれば彼女を屋敷に呼び戻したいと思っている。となれば、行く末アリスは屋敷に戻り、次代ナヴィ家は暗に王室と水面下で繋がる事になるだろう。

 ここでも王室か。とカインも、ドレイクと同じ感想を抱く。

「でもねー、ぼくはあんまりそれを、悪いとは思えないんだけどなぁ」

 ファイラン家の名前がちらついているおかげで、アリスもマーリィもある程度は「護られている」。

「…そういえば、ねー、ドレイク? マーリィちゃんは、ジュダイス・レルト籍から抜けたの?」

「ああ。今はもう…フェロウ籍に入って、正式に「マーリィ・フェロウ」になったぜ?」

 それ、いつだったかな、とドレイクは、わざとのように…笑った。

「そうなんだ…。じゃぁさー」

「あのアリスが「そうする」なんて言う訳ないじゃないのよ、カインくんのバカ」

「…………ぼく、まだ何も言ってないけど…シス」

 すかさずカインに突っ込んだシスを笑う、ドレイク。

「だって。ね、聞いて、ドレイク。カインくんたらね、ジュダイス・レルト家とマーリィが切れたって噂が出てすぐによ? 食事どきにクソ真面目な顔で、じゃぁ思い切ってアリスちゃんとマーリィちゃんを一緒に屋敷に呼び戻そうか、なんて言うのよ」

「う…。だって! アリスちゃんはマーリィちゃんと一緒に居たいから戻って来ないんだし、だったら、一緒になら戻って来るのかなー、とかぼくはね」

「うるさいわよ、シスコン兄貴め。君はどーしてアリスばっかりそんなに可愛がるのよ。…子供の頃から、いっちばん泣かされたくせに」

 必死に言い訳するカインを、シスが冷たく睨む。

「マゾっけあんじゃないの? 不肖の弟」

「あう」

 完全にやり込められたカインのばつ悪そうな顔をにやにや見下ろし、ドレイクもわざと頷いてやった。

「そうとしか思えねぇ」

 平和だな、と思った。

 同じ広間の中央では、きっと「誰か」が必死に作り笑いを振り撒いているというのに、どうして自分はこう平和そうなのか、とドレイクは…。

 何もかも、イヤになる。

 こんな場所が、イヤになる。

 自分の事が…。

「ミラキ卿…」

 呼ばれて、ドレイクははっと振り返った。

「先だっては…その………ミル=リーが…」

 恐縮して小さくなり、しきりに手を組み替えながら、ひとりの中年貴族がドレイクを見上げていたのだ。

 中年紳士、デンセル・アイゼン卿が、剥げ上がった額にびっしりと汗を浮かべ、瞬きを繰り返しながら小さくなって何かを言い募ろうとする。先だって、と言ってももう一年も前の話なのに、と思ってからドレイクはやっと、あの…ミル=リー・アイゼン嬢騒ぎ以降、自分がずっと貴族会に出席していなかったのを思い出した。

 丸々と太った、小柄な中年男性。口ひげにハゲ頭。女系のアイゼン家に婿入りしてしまったばっかりに不慣れな貴族会にまで出席させられ、ミル=リーを良家に嫁がせる事を…強いられた。

 哀れだなと、ドレイクが思ったかどうかは定かでない。

 ただ彼は、朗らかに微笑んでアイゼン卿に握手を求めた。

「過ぎた事をとやかく言ってもしょうがないでしょう、アイゼン卿。それに、責めるべきは繰り返す愚行だと、………、弟も言っておりましたし」

 じゃぁ、俺は責められるべきだ。とドレイクは冷え切った心で、思う。

「ミル=リー嬢にも先日偶然お会いしましたよ、ある場所でね。お元気そうで何よりでした」

「はぁ、あ? あ! はい」

 差し出されたドレイクの手を慌てて握り、やっとアイゼン卿が短いため息を吐く。それは、ほっとした、というニュアンスだった。

「ミル=リー嬢によいご婚礼が巡りますよう、お祈り申し上げます」

 ドレイクが笑顔のままアイゼン卿に頭を下げる。

「いやいや! 勿体無いお言葉、感謝いたします」

 作り笑いでアイゼン卿と少し話をし、丁寧に挨拶して離れていく彼の背中を、無言で見送る。その頃にはシスの回りにまた輪が出来ており、カインもドレイクの傍を離れていた。

 別に、それ以上する事はなかった。元々、する事など何もない。出来る事も、したい事も、何も。

「誰か」の神経を逆撫でする事には、成功したかもしれないが。

 人垣の向こう、いかにも不愉快そうな陛下の顔を拝んで、ドレイクは寄りかかっていた壁を背中で突き放した。ルニの出現でウォルにまた伴侶を迎える話しが再燃しているのだろうし、今回は相手が「女性」でなければだめとは限らない。

「だったら選び放題つうやつか? 羨ましい事だな」

 心にもないセリフを吐き出し、ドレイクは大広間を抜け出そうとした。

「ミラキ様? もう、お帰りになられてしまわれるのでしょうか?」

 その広い背中に、柔らかな声が弾ける。

「? 失礼だが、どちらのお嬢様でいらっしゃるのか」

 振り返り、濃い緑色のドレスに身を包んだ妙齢の女性に微笑みかけたドレイクは、差し出された手を取り、そう尋ねた。

 素肌を晒さない、黒い光沢を纏ったビロードのドレス。無造作に流した黒髪も美しいその女性は、全身にちりばめられた人造宝石と同じ輝きで微笑み、黒い瞳でドレイクを見つめた。

「グレース・ノックスと申します、ミラキ様。こうしてお話しますのは始めてですが、私、ずっと以前からミラキ様を存知上げておりましたのよ?」

 言って彼女は、ドレイクの手を握り返した。

 大広間の喧騒さえも掻き消えてしまうような、刹那。グレースは婉然と微笑み、ドレイクは黙って彼女を見つめる。

………そして、そのふたりを遠くから冷ややかに観察する視線があったのに、ドレイクは気付けなかった。

  

   
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