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13.エンドレス

   
         
(5)

  

 ウィド・ハスマがどういった人物なのか、実のところミナミはよく知らない。

 貴族院執行部の幹部であり、元・電脳魔導師隊第一小隊の砲撃主。昔はどうったのかそれこそ知らないが、今は、品のいい三つ揃えと銀縁の片眼鏡(モノクル)がトレードマークで、極端に色の薄いブラウンの髪をぴったりとオールバックにしており、「切れそうな」外見なのは確かだ。

 彼を知るタマリやレジーナは「見た通り頭の切れるひと」とウィドを称し、アリスは「見た目を裏切って余りあるひと」と笑いながら言い、マーリィは「なんでも知ってるひと」だと付け足した。

「頭のいい方ですね、確かに」

 居合せた仲間たちにウィドの事をあれこれ尋ねているのミナミにさえ無関心そうな顔をしていたハルヴァイトが、不意にカウチから立ち上がって言う。

「薄気味悪いひとかもしれません…。もしかしたら」

「アンタにそう言われたらお終いって感じもするけどな」

 見つめるダークブルーの中で、恋人が少しおもしろそうに笑う。

「わたしにそう言わせるだけの根拠がある方です。ミナミ。これから数分間で何があっても、口を…開かないでくださいね」

「? なんで?」

「ハスマ卿は、お茶を飲みに来る訳ではないようですから」

 そう言って微笑み、アリスとマーリィ、タマリにもカウチへ行けと手で示したハルヴァイトがウィドをどう評価しているのか、それは誰にも判らなかった。

 いや。知ることが出来ないのかもしれない。彼は…誰かを評価したりなどしない。

 ミナミがふと、壁掛け時計に視線を流す。ウィドが電信して来てから、すでに二十五分を回っていた。

 ミナミにつられて時計に視線を馳せたレジーナが、黙って立ち上がりリビングを出ていく。いつもはかやかやとやかましいタマリでさえ、ソファに取り残されて無表情にハルヴァイトを見つめているミナミに、ちょっと興味深げな視線を向けているだけだった。

 アリスの手で片付けられたテーブル。

 無言のタマリと、ハルヴァイト。

 マーリィは真っ赤な瞳をきょろきょろさせて、これからここで何が起ころうとしているのか見つめている。

 そしてミナミも、見ている。興味があるのかないのかも窺い知れない、観察者のダークブルーで。

 時計の針が、「チッ」と微かな囁きを漏らした。

 それと同時にリビングのドアが開かれる。いつ到着していたのか、ウィド・ハスマは既に羽織っていたインバネスをレジーナに手渡しており、ドアが開くのと同じに室内に踏み込み、挨拶しようともしないハルヴァイトに向かって歩み寄りながらいきなり口を開いた。

「グレース・ノックス嬢を?」

「いいえ」

「アリスは彼女を?」

「お名前だけなら」

「この中に彼女と面識がある者は?」

「おりません」

「ノックス家の事を?」

「存知ません」

「事情の説明は?」

「必要ない」

 ウィドとハルヴァイトの質疑応答は極めて簡潔。というよりも、目の前でどういった内容の会話が交わされているのかさえ、誰にも判らない程に短い。

「ドレイクの邪魔を?」

「もちろん」

 ハルヴァイトの正面にウィドが辿り着いた時、その決定はあっさりと下された。

 それで、呆気に取られる…相変らずの無表情なのだが…ミナミを置き去りにして、ハルヴァイトはようやく、笑顔を作ったウィド・ハスマに頭を下げた。

「お忙しいでしょうに、わざわざのご足労ありがとうございます」

「構わん。責務だ、ガリュー。取り残された者の務めだ。さっさと気楽に滅してしまったダイアスを蹴飛ばす訳には行かないのだから、せいぜいドレイクを愛でてやろう」

「貴族会の方は?」

「エンデに任せてきた」

 枯葉色の三つ揃えに金鎖の懐中時計。控えたアリスとマーリィに軽く手を挙げ口元に一瞬だけ笑みを刻んで見せたウィドは、なぜか、タマリには何も言わず…。

「つか! うらぁ! その完璧な無視っぷりはなんじゃぁぁ!」

「緑は目にやさしいが、口を開くと気持ちが荒むものもある」

 勝手に着座し肘掛に頬杖を突いてそっぽを向いたウィドの横顔に、タマリが指を突き付けて叫んだ。

「うむー。そのワリにはちゃんとお返事ありなのね」

 難しい顔で眉を寄せたタマリを、くすんだ緑の瞳でちらりと見遣るウィド。

「お前のようにやかましくて無神経なヤツが無視出来るほど、わたしは寛大ではないのだが? タマリ」

「んんんんんーーーー。それは何かな? もしかして」

 唸りながらカウチを離れたタマリが、ソファの背凭れ越しにウィドに…細い指で片眼鏡を押し上げているタマリの「ぱぱたち」のうちのひとりに、ぎゅっと抱きついた。

「ただいましてないの、結構怒ってるワケ?」

「当然だ」

 言ってウィドは、くすくす笑うアリスとレジーナにいかにもな顔つきでウインクして見せた。

          

          

 ハルヴァイトとミナミ、レジーナだけが残ったリビング。アリスとマーリィは自室に戻り、タマリは「しょうがねー、官舎でも見に行くか」と言って帰って行った。

 新しく出されたのは、かなり尖った香りを振り撒くブラック・コーヒー。ハルヴァイトの好みにもここまで極端なものはないだろうと思うかなりの深煎りに満足そうな笑みを零したウィドが、カップを置いてから、指先でモノクルを押し上げる。

「ノックス家は、いわゆる新参の女系貴族で、当代ノックス卿は今回始めて貴族院に召上げられたぺーぺーの政治屋。上級大学院で政(まつりごと)と経済の一貫効果という学問を専攻し、その後教授していた。その功績と…その学問に陛下が少々興味を示した事で今回貴族院に至ったのだが、それで、ノックス家の当主ではなく細君が、俄かにひとり娘を貴族に嫁がせようと画策し始めた」

「貴族院に関係が出来たから、今度は地位を固めようというんだろうね。まぁ、よくある話で、面白みに欠けるかな」

 そんな事をさらりと言って退けるレジーナ。さすが、元・衛視でクラバインの伴侶になろうというひとだと、ミナミはぼんやり思った。

「貴族会などというのは、時間と労力と経費の無駄であって、実入りの少ない博打のようなものだ。貴族連中はステータス・シンボルとしての「妻」をいつでも求めているし、その「妻」になれる女性たちはみな、少しでもいい地位にある「夫」を探している。

 あそこは品評会であって、正常な「恋」の始まりにはなり得んよ」

 そこで一度言葉を切ったウィドは、苦い珈琲で喉を潤し小さく肩を竦めた。

「わたしは生まれも育ちも平民中の平民で、運悪く電脳魔導師隊に入ってしまって、今は「貴族」だとか言われて持ち上げられているがね、猊下がわたしにお求めになっておられるのは、見たままを見た通りに理解し正確に分析しあらん限りのテストケースを弾き出して、そのどれがいつなん時天災のように降りかかっても寸分の狂いなく対処する事であって、情に流され人道的に物事を解決する事ではない、と先に述べておこう」

 ウィドは、そう言って笑った。

「ノックス家の簡単な事情はここまで。

 では次は何か。

 そう、ドレイクだ」

 ミナミには、ウィドの意図がまだ判らない。

「本日、当代ミラキ卿が一年ぶりに貴族会にいらっしゃられた。偶然、ノックス卿は年頃のグレース嬢を、今日、始めて貴族会に連れて見えられた。しかし、本来ならそれなりに取り巻きも出来ようかというグレース嬢も霞むような人物がおふたり、本日の貴族会には列席なされていたのだ」

 ハルヴァイトは頷きもしない。淡々と述べるウィドの声に、耳を傾けてはいるようなのだが。

「陛下と、シス・ナヴィ嬢が」

 ウィドが秘密を囁くように告げると、レジーナは得心がいったように頷き、ハルヴァイトは…失笑した。

「…アリスのおねーさんだっけ? その、シスさんてのは」

「その通り」

 口の端を引き上げるだけの薄っぺらな笑いで、ウィドが頷く。

「陛下は、いわずもがな陛下である。唯一無二の国王陛下だ。

 では、アリスの姉上がどうか、といえば、これもまたある意味唯一無二の「シス・ナヴィ」であると言える。

 アリスが陛下との婚約を解消しナヴィ家はどういった立場に陥ったか。周囲の期待は、末っ子の起こした醜聞で女系貴族として名を馳せたナヴィ家が零落する事だったのだが、残念ながら、そうはならなかった。

 それどころか、陛下を蹴って手に入れた女性の「恋人」はルニ姫のお付きになり、正式にフェロウ家に養女として迎えられ、当のアリスは公衆の面前で陛下の側近である衛視に指名された上、陛下側近中の側近であるフェロウ家に未だ居候の身ときている。

 その事実と、現在ナヴィ家の単身者が姉であるシス・ナヴィと兄のカイン・ナヴィである事実も踏まえて考えたまえ、君ら。

 ファイラン家と「アリス」に代表されるナヴィ家にはこれ以上ない太いパイプが婚約解消騒動後も築かれたままであり、そこに割り込めれば一族は遠回しにファイラン家との関係を構築出来る、という事に、なりはしないか」

 それで? とミナミはウィドを見つめ返した。

「単純に、新参の貴族院議員の娘と顔見知りになるよりも、シス嬢にご挨拶申し上げたり陛下に傅いたりしている方が、絶対お徳だ」

「なるほどな。でも、お徳って…、そんな気軽なモンじゃねぇだろ」

 溜め息混じりのミナミが、ウィドに突っ込む。

 だがしかし、気軽かどうかを差し引いても、彼の言わんとしている事は判る。つまりグレース・ノックスは今日、社交界に華々しくデビューしようかと勢い込んでやって来たにも関わらず、すっかり霞んでしまったのだ。

 神々しいまでに美しい陛下と、その陛下に、ある方面ではもっとも近しい間柄になれるだろう奥の手を持った、シス・ナヴィに。

「運悪ぃな」

「ツイてない」

「間が悪いですね」

……。言い方が違えばいいというものでもない…。

「ところが、そうでもなかったのだよ。今日ばかりは。

 陛下とシス嬢に太刀打ち出来る立場にないグレース嬢は、散々父親に嫌味を言ってつまらない貴族会など抜け出そうとした。

 そこで彼女は偶然にも、こちらも「決定的につまらない」貴族会になど飽き飽きしていた某御方の姿を、通常出入りに使われている大扉…ではなく、広間の下座にある、柱の影のドア付近で見かけてしまった」

 大広間の片隅、誰の目にも停まらない空白で、貴族の地位を確固たるものにしたい彼女は…。

「よい言い訳が思い浮かばずになんとなく貴族会に出席した、当代ミラキ卿のお姿を」

 嵌った。が。

「…だから、ハスマ卿は急いでた?」

「そうだ」

「あの…ごめん………なんで?」

 言ってミナミはそこで、当惑したようにウィドを見つめ返したのだ。

「いや、事情は判ったんだよ、俺にもさ。でも、ミラキ卿とグレース嬢は挨拶したかもしんねぇけど、それだけなら別にいんじゃねぇのって…」

「もちろん、それだけならおおいに結構だ」

 ウィドがミナミの質問に真顔で答える。

「でも…さ」

「ミナミ。ハスマ卿は「ドレイクの邪魔をするか」と最初わたしにお尋ねになりました。 それは、「邪魔するような事態」が起こったからでしょう?」

 前後逆で途中大幅に省略され過ぎ。

 ではその場で、何が起こったのか?

「グレース嬢は食事に誘ってくれと言った。ミラキ卿は別に構わないと答えた」

 まだ、普通に見逃してもいい程度ではないのか?

 今ひとつ納得行かないようなミナミの顔をじっと見つめ、ウィド・ハスマは神経質そうな指先でまたもモノクルを押し上げた。

「ふたりは食事の約束をして別れた。グレース嬢本日一番の成果だな」

 食事ぐらい許せよ。か?

「場所はミラキ邸」

「…………………」

「そしてね、アイリー次長? グレース嬢は、非常に「黒髪のお美しい」方なのだ」

 場所は。

 黒髪の。

 美女で。

 きっと。

「…勇気あんな、ミラキ卿って…」

 短い溜め息を吐きながらそう呟いたミナミが、結局いい事なんかひとつもないじゃないか、と内心愚痴りそうになる。

「グレース嬢が黒髪でなければ、さすがのわたしも見逃したのだろうがね」

 ミナミの代わりにそう言ったウィドは、呆れたように肩を竦めた。

  

   
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