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13.エンドレス

   
         
(6)

  

 もしもグレース・ノックスが黒髪でなかったら、などというありえない現在であったなら、ウィド・ハスマは貴族会をすっぽかしてフェロウ邸に駆け込む必要などなかったのか。

 しかしそれはどう足掻いても「ありえない」事であり、事実は、彼女は黒髪で少々気の強そうな美女であったし、ドレイクは彼女の誘い(だとウィドは言う)を断らなかったし、あまつさえ、屋敷に招待すると約束までしたのだ。

「女性をひとり屋敷に招待するというのは、その後よからぬ噂を立てられても文句は言えない。しかも相手はミラキ卿。魔導師系貴族の最高峰で、単身者。となれば、ノックス家にとっては「ありもしないよからぬ噂」でも、歓迎すべきじゃないかな?」

 グレースが元よりそれを狙っていたなどと人の悪い事を考えたくはないが、完全に否定する要素もないというのは、ミナミにも判った。

 だから、ウィドは急いだのだ。

 だから? ハルヴァイトは邪魔をすると言ったのだ。

「ドレイクは、もしもそういった「噂」が立っても否定しないでしょうしね。それどころか、好都合だとでも思うんじゃないですか?」

 愛想を尽かされるために。

 判っていて。

「わたしは、わたしの兄がそうまで腐った人間だとは思っていないし、今後思いたくもありません」

 グレースを利用するだろう。

「では、どうするか。どうやってドレイクの思惑を躱すか。どうやってグレース嬢にミラキの名前を諦めさせるか。

 三十分も掛けて考えた結果が「そう」であった事をわたしは少々情けないと思うが、早急に事態を収拾するためにはこれが一番手っ取り早いだろうと、諦めよう」

 ウィドは少々苦い顔つきで溜め息混じりに言ってから、姿勢を正して座り直した。

「グレース・ノックス嬢の交友関係を洗い、興味深い名前を見つけた。時間もなく手段も選べない状況だ、関係各位には少々目を瞑っていただこう」

 と、彼は、なぜか…ミナミをじっと見つめたのだ。

「レジー、アリスをここへ」

 ウィド・ハスマがどういった「戦略」を組んだのか、それでなぜ自分がこうも見つめられているのか判らなくて、ミナミは少し不安そうな顔でハルヴァイトを振り向いたが、恋人は、ただ朗らかに微笑んで、小さく頷いてくれただけだった。

「…なんか言えよ」

 ミナミ、ちょっと不満。

「反省と後悔は先送りで」

「先っていつだよ、先って」

 しかも期待通り、まるで役に立たない。

 レジーナに呼ばれたアリスがリビングに入って来るなり、ウィドにそっと頷いて見せる。それで、ドレイクとグレースの話をレジーナから聞かされたのだと勘よく気付いたウィドは、リビングの隅に置かれている通信端末を指差し、彼女にいきなりこう言った。

「アイゼン嬢に電信を、アリス。

 今すぐアイリー次長がお会いになりたいそうなのでお時間を頂きたい、と、告げてくれたまえ」

 言われたアリスがぎょっとしてミナミを見、傍らのハルヴァイトも鉛色の目を見開いてミナミを見、ウィドも、じっとミナミを見つめる…。

「…てか、その場合の「アイリー次長」って、もしかして、俺?」

            

           

 グレース・ノックスとミル=リー・アイゼンが出会ったのは、ミル=リーがミナミと知り合ってすぐだったらしい。ハルヴァイトの件で自分の軽率な行動を反省した(とウィドはなぜか、見て来たようにすらすらと言った)彼女は、それまで滅多に顔を出した事のないとある会合に出席する。

 女系貴族の娘達が集う、サロン。ミル=リーは家柄正しく生粋の貴族であったため、そういった…つまり、「どこのどなたが素敵」だとか「あの方はわたくしが狙っているので手は出さないでください」などという下世話な話ばかりの横行する「サロン」に、興味も関心もなかったのだ。

 しかしなぜ彼女が急にサロンに参加したのか、ウィドは「知っている」としたり顔で言ったが、話そうとはしなかった。

 とにかく、ミル=リーはサロンに参加するようになり、友人も出来た。

「そのうちのひとりが、グレース嬢?」

「そう。そしてもうひとりが…」

「…………………」

「アリスだ」

 黙ってウィドの隣りに座っていたアリスが、バラされて肩を竦める。

「サロンね…。サロンて、面白いところよ。今の、というよりも、次の世代の「女性」たちが何を考えてるのか、何に興味があるのか、何をするために生きてるのか、手に取るようにじゃないけど、まぁまぁ判るわ。

 あたしだっていつもいつも参加する訳じゃないし、参加しても煙たがられるだけなんだけど、それでもあたしは時々そこに顔を出してた。

 理由は単純。

 あたしね…、貴族の名前だけを護るために結婚させられるのを黙って受け入れるっていうのが、同じ「女」として納得出来ないのよ、今でも。

……シフィル…。あたしの二番目の姉だって、オーン・ガン家に嫁いで子供も儲けたけど、幸せじゃないって言ったし…。

 ただ、ちゃんと幸せになれるひとも居るのは確かでしょ? だから、「間違わないで」って言いたいの。それだけなの。本当に好きになったひとが貴族ならいい、幸せになれるなら大歓迎。でも、幸せになれないって判ってるのに、親の勧めるまま流されてしまうのだけはやめてって、言いたいのよ」

 真っ赤な髪の美女。

 家柄も申し分なく、当代ミラキ卿と兄弟のように育ち、后になる権利を…放棄した。

 いいや。

 アリスはきっと、ウォルの幸せを優先しただけだ。

「ジャネットリンは幸せだ、プリステラは尚幸せだ。我等の女王陛下は迷惑なほどにお幸せで、その他にも、いくらだって「本当に幸せに結婚し子供を儲けた妻たち」は居る」

 ジャネットリン・エスト・ガン。

 プリステラ・ガン。

 そして、キャレ・アリチェリ・ファイランV世…。

 彼女たちはみな望んで「妻」になり、「夫」は彼女たちを愛している。

 ミル=リーがサロンに参加する気になったのは、時折アリスがそこを訪れていると聞いたからだった。

 そう、ミル=リー・アイゼンは、アリスに会いたかったのだ。

 ミナミの友人であり、ドレイクの友人であり、ハルヴァイトの友人であり、陛下との婚約を蹴って家を飛び出し、自由に生きて、恋をして、それで尚、サロンに顔を出しては「それで本当にいいの?」と問い掛け続ける、アリス・ナヴィに。

「ミル=リーはすごくいいコよ。時々、ミナミはどうしてるってあたしに訊くわ。いろいろ大変だったけど今は幸せよって教えた時は、本当に喜んでくれたし」

 だから。

「その彼女に、何をさせようっていうの? ハスマ卿」

 アリスは、煉瓦色の眉を吊り上げてウィドを睨んだ。

「ミル=リーに迷惑のかかるような事であれば、申し訳ないけれど、断るわ」

「それはミナミくんの力量次第だよ、アリス。彼に期待したまえ」

「だから…俺は何をさせられんだつの」

 協力を要請するのだ。と言った後でウィドは、なぜかちょっと意味ありげなにやにや笑いと一緒にこう付け足した。

「取引というのが使えるかどうかは、まだ微妙なのだがね」

 きっとこのひとは「悪役」だ。とその時、ミナミは心底思った。

          

          

 フェロウ邸は上級居住区、ファイラン王家の私邸傍にある。位置は、城のほぼ真上だろうか。ファイラン王家の私邸を中心にした上級居住区は円形で、私邸から近いほど貴族としての階級が高い。

 そしてアイゼン邸も、ファイラン家私邸からそう遠くない場所に建っていた。

「にしても、アリスは一体どういう手ぇ使ったんだ?」

 本気で不思議そうながら相変らずの無表情を貫くミナミの傍らを歩きながら、ウィドが小さく笑う。

「友人に「会いたい」と言われて断る理由はそう多くない、という意味では?」

「そんなモン?」

「嫌われていなければね」

 さらりと言って退け、わざとのように肩を竦めて見せるウィド。忙しいのは重々承知だけれど、と前置きし、不満そうなハルヴァイトを無表情に見つめて黙らせ、しきりに心配するアリスとマーリィ、レジーナにすぐ戻って来るから夕食をご馳走してくれと言い置いたミナミがアイゼン邸に同行してくれるように頼んだのは、他でもない、ウィド・ハスマだった。

 それも単純な理由。

 何をさせられるにしても、結果がどうなっても、これはミナミとウィドの決断と行動であり、アリスはその取り次ぎを頼まれただけなのだ、というスタイルか。

 貴族の屋敷を囲む庭園を走る、小道。それを歩きながら、ミナミは傍らのウィドを窺った。

「ミナミくん。わたしがアイゼン邸で何を言い出しても、驚かないでくれたまえよ。「それ」を「利用」するかどうかは、君の自由だ。だからわたしは「それ」を提示するだけに留める。これがもし「わたしに下された猊下からの命令」であったならば、わたしはこの問題を数分で解決する手立てを考えるだろうが、しかし、わたしはあくまでも君とガリューの「協力者」であって、当事者にはなり得ない」

 小柄な男。笑う、といっても、微かに口の端を歪めて皮肉そうな顔をして見せるだけの、男。しかし彼は間違いなく旧・第一小隊…アイシアスの側近であったし、今もそうなのだ。

「それ、さ。その…ミル=リーさんにハスマ卿が吹っかけようとしてる事、先に教えて貰えねぇの?」

「空気を読みたまえ。君はまだ若く公正だ。驚きは驚きとして、悲しみは悲しみとして受けとめ、最善ではなく次善に「逃げ」最良を見つけ出せ。と…いうところかな」

 ちょっと意地悪そうに笑ったウィドに肩を竦めて見せたミナミが、溜め息ともなんともつかない短い吐息を漏らす。

「空気読めつったってさ…、普段そういうのとかにまったく無関心なひとと暮らしてんだから、大目に見てくんねぇ?」

「んん。それは考慮に値しないよ、アイリー次長」

 何せ君は、望んでそういうひとと暮らしているんだろうし。とウィドは、そこだけ妙に楽しそうに言った。

         

        

 アイゼン邸は、それなりに豪華な建物なのだろうとミナミは思った。が、普段ミラキ邸に出入りし城に勤務している彼にはそこがどう「豪華」なのかピンと来ず、しかしウィドは、「ウチより十分立派だが?」とだから何かという風でもなく言って、案内の執事に苦笑を漏らさせたりした。

 通されたのは応接室ではなく、ミル=リーの私室リビング。

 しかも先に連絡し、すぐに行くと告げておいたからだろうか、彼女はリビングのサイドボード前に立ってゆったりと微笑み、無表情ながら緊張気味のミナミを快く迎えてくれたのだ。

 笑顔で。

 あの、笑顔で。

 柔らかで清々しい、天然の蘭を思わせる健全な笑顔で。

「…突然の訪問に……」

「ミナミさん、堅苦しい挨拶はなしにいたしませんか? 確かに、わたくし達は以前ちょっとした思い違いで取り返しのつかない愚行を起こしそうになったかもしれませんが、それをミナミさんが、起こらなかった事なのだからと笑って下さるのであれば、どうぞ、ソファにおかけになってくださいまし」

 身体の前でしっかりと組み合わせていた細い手を解き、示された淡い桜色のソファ。それを見つめ、それからミル=リーに視線を戻したミナミは…。

 監察するダークブルーの双眸を微かに眇め、薄い唇に仄かな笑みを載せ、黙ってソファに腰を下ろしたのだ。

 なぜ、そうしようと思ったのか。自分が彼女に「無茶な相談」をしようとしているからか。しかしウィドは片眼鏡を指先で押し上げながら、そうではないのだ、とミナミの横顔と佇むミル=リーを見比べて思った。

 彼女が、身体に引き付けた片手をしっかりと握り締めている。ソファを示したもう一方の手や、動かない華やかな笑みでも消せない不安か…何か、そういったものを必死に押し殺しているかのように、固く。

 ウィドの知る限り、ミル=リーがミナミとミラキ邸で邂逅するに至った経緯は、間違いなく彼女の軽率な行動が原因だったと言えるだろう。さすがに、そこでふたりが何をどう話し合ったのかまでは調べがつかなかった(何せ、それはミル=リーとミナミだけが知る秘密だったのだ)から、ここでミナミがどういった行動に出、またはミル=リーがどういった行動を取るのかだけは、彼にも予測出来なかった。

 ミル=リーは、内心の不安を隠して「許してください」と言ったのではないか? 許してくださるのならば、どうぞ、親しい友人のように振舞ってくださいと。そしてミナミはそれを、彼女の不安を握り締めた手を見ただけで許したのだ。

 無表情ながら、彼は全てを許す。

 これは、固執してはいけない過去。

「…ただいまお茶を差し上げますわ。丁度今日、新しいフレーバーティーを買い求めたばかりですのよ、わたくし」

 ミル=リーはミナミの薄笑みに殊更華やかな笑みを返し、清楚な印象のドレスをはためかせてソファに近付いて来ると、小さく執事を呼んだ。

「ミナミさんがわたくしに会いたいと仰られただけでも大変驚きましたのに、ハスマ卿とご一緒だなんて、ますます驚きですわ。確かミナミさんは、衛視になられたのですよね?」

「うん。…まぁ、いろいろあって、ミラキ卿に世話して貰ったようなモンだけど」

 事の最初まで遡れば、ミラキ邸でウォルに出会ったから、ミナミは陛下と顔見知りになったのだし。

「フェロウ様は大変厳しい方でいらっしゃるとお聞きしています。そのフェロウ様に認められたのですから、もっと偉そうにしてもよろしいのではありませんか?」

 などと、ミル=リーがいたずらっぽく笑い、ミナミも少し笑った。

「いやいや。このわたしめに「一緒に来い」と言えるあたり、十分偉そうなのでは?」

 ソファに座ったミナミとミル=リーに朗らかな…ちょっと意地悪そうな? …笑いを向けたウィドが言い、彼女がころころと笑い出す。無用な緊張を解そうとしてくれているのか、はたまた純粋にいたずら心なのかは判らないが、とりあえずミナミはそれに、役割として突っ込もうと決めた。

「そんな偉そうには言ってねぇし。暇なんだろうから、一緒に行きたいだろうとは言ったけどな」

 ミル=リーの笑顔を無表情に見つめながらも顔の前で手を左右に振って見せる、ミナミ。アイゼン嬢はそれでますます笑い、ウィドはわざとのように肩を竦めて、なぜか、勝手に室内を歩き回り始めた。

 執事がお茶の支度を運んでやってくる。

 ミナミは、果たしてこの後どうすればいいのか内心当惑している。

 ミル=リーは運ばれた茶器を受け取り、手ずからお茶を煎れはじめる。

 そして。

「ふむ。「テラノ」の花瓶ですかな、これは?」

「ええ。最初のひとつはお父様がお誕生日に下さった物ですが、それですっかり気に入ってしまって、今では自分で少しずつダイニングセットを買い求めていますのよ」

「…ごめん、それ…何?」

 ミナミ、余計な事でますます当惑。

「陶磁器作家「テラノ・マフ」の作品ですの。白磁に水色が美しく、陶製グラスの姿も凛として、気に入っています」

………はぁ。という感じか? ミナミにとっては。青年、芸術にはまるで疎い。

「アクセサリーやドレスはあくまでも「自分」を飾り立てるだけの物ですけれど、食器や置物は、生活の一部を飾ってくれるものだと思いますの。いつか、自分の手で一番大切なひとのために使いたいと思いますわ…」

 少し恥ずかしげに、囁くようにそう言って彼女は、白磁に水色の花が踊る美しいカップをミナミに差し出した。

「大切なひとのおもてなしにも」

 柑橘系の香りが仄かに立ち上る。表面に浮んだ小さな黄色い花が、カップの薄い色合いに映えてとてもキレイだった。

「「テラノ」は一部の収集家どもには作品を売らない作家でも有名なのだよ、ミナミくん。彼は自分の作品をあくまでも「実用品」だと言い張り、大切に仕舞っておくだけの連中には渡さないと息巻いていてね。もし、ミル=リー嬢がこうしてお使いになっておられると聞いたら、泣いて喜ぶだろうな」

 ふむふむ、などとしきりに顎を撫でながらサイドボードを眺めているウィドの背中に視線を流したミナミが、ふと、並んだ白磁のお終いで目を留めた。

「…………あ…れ?」

「? どうかなさいましたか? ミナミさん」

 思わず漏れた呟きに、ミル=リーもミナミにつられてウィドを振り返る。

「レジーナさんのグラスじゃねぇ? あれって」

 まさかミナミが見間違える訳もなく、背の高いワイングラスを銀細工で飾ったそれは、間違いなく、レジーナがギイルに頼んで売りに出して貰ったものだった。

「レジーナ様ですか? その方は存じませんが、二十五丁目の宝飾品店でつい先ほど…」

「アミさんの店だろ、そこ。銀細工のアクセサリーとか売ってる」

「そうです。アリス様がとても素敵なブレスレットをなさっていて、どこでお求めになったのかやっと教えていただいて、お父様が貴族会に出席なされている隙にお買い物をしようと訪ねましたのよ」

 その時、ミナミは見たのだ。

 ウィドが、してやったりの薄笑みを唇に一瞬だけ載せたのを。

「アリス…。そういやぁ、レジーナさんがアミさんトコ行くのにマーリィとふたりでくっついて行って、三人お揃いのブレスレット買ったんだって、アリスじゃなくマーリィがはしゃいでたっけな…」

 銀製の、華奢なブレスレットだったはずだ。それこそ芸術に全くもって疎いミナミが見ても、綺麗だと思うような。マーリィはそれを誰かれ構わず見せまくり、アリスとレジーとお揃いなのと、とても嬉しそうに言っていた。

「そこで買ったんだ…。? アクセサリーじゃなくて?」

 ふと、ささやかな疑問。

「いえ、あの…それは…」

 と、照れ笑いみたいな複雑な表情でミナミを見つめ返す、ミル=リー…。

 それでミナミは、彼女には誰にも言いたくない何かがあるのだと直感し、あのグラスがミル=リーの手に渡った経緯を訊かずにおこうと思った。

「あのグラスさ、微妙に違うデザインなんだけど、でも、ふたつでひとつなんだって、レジーナさん、ギイルに……」

「ミナミさん!」

「はい?!」

 ミナミがギイルの名を漏らした刹那、ミル=リーが悲鳴を上げてソファから腰を浮かせる。

「あの方をご存知なんですか!」

「あ………あのかたぁ?」

 ミナミさん、珍しく驚愕気味。

「え! は…いやですわ、あたくしったら…その……はしたない…」

 耳まで真っ赤になって俯いたミル=リーの寄せた細い肩と、ストンと垂直に着座した彼女の向こうに見えるウィドの皮肉そうな薄笑いをぼんやりと視界に収めたミナミは、そういう事なのか、と静かに納得した。

「ミル=リーさん、ギイル、知ってんの?」

「知っているといいましょうか…偶然知り合ってしまったといいましょうか…。そのアミさんと仰られる方のお店でわたくしが…」

 アミの店でどうしてギイルと言葉を交わすことになったのか。そして、あの、レジーナの作ったグラスがなぜミル=リーの手に渡る事になったのか、彼女は、まるで大切な秘め事をそっと打ち明けるかのように、俯いて、目を伏せて、頬を赤らめ、ミナミに語った。

「…わたくし……、かわいいだなんてあんな風に言って頂いたのは生まれて始めてで、それが、とても……本当に嬉しかったんですの」

 そう言い終えて微笑んだミル=リーの表情。

「清楚、可憐、美しい、清らか…。それこそ掃いて棄てるほど女性を褒め称える言葉はあるがね、ミナミくん。「可愛い」というのには、何か特別な響きがあるとは思わないかい?」

 サイドボードに片肘を突いて寄りかかったままのウィドが、ミナミにウインクした。

「なんといっても、だ。あの、我らが女王陛下でさえ、猊下に「アチェはかわいいね」と笑顔で言われて、玉座を差し出したのだから」

 それは…。

「…驚きだな」

「それはあれかね? 女王陛下が「かわいい」のがかい? それとも、猊下のプロポーズにしては捻りのないのがかい?」

 ああ…それは…。と口の中でぶつぶつ言っていたミナミが、しょうがなく苦笑いし、きょとんとウィドを見つめているミル=リーの横顔と悪役中年に、「どっちも」と白状すると、彼女はまたも明るく、品のいい声でくすくすと笑った。

「………ところで、ミル=リーさん。いっこだけ、お願いが…あんだけどさ」

 刹那和んだ空気が消えてしまう前に、ミナミは意を決して口を開いた。

  

   
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