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14.機械式曲技団

   
         
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 小粒なアンなどちょっと目を離したら見失ってしまいそうな混雑ぶりに閉口し、ジョイ・エリア最奥(さいおう)近くまで来てから大通りを避け脇道に逸れた三人は、その後、意外な事実にますます眉を寄せるハメになった。

「アクションムービーの舞台挨拶? そんなものをなんでわざわざサーカスの丸盆(ステージ)でやるんだ」

「なんでも、新しいムービーの舞台が「サーカス」で、機械式曲技団としては一番大きい丸盆(ステージ)を持ってるハイランが、撮影にも全面協力したそうで…」

 サーカス・オブ・カイザーハイランまで続いているのだろう、人の群。ゆったりと流れるそれを少し離れた位置から眺めつつ、ヒューは。

「………。リリスは、そんなに人気があるのか?」

 渋い顔で、とんでもなく的外れな感想を漏らした。

「ありますよ。だから、観に来るひとがこんなに居るんじゃないですか」

 ふふん、と肩をそびやかして言うハチヤをまるっきり無視したヒューは、流れ続けるひとの群を蒼い瞳で睨むように見つめていた。ただ単純にサーカスを「下見」する程度なら表でイベントが行われていても関係ないだろうが、確率五分五分で向こうが何らかの行動を起こしてくるかもしれない状況でこれだけの一般市民がすぐ近くに居るというのは、正直、不利過ぎる。

「…あのね、ハチくん。ハイラン主天幕の横手に機械式の展示用天幕が張ってあると思うんですけど、そこに直接近付ける通路がないかどうか、通りの露天で訊いて来てくれませんか? ぼくとヒューさん、ここで待ってますから」

 ふか。とマーリィばりの笑顔をハチヤに向けたアンが言いながら小首を傾げると、言われたハチヤは、面白いほど急速に頬を真っ赤にして「はい!」とやたら元気良く返事するなり、雑多にざわめく通りに飛び出して行った。

「……そういう方法はどこで覚えて来るんだ? アンくん」

「ギイル部隊長が、ハチくんの扱いに困ったら笑顔で追い払えって言ったんです…」

 うな垂れて、やや自己嫌悪に陥りかけたアンの横顔に、ヒューが微かな笑いを向ける。

「この場合は、概ね許可出来る範囲ではあるな。

 それよりも、どうする? この状況でサーカスに近付くのは、危険じゃないのか?」

「…だからといって、何もしないでこのまま帰る訳にも行かないでしょう?」

 苦笑いのアンがそう小声で呟いたのに、ヒューが笑わずに小さく頷く。

 何もなしにこのまま帰して貰えるとも、当然思っていない。「ジョイ・エリア」。「彼ら」の「領域(テリトリー)」に入った直後からアンを見つめ続けている「視線」は、間違いなく、今この瞬間もアン「魔導師」を追い掛けているのだ。

 確実な、悪意。敵意かもしれない。どちらにしても友好的ではないし、ただ観ているだけとも違う。

 視線。

「……リリス・ヘイワードね…。何も知らないムービースターか。平和なもんだな」

「? どうかしました? ヒューさん」

 アンと小声で会話するために身を屈めていたヒューが、口の中でそんな事をぼやきながら身を起こす。その言い方が妙に気になって、アンは薄水色の瞳をきょろつかせ小首を傾げた。

「いいや。今日ここで舞台挨拶なんかなければ、もう少し遣り易かっただろうになと思っただけだよ」

 混雑は好ましくなかった。アドオル・ウイン事件や、違法精製の王都民がこの近くに隠匿されているのや、そもそも、アドオル・ウインに関わりある全部が世間に露呈するのには、まだ早過ぎる。しかも、場所が場所だけにただでさえ無関係な一般市民が巻き添えになるかもしれないというのに、リリス・ヘイワードのおかげで、いつもより周囲に人が集まっているのだ。

「不利だな。向こうに取っちゃ有利なんだろうが」

 何かが起こった場合、ヒューとアンは動きを制限される。サーカスの方はといえば、巻き添えが出ようが出まいが容赦はいらない。例えば人数が劣っていても負ける気はないが、一般市民の安全を十割確保し尚且つサーカスの関係者を逮捕拘束するとなると、話は変わる。

 といった内容の事をヒューがアンの顔も見ずぶっきらぼうに告げて、刹那。なぜか、ヒューの傍らで壁に背中を預けていた少年が、ぷ、と小さく吹き出した。

「それじゃヒューさん、「何かが起こるに違いない」って確信してるみたいじゃないですか」

 アンが色の薄い金髪を微かに震わせ俯いて笑うのを見下ろしたヒューは、静かに目を細めた。

 だから、アンは気付いていないのだと判る。何もないならその方がいいと思いはするが、どうせ何かあるなら徹底的にやってくれよ、とも、ヒューは思う。

 そちらが徹底的にやってくれたら、こちらも手加減しなくて済むのだ。

 いっときも逸らされない、執拗に追い掛けてくる視線。それは「データ」でなく、だからアンには知られないが、「データ」でないから、ヒューには感じられるのだろうか。

 ひととして強くあり、ひとを護ろうとするヒュー・スレイサーだから。

「確信じゃないがな。まぁ、何か起こったときに「ほらみろ」程度で冷静にいられるよう、最悪の予想をしておくのが身についてるだけだ」

 ヒューが小さく肩を竦めてすぐ、雑踏を掻き分けて人の波を泳ぎ切ったハチヤが脇道に飛び込んで来る。

「アンさん! 少し戻ったところにあるインフォメーションから左に折れてゴーカートのコースを迂回したら、サーカスの天幕後ろに回り込む通路に出られるそうです」

 にこにこ顔のハチヤがそう言うなりアンとヒューは、今度はこの混雑を逆行するのか、と内心深く嘆息した。

「…ご苦労さま、ハチくん」

            

            

 サーカス・オブ・カイザーハイランへ続く流れを遡(さかのぼ)り、少し。ハチヤの言う脇道に入って、また少し。表通りの喧騒は届くが、それさえまるでBGMのようにしか感じられない閑散とした散策路をつらつらと眺めているうちに、急にひらけた場所に放り出される。

 背後の小道は緩やかにラウンドしており、小道の左側は子供達の遊ぶゴーカートのコースで、右側は、背の低い植え込みと、間隔を置いて設置されたベンチと、モザイクタイルに囲まれた噴水。この噴水は居住区だとかに見られる光を吐き出しそれを「水」に見立てた擬似噴水ではないらしく、本物の水飛沫を上げていた。

 アンとヒューが一旦足を停めたのは、ゴーカートのコースと噴水が途切れ、真正面にサーカスの主天幕が見える突き当り。ジョイ・エリア(遊園地)最奥に位置するサーカスは円形で、大きな主天幕の右に演舞師たちの使用する機械式の操作機材天幕が、そして、左には使用する機械式の展示天幕が付随している。

 立ち止まり、左右を確認。アンは左右と主天幕を見上げただけだったが、ヒューはその上さらに振り返り、主天幕ゲート方向を覗き込んだりした。

「警備兵の配備状況、民間警備員の配置状況、天幕全景、それに、舞台挨拶のタイムテーブルと主催者の所属機関と氏名、サーカスの責任者…リング・マスターか…、それが知りたいな」

 そう小声で囁いたヒューは、アンに顔を向けなかった。主天幕に続々と流れ込んで行く人の群を無関心そうに見つめたまま、帰る時間はどうしようか、とでも言うように素っ気無く言い放つ。

「それでも最低の情報ですね。本当なら、ジョイ・エリア全部の警備状況とかも知りたいんじゃないですか? ヒューさん」

「そんな贅沢は言わないがな」

 きょろ、と薄水色の瞳に見上げられているのを頬で感じつつ、ヒューが微かに口元を歪めて答える。それに愉快そうな笑みだけを向けたアンはしかし、すぐヒューから視線を逸らして、少し離れた位置に突っ立って不思議そうな顔をしているハチヤに向かい歩き出した。

「ねーハチくん。機械式の展示天幕に寄りましょうよ」

「興味あんですか? アンさん。機械式に」

 うん。などと和やかに会話するアンとハチヤに視線を向けたヒューの懐で、携帯端末が微かに震える。談笑するふたりに背を向けて端末を取り出し無記名着信をオープンにすると、見難い小型モニターに詳細な天幕付近の地図と警備状況、それから、舞台挨拶イベントのタイムテーブルなど、今しがたヒューが知りたいと呟いた情報のいくつかが、きっちりと表示された。

 ジョイ・エリアのホストシステムに割り込んで、欲しい情報だけをダウンロード。それをヒューの端末に送り付けて来たのは、多分、アンだろう。

 驚く程の事でもない。でも、やっぱり少し感心する。三流だとかなんだとか言われているらしいアン・ルー・ダイでさえ、電脳陣を立ち上げないでもこれだけの事を遣って退けられるのか、と…。

 もしジョイ・エリアのホストファイアウォルの構築責任者がハルヴァイトだとかドレイクだとか、彼らに準ずる魔導師であれば、ハッキングなどアンには出来なかっただろう。しかし運良く、ここの電脳技士は魔導師ではなく「技師」だったから、ファイアウォルの構築信号は簡単な機械言語で描かれており、そういう機械言語は魔導師の扱う臨界式記号よりも簡単なのだ。

 拙い「データ」と言うのか。

 いかに出来の悪い(と本人は言う)アンでも、まさか通常信号を騙せないほど無能では、魔導師にはなれない。

 そして、ひとつだけ、アンには他の魔導師よりも勝っている部分があった。

 少年は、自分がどれだけ無茶出来るのか、知っていたのだ。

 電脳陣を立ち上げないバックボーンでの処理には、個人差がある。処理上限を確認するにはいっぺん倒れるまでやってみなければ判らないのだが、普通魔導師は、「倒れるまで無茶してみて上限を確認しよう」などと思わない。もちろん、アンだってそうは思っていなかったのだが、いかんせん彼の上官はあのハルヴァイトで、ハルヴァイトは平気で「倒れるまでやれ」と命令するのだ。

 だからアンは、自分に掛かる負荷がどこでレッドラインを割り込むのか、必然的に知ってしまっていた。

 普通に電脳陣を立ち上げてジョイ・エリアのホストに割り込む事は出来たが、あえてここでバックボーン処理を選択したのは、サーカスに居るだろう「彼ら」が自分を監視していると予測し、わざと、見つからないようにしているんだけれど観測されて見つかってしまった、というスタイルか。

 モニターを流れる文字を目で追いながら、ヒューは思わず苦笑した。こうなると、こっそり行って見つかれ、というハルヴァイトもハルヴァイトだが、はい判りましたその通りにしますね、というアンもアンだ。

 呆れた。感心するほど。

「あの親にしてこの子あり、って感じだな。…………まったく…」

 アンから送られて来た情報にざっと目を通し、あと十五分足らずでリリス・ヘイワードのイベントが始まる事などを確認したヒューは、警備兵の配置状況を頭に叩き込んでからモニターを閉じ内容を消去した。薄い天幕と細い通路。それに隔てられたすぐ向こうに数百人の一般人が犇いていて、丸盆(ステージ)の上にはムービースターという状況で、何が起こっても万全を約束出来る自信まではさすがになかったが。

「さ、行きましょう、アンさん」

 誰にも知られないように陰鬱な溜め息を飲み込んで、すぐ。やたらご機嫌なハチヤのにこにこ顔を見てしまい、ヒューはちょっと疲れたように、こちらはわざと大仰な溜め息を吐き出した。

「どうかしたんですか? スレイサーさん」

「…いいや。世の中は不公平だなと思っただけだよ」

           

          

「予定通り?」

「でもないようですね」

「? 何か問題?」

「…スレイサー班長が上手くやってくれるのを期待しますが、こちらも、そろそろ手を打っておくべきではないかと思います」

「じゃぁ、出るか?」

「ゲート解放の準備を。監視カメラのチャンネルを、サーカス付近に固定してください」

「了解。「あっち」はもう待機位置に移動したわ」

「判りました。「向こう」の動きを確認したら」

「全域閉鎖、行動制限、避難誘導、総員配備。こっちも準備終わってますがね」

「問題は…なぁ」

「………リリス・ヘイワード? ムービースターじゃん」

「そう。そのリリス・ヘイワードがサーカスの丸盆に立っている、というのが、最悪なんですよ」

  

   
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