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14.機械式曲技団

   
         
(6)

  

「ケバい建物だな」というのが、それ、についてヒュー・スレイサーの抱いた第一印象だった。

「遊園地ってこういうものなんじゃないですか? 基本的に」

「なんというか、こういうのを見ると、夜天蓋から漏れる光に集まって来る羽根虫を思い出すのは、俺だけか?」

 なぜか薄暗く設定されたジョイ・エリア(かなり大きな区画をそっくり使っている遊園地)の上空を見上げて、ヒューが呆れたように溜め息を吐く。

「…もっと別な感想言えないんですか? スレイサーさん。ムードないですねぇ」

「悪かったな」

 ジョイ・エリアは他と違って、天蓋の中に巨大なドームを建て、その内部に様々な建物だとか天幕(テント)だとかを所々に配置して、全体を夕暮れ的に薄暗く演出した場所だった。ドームの内部にはアトラクションの広告が派手なネオンで投影されており、実際は、薄暗いのか眩しいのか判らないのだが。

 ドームを支える支柱も七色の電飾で飾り立てられており、中心に見える一際太い支柱からは螺旋のレールが伸びドーム内部を走っていて、どうやらそれは、ジェットコースターかモノレールの経路に使われているように見えた。

 賑やかな音楽。煉瓦色の通路には、風船で全身を飾った道化師。歩道の他にゴーカート用の道路もあり、子供たちがきゃぁきゃぁ言いながらパステルカラーのフローターを乗り回している。

「内部のマップは?」

「取得済みです。ここは、ハチくんに頼らなくても歩けますよ」

 身を屈め、耳元で囁いたヒューにちょっと固い笑みを向ける、アン。少年魔導師は、「サーカス」がジョイ・エリア内部にあると聞いてすぐ、インフォメーションをハッキングしてジョイ・エリア全体のマップをダウンロードし、今はそれを脳内で展開しているのだ。

 そうした。とアンに言われたヒューは、正直、器用なコだなと思った。リゾート「程度」の制御電脳なら誰でも難なくハッキング出来る、というのは事前にドレイクから聞いていたが、まさかアンがそれを電脳陣を立ち上げないバックボーンで処理するとは思っていなかった。

 だから彼は三流ではない。マイクス・ダイも言っていた。

 周りに、見る目がなかっただけ。

「目的のサーカスは一番奥ですね。手前の方にもっと小さい「見世物小屋」みたいなのがあったり、機械式動物の展示施設があったりしますけど、そっちは目的の「サーカス」と無関係です」

「…………………、向こう、は、何か仕掛けて来そうか?」

 すでにこちらの動向は監視されている、という前提でヒューがアンに問い掛けると、少年はちょっと眉を寄せ、難しい顔で首を横に振った。

「判りません」

 それだけを短く言い置き、アンがすたすた歩き出す。ふたりの会話をきょとんと眺めていたハチヤが慌ててアンを追いかけ遠ざかって行くのを見ながら、ヒューは全身の神経を毛羽立たせて周囲を探った。

「判らない…か。そうだな。目的は判らない、俺にだって…な」

 呟いて、俯き、しかし、ヒュー・スレイサーはなぜか、酷薄そうな唇に殊更冷え切った笑みを浮かべたのだ。

 一瞬だけ。

「修行がなってないな、ここの連中は。それとも、まさか俺をただの警備兵だとでも思ってるのか?」

 楽しげな不雰囲気、笑い声。うるさいくらいの陽気な音楽と、はしゃぐ子供の興奮した気配。気配。誰もかれもが愉快に今日を楽しもうという只中にあって、だからこそ、王下特務衛視団警護班で一番強い男には、判ったのか。

 浮ついた空気に紛れ、途切れそうになりながらも絶対に逸らされない、絡み付くような「視線」。それが、華奢な少年の背中を追い続けている。

 人ごみの向こうに消えようとするアンとハチヤの後ろ姿を視界に収めたまま、ヒューは眼球の動きだけでそっと周囲を探る。他のエリアと違ってここの警備兵は、派手な原色の古風な制服に身を包み、にこにこと笑顔を振り撒いていた。

 人員配置状況を確認する。全体の警備状況も見たいところだが、それを報告させるような愚行は犯さない。

 ヒューは、出掛けにいつも通りの穏やかな笑顔で見送ってくれたハルヴァイトが最後に言い置いた言葉(データ?)を、信じた。

            

「わたしは、いつでも抜かりないですよ?」

         

 そうか。とちょっとおかしくなった。言われた時はなんの事やらさっぱり判らなかったが、今になってみれば、アンを危険な場所に送り込みその護衛にヒューを付けたのだから、何があってもどうなっても、ハルヴァイトは上手く立ち回れるようにしていてくれるという事なのだろう。

 それは、データ。劣化しない。観測する者が正しく受け取れば、間違いはない。

 だから…。

 ふと、道化師から風船を受け取った子供が通り過ぎる冷たい風に小さな背中を震わせて、振り返る。そこには、何もない。誰もいない。賑やかな音楽と笑いさざめく声と、はしゃぐ声。大道芸人の披露するジャグラーに、拍手が沸き起こる。

 凍り付いたように固まった子供を、両親が急かす。早くおいで、手品が始まるよ。しかし子供は瞬きもせず、「そこ」を見つめていた。

 誰もいない。

 冷たい風が吹き抜けた後の、空白。

 だから子供には、確かに振り返った瞬間には「そこ」に居たはずの黒っぽい人影が、忽然と消えてしまったかのように見えたのか…。

 銀色の。

 黒色の。

 足音も気配もなく歩き過ぎてしまった、誰か。

 どうしたの? 何かあったの? ううん。消えちゃったの。急に、いなくなっちゃったの。

 子供はそう言いながら、笑顔で待っている両親に駆け寄った。

 無言で佇む、ヒュー・スレイサーの傍らを掠めて。

               

           

「来た」

「ああ、来たな」

「あっちの動きは?」

「暢気なモンだ。まだ城に篭ってる」

「こっち、偵察?」

「だろうな」

「じゃぁ、ちょっと脅かしてやろうか」

「ちょっとなんてケチを言うか?」

「折角来てくれたしな」

「ああ、折角だ」

「じゃぁ、やっちゃおう」

             

             

 ハチヤが右手に見えるソフトクリームみたいな屋根の建物を指差し、からくり屋敷ですよと教えてくれる。それに適当な相槌を打ちながらも、アンの意識は既にそこから離れていた。

 からくり屋敷、観覧車、メリーゴーラウンド、幽霊屋敷、巨大なブランコ、全長が数十メートルもあるうねったトンネルと、いたるところで芸を披露する道化たち。

 情報はすべて一致している。だから、観たいものも決まっている。つらつらと辺りを眺めながら歩く通りの途中に、最初の目的地があった。

「サーカスです、アンさん。ああ、でもあれは…」

 サーカスとしての規模はジョイ・エリア内で最も小さく、曲技団というよりも軽業小屋みたいな、半円形のステージに天幕を張っただけのものを差して、ハチヤが笑顔を見せる。

「操作系がワイヤーですから、機械式というか操り人形かな」

「ガリューみたいだな」

 突然上空から降って来たヒューの声に、ハチヤが飛び上がってから振り返る。少し後を歩いていたらしいのは知っていたが、いつの間にこんなに傍まで接近していたのか。

「? ガリュー班長? なんでですか? ヒューさん」

 操作系がワイヤーの機械式人型(きかいしきひとがた)は、等身大のマリオネットと演舞師の身体を電極付きのワイヤーで繋いであり、演舞師が踊ったり跳ねたりするのに合わせて機械式も踊るのだ。ふたつ(ふたりか?)の間には武骨な鉄色のケーブル剥き出しで、それが床に叩きつけられては「バシン!」とリズミカルながら愛想のない轟音がステージ上で打ち鳴らされる。

 その音がバックに流れる音楽と合っているのや、まず、何本もあるワイヤーが絡まないように機械式とワルツを踊る演舞師が、職人で芸人であるのは間違いないだろう。

 きょとんと見上げてくるアンに微かな笑みを向け、ヒューは無言で首の後ろ、丁度頚椎のあたりを指で叩いてみせた。

「…ああ…「ケーブル」ですか。ヒューさん見た事ありましたっけ?」

「何度かな」

 魔導師隊でないとしたら奇跡的に多いかもしれない、とヒューは思う。あの悪魔とハルヴァイトと臨界を繋ぐ「ケーブル」を彼が目にしたのは、一度や二度ではない。

「まぁ、見た目は…」

 奇妙に歯切れの悪いアンのセリフと、最後に被った苦笑い。「ディアボロ」のケーブルがなんなのか知っている少年魔導師と素人の自分で、自分が見た目だけでそう判断しても仕方がないだろう、とこちらも苦笑混じりに呟けば、アンは慌てて首を横に振り、跳ね踊る機械式からヒューに視線を戻した。

「そうじゃないですよ、ヒューさん。どうしてもぼく「ら」には、ガリュー班長が何かに似ているとか、何かと同じだとか、そういう風に思えないだけです」

 そう、あれは。

「ぼくら…。臨界に接する事を許された魔導師にとってガリュー班長は、絶対的な「一己」なんですから」

 あの悪魔と。

 あの鋼色と。

 ふたつで。

「一己(いっこ)、ね」

 アン少年の瞳が、じっとヒューを見つめている。愛嬌のある大きな目と、広い額にさらさらと落ちかかってくる色の薄い金髪。いつもいつもとぼけていたりやたら子供っぽい事を言ったりやったりするくせに、アンは時々こういう、やけに大人びた顔をするようになった。

 少年もまた、魔導機という臨界の「片割れ」を得て「一己」になろうとしているのか。

「…にしても、ジョイ・エリアというのはいつもいつもこう混んでいるものなのか? ミナミが、そのうち遊びに来てみようなんて恐ろしい事を言っていたが、毎度こんな状況じゃ来ない方が身のためだろうな」

「誰の心配です? それ」

 涼しい顔で周囲を見回すヒューの横顔に、アンが笑いを含んだ声で問いかける。

「ミナミとぶつかりそうになってガリューに睨まれかねない、一般市民の心配だよ」

 それでヒューは、わざとのように溜め息混じりに言いながら、大仰に肩を竦めて見せた。

  

   
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