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14.機械式曲技団

   
         
(9)

  

 新作ムービーの撮影に全面協力してくださった「サーカス・オブ・カイザーハイラン」の皆さんをご紹介します。と丸盆(ステージ)の中央でスポットライトを浴びたリリスが告げる。

 リリス・ヘイワード。彼を見出してくれたジョンソン・ヘイワードから貰った姓と、ジョンソンにリリスを紹介したアリシア・ブルックの付けてくれた名前を、彼は好きでも嫌いでもなかった。

 好きなのは、家族の呼んでくれる本当の名前。家族は、絶対に彼を「リリス」とは呼ばない。

 腰まで長い光沢のある亜麻色のロングストレート。少女のような少年のような凛々しくも気高い顔立ちを飾るのは、長い睫とぱっちりした二重瞼。暗色の琥珀に似た深い輝きの瞳も魅力的な、ムービースター。

 どうぞ。と司会者に促されてリリスの傍らに並んだ男たちに笑顔を向けたものの、彼は内心短く嘆息していた。何せリリス唯一の悩みといったら百七十センチそこそこしかない背丈といつまで経ってもやせっぽちの身体で、彼を取り囲んだサーカスの団長以下の演舞師たちはみな背も高く貫禄ある体格をしているのだ、並んで、自分が一際小さく見えるのが気になって、何が悪い。

 リリスは、兄のようになりたいといつも思った。

 憧れた。大好きだった。弟たちも父より兄のようになりたいと言う。納得だった。

 背が高く、リリスの、弟達の知る誰よりも強くて格好いい兄。

 リリスと弟たちを育ててくれたのは、兄だった。

 両親にも感謝している。彼らも大好きだ。

 だからリリスは、家族を、愛している。

「リング・マスター。ガイル・キャニター」

 天幕の震えるような拍手。突き刺さって来るライト。紹介されたガイル・キャニターは、サーカスの団長らしく片手を胸にもう一方の手を天に向けて歓声に答えてから、改めてリリスに向き直った。

「リング・マスター、本当にありがとう。今度のムービーが無事に完成したのも、あなた方のおかげです」

 リリスが笑顔で一抱えもある花束をガイルに差し出すと、彼はこけた頬を緩めてリリスに笑みを返しそれを受け取った。

「じゃぁ、次は……」

 リリスは拍手と歓声が止むのを待って、段取り通り、親しげにガイルを見つめて小首を傾げた。

          

        

「…いつもにこにこなんてさ、虫唾、走るよな」

「それがムービースターの勤めだ。それに、リリスのおかげでいい具合にバカどもも集まってる」

「偶然この日選んでくれたあっちも、バカどもの集まりだけどな」

「そんな連中にマスターが囚われてるなどと、考えたくもない」

「考えたくないな、確かに。最初とちょっと予定変わっちゃったけどさ、そろそろやろうか。問題ねぇ?」

「ああ、問題ない。あいつらはまだ城に居る」

「ムービースターも不幸だよな。スターになんかなったおかげで、巻き込まれちゃうなんてさ」

「ああ、その通りだ………」

          

       

 地鳴りのような低い振動に、ヒューが天井を見上げる。

「…揺れてるな…。隣りか?」

 言って腕のクロノグラフに視線を落とし、リリス・ヘイワードのイベントが始まってから随分経つのだとようやく気付く。

「さっきまで、イベント用のダイジェスト版が上映されてたみたいです」

「なるほど。それが終わってリリスがまたステージに上がったから、隣が騒がしくなったのか」

 ピエロの前を通り過ぎ、またも白い迷路に入り込む。どうしてここはこう複雑な造りになっているのか、と内心呆れつつも、螺旋を描く通路に中心へと吸い込まれて行く、ヒューとアンとハチヤ。

「にしても、誰もいない展示天幕の中って、気味悪いですね、アンさん」

「うん…確かにね」

 ピエロやダンサー、動物たち。それらが居るのに生き物の気配がしないこの場所は、確かに寂しく、冷たく、気味が悪い。

「怖いなら引き返してもいいぞ、ハチヤ」

「…邪魔者を追い払おうって魂胆ですか? スレイサーさん!」

「いい勘だな。判ったなら、邪魔しないで退場してやろうとか思わないのか?」

「思いませんよ!」

 噛み付くハチヤを適当にあしらいつつ、ヒューはどんどん奥へと進む。ピエロの一件で何を確かめたのか、彼は一言も言わなかった。

 苦笑いでハチヤをたしなめるアンの方は、徐々に緊張し始めていた。それが何かは判らないのだが、全身に「何か」が絡み付いて来るような感覚がある。

 核心に近付いているのか。

 ヒューならばそれを「悪意」だと言うだろう。

 ぐるぐると二周ばかり通路を回り、白い布が途切れたところで右に折れる。と、角から一歩踏み出したヒューが足を停め、無言で何かをじっと見つめてから、アンとハチヤに道を空けようと横に移動した。

「? どうしたんですか? ヒューさん」

「二足歩行式だ。よく出来てるが…、悪趣味だな」

 悪意だ。

 不機嫌そうに言われて顔を見合わせたアンとハチヤが揃って布の切れ目から顔を覗かせると、そこには……。

「うわぁ」

「…………。悪趣味…かもしれませんね。判り易い戯曲の登場人物としては、ポピュラーだと思いますけど…」

 ピエロ。ピエロ。ピエロ。ピエロの役割は「人間」なのか。入り口で驚かせてくれたあの道化師と同じように白塗りで笑顔の凍り付いたピエロたちが十体近く床に転がっており、その奥、一段高くなった「ステージ」には、手を取り合った。

「創世神話物語? じゃぁこのグロいのが」

 ハチヤが、奇妙な顔で首を傾げる。

「天使と悪魔だ」

 醜悪な、愛を交わす、天使と、悪魔と。

「このサーカスの団員は、天使も悪魔もお嫌いと見える」

 呟いてヒューは、そっと、無言でその光景に見入っているアンの腕を掴んで引き寄せた。

 真白い布の壁面にぶちまけられた、真っ赤な液体。至るところに立てられた鉄パイプに絡み付くのは、針金と、得体の知れないコードの束と、引き裂かれた純白の布。その中央に積み上げられたガラクタがステージなのだろう、手足をだらしなく投げ出し事切れているように両眼を見開いたピエロたちはみな、そのガラクタの周りに打ち棄てられている。

 棄てられている。ガラクタの延長のように、累々と転がっている。そして、残骸というステージにまします主役たちはピエロに顔さえ向けず、ただ、見つめ合っているばかり。

 天使は跪(ひざまず)いていた。ステージの縁から床に向かって、乳白色の肌と剥き出しの機械群を纏めて隠すぼろぼろのローブが流れている。それでも天使は跪き、腕を伸ばし、顔を上げ、肘の内側や肩、首筋、腹部から大量のコードとチューブをはみ出させても尚、幸せそうに、ラバー製の顔(マスク)の左半分を頬の辺りで弛ませたまま、ひっそりと微笑んでいる。

 そしてその天使に向かって腕を伸ばし、今まさにそれを助けんとしている悪魔も、酷い有様だった。雄々しくも逞しい身体には大穴が開いていてそこからダイナモがぶら下がっていたし、何本も寄り合わせたコードが腹部と胸部から外に引っ張り出されて、千切れた先端は今にも床に届きそうだった。

 羊に似た角があった。牙らしいものの残骸も見えた。しかし、悪魔の方は徹底的に顔が叩き潰されていたから、本当はどんな顔(マスク)なのかは、判らない。

 どちらも空を彷徨うべき羽根が無残に毟り取られていて、二度と飛べないように見えた。フレームだけしかない羽根にボロ布をこびりつかせた天使と、フレームさえもへし折られて皮膜の垂れ下がった悪魔は、二度と、空へは、戻れない。

 そんな無残な姿になっても、天使と悪魔は、愛を交わすのか。

 ヒューに引き寄せられたアンはふらふらと後退さり、とん、と背中で彼にぶつかった。その間も逸らさない薄水色の瞳でじっと天使と悪魔を見つめる少年が何を感じているのか、ヒューは小さく首を横に振り、巻き込まれそうな動揺にケリを付ける。

 このサーカスは、天使と悪魔を、憎んでいる。

「しかし、このサーカスにとって天使も悪魔も「絶対」だ。だからこんな姿になっても彼らは、天使と悪魔を切り棄てられない」

「絶対…ですか…」

 青ざめた唇で搾り出すように呟いたアンに、ヒューは頷いて見せた。

「天使は…彼らの存在理由でもある。天使が「いる」から彼らはここに居なければならなかったし、天使が「居る」から彼らも居続ける。

 そして彼らの憎む、アドオル・ウインでなくサーカスの憎む天使にも、悪魔が「いる」」

 だから、彼らは天使も悪魔も、無視出来ない。

「……ミナミが居なくなれば、彼らもまた、必要なくなる…」

 ヒューは背中で凭れかかって来るアンの耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。

「しっかしりろ。君の…電脳班の役目は、その、彼らを「解放」する事だ」

 天使でなく。

 ミナミでなく。

 悪魔でなく。

 ハルヴァイトでなく。

 それぞれが自由に理由を見つけて、イルシュのように解放される事。

             

          

「ばかじゃねぇ? 理由なんて、最初(はな)からねぇよ」

         

       

「見るものは見たが、後味悪いばかりで大した収穫もなかったな」

 ヒューは水色の双眸でゆっくりと振り仰いで来たアンにそう告げてから申し訳程度に微笑み、彼の肩をぽんと叩いた。

「…そうですね。なんだか…ここ、ぐるぐる回ったり迷路だったりして、疲れちゃいました」

 促されて引き返そうと、ヒューから離れるアン少年。やや離れた場所でそんな二人を見つめてハチヤが口を開こうとした、刹那、またも空気の震えるような歓声がすぐ隣りの主天幕から伝わって来て、ヒューが苦笑いを漏らす。

「リリス退場の時間でしょうか、そろそろ。サーカスの天幕で行われるのは挨拶だけで、ムービーそのものは、シネマ・エリアで独占公開してる映画館に行かなくちゃならないらしいですからね。上映時間に合わせて、イベントはせいぜい三十分か四十分くらいみたいですし」

 何か言いたそうな顔をしていたハチヤが、気を取り直し、笑顔でアンとヒューにそう教える。イベントのタイムテーブルをハッキングしていたアンも、ヒューも、そろそろリリスが舞台を降りるとは知っていたが、膠着した空気を動かそうとするハチヤに付き合って頷いた。

「じゃぁ、今からまた表通りは混むのか」

「もうちょっと早く出ればよかったですね。失敗しちゃったかな」

 うんざり顔でヒューが言えば、アンが朗らかに答えて小さく肩を竦める。

「まぁ、流れる方向は一緒だからな、諦めて、巻き込まれるとするか」

 アンがハチヤの傍まで移動したのを確かめてから、ヒューはもう一度だけ悪趣味なオブジェになり果てた天使と悪魔を一瞥し、ピエロに視線を這わせてから、それらに背を向け歩き出そうとした。

「行きましょう、ヒューさん」

 先んじて歩き出す、ハチヤ。その後に付いた、アン少年。数歩遅れて、「ああ」と答えたヒューが今度こそ一歩踏み出そうとした瞬間。

         

      

「生き残れるかな?」

        

          

 ヒューは咄嗟に、右の拳を顔の横に振り上げた。

  

   
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