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14.機械式曲技団

   
         
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 受け止めたというよりも、衝撃に逆らわずわざと真横に叩き払われたヒューが、通路と展示場を区切る布に肩から突っ込む。それに悲鳴を上げる暇もなく、アンはハチヤの背中を思い切り突き飛ばし、自分はその場に伏せた。

「ビンゴだな。ここまで来て、タダで帰して貰おうというのは贅沢らしい」

 大したダメージも受けていないのか、ヒューは転がった反動を使って素早く置き上がるなり派手なコートを脱ぎ捨て、床に伏せたアンの傍らに滑り込んだ。

 掬い上げるように小柄な身体を抱きかかえて「それ」と距離を取り、少年の名前を呼ぶ。かなり乱暴に立たされたアンは、青い顔をしつつも「はい」としっかり答えた。

「どこで判った?」

「…接触現象ですよ。ぼくがヒューさんを呼んだ瞬間に、臨界と現実面が干渉したんです。でも、ヒューさんはなんで…アレが動くって判ったんですか?」

 音もなくゆらりと立ち上がる、ピエロたち。最初の攻撃を躱された最初の一体は既にアンやヒューをガラス玉の瞳で睨んでいて、ずしっ、と重い一歩を踏み出している。

「音だ」

 そうとだけ短く言い置き、ヒューはハチヤの腕を掴んで引き寄せると、その胸に、アンの身体を押し付けた。

「驚くのは後だ、ハチヤ。

 アンくんの安全を確保。彼を連れて主天幕に行け。

 至急、隣接の天幕に居る一般市民に避難勧告。リゾート駐屯の全警備兵に出動命令。特務室のホットラインを解放し、「動いた」とだけ打電」

 反射的にアンを抱き締めたハチヤの腕を、しかし、当の少年が振り払う。

「いいえ、ぼくはここに残ります。ハチくん、ヒューさんの指示通り特務室に打電を。リゾートの警備軍分室に非常警戒を宣言してください」

 ハチヤには、それでも何が起こっているのか判らなかった。動かないはずの機械式がひとりでに動き、あまつさえ、ヒューに殴りかかろうとしているのを目にしても、頭が現状を理解しようとしない。

 ありえない。機械式が、人間に襲い掛かって来るなどというのは、あっていい訳がない。

 床に打ち棄てられていたピエロが動いたのは、ヒューの視線が外れてすぐだった。残骸のステージに凭れかかっていた一体が見えない手で持ち上げられたかのように不自然に直立し、いきなり、ヒューの頭部を狙って腕を横殴りに薙ぎ払ったのだ。

 先の道化師で機械式の微かな駆動音を確認していたヒューは、見もせずそれに気付いた。だから反射的に頭をガードし、逆らうのではなく跳ね飛ばされて体勢を立て直せた。同時に、その機械式の操作が臨界面…つまりこれは、機械式魔導機か?…を使用していると接触現象で知ったアンがハチヤを突き飛ばし、突き飛ばされて前のめりに倒れかけ咄嗟に壁を掴んだハチヤだけが、ピエロを目にして動けなくなる。

「早く行け!」

 縦も横も一回り以上大きいピエロが掴み掛かって来るのから辛くも身体を逃がしたヒューが、叱責する。下手にピエロと距離を取ってしまったら機械式どもはばらばらに移動し広がられてしまうかもしれないからか、ヒューは一歩も退かなかった。

「ハチくん!」

「あ…。や、はいっ! アンさん、ここは危険ですから僕と一緒に」

 ハチヤは自分の頬をびしゃんと一発ひっぱたいてから、すぐアンに腕を伸ばそうとした。そこはそれ彼も一応警備軍の兵士であり、かの電脳班直属部隊所属なのだ。これくらい常識の範疇を飛び出した現象が起こったとしても、いつまでも惚けてはいられない。

 だから、アンの安全確保と主天幕への避難勧告を優先し、行動しようとしたのだが。

「ぼくは残る。この機械式程度なら…停められるはず!」

 アンはそう言って、ハチヤの腕を再度振り払った。

 ピエロたちの動きは遅い。のろのろふらふらとヒューに襲い掛かり、そこだけ別物のように衣装で膨れ上がった腕を振り回して、彼を殴り付けようとする。

 片やヒューの動きは、一瞬だった。迫り来る機械式どもの動きをぎりぎりまで引き付けて見極め、寸での所でその打撃を躱す。身を沈め、転がり離れ、反撃に転じられないのか、それともざわとなのか、彼はピエロたちの位置を確認するばかりだった。

 ヒューは待っている。ハチヤがアンを安全なところまで連れて逃げてくれるのを。

 展示天幕自体は狭くない。しかし、真白い迷路のように張り巡らされた布のせいで動きは著しく制限されたし、視界も悪い。アンが電脳陣を張りこの似非機械式(または偽魔導機か)を停めるには、狭過ぎる。

 小さく舌打ちしたヒューが、睨み合うアンとハチヤの元に転がり込んで来る。ふたりの腕を同時にひっ掴み強引に通路の方へ押し遣ってから彼は、サファイヤ色の瞳でハチヤとアンを睨んだ。

「ぐずぐずするな。

 俺がここで護るのはお前でも、お前でもなく」

 ヒューがそう倣岸に言い放ち、アンとハチヤの鼻先に指を突き付けた。

「陛下の名誉と威厳であり、そのために、市民に被害を及ぼされる訳にはいかない」

 冷たく吐き棄てたヒューは、踵を返してピエロの群れに飛び込んだ。

 銀色の長い髪が旋回する。固めた拳を覆い被さってくるピエロの胴体に突き刺し、動きが鈍ったところで膝の関節を力任せに蹴り払い、ついに彼は生身の人間でありながら、身の丈二メートル五十センチ近くある機械式をひっくり返した。

 盛大な金属音を轟かせて床に転がり、脆い脚部をへし折ったピエロ。じたばたと動くそれを踏みつけて次から次へと殺到する、ピエロたち。見上げるような機械の塊。しかしヒュー・スレイサー、王下特務衛視団警護班班長は、陛下の御名と自らの矜持にかけて、その場から一歩たりとも退いてはならないと自分に言い聞かせる。

「ハチヤ。アンくんを無事にガリューのところまで「行かせろ」。あいつは絶対に、来る」

 派手な銀髪の舐める、広い背中。それが倍にも膨れ上がったような感覚にハチヤは目をしばたたき、すぐ、ぎゅっと唇を噛んでから、アンの腕を掴んだ。

「スレイサー衛視の命令に従います。アンさん、班長の邪魔をしてしまう前に行きましょう。この天幕の向こうには数百人の一般市民が居るんです。市民の安全を優先するのが、今のおれたちの役目です!」

 ハチヤはそれでも抵抗しようと顔を上げたアンから視線を逃がし、ピエロと対峙したヒューの背中に敬礼を向けて、踵を返し脱兎のごとく走り出した。

「ハチくん!」

 必死にハチヤの手を振り解こうともがくアン。しかし、アンの細い手首に痣が浮び上がるほど強く握り締めたハチヤは、絶対にそれを解こうとしない。

「アンさん」

 周回する通路。気を抜けば眩暈を起こしてその場にへたり込んでしまうかもしれないほどに回転する、視界。それを全力で突っ走りながらハチヤは、緊張した口調で少年の名前を呼んだ。

「一刻も早く展示天幕から出て、主天幕の市民を避難させてください。アンさんがあの機械式を「停める」まで、スレイサー衛視も、おれも、絶対…あいつらをここから出しませんから」

 言って、一瞬だけ固い笑みをアンに向けたハチヤは、いきなり少年を突き放し通路のお終いから飛び出した。

 途端、白っぽい何かがハチヤに体当りし、背ばかり高く痩せた青年が背中から床に転がったではないか。

「ピエロ…」

 ごろごろごろごろ…。ひひひひひひひ。

「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ」

 球乗りの、道化師。

 台座に固定されているはずのそれが台座を振り切り、赤と白に塗り分けられている大きな球を足の変わりに、高速で移動していたのだ、そこでは。

「う…、早く行ってください、アンさん!」

 肩を押さえてなんとか起き上がったハチヤが、早く行け、と出口を指差す。

「…………で…でも…」

 アンは、迷ったのだ。その時。

 臨界からの命令で動く機械式。きっと、今ここでそれらを停められるのは、制御系魔導師であるアンだけだろう。いかにヒューが強かろうとも、ハチヤが奮闘しようとも、相手百キロを越えた金属の塊で、疲れさえ知らない。果たしてそれに、生身の人間が太刀打ち出来るのか。

 魔導師として、どうするべきか。

        

        

「アン。構いません。スレイサー班長とハチくんをその場に残し、主天幕に行きなさい。すぐ、市民の避難誘導に向かったギイルとデリが到着します。リリス・ヘイワードにヒュー・スレイサーの名前で協力を要請。混乱を招かず、そこで魔導機が稼働していると市民に知られる前に、全員天幕から追い払え」

         

          

「…ガリュー班長! すぐ…って、ギイル部隊長とデリはどこに!」

 臨界式の通信が視界に割り込み、アンは困惑した。

『すぐそこですよ。王城エリアから派遣した兵士と魔導師隊も、付近に展開します。ですが、あなたが一番「そこで稼働している電脳陣」に近い』

 ごろごろと騒音を轟かせたピエロが、唖然とするアンに突進してくる。

『そうなる事は、最初から予測出来ていたんです。ですので、もうこちらの準備も万端ですからね』

 微かに笑いさえ含んだハルヴァイトの一言。

 それが脳に行き渡った刹那、アンの頭上で真白い荷電粒子が爆裂した。

 突進して来ていたピエロが、運悪く荷電粒子に接触。全身に細かな火花を纏って、ぎくりと動きを停める。

「……………先に言ってくださいよ! だったらっ!」

 珍しく怒っているのか呆れているのかアンがそう叫んだ刹那、小ぶりな電脳陣が少年魔導師の周囲にいくつも立ち上がり、四方に飛び散った。

 薄い黄色に発光する陣が布の壁にぶつかると、細い鉄の支柱がひしゃげ白い布の壁がぐしゃりと倒れる。

「………………」

 ハチヤはそれを唖然と見つめ、それから、踵を返して各段に広がり外周天幕まで見通せるようになった空間をづかづか突き進むアンの小さな背中を、見送ってしまった。

 少しも動けず。

 呆気に取られて。

 とんでもない暴挙だ。

「囮って…そうは言いましたけどね、そういえばっ!」

 アンに、完璧やる気満々だったんじゃないか! とまではさすがに、文句を言う暇はなかったけれど。

「アンさん…」

 ハチヤはその場に座り込んだまま、呆然と呟いていた。

  

   
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