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14.機械式曲技団

   
         
(18)

  

「電脳陣で操作されてた機械式が停止したそうです、アイリー次長」

「…じゃぁ、いい加減こっちも行くか」

 途切れない人の波を少し離れた場所からじっと見つめていたミナミにクインズが声をかけ、ミナミが言いながら小さく頷く。機械式の稼働を確認した直後から、全てを停止させるまでは絶対にサーカスに近寄るなとハルヴァイトにしつこいくらい言われていたミナミだったが、ルードリッヒとクインズに「ぜってーあのひとには内緒な」とこれまたしつこいくらいに命令(…)し、一足先にサーカスの敷地に入ろうと…したのだが…。

 イルシュが単独で既にサーカス内を移動しているというルードリッヒの報告(電脳班と魔導師隊を含む、本日の任務に動員された警備軍特別チームの動向は、ルードリッヒが監視している)を受けて、ミナミはサーカスの施設調査よりも、イルシュの追跡を優先するつもりだったのだ。

 もし、イルシュの監禁されていた場所が「ここ」のどこかだとしたら。

 そう言ったのはルードリッヒ。

 良くない。独りは………ぜってーダメだ。

 そう答えたのは、ミナミ。

 では、サーンス魔導師のところへ行きましょう。

 そう提案したのは、クインズだった。

「施設は逃げませんよ、アイリー次長。それに、ガリュー班長や他の衛視たちも既に主天幕に着いていますし」

 そういう訳でイルシュの元へ向かおうと警備軍派出所を出た所まではよかったのだが、その後が…少々よろしくなかった。

 ミナミが、急に立ち止まってしまったのだ。派出所から数メートルも進まないうちに。しかしその理由を知っているルードリッヒとクインズは、ミナミを急かすでもなく、何か問うでもなく、ただ、ミナミの気持ちが落ち着くのを待っていた。

 サーカス主天幕からシネマ・エリアに移動する市民の流れと鉢合わせしてしまったのは、完全なイレギュラー。しかもミナミの予想より整然と並び、警備兵に誘導されて進む市民の流れは横に五列もあり、つまり、比較的広く取ってある大通りの半分以上を占拠している。

 で。残りの部分には何が起こったのかと目を白黒させるまるで無関係なお客たちがそこここでたむろっており、結果として、ミナミは先に…進めない。

 いかに回復して来たらしいといっても、ミナミの「心因性極度接触恐怖症」というのは今も健在で、普段勤務している時分には周囲の人間が、陛下に着いてだとか、単独で城から出歩くような場合には、ヒューやルードリッヒやクインズなどの…ミナミ専門の護衛が細心の注意を払ってくれているから平気なだけで、正直、本当に予期しない状況で急に目前に誰かが飛び出して来たりすると、一瞬なのだが、ぎくりと全身を竦ませて立ち止まってしまう。

 ミナミは数日前ヒューに、最近はそれが妙にイラつくと話した。

            

「いや。うん、あのさ…。俺が「ダメ」だって、判ってはいんだよ、俺も。でもさ。なんつうか、なんでこんな時にこんな場所でこんな風になってんだよ、俺は。っても、さ、自分に対して、思うよ」

         

 言いながらちょっと俯いたミナミの横顔に、ヒューは意味不明の短い笑みを向ける。

「いいんじゃないのか? それで」

 何がどういいんだよ、と言い返して(突っ込んで、ではない)みたが、ヒューは結局にやにやしてばかりでそれ以上話題に乗って来ず、こうなると絶対に核心に触れさせないのがヒュー・スレイサーだと理解し始めているミナミは、ちょっと不満そうにしながらも、その話題から離れた。

 ヒューは、気付いたのだろうか。

 確実に、ミナミは「ひと」との接し方を変えるために、無意識にだろうが、自分の気持ちをコントロールしようとしている。というのに。

 しかし、努力途中のミナミにとって、目の前にある現実は厳しい。市民の列がシネマ・エリアに向かう事や、その経緯全体を通信で知っているにしても、どうなる訳でもない。

 それでも、ここで立ち止まっているのは無駄に思えた。しっかりしろよと自分を叱咤し、握り締めた両の拳に力を入れて、竦んだ足を、前に出そうともがく。

 無表情に。

 ただ無表情に。

 ミナミは自分と、戦う。

「リリスの新作ムービー無料公開だってよ! 急いでシネマに行けば、おれたちも観られるかもしれねぇぜ!」

 さざめくような行進の靴音を割って、誰かが叫んだ。

 途端、たむろっていた無関係な集団がわっと歓喜し、口々に何かを叫びながらシネマ・エリアへ向かって、……つまり、ミナミの方へと無秩序な人の群れがばらならと押し寄せて来たではないか。

 佇むクインズの背中越しにそれを見てしまったミナミが、びくりと全身を震わせた。

           

 フラッシュバックする、記憶。記録、かもしれない。

           

『リゾート・エリア管理室から市民のみなさんにお知らせ致します。

 リリス・ヘイワード新作ムービー無料公開参観には、本日ジョイ・エリアで行われております舞台挨拶イベントの入場券が必要となります。入場券半券をお持ちでない市民の方はシネマ・エリア中央広場付近に立ち入れない規制が敷かれておりますので、ご了承ください』

          

 立ち竦んだミナミを護るようにクインズが全身を緊張させた刹那、各所に設けられている広報スピーカーから澄んだ声が穏やかに流れ出し、一瞬、全ての市民がスピーカーを見上げてしまう。

 繰り返し繰り返し告げる声は、合成ではない、本物の女性のものだった。

 きれいな声。

 透明な声。

 それは間違いなく、いつもは男たちの最中にあってただひとり華やかながら気後れした所なく、特務室でもそこそこ恐れられているあの、アリスのもの。

『なお、リリス・ヘイワード新作ムービーは、本日夕刻、十八時よりシネマ・エリア七号スクリーンにて一般公開となっております。

 みなさまのお越しを、心よりお待ち申し上げます』

 リンゴーン。という府抜けたベルの音でその告知が終わると、整然と並んだ市民の群れはまた歩みを始め、イベントの半券を持たない市民は顔を見合わせて、その場に立ち止まった。

 なーんだ。じゃぁ、急いでも仕方ないや。という空気。

「………………。」

 一旦ミナミを振り返ったクインズが安堵の溜め息を吐き、同時に、傍らのルードリッヒも全身の緊張を解く。

『ミナミ』

 強制通信でたったいまインフォメーションしていた赤い髪の美女に名前を呼ばれ、ミナミは慌てて「何?」と答えた。

『事後承諾で悪いんだけど、地下のリゾート・エリア監視室付近と王城エリアスラム近辺、第九エリア警ら部隊の一部を、こっちに回すようミナミの名前で指示したわ。隔壁警備部から照会が来たら、地下通路の解放許可に承諾してくれる?』

「…いいけど、なんで?」

『アンの仕込んだムービーの無料公開、入場できない市民がシネマ周辺に集まったら混乱するでしょう? だから、それを追い払うのに、シネマ・ブロックに入場制限するため。でも、連れて来た二個連帯じゃ今は手が回らないからよ。

 それから、空いたそれぞれの持ち場には警備軍本部から二個連隊程度を分割で回してくれるよう、ガラ総司令に直接連絡しておいた。どちらももう移動開始してるわ』

「判った。どうも」と答えつつ、ミナミは無表情に感心する。

 何せ、アンがムービーの無料公開を決めてアリスに指示を出し、彼女が配給会社の取締役と交渉(ではないような気がするが)し終えてから、三十分と経っていないのだ。市民の誘導状況を確認しつつ上映準備班を構成して急行させ、その上シネマ・ブロックの警備強化までするとなったら、余程手際よくなければならないだろう。

『リゾートの警備兵は他の使い道があるだろうから、今はシフト通り警備体制続行して貰ってる。間接的にこの「騒ぎ」の説明だとかをするハメには、なってるだろうけど』

「それは、問題ねぇよ。そういうもんだろうしさ。ところで、アリス…。無料上映の方、準備どうなってんの?」

 そういえば、無料上映します。だけでその後なんの音沙汰もないシネマ・ブロックの方はどうなのか、と思い付き、ミナミが問いかける。

『……。どうにかなってるわよ。そっち、………、結局、フィルムだけあればいい事になったし、座席の方は………配給会社で責任持って支度してくれるって』

 なぜか苦笑い交じりの返答に、ミナミとルードリッヒとクインズが顔を見合わせた。

 大型のモニターを支度して、座席を支度して、警備を配置して…。

 では、ないのか?

            

         

「座席は三百? 最前列左右の端に五名、最後尾左右の端に五名、誰か座らせろ」

 と、完全に閉鎖されたシネマ・ブロック中央広場に並べられた三百個のパイプイスを一望出来る場所に用意させた椅子に、いかにも偉そうに座って足を組み、片肘を背凭れに預けて頬杖を着いているそのひとが、これまた偉そうに命令する。

「はいっ!」

 額から流れる冷や汗もそのままに、アリスと言い争っていた配給会社の取締役が悲鳴を上げつつ両腕を振り回すと、椅子を並べ終えたばかりの社員があたふたと移動して、華奢な椅子に収まり、背筋を伸ばす…。

「きちんと見えたら手を挙げろ。展開位置の微調整をする」

 いかにもーな命令口調ながら、そのひと、ローエンス・エスト・ガン魔導師は、ここに姿を現した時からずっと、にやにや掴み所なく笑っていた。

 ムービーを記録したドラム…ディスクを数枚重ねて読み込み装置の付いた円筒形のケースに収めたもの…は、ローエンスの足下にただ置かれている。それを果たしてどうするのかと息を詰めた周囲の「一般市民」をさも愉快そうな目つきで見回してから、ローエンスはわざとのようにぱちんと指を鳴らした。

「いいな、これは暇潰しにもってこいの仕事だ。退役したらシネマの従業員にでもなるか?」

 笑いを含んだ声でそうローエンスが呟いた、瞬間、並んだ三百の椅子たちの正面に、高さ十メートル以上、幅十五メートル以上という巨大な長方形の文字列が、カッと輝き、出現したのだ。

「シネマサイズというのはこんな感じの比率なのかな。まぁ、映ればいいんだろうから、比率などどうでもいいのだが」

 パイプ椅子に斜めに座ったまま、やる気なく呟いたローエンス。半端でなく巨大な臨界式モニターの出現に言葉もなく硬直した関係者を無視して、製作スタジオと配給会社のロゴがそこにぼんやりと映し出され、また、瞬間。ピント調整するように画面が数回ぶれたかと思うなり、そこにくっきりとリリスの笑顔が浮び上がったではないか。

 次々に手を挙げる、あちこちに配置された社員たち。それに相変わらずのにやにや笑いで頷いて、ローエンスは上映を中止した。

 唖然と、というよりは、何か気味の悪いものでも見るような目付きでローエンスを窺う映画会社の職員に愛想笑いを返すでもなく、彼は背凭れに預けていた腕を解いて足を組み替え、だらしなくそれに座り直した。

「映像も音声も、全てはデータだよ、お前たち…。ガリュー風に言うなら、全てはデータで出来ている、か? 何にせよ、本物のリリス・ヘイワードとかいう若いのをここに一瞬で連れて来いとかいう風な無茶を言われればまさかわたしでも断るだろうが、データになった映像を映写機並に上映して見せろ、というのは、そうだな…」

 永遠に続く斜陽の天井を見上げ、ローエンスがにっと口元を引き上げる。

「ベッドに入る前にはシャワー。くらい、なんでもない事じゃないか?」

 ミナミがいたら絶対に「そりゃあんたらだけだって」と突っ込んでくれそうな事を言って、ローエンスは掴み所なく笑った。

        

           

「……エスト卿?」

「…………………はぁ」

 アリスから、シネマの上映は全部ローエンスに任せたと言われて通信を抜けたミナミが呟くと、ルードリッヒが非常に複雑そうな笑みでなんとも不安な返事をした。

「あの、アイリー次長」

「何?」

「…ロー…じゃなく、エスト・ガン魔導師が何かしでかしていた時のために、先に…謝っておきます…」

 で。

 思わず、ミナミとクインズが、噴き出す。

「城ではどうか判りませんが、わたしの知るローエンスと来たらとにかく悪ふざけが酷く、それは奥様もぼっちゃんたちも迷惑しているくらいで…」

 恐縮して小さくなったルードリッヒを見つめて、ミナミが肩を竦める。

「いいよ、慣れてるし。それに、今回に限っては、近くに来ててくれて正解だったしな」

 でも単独か? とは、思った。

 どうもミナミにとっては、ローエンスといえばグランがくっついて来ていそうで、いや、逆なのかもしれないが、とにかくあのふたりはしょっちゅう一緒に居るような気がして仕方がないのだ。

 だから、ひとり、と言われたのはちょっと意外だった。

「つうか、エスト卿、何しに来てたんだ?」

 ひとり言のように呟き、小首を傾げる、ミナミ。その背中をじっと見つめたまま、ルードリッヒは短く嘆息した。

(やっているとしたら、どうせロクな事ではないだろう。この忙しいのに、どうしてぼくに迷惑掛けないと気が済まないんだ。まったく)

 と、ルードリッヒは思った。

「……とりあえず、人も空いて来たし、いい加減行こう、こっちも。って、さっきもそうは思ったんだっけか」

 ふっと溜め息を吐いてから毛先の盛大に跳ね上がった金髪をがしがし掻き回したミナミが言い、クインズが真っ直ぐサーカスの主天幕目指して歩き出そうと一歩踏み出した、まさにその時、携帯端末で警備兵や衛視の動きを確認したルードリッヒが、「待ってください」と声を上げた。

「大通りでなく、迂回…というか、サーカス外周を回り込んで、その向こうにある隔壁区画に直接行けるルートを取りましょう、アイリー次長」

「? 隔壁区画? なんで?」

 王城エリアであれば、それはスラムの外れにある。何もない、やや広い空間の真ん中に、ぽつんと分厚い鉄の壁が立っている、それだけの場所だ。

「サーンス魔導師が、サーカス・ブロックを通り抜けようとしているみたいなんです」

 真剣な面持ちで告げるルードリッヒの顔を見つめたミナミは、それ以上何も問わず、こくりと小さく頷いて、警備軍派出所の裏手に回ろうと踵を返した。

  

   
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