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14.機械式曲技団

   
         
(20)

  

 サーカス・ブロックに入ってしばらく大通りを進むと、そこはちょっとした広場になっていた。普段ならベンチで休む人や芸を見せるジャグラーたちで溢れているのだが、完全にブロックが閉鎖された今、ここには電脳魔導師隊第七小隊の四名だけが佇んでいる。

「うむー。さっきまではあちこちで意味ない陣がぐるんぐるん回ってたんだけど、ハルちゃんが手ぇ回したのかな? ぜーんぶ停まったっきりだわー」

 地面にしゃがみ込んでにやにやしているタマリの目の前に、直径が二十センチほどの小さな電脳陣が浮んで回っている。多分サーカス・ブロック全域を監視しているはずの索敵陣がたったこれだけの大きさ、というのは、かなりの器用さだった。

 結局、ジョイ・エリアサーカス・ブロックは全て一時閉鎖された。その後電脳班からの指示で通信が強制切断されてしまい、現状維持のまま待機になだれ込んでいる、といった状況か。

 ではさっきまで稼働していた陣は全て攻撃系魔導師のものだったのか? といったら、そうではないだろう。

(向こうさんもアホ揃いじゃないんだな。攻撃系が強制切断されたタイミング狙って、全部の陣消したんだろうし…)

 魔導師の数を特定されないためのか、別の理由があるのか…。どちらにしても、向こうが動いてくれなければこちらも打っては出られないだろう。

「…………………イルくんは、大丈夫かな」

 しゃがんだタマリの後に立っていたスーシェが、不安そうに呟く。それには誰も答えなかったが、ウロスだけが無言で移動用の通信装置に視線を馳せた。

 通信装置の全てがダウンしたせいで、イルシュからの定期通信も受け取れなくなってしまったのだ。最後の通信は十分ほど前。サーカスの主天幕裏手に見える支柱付近に行ってみる、というものだった。

「何もせずに待つのは辛いな。だが、物は考えようで、待つというのは、今後起こりうる事象を全て予見しその対策を練っておく時間が充分にある、という事でもある」

 どうやら暇を持て余したケインが、いつものようにいかにもらしく演説し始める。彼と同じ班になって最初の頃、タマリはよくこの「盛大に理屈っぽいひとり言」に答えては、「なぜぼくの邪魔をするんだい? タマリ」と言われ、取っ組み合いの喧嘩をしたものだ。

 ケインが冷静沈着なエキセントリックキャラなのだと知ったのは、数ヶ月も経ってからだった。

「対策は、ないよりあるに越した事はない。もっと簡単に判り易く言うならば、それは心構えと言えるのかもしれない。目の前に石がある。それを跨ぎ越えて行こうとする時、躓くかもしれない、躓かないかもしれない。躓かなければ何もなく平穏にその場を通り過ぎる事が出来るだろうが、躓いたなら頭を保護し怪我を最小限に押さえるべく、ではどういった行動を取るのが最善かを列挙しておけば、確立五割で躓いた場合…」

「にゃ?!」

 いつか突っ込んでやろうとケインの様子を窺っていたタマリが、妙な声を上げて急に顔を上げる。

「? どうかした? タマリ?」

 しきりに瞬きを繰り返すものの、それ以上なんの反応も見せないタマリの横に一緒になってしゃがんだスーシェが少女のような横顔を覗き込むと、タマリは慌ててにっこりと笑い、「なんでもないよーん」と顔の前で両手を振った。

(?? プライマリシステムに接続拒否された「スノー・フィンチ」がセカンダリ直結で臨界に一時接触許可を申請? ってー、スノーって…レイちゃんだよね? プライマリ拒否って事は、なんで三十六回も接触失敗してんのよ)

 自分の膝を抱え込んでじっと地面を睨み、タマリは首を傾げた。

 制御系プライマリシステム・ブレーンは、アカウント「アー・アル・アルバトロス」。それが健在である今、セカンダリシステム・ブレーン、アカウント「ゲンソウノ・アゲハ」が受け持っている仕事は、プライマリでハネられたアカウントを再度審査し、問題がなければプライマリシステムへの接触許可を出す事なのだ。

 ちなみに、攻撃系プライマリシステム・ブレーンはアカウント「ディアボロ」。セカンダリシステム・ブレーンは…空席のままだった。

(…直結で一時接触? レイちゃんつったら傍にハルちゃんがいるワケだしぃ、なんか企んでるのかい? しかも、早急にアカウント復帰じゃないってあたりが、クサいつったらクサいか)

 じゃぁ、申請を許諾してみるしかないか、とタマリ…セカンダリシステムがドレイクに接触許可を出す。

「それにしても、通信の強制停止の理由も判らないんじゃぁ、迂闊に身動きも取れないね。ゲートを封鎖してる警備部隊も、困ってるんじゃないのかな?」

 どうせハルヴァイトなどロクな指示も与えては来ないのだが、確認が取れないのは不便だ、と短く溜め息を吐いたスーシェを、タマリがあの色彩の枯れた緑の瞳で見つめる。

「足で稼げってさ、ハルちゃん。自分は主天幕で楽してるくせに、そゆ事平気でいいやがるよ、やつぁ」

 にしししし。とさも可笑しそうに笑ってから、タマリは立ち上がった。

「うろんちゃん、ぎるちゃんトコまでダッシュで行って、サーカス・ブロックの完全閉鎖をハルちゃんからの指示あるまで続行って伝えて。それから、けーちゃんにはブロック全体に設置式の小型ジャマー蒔いて貰うんだけど、ちょっと発信電波の周波数変えて貰うから、支度して待ってて。あと、アリちゃんがモビールでこっち通るらしいから、見つけて停めといてね」

 急にてきぱきと指示を出し始めたタマリを、スーシェがぽかんと見つめる。

「何があったの? タマリ…」

「うん? ああ、ハルちゃんからの指示が臨界経由で届いたのさー。通信の強制切断は、「連中」が軍のデータベースに侵入すんのを防ぐためらしいよ」

 黄緑色のショートボブをかしかし掻きながら、タマリが周囲を見回す。

「こっちの通信網逆行されんの防止だって。で、臨界式通信も、途中でハッキングされる可能性があるかもしれないから、今はしないでくれって」

 行動し始めたウロスとケインを眺める、タマリ。その少女の横顔に視線を据えたまま、スーシェは溜め息のように問うた。

「じゃぁタマリは、「何」でガリューと通信したんだい?」

「…ハルちゃんじゃないよ、すーちゃん…。アタシが使ったのは、レイちゃんの…電脳だよ」

 他人の電脳を。

「セカンダリシステムくらいになるとさー、そゆ無茶利くモンなんだよねー」

 言ってタマリは、記憶してしまった空っぽの笑顔でスーシェを見上げた。

          

            

 フローターとは趣の違う微細な振動と滑るような感覚。教習所と地下通路で使った事はあるものの、実際の地上でこれを乗り回すのは始めてというアリスは、サーカス・ブロックの軍専用ゲートから出て主天幕に向かう途中、路肩で手を振っているウロスの姿を見つけて近寄ったまではよかったが、勢い、彼を轢きそうになって…叱られた。

「…何か怨みが?」

「ないわ。純然たる事故よ、事故」

 などと、ゴーグルを顔からひっぺがしてふうっと息を吐いたアリスから渋い顔を逸らし、無言で立ち去っていく、ウロス。ハルヴァイトと違った意味で口数の少ないウロスの背中に、ごめんねぇ、と艶っぽい声をかけたアリスは、黒光りする鋼鉄のボディを掌で撫でながら、すっかり乱れてしまった真っ赤な髪を掻き揚げた。

 モビール。電算機の搭載されていない、完全なる機械の塊。自力走行式二輪車というのが、正式名称だ。

 エンジンを回し、クラッチでタイヤと繋ぎ、ブレーキを握り込んで停止する。

「おお! いつにも増して勇ましーじゃん、アリちゃん。つか、地面に足着いてるよ! この女!」

「……。タマリがちっさいのよ、ばか」

 緊張感のないタマリの絶叫に冷たく突っ込んだアリスの肩を、何やら大荷物のケインが小さく叩いて降りろと促す。それを訝りながらもモビールから降りた彼女に代わって、ゴーグルを奪い取ったケインがそれに跨る。

「けーちゃんに譲ったげてね、これ。主天幕まではけーちゃんが乗せてってくれるからさ。んで、向こう着いたらハルちゃんに、いつでもオッケーだよって伝えて。すーちゃんが移動出来なくなんのは、何か見つかった時だけだから」

 その、タマリの言葉の何が不思議だったのか、アリスが小首を傾げる。しかしタマリはあの枯れた笑顔を向けただけで、彼女に答えてはくれなかった。

 笑顔の余韻を残し、小走りに離れて行く小さな背中。少女の風貌。可憐な、悲壮な笑顔と、絶対に譲らない信条。無神経でやかましい、と自ら言いふらすタマリ・タマリという魔導師が、実は、ハルヴァイト並に得体の知れない人物なのだと、アリスは今日も思う。

 死んでしまった三十ニ人の人生を孤独に生きる、最後の魔導師。

 最後の。

 旧ティング王室第三位、アニアス家の末裔。

          

「コレ以上ない不運だよー。そんなん知らねぇっつの、アタシ。でも、不幸じゃないんだよね…多分さー」

          

 タマリは、ティング一族の遠縁だと判明した時、自ら遺伝子の交配権利を放棄した。

 一生ひとりで生きて行くよ。と。

 ケインに急かされてモビールに跨り、息の詰まるような風に嬲られながら、アリスは思う。

「どうして、彼らは「過去」から逃れられないのかしら…」

 魔導師というものは。

「ぼくらが歴史を踏みつけて今を生きているからでしょう…、ナヴィ衛視」

 なぜかケインはそう、彼にしては珍しく、落胆したように呟いた。

  

   
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