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14.機械式曲技団

   
         
(21)

  

 消えたふたりのサーカス団員。

「つうかよ、判らねぇって、そりゃなんなんだ? おれらをバカにしてんのか?」

 簡単な聞き取り調査に、電脳班の面々は加わっていない。基本的に彼らは魔導師であり、特務室の衛視たちのように、相手の表情や口調から誘導尋問を行う技術を獲とくしていないからだった。

 誘導尋問。秘密を探る行為。特務室の衛視たちはそのエキスパートであるよう厳しく教育されていたが、電脳班は実働部隊で、つまり、そういう細かい作業向きではないのだ。

「本人たちもかなり当惑しています。妙な話、余程巧妙でなければ、あれは、嘘を言っている人間の顔じゃないですよ」

 そうハルヴァイトたちに報告して来たのはインリー・メカラスという衛視で、彼は元、裁判所の聴聞官だった。

「それと、ちょっと気になる事があるんですが、ガリュー班長」

 しきりにサーカスの団員を振り返りながら、インリーが声を潜める。

「聴取を進めるうちに、全員が同じところで同じように言うんですよ。

 こちらの質問は、リング・マスターの氏名と年齢。それを問うと、途端に全員が俯いて、「頭が痛い」と答えるんです」

「頭が痛い?」

 ハルヴァイトの鉛色に見つめられたインリーが、少し困ったように眉を寄せ、頷く。

「こめかみの辺りか、その奥か判らないのですが、とにかく、針で突き刺したようにちくちく痛いと訴えるんです。全員が」

 黙り込んだハルヴァイト。そのハルヴァイトを見下ろす、ドレイク。静寂に居心地の悪そうなインリーと、一塊になって事情聴取を受けているサーカスの団員。

 消えた、ふたり。

「……やべぇな、そいつぁよ…。

 すぐに事情聴取を中止しろ、インリー。それからな、誰でもいいからすぐに城まで戻らせて、医務支部魔導師隊援護班から、ドクター・ブライッシュを掻っ攫って来い」

 ちっ、と舌打ちしたドレイクが怒ったように吐き出すなり、ハルヴァイトも頷いてそれに同意した。

「それよりも、タマリさん呼んだ方が早いんじゃないですか? 班長」

「いえ、タマリには別の指示を出してあります。そっちの準備が終われば、ここに居なくても初期診断くらい出来るでしょうから、移動して貰う必要はないですよ。

 それで、インリー」

 アン少年の提案をきっぱりと断ったハルヴァイトが、じっとインリーを見つめる。

「事情聴取は中止。ドクターがこちらに到着するまでは、彼らをあまり興奮させたり混乱させたり、刺激したりしないように。そうですね、なるだけリラックス出来るよう、話し相手にでもなって上げて下さい。それから、何か変調を訴えたひとがいたら、横になって休ませる。いいですか? 薬物の投与は絶対しないよう、全員に言い聞かせてください」

 無感情とも取れる不透明な鉛色に射すくめられて、インリーがぎくりと背筋を凍らせる。

「移動させられますか? ドレイク。彼らを、無傷で…」

 さっさと行け、とインリーを手で追い払ってからハルヴァイトがドレイクに問いかけると、問われたドレイクが落胆したように首を横に振った。

「タマリに診て貰わねぇと判らねぇよ。俺にゃぁ、臨界式神経医術の心得はねぇからな」

「……つまり、あの団員らは、なんだってんです? 大将…」

 それまでじっと黙ってハルヴァイトたちのやり取りを聞いていたデリラが、ついに口を開く。

「記憶操作されている可能性が出て来ました。彼らは、ついさっきまで一緒にいた「消えたふたり」の事を、脳から消去されたんですよ」

 強引に。

 勝手に。

 生身の人間の脳を弄り回し。

 消えたふたり。

 それは。

「絶対にやってはいけない事です。例えば出来ても、それは、ひととして許されないんですよ」

 言ってハルヴァイトは、人気の無い丸盆(ステージ)を睨んだ。

          

          

「ばっかじゃねぇ? やっちゃいけないなんてさ、誰が決めたんだっての」

「あの方のためなら全てが許される。そういう世の中にしなければ、あの方はお戻りになられないからな」

「面倒くせぇから、みんな消しちゃえばいいんじゃねぇ?」

「残念ながらそれは出来ない。まず、みんな消えてしまったのでは、あの方の所在が判らないだろう?」

「つかさ、どこに居るのか、判んなかったのかよ」

「………………。判らなかった」

「? なんだよ、その、妙な空白は」

「判らなかった、本当に。軍のデータベースにも、所在は記録されていなかった。あの方の監視拘留責任者があの悪魔だという事以外は、何も記録されていない」

「あいつ、あの悪魔にも、接触したんだろ?」

「……。出来たのかどうかも、判らない」

「なんなんだよ、その言い方! 俺たちは最強なんだろ? あの方がそう…」

「我々が最強だとしたら、あの悪魔は…」

              

 最悪だ。と、男は呟いた。

          

          

 残った団員は嫌疑をかける段階にも達しない、被害者かもしれない、とハルヴァイトは言った。

「これじゃぁよ、消えたふたりの所在どころか、正体だって怪しくなって来やがったぜ。どうするよ、ハル」

 溜め息混じりに言って腕を組み、不安げなサーカスの団員たちに視線を馳せる、ドレイク。確かにその通りだと自分でも思ったのか、ハルヴァイトも思わず溜め息を吐いた。

「全くですね。どうしようもない。ミナミでも居ればデータと実際の団員を比較して貰えるんでしょうが、わたしやドレイクはつまり…デリの言う通り、データに頼り過ぎていて、見た資料を記憶するという行為がないがしろになっているようですし」

 失態続きだ。全く持って。

「ここでやってたつう公開イベントの記録映像かなんか、無いんスかね? つっても、それにもどうせ手ぇ加えられてるんでしょうがね」

 自分で言って無駄だと思ったのか、デリラが失笑するように呟く。

 だが、しかし…。

「それだよ、デリ…。それ!」

 アンが、いきなり声を張り上げた。

「ステージの上でリリス・ヘイワードは、サーカスの全員を紹介してるんですよ、班長! って事はですよ? 彼の記憶が操作されていないなら、リリスには、誰が消えたか判るんじゃないでしょうか」

 確かにリリスは、資料も見ないでサーカスの団員を紹介した。

「記憶操作がどこで行われたのかが判らなければ、リリスにも無理な協力を頼む事は出来ませんよ、アン。もし記憶操作されていた場合、その「脳」が無理に消された記憶を思い出そうとすれば、脳は…壊れてしまいます」

「………………でもよ、ハル…。「リリス・ヘイワード」つうのは、本名じゃねぇよな」

 尚も何かを言い募ろうとするアン少年を見たまま、ドレイクは呟いた。

「それが芸名で本名公開してねぇんなら、記憶操作は出来ねぇよ」

 臨界は、データの海。莫大なデータだけが生き残れる。データしか、生き残れない。

 データとは?

 一致した思惑。ドレイクが呟いて、刹那、ハルヴァイトの前とドレイクの左横に、同じような小さなモニターが立ち上がる。それが多分通信陣なのは、上から下に流れる記号を見て、すぐに判った。

 文字列でもなんでもない、ただの線の集合体が猛烈な勢いで流れていたのだ、立ち上がってすぐに。形状はバーコードに似ている。この記号を知らない人間ならば何事かと思うかもしれないが、デリラとアンには知った記号だった。

 読めるとは思わないが。

 これは、ハルヴァイトとドレイクだけの読める、秘密の信号。

『つまりよ、臨界面から現実面の生体データに接触するとき、どうしても、個人を特定する記号が必要になんだよ。闇雲に片っ端から接触するにしても、生体データってのは乱数多いからな。仕掛ける方にだってリスクはある』

『なるほど。臨界から現実面に接触するには、確かに「構築」が必要になりますからね。マーカーでもしておかなければ、そのデータが何を表しているのか判読出来ない』

『サーカスの団員はいいさ、氏名がはっきりしてんだろ? でもよ、「リリス・ヘイワード」は芸名であって、臨界は「芸名」なんてモン必要としてねぇからな。向こうからこっちを見ようとした場合、リリスは本名で表示されるはずだ』

 データ。それは、データ。嘘や偽りもデータ。しかしそれは、「嘘」という、「偽り」という、データ。

『しかもここには当時三百人以上の人間が居たんだぜ? その中からリリスを探し出してマーキング、その上で記憶操作するにゃぁ、邪魔なモン多過ぎだろ』

『もしも、ここにある全てのデータを書き換えていたとしたら?』

『そいつはねぇよ。出来ねぇ、か。乱数が山ほどある。しかも移動してんだぞ? まさかおめーでも、それを同時に三百じゃ接触出来ねぇだろ?』

 それなら。

『賭けるか?』

『賭け? まさか。相手が誰だろうが、あなたの事を信用してますよ、わたしはね』

 モニターでなくハルヴァイトの横顔を見つめて苦笑いしたドレイクに、彼は穏やかに微笑み返した。

「……リリス・ヘイワードを、すぐ主天幕に呼び戻しましょう」

            

            

 リリス・ヘイワードの新作ムービー無料公開は、ちょっとの騒ぎも起こらず無事開始された。

 上映が始まる前、リリスはセツに無理を言って早々に挨拶を済ませ、そのまま、後は帰るからなどとワガママまで言って、せめて終わるまで上映室に居ろと泣きつかれ…。

 居心地悪くも、かのローエンス・エスト・ガン卿と椅子を並べるハメになっていた。

「スクリーンの中のよりも断然本物の方がいいじゃないか。あんな映像データに熱狂しているファンどもは、憐れを通り越してお笑いだな」

 などと平気で失礼な事を言いつつ、ローエンスが掴み所なく笑う。それになんとなく笑顔で「どうも」などと会釈し、リリスはまた所在無くスクリーンを見たり、もじもじしたりしてこの拷問みたいな時間を過ごした。

 ローエンスの足下で、ドラムが唸っている。しかし、映写装置は、ない。見たことも無い巨大モニター…というよりも、何も無い空間にぽっかりと映し出される自分の顔をきょとんと見つめたリリスに、ローエンスは、自己紹介より先にこういったものだ。

「臨界式モニターを見るのは始めてかな? ムービースター」

 それで、パイプイスに気安く座って足を組み、にやにやと笑っているのがかの「電脳魔導師隊」の魔導師であり、更には、貴族のエスト・ガン卿であると聞いて、リリスは…さすがに緊張し、硬直し、泣きたい気持ちにまでなった。

 噂に聞く緋色のマントである。

 しかも、悪名高い、と言ってもいいのだ、ローエンスは。

 ローエンスは、時たまリリスに意味のない質問をしたりしたが、絶対に映画の感想を述べてはくれなかった。ただ一度だけ、「合成なしなのか、君は」と意味ありげに笑ったが。

 そろそろ上映を開始してから一時間半を過ぎようとしている。あと半分も無い、と自分に激を飛ばしたリリスが、意を決してローエンスに向き直り、お茶でもどうですか、と訊くと、なぜかローエンスは殊更可笑しそうに笑って、こう答えた。

「お忙しいスターをひとり締めするつもりはない。上着を着て、靴紐を結び、心の準備をしてあのドアが開くのを待ち給え」

 緋色のマントを翻したローエンスが、座ったままで指差した上映室のドア。上映室、といっても簡単な移動式のプレハブを置いてあるだけなので、非常に建て付けは悪い。

 ローエンスの指先。その延長線上にあるドアをなんとなく振り返ったリリスが首を傾げ、この人はきっとぼくの知らない言語で話しているんだ、とこれまた泣きたい気持ちになった、途端、規則正しい足音が近付いて来て、いきなり、ドアが開け放たれた。

「失礼します。ご苦労様です、エスト小隊長」

「やぁ、ナヴィ衛視。君こそご苦労だね、あちこち…走り回されて」

「まったくだわ。ハルの人使い荒いのは知ってたけど、ここまでだとは思ってなかったもの」

「ミラキもルーも「貼り付け」で、タマリが「移動」だろう? コルソンは団員の保護に回っているし、仕方なかろう」

「予想以上に目立って仕方ないのよ、あたし」

 とそこでアリスはやっと、ぎょっとしたリリスに艶めいた笑みを向けて会釈した。

 真っ赤な髪の、長身スレンダーな美女。女性。衛視の制服を着ているが、彼女は、間違いなく女性だった。

 嘘。という心境か? リリス。

「美人は大変だな、アリス。まぁ、君を「ここ」によこしたガリューの意図も、判らないでもないがね」

 呆気に取られているリリスににやにや笑いを向け、ローエンスがいかにもなんでも知っている風に呟く。

「スターも君の後に隠れれば、薄れてしまうだろう? 姫君」

「さすがはローエンスおじさまだわ、言う事の気が利いてる。なのにハルったら、「あなたの方が派手で目立ちますから」なんて言うのよ?」

 結果的には同じ事を指しているのだが、こちらはさすがハルヴァイト、か? 言い足りていない。というか、ある意味失礼過ぎ。

「さぁさぁ、姫君。ここで油を売っているとその大将に叱られるだろうから、早いところ行くといい。丁度ムービーも盛り上がっている。今なら、観客に気付かれず彼を連れ出せるだろう」

 食えないにやにや笑いで手を振って、早く行け、とふたりを映写室から追い出すローエンス。本当ならここでリリスはやっと緊張を解き、笑顔でこの魔導師に挨拶しなければならないのだが…。

 引き渡されたのがあからさまに美人で自分より背の高い「女性」だったものだから、リリスはまたも別な緊張に顔を引き攣らせていた。

「あ…、あの、失礼ですが…」

「? ああ。アリス・ナヴィよ、よろしくね、リリスくん。ルー・ダイ魔導師から話は聞いたわ」

 映写室の後ろを通って広場から抜け出すルートは、狭くて細い簡易天幕と天幕の間で、アリスは何度もその天幕の張り出しに頭をぶつけそうになり、ガラ悪く舌打ちしたりした。

「じゃぁもしかして!」

 なんだか判らない任務が終わり、ようやくヒュー・スレイサーに面会させて貰えるのか、と表情を輝かせたリリスを、アリスが少し笑う。

「ごめんなさい。アンが君となんて取り引きしたのか判らないけど、それはまだ少し先です、って言ってたわ、アン。別件で君に協力要請に来たのよ、あたしはね」

 肩を竦める真っ赤な美女。天幕の隙間から抜け出したアリスとリリスを待ち構えていたセツは、今にも悲鳴を上げそうな顔をふたりに向けてから、慌ててアリスに会釈しリリスの腕を引っ張り寄せた。

「まずいよ、まずいよ、リリス。お前、ナヴィ衛視が何者だか知ってるか!」

「何がまずいんだ。魔導師殿の次は護衛も付けない女性のお召しだなんて、コレ以上奇異な事ぼくの人生にはなかった」

 だから今更もう愕くもんか、というリリスの顔つきに、セツは額の汗を拭って小声でこう彼に教えた。

           

「陛下の奥様になる「はず」の御方だったんだよ、こちらの…お美しい女性は」

            

「悪いけど、今もその「権利」だけは剥奪されてないわよ。あたしが選ばれる確率はゼロかもしれないけど、陛下はお后候補からあたしの名前を外してないの」

 セツが言った途端、少し離れていたアリスが平然と言い足す。それにぎくりと息を止め恐る恐る振り返ったふたりにアリスは、真っ赤な唇で弧を描いて見せた。

「噂話なら後にしてくださらないかしら? 申し訳ないけど、あたし、忙しいのよ」

 漆黒の長上着を緋色で飾った真っ赤な美女が、リリスとセツに向き直る。

「王下特務衛視団電脳班班長ハルヴァイト・ガリューの命令により、リリス・ヘイワードに対し任務への協力を要請します。

 その時、リリス・ヘイワードの安全は国王陛下の名にかけて我々が保証します。ご協力願えますか?」

 堂々と倣岸に市民を射竦める、亜麻色の瞳。

 彼女は。

「リリス・ヘイワード」

 女王陛下の椅子を蹴った女性(ひと)。

「判りました」

「リリス!」

 青くなって悲鳴を上げたセツに呆れた顔を向けたリリスが、自分の長い髪をつんと引っ張る。

「安全は保証してくれるって言うんだし、いいじゃないか。別にさ。しかも協力するのはセツじゃなくて、ぼくだ」

 平然と言いつつ丸めた「何か」をセツに手渡すリリスを、今度はアリスがぽかんと見つめていた。

「? あ、ごめん。おどかした…よね? うん、でもさ、コレ、ナイショにしてくれない? でないとぼく、おちおち外も歩けないから」

 リリスは言って、アリスにウインクして見せた。

  

   
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