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14.機械式曲技団

   
         
(23)

  

 さっさと持ち場に戻れと手で追い払われても、アリスはスーシェの傍らを立ち去ろうとしなかった。待たせられている形になり、「もう少しだけ」と固い笑顔を向けた美女に神妙な顔つきでこくんと頷いた「協力者のAくん(仮名)」は、数人の警備兵と魔導士だけが点在するこの中央広場の空気を見切っていたのだ。

 素肌にひりひりするような緊張。その中心は赤い髪の美女と緋色のマントを纏った線の細い男であって、これから何かしようという黄緑色とインテリ風ながら足下に機関銃のようなものを置いた男ではない。遠巻きともいえるほど離れてこちらを窺っている一般警備兵に至っては、ほとんど怯えていると言ってもよかった。かといってあからさまにそう見える訳ではなく、かすかな気配の違いでしかないが。

 リリス・ヘイワードは、ムービースターである前に武道を習得しようとする拳士でもあった。

「ウロス! 機材から一旦離れろ。起動確認するまで、小隊長の傍で待機!」

 その、音域は高いが、だから余計にぴりっとした印象の命令がタマリの口から発せられたものだと、その場の何人が気付いただろうか。所詮彼もまた魔導士だった。一度シフトが変われば、倣岸不遜に振る舞い尽くせる。

 色褪せて行くペパーミントグリーンの瞳に、貪欲な鈍色の光、微か。少女の風貌に、可憐極まりない、しかし、それ以外の表情を棄て焼き付いてしまった笑顔を呼び戻し、タマリは軽く息を吸い込んだ。

 直前に佇むケインの背中を睨む。

 こんな無茶は二度目だね。

 とタマリが囁くと、ケインは振り返らずに毅然と答えた。

「果たしてぼくはこれを無茶だと思っているのか。命賭けか? と問われたら否と答え、安全ではないが不安でもない、と言い足そう」

 だから。

「……愛してるよ、けーちゃん」

「言う相手を間違っている、タマリ」

 ケインはタマリを信じている。

 なんの能力もない平凡な人間が魔導士隊でやって行くには、並々ならぬ覚悟と信頼関係が必要だ、とケインは言う。

 力を抜き切った両腕をだらりと垂らして軽く俯いたタマリの足下に、ニ秒以上かけて真円の電脳陣がゆっくりと浮び上がる。通常ならば瞬き一回で煌き、刹那で立ち上がって分離し「アゲハ」に変身するはずの文字列がなぜこうも遅いのか、とアリスはスーシェに視線を移したが、彼は何か他に気になる事があるらしく、亜麻色の瞳から注がれる視線に気付いてくれなかった。

 その間も陣は緻密に描かれ続け、「アゲハ」を呼び出す時とは劇的に違う複雑な文様が地面に描き上がっていく現象を始めて目にしたリリスが呆然とする中、アリスがはっと目を見開き、その場から飛び出そうとする。

「ケインの立ち位置が近いわ! あれじゃぁ!」

「どちらも承知でやっている」

 飛び出しかけたアリスの腕を咄嗟に掴んだウロスが、ゆっくりと首を横に振る。手出し無用、とでも言うのか、しかし、タマリの陣に接触したら、ケインの身体が吹っ飛びかねない。

 足元の陣の発する光が、黒い長靴に照り返す。それを目の動きだけで確認しつつもケインは、絶対にその場を動こうとはしなかった。

 動体設定が終わるのは、この陣が消し飛んだら。それまでは何があっても動く訳にはいかない。例えばタマリが臨界接触陣の制御に失敗して、足もとの陣がケインを飲み込んでもだ。

 首の後ろがちりちりする感覚に、ケインは微かに苦笑いを零した。不安はない。もし何かが自分にあるとしたらそれは、志の低さ、という自己の問題だ。と。

 百パーセント信じてくれなくていいよ。とタマリは最初の時、ケインにあの枯れ果てた笑顔で言った。

 百パーセント信じてくれなくていいよ。

 そんな恐ろしい事出来っこないって怒ってくれていいよ。

 それで諦めるよ。

 アタシは、けーちゃんまで死なせたくはない。

 今回もタマリは小声でそうケインに言った。しかしケインは前回と同じに、九十五パーセントお前を信じる。と答えた。

 九十五パーセントお前を信じる。

 恐ろしいとは思っていない。

 諦めなくていい。

 ぼくは、死ぬつもりなんかない。

 では、残りの五パーセントは?

「逃げ出すな。傷付けるな。ぼくはぼくに、失望したいなんて思っていない」

「動体設定完了。………エンター」

 ケインの呟きにタマリの呟きが答えた途端、足下に展開していた陣が吹っ飛び、小さな文字列がタマリの頭上に一個だけ出現した。

 回転する帯状文字列。ひっくり返ったアルファベットが高速で数回回転し、横たわった文字列が徐々に立ち上がり、タマリの頭の上で垂直に回転し続ける。

「ウロス!」

「電力供給を開始、承認。全ての電波塔、正常に稼働」

 これもまた呟きのようなウロスの答えを耳にしたアリスは、反射的にぽつんと置かれた四角錘に視線を飛ばした。

「……「アゲハ」…」

 何の引っ掛かりも段差もない四角錘の表面に一瞬だけ光が走った、と赤い髪の美女が確認するのと同時に、その頂点、先端から微細な文字列が真っ直ぐ上空に立ち上り、それが刹那であの…淡い水色に発光する半透明な蝶に変身したのだ。

 幾十も、幾百も、今日は幾千もの小さな蝶が、四角錘から生まれて上空へと舞い上がって行く。螺旋を描いて空中を舞い飛ぶ「アゲハ」は薄っすらとした燐光の尾を引きながら、緩やかに緩やかに、ジョイ・エリアサーカス・ブロック上空を…。

「………………すごい…」

 点在する四角錘の全てで同じ現象が起こっているのか、見上げれば、あちこちから飛び立った「アゲハ」がネオン瞬く上空に薄く広がっていた。その数、数千とも数万ともつかない光の蝶は優雅にひらひらと舞い、それは本当に幻想のようだった。

 唖然と上空を見上げるリリス。アリスも、警備軍の兵士たちも、リリスのようにぽかんと口を開けて、空を眺めている。

「操作陣のコピー開始…。動体平面に転写設定完了。

 ……………エンター」

 呟いて、タマリはぎゅっと握り拳を固めた。

 頭上で回転していた文字列が分離し、まったく同じものが二つ中空で回転する。そのうち、後から現れた文字列が不意に消え、一瞬、タマリの直前に佇むケインの痩せた背中が光った。

 光った。

 輝いた。

 仄かに。

 文字列が…。

 浮びあがった。

「ジョイ・エリアサーカス・ブロック制圧完了っ! 通常通信再開を許諾。全、攻撃系、制御系魔導士にタマリさんより通達っ。

 警備軍電脳魔導士隊及び衛視団電脳班所属以外の電脳魔導士による電脳陣の稼働確認次第そいつの位置確認出来るようにしとくから、勝手に急行しちまえーー!」

 趣味の悪いバックプリントみたいな文字列を背負ったケインが、にこにこしながら叫んだタマリを振り返る。その頃にはオリジナルの「操作陣」は消し飛んでいて、タマリは自由に動き回っていた。

 臨界接触陣が、ない。

 自由領域も、ない。

 しかし、直結でもない。

「約束事はたった一個だよ、けーちゃん。絶対に、タマリから五メートル以上離れないで」

「判っている。そんなに不安なら、抱きかかえてやってもいいけれど? タマリ」

「わお、なんて魅力的なお誘い。で・も。アーニー・ラジュールにバレてひっぱたかれたら、アタシなんかぶっ壊れちゃうもんねーだ。だからお断りさぁ」

 ひらひらと舞い飛ぶ「アゲハ」の下を、タマリとケインがスーシェの元へと戻って来る。一体何が起こっているのかアリスにはさっぱり判らなかったが、その疑問は意外なひとが解いてくれる事になった。

「とにかくこれでこっちは自由に動けるし、通信も正常に復帰したと思って差し支えないね。つうことで、アリちゃん? ハルちゃんが、どこで道草食ってんだってやる気なくお怒りなんだけど?」

 慌ててリリスの腕を引っつかみ、挨拶も質問もそこそこにその場を離れようとしたアリスの背中に、タマリが気に障る笑い声をぶつける。それに思わず言い返そうとした美女の険しい顔に恐る恐る「急いでるんですよね?」とリリスが声をかけ、タマリは九死に一生を得たりした。

「通信端末使えるよー、アリちゃーん」

 だったらもっと早く教えなさいよ! と内心文句を言いつつも携帯端末を取り出したアリスが、ハルヴァイトを呼び出す。

「報告。現在地は…」

『動体観測陣が稼働してますよ、アリス。そちらの位置は確認済みです。それで…』

「? じゃぁ、通信周波の保護とハッキングの有無は確認終わったのね。それならこっちに誰か回してくれない? 司令機能が復旧したなら、あたしはキャリアーに戻るわよ?」

『いや。通常行動は現在も制限したままです。この通信は「アゲハ」が伝達してるんです』

「アゲハ」による伝達、と言われて、アリスは思わず上空を振り仰いだ。相変わらず蝶たちはゆらゆらと舞い飛び、ひらひらと咲き乱れている。

「…「アゲハ」がって、それどういう事? ハル」

 速足で通路を歩いていたアリスを、ひとりの警備員が引きとめる。派手な衣装で柔和そうな印象を持たせたそれは、サーカス・ブロックの常駐警備兵らしかった。

『電波の代わりに「アゲハ」を使ってるんですよ、わたしたちはね。上空の「アゲハ」が観測したデータを、タマリがダイレクトに個々の通信機や機材に別の「アゲハ」を使って送信してるんです。そのために今彼は、サーカス・ブロック全域で「アゲハ」を展開しています』

 それと、ケインの背中に焼き付いた文字列とは、関係あるの?」

 アリスを呼びとめた警備兵は、巡回警備用の小型フローターを指差して「使って下さい」と申し出た。どうやら通常の巡回中にこの騒動に巻き込まれ、待機を命令されたらしい。

『通常よりも数倍は広い範囲をカバーするのに、まず設置用ジャミング発生装置、電波塔ですね、それにマーカーを施してエリア中に置き、各所で「アゲハ」を顕現させたんですよ、タマリは。でも、それでは所々に操作齟齬が発生して、「アゲハ」の濃度が一定しない。元々はカバー出来ないような広域で「アゲハ」を稼働させようとするんですからそれは当然で、しかし、この場合はそういった「仕方ない」事情も許されません。それでタマリは、「アゲハ」の濃度を一定に保つために、あるルートを巡回して稼働状況を見回るんですが、通常の接触方法では魔導士は移動できないでしょう?』

 警備員に小さく頷いてからリリスを促し、モビールタイプのツインシートフローターに乗り込む、アリス。無振動で起動したエンジンの噴き上がりを確かめた彼女が小さく会釈すると、見送る警備員がなんとなく不恰好な敬礼を返した。

『ですから、ケインを動体観測して、その動体に一時転写した操作陣で「アゲハ」を動かしてるんです』

 リリスがしっかりとアリスの胴に腕を回す。その、華奢ながらどこか筋肉質な腕に一瞬違和感を覚えたアリスが振り返ると、彼は不思議そうに小首を傾げた。

 なんでもないわ。と薄笑みで首を横に振ってから正面に向き直ったアリスが、「それで?」とハルヴァイトに呼びかけ直す。

「ケインは…じゃぁ、大丈夫なの?」

 何が言いたいのか、少し不安そうなアリスの瞳を小さなモニターの中から見つめたハルヴァイトはなぜか、偉そうに頷いた。

『タマリ次第です』

「……それなら、平気ね」

 言って彼女は、フローターを発進させた。

       

         

「出たぜ」

 不恰好な敬礼の姿勢を崩さないまま、走り去るアリスの背中を見送っていた警備兵が微かな唇の動きでそう呟く。

「二分後だ」

 スレた感じにそう吐き棄てた警備兵は、ゆっくりと、口元に歪んだ笑みを零した。

           

「じゃぁ、二分後に一斉稼働」

「サラマンドラはどうするつもりだ」

「ジュメールが施設に居るだろ? お前を殺しに来たとでも言っとけば?」

「ガイルとラシューであの悪魔の相手を?」

「おれも出すよ」

「では、わたしも出そう」

「グロス」

「なんだ? アリア」

           

 悪意は、蔓延する。

          

「もしも伝説の天使と悪魔が戦ったら、どっちが勝ってたと思う?」

「その答えは、今からだ」

  

   
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