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14.機械式曲技団

   
         
(22)

  

 サーカス・ブロック中央広場。

「仕込み」待ちだったタマリとスーシェの元に第七小隊砲撃手ケイン・マックスウェルが戻って来たのは、丁度、アリスがシネマ・ブロックから連れ出したリリスと伴にサーカス・ブロックに入った時だった。

「タマリの指示通り、サーカス・ブロック全体をカバーする位置に電波塔を置いた。それで…」

 地面に広げた地図の前にしゃがみ込んだタマリとケインが、赤いマーカーで記しのつけられた箇所を指差しながら話し合う様子を、スーシェが少し離れた場所から見ている。始めはその彼に軽く手を振って前を通り過ぎようとしていたアリスだったが、何か気になる事でもあったのか、急いでサーカス主天幕に戻らなければならないにも関わらず、彼女はスーシェの知らない青年を連れたまま、不思議そうな顔で近寄って来たのだ。

「ご苦労様。で? タマリは何をしてるの?」

「おにょ? アリちゃん、毎回外から来るけど、どういう行動パターンなのかな?」

 ぴかん! と顔を上げたタマリが、不安そうなスーシェと不思議顔のアリス、それから、見ず知らずの小柄な青年に視線を据えて小首を傾げる。

「逮捕?」

「…違うわよ…」

 失礼にも指差された青年がタマリのセリフにぎょっと目を剥き、アリスが手でそれを払いつつげんなりと答える。

「なーんて言ってる場合じゃねぇっての、タマリさん。アリちゃんとは後で遊んだげるから、ちょーーっと静かにしててねん」

 遊んでくれなくて結構よ。と舌を出して言い返したアリスが、当惑気味に苦笑するスーシェに顔を向け直すと、彼はますます困ったような顔で小さく肩を竦めた。

 何か。不安な何か。タマリは何をしようとしているのか、スーシェはそれを…あまり快く思っていないように見える。

           

           

「ブロック全体の機能が停止している。これでは、監視モニターに繋いだ陣を稼働させられない」

「やつらだって陣を張ってねぇだろ? だったら、電圧の低い陣なら見つからねぇんじゃねぇ?」

「いいや、油断は出来ない。向こうには何人も制御系の魔導師がいる。しかもそのうちのひとりは、あのドレイク・ミラキだ」

「でも、あの赤い髪の女、誰か連れて来ただろ? って事は、まだあいつら何か悪あがきするつもりなんだろうし、……サラマンドラが施設に向かってる。こっちの所在と目的が…」

「それも、本当に「判っていない」のかどうか怪しくなってきた。考えてもみろ。通常の通信に割り込ませた捜索では、つい今しがた、全ての通信ダウンまでやつらは「城に居た」はずだ。しかし、実際の…悪魔は…既にここへ到着していた。となれば、ヤツは城にダミーを置き、我らの監視を掻い潜ってここまで来ていた事になる。

 あれは、最悪だ。

 常識と予想はアテにならん」

「でも、このままじゃ施設が見つけられるだろ?」

「………………」

「あの方は、それをまだ望んでおられないはずだ」

「………………………」

「どうせだから、潰しちゃおうか。今なら向こうも警戒して、不要な陣は張ってこねぇよ」

「……」

「どっちにしても、あの悪魔は」

             

 葬り去るのだ。完膚なきまでに。

 葬り去るのだ。徹底的に。

 憎い悪魔を。

 そして。

           

「天使も我らの掌中にあるのは…確かだ」

       

            

 イルシュが予備ブロックを抜けて外壁へ辿り付いただろう事は、時間的に言って間違いなかった。全ての通信ダウンが宣言されて時置かず孤立無援となったにも関わらず、少年は追いかけるミナミたちの元へと姿を現さなかったのだから。

「イルくんが引き返してねぇとして、そのまま進んでたら、多分外壁前部にもう着いてるはずだ。

 ファイランの外壁は七重構造で、分厚いセラミックの壁と鉄骨との組み合わせだから、本来なら一号から最終壁面までの間に二メートル以上の感覚があって空洞になってるよな? でも、もしも、さ…、その間隙を利用してなんらかの設備をしてるとしたら、イルくんが戻って来ねぇ理由、俺には…当たって欲しくねぇけど…思い当たる…」

 球面の外郭を形成する分厚い壁は、空気抵抗の少ない滑らかな曲面を描くために、まるで蜂の巣のような六角形の組み合わせで出来ている。殆ど透明で空の見通せる上空部分でさえ、近寄って目を凝らせば、どちらも透明度の高い合金と六角形の軽量ガラスだと判るはずだ。

 一辺が七十センチ程度の六角素材をブロックのように組み合わせた壁が、二メートル間隔で七枚。壁の厚みが一メートル五十センチはあるのだから、ファイランの「殻」は二十五メートルもある計算になる。

 それに予備ブロックをあわせた全部がファイランを護る。何もない、壁しか存在しないはずの空間が、ここには実に百メートル以上もあるのだ。

「………百メートルだよ…。乱暴な話さ、誰かを隠したり、何かを隠したりするのには、充分過ぎる余白だよな…」

「外壁前部にはメンテナンス用の工事孔が幾つも開けられています。そのうちのひとつを出入り口に使っていたとも、考えられます」

「でも決して条件がいいという訳じゃないですよね? ミナミさん。まず、工事孔の開閉には特別な許可が必要ですし、そうそう自由に出入り出来るとは思えませんよ?」

 呟くようなミナミにクインズが答え、それをルードが否定する。

 だからこれは確認作業だ、とミナミは思う。ルードは必ず否定する。まるでローエンスのように、確認する。

 穏やかな笑みを湛えた緑の瞳で。

 見極めろ。

「許可なんか必要ねぇよ、あいつらにゃ。自由の利かない劣悪環境が劣悪だって判らねぇようにするよ、あいつらは…さ。

 世界はデータで出来ている…。

 でも、…だから、さ」

 鋼色の恋人が、ミナミの記憶の中で微笑んだ。

「データが騙せねぇなんてのは、嘘なんだよ」

 平坦な鉄板に靴音を響かせながら、ミナミは足早に突き進んだ。どこにいても見えている。だから、見られている。ファイランの外郭を形成するその構造物はあまりにも強大で、いつも見えているからその偽りに、気付かない。

「あのひとは言った。

 完璧なデータなんか、この世にはないってさ」

             

             

 それは臨界をミナミの前に展開して見せた時の、ハルヴァイトの言葉だった。

「これが「臨界」です、ミナミ。いっときも休まずに蠢き続ける莫大な文字列。無音の騒音。それさえもデータで表された世界。

 ですが、ミナミ?

 崩壊と再構築、更新と破棄、追加と消去を繰り返し過ぎて、余分なデータも多分に含まれた不安定な世界でもある。

 果たしてそれで、何が本物と言えるのでしょう。

 世界はデータで出来ている。

 もしそのデータの一個…文字列の一個でもいい、この手で触れることが出来たなら、それを押し潰して劣化させ、読み込み不良の不完全データとして処理させることが出来たなら」

 言いながらハルヴァイトは、ミナミに見せた。

 擬似臨界を構築した通常端末の表面に指先で触れ、そこに、小さな荷電粒子を発生させて。

 刹那で文字列が崩壊する。

 燃え上がるように舞い上がり、消え去っていく。

 そして。

 データは簡単に壊れて、現実から「何か」がなくなる。形状が保てなくなる。

 だから、完璧な「データ」などというものは、本当はね、ミナミ…、この世にはないんですよ」

 だからミナミは信じた。

 記憶はデータに変換できる。だからどこかで操作されているかもしれない、知らないうちに。

 しかし、「心」は?

「イルくんが戻って来ねぇのは、イルくんが…そう「思う」からだ」

 思うから。

 思ったから。

 そこに縛られたくないから。

 そこから、本当の意味で、抜け出したいから。

「この先に、きっと何かある」

 ミナミはイルシュに、一瞬たりとも諦めないで欲しいと心底思った。その場所に再会して混乱しても、例えば自分を無様で情けないと思っても、怖くなっても、自分の「意味」を取り戻すまでは絶対に。

 傍にいても手を差し伸べる事さえ出来ないミナミに、何が出来るか判らなかったけれど。

         

          

「うーっし! ポイント確認かんりょー、っと。

 っつー訳でさ、アリちゃん? それ、誰よ?」

 自分の膝を盛大にぶっ叩いたタマリが、明るい笑顔でアリスと青年を振り向く。大きな黄緑色の瞳に見つめられた青年はしかし、この、どこから見ても少女のように可憐で小柄な男(?)の纏った深緑色の制服と濃紺のマントに困惑し、おどおどと傍らのアリスを振り仰いだ。

「ナイショ。協力者のAくんと覚えておきなさい、タマリ魔導師」

「うお。相変わらず偉そうだわー、ナヴィ衛視ってばさ。ま、アリちゃんはそういう高飛車なトコ込みで美人なんだから、許すけどねー」

 協力者のAくん(仮名)はそれに苦笑いしたようだったが、言ったアリスもタマリも平然としていたから、それ以上この話題が持続しないというのだけはすぐに判ったようだった。

「それで? タマリは…スゥにどんな心配かけようっていうの? 今から」

 別に何を話し合った訳でもないのにぴしゃりと言い切ったアリスの横顔を、スーシェがそっと見つめる。その視線はアリスを咎めているようでもあり、諦めているようでもあった。

「心配なんか迷惑だっての、すーちゃん。出来るつったら出来るし、やるつったらやるの!」

 枯れ果てた笑顔が、スーシェから地図を手にしたケインに移る。気障っぽい横分けの清潔そうな金髪に紫色の瞳の砲撃手は、無言でタマリに背を向けただけだったが。

「それに、アタシはヤだよ…。けーちゃんが三十三人目になるなんて、絶対にヤ。だから、アタシは死んでも失敗しない」

 死んでも。

「それは同感だな、タマリ。君がぼくに三十三人の命を押しつけて逃げ出すのを黙って見逃してやるほど、ぼくは君に優しくない」

「? 三十三人?」

 きょと、と見開かれた若草色の瞳を軽く振り返り、ケインは口元に微かな笑みを浮かべた。

「判らないなら、君は本物の無神経だよ」

        

      

 全ての準備は整った。

 最後の歯車が回り出す。

 待たねばならぬ者どもはただただ悲壮に待ち続け、奮い立たねばならぬ者どもは待つものの元に戻らねばならない。

 世界はデータで出来ている。

 しかし世界は、完璧なデータではない。

 だから。

 宣告を。

 死の宣告ではなく。そういう不安なものでなく。

 宣告を。

 生く者が、行くために。

 進むために。

  

   
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