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14.機械式曲技団

   
         
(25)

  

 進むと決めた。

 護っているのか護られているのかは、定かでないような気がするが…。

「相手は機械式だよ、アリちゃん。ってー事はさぁ、アリちゃんがいくら強くっても、殴られたらアウト」

 だから動体を徹底的に掻い潜れ、とタマリはアリスに指示した。

 しかし、範囲を限定した詳細な動体観測結果を携帯端末に送信して欲しいというアリスの希望は、あっさりとリリスに否定される。そんなもの見てる暇があったら前を向いてた方がマシだよ、という言い方は気に触ったが、内容としては適切でもあった。

「でも実は、当てに行くより、避け続けるってのは集中力も必要だし、限界が…早く来ると思うけど」

 始めのうちは物陰に身を潜めたり通路を迂回したりしようとしたが、それもタマリに否定される。向こうはこちらの動きをワイヤーフレームマップで監視している。となれば、下手に自身の動きを限定するような場所は逆に避け、大通りを一直線に駆け抜けろ、というのが彼の主張だった。

「相手が小細工してくんだから、裏掻いて正攻法で行きなよ、アリちゃん。だいじょーぶ! おっつけ援軍がやって来るから」

 こんな事態になっても気楽な笑いを含んだ声に、リリスはちょっと気抜けしたような顔でアリスを見たが、受け取ったアリスの方は、そう気楽にもなれない。

 笑っているのだ、タマリが。ずっと。なんだかひどく、楽しそうに…。

 タマリのナビを切断したアリスが、亜麻色の瞳を曇らせる。

「良くないわ…、タマリが無理し過ぎてる。これだけの「アゲハ」を飛ばして、その上あちこちで動き回る機械式に対する注意をひっきりなしに発信してるんだもの、当たり前といえば当たり前なんだけど」

 速足でサーカス主天幕を目指しながら、細い指先でしきりに赤い髪を撫で上げる、アリス。その険しい横顔を見上げて小首を傾げるリリスに気付かず、彼女はついに溜め息を吐いた。

「ギイル!」

『おう、なんだ? ひめさまよ』

「ジョイ・エリアの技士をひとり、エリア・ネットの制御室に向かわせて、サーカス・ブロックの通信ホストに規制をかけさせて。緊急措置扱いで、電力を非常装置から単独で供給。外部接続端子を全部引っこ抜いて、ここを孤立させるのよ」

 アリスは、腕のクロノグラフに視線を落としながらそう通信機に向かって叫んだ。

『はぁ? 孤立さしちまったら応援要請どころか、正常通信も出来やしねぇだろうが!』

「そんなのどうでもいいわ! 何が何でもどうにかしてやるわよ! タマリに負荷が掛り過ぎるのよ、今のままじゃ! それに、向こうの魔導師連中が遠慮なしに陣を展開してる。今にこっちだって何か行動を起こさなくちゃならない。

 判る?

 この狭いエリアの中で百近い電脳陣が一斉稼働するかもしれないのよ!?」

 それが何を意味するのか、リリスには判らなかった。

『…………。判ったよ、ひめさま。急行出来る技士を探して、すぐに制御室に向かわせる。他に言っとく事ぁあるか?』

 ない。とアリスはきっぱり答えた。

「リリスくんを送り届けたら、後はあたしがどうにかするわ!」

 勇ましくもそう言い放ったアリスの眼前に何かが飛び出して来たのは、まさにその瞬間だった。

 咄嗟に顎を引き、気合でその場に踏み止まる。惰性で流れた赤い髪を掠った黒っぽい固まりが不快な金属音と伴に地面に叩きつけられるなり、リリスはアリスの腕を掴んで大きく後退した。

「追い付かれたのか待ち伏せされたのか、どっちにしても…」

「かなりハードな展開ね、こっちも。避け続けろなんて、無理なんじゃないの?」

 呟いたリリスの琥珀が見ているのは、アリスの背後。答えたアリスの亜麻色が見ているのも、リリスの背後。

 向かい合って、しかし、お互いを視界の片隅だけで確認しているふたりを取り囲むように続々と周囲から集まってくる、機械式…。ワイヤーを引きずった二足歩行タイプや、唸りを上げて上空を旋回する昆虫タイプ、果ては、かなり大きな四足歩行タイプまで、形状は様々だった。

「貧乏クジ引いちゃったかしら。どうやら向こうは、君に天幕には来てほしくないみたいね」

 囁いて、赤い唇が弧を描く。

「それを黙って利いてやるほど、ぼくは物判りよくない」

 リリスが答えて、一瞬、ふたりは同時に地面を蹴り、左右に大きく飛び離れた。

 一斉に襲いかかって来た甲虫タイプ、あの展示天幕の入り口付近に鎮座していた固い殻を持つ機械式が、次々地面に激突して跳ね返り、無様にもだえて動きを停める。肩から転がって弾けるように立ち上がり、また次の機械式を躱しジグザグに走って移動するアリスの背中を、機械式は際限なく彼女を追い立てた。

 リリスと引き離されていると判っても、反射神経だけで不恰好な甲虫を躱す彼女にはどうする事も出来ない。なんとか彼に近寄ろうとするのだが、その軌道がことごとく封じられてしまうのだ。

 片やリリスは、最初の一撃目をやり過ごしてから一目散に突っ走り、なんと、こちらへ向かってくる四足歩行タイプの群れに肉迫していた。所詮ただのムービー・スターだと高を括られていたのか、アリスに比べると攻撃が緩い。

 心外だが好機、か。リリスは自分に対する注意が希薄なうちに、厄介な大型機械式を潰そうと打って出た。

 追随する甲虫を振り上げた視界の片隅に確認。正面に迫った猛獣型が駆動音を唸らせ、作り物の顎を開いた瞬間、彼は甘い踏み込みでわざと隙を見せたのだ。

 高速で飛来する甲虫ども。殺到するてらついた機体が更に速度を増して一直線に突っ込んで来るのを背中で感じ、前足を撓ませて力を蓄えた猛獣が後ろ足で固い地面を蹴る動きを見切ったリリスは、まるで足を縺れさせ無様に転がるように、強引に、唐突に、向かい合う二種類の機械式の狭間から真横に転がり抜けた。

 群れ飛ぶ甲虫が、空中に踊り出た猛獣と激突する。受け身を取る事さえままならない無茶な体勢でぐしゃりと倒れたリリスは、半ば這うようにしてその場から離れながらも、次々に襲いかかってくる甲虫に叩き伏せられた猛獣が地面に落下し、更に残った甲虫の一部がその上に降り注ぐのをしっかりと見届けた。

 リリスは、その機械式たちが「何」で動いているのか知らなかった。ただ、本能的に互いをぶつける手を考え、反射的にそれを実行したに過ぎない。

 しかし。動体観測陣でリリスの動きを監視し、予想軌道上に機械式を配置していた魔導師にとって、そのイレギュラー的な動きはカバー出来なかったのだ。

 その時観測する魔導師に返って来たのは、リリスが「転んだ」という不確定要素。平面で人間が転ぶ確率は、非常に少ない。

 掌を擦り剥きながらもリリスは立ち上がり、積み上げられた甲虫を踏み越えて来る四足歩行タイプに背を向けて、アリスの元へと駆け戻った。操作が難しいのか、機械式の歩行機能の問題なのか、有り難い事に、襲い来る操り人形どもは動きが鈍い。

 それでも、中空で軌道を変えた甲虫がリリスを追い掛けて飛来する。距離、速度、到達までの時間を「体感的」に予想したリリスは、逃げ惑うアリスの目前に滑り込むなり、足下に転がってきた漆黒の制服を抱き込んでそのまま地面に伏せた。

 アリスに覆い被さったリリスの頭上で甲虫同士が激突し、跳ね返ってどこかへ吹っ飛ばされる。降り注ぐ部品を無視してアリスを引っ張り上げたリリスは、丁度目の前に見えるインフォメーションセンターへ走れと彼女の背中を突き飛ばした。

 リリスとアリス。進行方向ベクトルの違うふたりが接触し、結果的に甲虫の軌道から外れた部分に弾き出された、と魔導師は観測した。

 その魔導師は、世界を知らなかった。

 だからそのリリスの行動に、「こころ」が絡んでいると読めなかったのだ。

 この場を凌ぎ切りアリスを安全な場所に移動させる事だけを、リリスは考えている。いっときも諦めず、攻撃は最大の防御と教えてくれた父と兄に、失望されないために。

 だから。

 相手の出方を待つように距離を取った機械式を暗い琥珀の瞳で睨み据え、リリスはついに固めた右の拳を胸まで上げて迎撃の構えを取った。逃げてばかりではこの状況を打破出来ない。悲壮でも悲痛でもなく当たり前にそう感じた青年は、ついに、「リリス・ヘイワード」というムービー・スターの顔を脱ぎ捨てる。

 睥睨する、機械式。

 飛び回る甲虫は数を減らしている。四足歩行タイプは壁のように彼らを包囲し、ワイヤーを引きずった二足歩行タイプがゆっくりと前衛へ進み出て来る。

 インフォメーションセンターまで後退したアリスは、そこでふと眉を寄せた。小柄な青年、ムービー・スター。しかし彼の、握った拳、引いた左足、その、完全攻撃体勢を取って構えた背中に、奇妙な違和感を覚える。

 どこかで見た構え。あれは、防御しない「闘士」の構え…。

 リリスの鋭い視線の先で、ゆらりと二足歩行式が動いた。

 瞬間、真横から鈍い唸りを上げて細長い鞭のようなものがリリスの肩口に襲いかかる。本当なら重心を落として避けるか、転がるか、という防御がセオリーだったが、リリスはそれを後方に倒れ込む事でやり過ごし、そのまま更に後方回転して地面を掴み、獣のように四肢を突いた体勢から前方へ飛び出した。

 地面すれすれを滑ったリリスの腕が、最前列の二足歩行式の足を掬う。軽量で打撃が弱いなら他の方法を考えろ、といつか兄は言い、力で補えないなら全身を使え、とも言った。

 だからリリスは、なりふり構わず機械式の群れに突っ込んだ。

 全身で機械式を押し倒す。押し倒された機械式が、また別の固体を巻き込んで転がる。まるでドミノ倒しみたいにばらばらと地面に這いつくばる。

 それを目にしたアリスが、思わず悲鳴を上げた。

「待ちなさいよ、ちょっと! 君、顔に怪我なんかしたらどうするの!」

 一応スターなのだから、そのくらい気遣え?

「忘れてた」

 ぺろっと舌を出したリリスが、慌てて機械式を踏み付け逃げ帰ってくる。実は忘れていた訳ではないのだが、柳眉を吊り上げたアリスにこれ以上叱られては叶わないと思ったからなのか、彼は咄嗟にそう答えた。

 駆け戻ったリリスがにっこりと微笑み、呆れた顔で溜め息を吐くアリスの腕を掴む。

「とりあえず、今のうちに行こう、ナヴィ衛視」

 言うなりアリスを引きずるように走り出す、リリス。二足歩行タイプの機械式は基本的にバランスが悪く、一度倒れるとなかなか起き上がって来ない。更には、その後に控えていた四足歩行式の上に折り重なっているため、下敷きにされた他の機械式もそう簡単には動き出せないようだった。

 更に。

 リリスにそんな原理など判るはずもないが、実は、一度に大量の機械式を操作していた魔導師側にも問題が発生していて、空中を飛び回る甲虫に正確な命令が伝わり難くもなっていた。いかに小さな操作陣であろうとも、これだけ隣接して動体操作命令を高速処理している状態で、本体に掛った衝撃による莫大なエラーが一時的に返り、結果、この場の機械式たちは一瞬の行動不能に陥っていた。

 リリスが、走る。アリスを庇うように肩を抱き、しきりに背後を気にしながら、走る。強いだけでは誰かを護れない。自分にはそれが出来ない。だからリリスは、走った。

 誰かを護るだけの力は、自分にはない。

「頼むから、起き上がらないでくれよ…」

 というリリスの願いは、届かなかった。

 他の機械式を跳ね飛ばして立ち上がった一体の二足歩行タイプが、ワイヤーをぶら提げた腕を大きく振り回す。先端を引き千切って来たのだろうワイヤーが空気を切り裂いて唸りを上げ、甲高い擦過音を響かせ水平に地面を削りながら、真っ直ぐふたりを狙って滑り込んで来た。

 足を突くタイミング如何では避け切れない、とリリスが青ざめる。

 が。

 前方から轟音、一発。途端にワイヤーがぐにゃりと歪み、跳ね上がって、辛くもリリスの背中を掠るように上空に逃げる。狙い過たず発射された弾丸で頭部を吹っ飛ばされた機械式は衝撃で数メートルも後方に押し遣られ、びりびりと火花を散らしてから動きを停めた。

 ちょっと呆気に取られた。

 放たれた弾丸は、走るリリスとアリスのすれすれを掠めたのだ。

 もうちょっと常識的な人間はいないの? とアリスが渋い顔で正面を見つめる。

「怪我はないか?」

「…ないわ、おかげさまでね」

「ああ、何よりだな」

 刺のあるアリスの声音に臆した風もなく手にしていたオートマチックを背中に突っ込んだヒュー・スレイサーは、付け足すように「下がってろ」と言い置いて、気配もなく、音もなく、暗がりを凝り固めた陰影のようにふたりの傍らを走り抜けた。

 冷え切った微風が頬を舐め、アリスがほっと息を吐く。この感覚には覚えがある。この安堵感は見知った「終焉」の始まり。

 それはまるで、フィールドに立つハルヴァイトとディアボロを眺める気持ちとよく似ていた。

 薄暗がりに暗闇が踊る。微かな衣擦れを追いかけて視線を転じても、ヒューのあの銀色は残光でしかなく、その姿は朧にも捉えられない。

 速いとアリスは思った。いつもは冗談みたいに笑って言い合うけれど、きっとこのひとに本気を出されたら叶わない、と。

 あの長身が嘘のような流麗な動作で機械式の間を掻い潜る、ヒュー。大外から不意打ち気味に突進した四足歩行タイプは急激に沈んで消えたヒューを見失い、直後、なぜかすぐ傍らの二足歩行タイプに、がぶりと噛み付いた。

「なに…あれ?」

 その奇妙な光景に、思わず顔を見合わせたアリスとリリス。

「いいですよ、ヒューさん。有効範囲から抜けてください」

 後方からの呟きにはっとして振り返ったふたりに微笑みかけたアン少年の周囲には、すでに直径二メートルの電脳陣が展開していた。

 暗がりにぼんやりと浮ぶ、真白い電脳陣。その照り返しを全身に受けたアンは、ヒューが「キューブ」の顕現有効範囲から抜けたと目視した後で、接触陣にエンターを書き込んだ。

 中空に五つの陣が描き出される。燃え上がったり分離したりという派手な演出はないが、アンの描く陣は何度見ても規律正しい美しさでこの世に姿を現す。

 機械式の群れを挟んだ向こう側へ退避する、ヒュー。彼の姿が完全に暗闇に飲まれた頃、仄白く発光する空中の陣が、中心からばらばらと崩れ始めた。

 崩壊。ではない。これは、「キューブ」がこの世に顕現するための構築現象。衛視になろうとしたとき、あの日、訓練棟のフィールドで見た危なっかしい顕現ではないその現象を、アリスは満足そうに見上げた。

 地面に叩きつけられた文字列が跳ね返って、整列して、やっと正方形の「実体」を構築した、最初の瞬間。それからの数ヶ月、暇を見ては「キューブ」の調整に余念なかったアン魔導師は、確実に成長している。

 だから「キューブ」たちは、陣を突き破ってこの世に顕現した瞬間から正方形の形状を持ち、既に一定の法則に従って移動を開始している。「ホスト・キューブ」がどの位置にあるのか定かでないのは、わざと極めて接近した状態で五つのホストを顕現させたからだろう。

 密集した「キューブ」群が、動きの鈍り始めた機械式を包囲する。相手が「攻撃」してくる魔導機と違って、機械式は構成物質もいわゆる「普通の金属」だったし、動きに不確定要素も少ない。操作しているのは魔導師かもしれないが、魔導機を相手にするよりは楽なはずだ。

 空間の制圧には成功している。証拠に、「キューブ」の包囲した空間にいる機械式たちは、アンが任意に指名した「ヒュー・スレイサー」というデータを追いかけて、ニ足歩行式を攻撃している。広範囲をカバーする不可視モードの索敵陣ではなく、機械式のセンサーに簡単な動体観測陣を仕込んだ相手だから有効な手だが、向こうが本気でこちらを倒そうとして来たならば、アンひとりでは歯が立たない。

 そこでアンは、ふと小首を傾げた。

「アリスさんとリリスさんが普通の「人間」だから、か」

 対電脳魔導師の攻撃形式ではない。ならば?

「短期決戦? ガリュー班長とかドレイク副長ならまだしも、ぼくひとりにどうしろっていうのさ」

 ぶつぶつ言いつつも、アンは即決した。

「アリスさん、リリスさんを連れて後退してください。ヒューさんも」

 アリスとリリスが素早く後方へ移動するのを確かめながら、機械式のセンサーに割り込ませていたプログラムを切断。目標を見失った二足歩行式や四足歩行式は一瞬だけ戸惑うように動きを鈍らせたが、すぐ、それぞれがそれぞれと距離を取り、アンを警戒するような動きを見せた。

 アンの「キューブ」の有効範囲は、広くない。広くない、などと気遣いのある言い方をやめるなら、狭い。しかし。何かしようとする時に何も出来ないほど狭くはないし、狭いからこそ出来る事もある。

 そういう訳でアンは、全てのプラグインを取り払った自動基本行動命令だけの生き残っている「キューブ」の高度に、平面から一メートル五十センチ、と書き込んでエンターを下した。

「最大有効範囲七メートル。つまり、まぁ、情けない話だけど、ぼくの「キューブ」は直径七メートルしか広がれなくて、その七メートルを越えようとするとね?」

 白い正方形百六十あまりが、一斉に高度を下げる。戸惑う機械式を平面状に並んで囲む、「キューブ」たち。しかもプラグインも何もなく、ただ機械式の動きを邪魔するようにちょろちょろと動き回って、並んで? 整列して? 広がって? 有効範囲いっぱいに? 平面で? 機械式を囲む。

 それは囲むと言うより、「キューブ」の中に機械式を閉じ込めたような、そんな光景だった。

          

「ばかかよ、こいつ。邪魔だつうの」

             

 上空を旋回していた甲虫たちが、急激に落下し「キューブ」に襲いかかる。

 那、アンが陣の中央で、にっと口の端を持ち上げた。

「通電不良で実体解体。再度ホストから一定距離に構築されて顕現するんです」

 甲虫に接触した一個の「キューブ」が、跳ねた。

 垂直に地面に激突し、跳ね返って別の「キューブ」に当たる。当たった「キューブ」はその衝撃で無秩序に軌道を変え、当たられた「キューブ」もその衝撃で跳ねとび、接近していた別の「キューブ」に当たって軌道を変えながら、また別の…。

「しかもコレ、自動運動なんで制御とか必要ないし」

 てへへ、と場違いな明るい笑顔で、やけに楽しそうに言い置いたアンの前に、一個のモニターが立ち上がる。「キューブ」の群れに閉じ込められた機械式たちは逃げ惑って包囲から抜け出そうとするが、その進路さえどこからか跳ね返ってくる「キューブ」が邪魔していた。

 跳ね狂う「キューブ」群。百六十もの真白い正方形がほぼ一斉に、無秩序運動を開始する、空間。しかも、有効範囲七メートルを割り込んだ「キューブ」は拭ったように忽然とその姿を消し、刹那で忽然と包囲網の中に現れるものだから、実際数よりも数が多い錯覚さえ起こさせる。

 にこにこと機嫌のいい笑みを振り撒きつつも、アンはじっと水色の瞳で正面を見つめた。何をすればいいのか、どうすればいいのか。自分に出来る事には限りがあり、その限界までの間で、何が一番有効なのか。

「キューブ」は、跳ねる。何を命令しなくても、跳ねて跳ねて跳ねて、機械式の胴体といわず腕といわず打ち据えて、また跳ね返る。魔導機と違って打撃によるダメージを魔導師が受ける事はないから、たかがそれしきで機械式が停止したりはしないけれど。

 永遠に、無秩序に、姿のない魔導師とアンと、どちらかが倒れるまで続く。のか?

「そっか。これは、魔導機じゃないんだっけ」

 呟いた唇から消えない笑み。逃げ惑う機械式、跳ね狂う「キューブ」。その向こう側から、陣の吐く仄灯りに照らされたアンを見つめていたヒューは、静かに嘆息する。

 アン・ルー・ダイという少年もまた、間違いなく魔導師だった。しかも、あのハルヴァイト・ガリューとドレイク・ミラキに「必要」だと言わせた。

 徹底的に強くはない。決定的に非情でもない。

 しかし。

 アンの目前に立ち上がったモニターを、目に見える早さで文字列が侵食していく。少年の化け物上官どもなら瞬く間も与えずに構築しエンターするだろうプラグインを、アンは冷静にゆっくりと、しかし間違いなく一回で描き上げて、実行する。

「エンター」

 薄笑みの桜色が呟き、瞬間、機械式の間を跳ね回る、接触する、飛び離れる全ての「キューブ」が、ヴン! と低い鳴動を伴ってその輪郭を激しくブレさせた。

 下す。アンもまた、あの上官どもに仕込まれた魔導師として。

「出来そうなとどめは刺しとくのが、安全確保でしょ?」

「キューブ」が震えたと認識した時には既に、有効範囲内にあった機械式の殆どがおかしな具合に痙攣しながら、次々地面に這いつくばっている。何があったのか、何をしたのか。「キューブ」は刹那の身震いから開放されていたが、床に倒れ伏した機械式は、完全に停止しているようだった。

 その時「キューブ」に何が起こったのか、戸惑う機械式どもに何が起こったのか。相互間通信「しか」しない魔導機でどうやって機械式を停めたのか、普段なら魔導師の周辺を観測する機材でその現象を逐一分析しているアリスも、さすがに今日ばかりはしきりに首を捻るばかりだった。

 アン少年は、跳ね狂う「キューブ」間で一秒程度、大音響の低周波通信を命令したのだ。本来ならその「音」は感じられなくとも、空気振動は周囲にも伝わるだろう。しかしそれもスペック不測で有効範囲が狭いし、有効範囲外周に配置した数個の「キューブ」が反響板の役割をして内部の「音」を跳ね返していたから、つまり、「キューブ」に閉じ込められていた機械式たちの周囲では可聴領域を逸脱した重低音による空気の激震が一秒程度起こり、内部機構のうち振動に弱い部分を崩壊させた機械式は、ショートして行動不能に陥ったのだ。

 相互間通信しか出来ないなら徹底的に通信して貰おう。とあの日、あのフィールドでドレイクが言ったように、アンは「キューブ」に相互間通信させることで空間そのものに影響を及ぼす手を考え、実行した。実際は「音」を「音」として構築するのはかなりの高等技術だったが、この場合は意味のない騒音でよかったし、それさえも…。

 彼らにとっては、「理解できなくてもいい音」は、所詮データでしかない。

 動くものがなくなったのを見て取ったアンが、陣を解体。「キューブ」たちは現れた接触陣にわらわらと帰って行き、全ての光が収束して、やっと、少年は肩の力を抜いてふうっと短い息を吐いた。

「もうだいじょうぶ…」

 振り返って言いかけたアンの笑顔が、凍り付く。

「どうかした?」

 アリスが小首を傾げた瞬間、並んだ彼女とリリスの脇を掠めた銀色の影が、硬直したアンに襲いかかった。

              

「ちくしょう! ちくしょうめ! このオレ様がお前なんかに負けてたまるかよ!」

              

 咄嗟の出来事にアリスもリリスも反応が遅れる。第一、ソレにどう抵抗していいのか。

 ソレは、どこから見ても人間だった。本来は、通りのどこかに立っていて音声ガイドしてくれるだけの、マネキンだが。

 無表情に掴みかかって来ようとする、タキシード姿のマネキン。その顔をみつめたまま凍り付いたアンの視界ががくんと真横に流れ、少年は思わず悲鳴を上げそうになった。

 はっとする。背中が何かに激突する感じ。振り仰いだ視界には、鈍い銀色の光。

 これは…二度目の感覚。

 細っこい胴に回されていた腕が緩むのと同時に乱暴に放り出されたアンは、無様に地面を転がる自分を想像した。しかし実際は、地面に到達する前に誰かに受けとめられ、掬い上げられる。

 閉じていた瞼を上げると、間近にリリスの顔。それが始めステージで見たのとは大きく様変わりしているのに当惑するアンに、リリスはにっこり微笑んで見せた。

 その間に、アンを安全な位置に移動させた(…投げ出した? か)ヒューは、さっきまでの満身創痍など嘘のような素早さでマネキンの元に舞い戻っている。前傾した姿勢のまま、ぐるん、と首だけを四十五度回転させて迫るヒューを無表情に睨んだそれは、質の悪いホラーに出て来る不死者みたいだった。

 ヒューはしかし、構わず踏み込む。

 上体を反らして腕を振り回すマネキンの懐に、握った左の拳を腰だめに、開いた右の掌を上空に向け、右肩から滑り込むようにして接近し、人形の胸に背中でぴったりと密着。無表情、無感情なマネキンが、寄りそうヒューの両肩に固い強化合成素材の握り拳を叩き付けようと両腕を振り上げて振り下ろす、その切り替わりの一瞬でヒュー・スレイサーは、構えていた右腕を上空へと跳ね上げた。

 霞むような勢いで垂直に動いた掌が、マネキンの顎を捉えて脆いマスクを歪める。その反動でぐんと背筋を伸ばす格好になった人形は、果敢にも手指をいっぱいに広げてヒューの腕に掴みかかろうとした。

 電脳陣で操作されているマネキンを行動不能にしようとするなら、単純に叩き壊すのが一番手っ取り早い。というのが、散々あのピエロどもと戦ってきたヒュー・スレイサーの行き付いた結果であり、ここでも彼は迷いなくそれに従った。

 だから。

 腕を伸ばして掴みかかろうとするマネキンの、限界まで仰け反った胴体。いかに電脳陣で操作されていようとも、実体の「バランス」をプログラムは補正出来ない。

 なるほど、それで「ディアボロ」には尻尾があるのか、とヒューはそこでなんとなく納得した。

 マネキンの顎を捉えて上空に抜けた右を瞬間で拳に切り換え、無防備に曝された喉元を狙って肘ごと叩き下ろす。始めの一撃で上に、次の肘打ちで斜め後方に、という向きの強打をものの一秒足らずで食らったマネキンはガクンと上半身を折り曲げ、不恰好に背中を丸めてよろめいた。

 そして、その隙を見逃せるほど、ヒュー・スレイサーも甘くはない。

 背中方向に引き寄せるような回転をつけて叩き下ろした肘打ちの惰性で、ヒューの体が右に旋回。それに呼吸を合わせた左の中段、腰だめに引き寄せていた拳を、水平にマネキンの腹腔に突き刺す。

 胴体を「く」の字に折り曲げたマネキンが、砕けた素材の破片を撒き散らしながら吹っ飛んだ。吹っ飛んで、背中から地面に叩きつけられ、手足をばらばらに動かしながら跳ね上がって、またすぐがしゃんと地面に転がる。

 背後から滑り込んだのに、一連の動作が終わってみれば完全にマネキンに向き直った状態のヒューが、刹那だけ、動かない人形をじっと見据えた。それから腹腔に溜めていた息を吐き、前に出した左の拳と左足を引き寄せて、構えを解く。

 それを見て、アリスは「ああ、これね」と思った。

「アンくん、怪我は…」

 ないか。と言いかけたヒューに、アン少年を地面に下ろしたリリスが猛然と突進する。

 で?

「なんでお前の癖にそんな怪我してんだよ! ヒューのばか!」

 ムービー・スターはそう叫びつつ、思い切り、固めた握り拳でヒューの横っ面をぶっ飛ばしたではないか。

 それに唖然とする、アリスとアン。殴られたヒューは思わずよろけ、殴ったリリスは肩を怒らせてヒューを睨んでいる。

「……………というか…セイル…」

 今にも泣きそうに滲んだ暗い琥珀の瞳から、その向こうに佇むアンの惚けた表情に視線を移し、ヒューは溜め息と伴に苦笑を漏らした。

「怪我してると判ってるなら、少しは手加減しろ」

 そう呟いて彼は、事もあろうに、ムービースターの脛を…思い切り蹴飛ばした。

  

   
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