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14.機械式曲技団

   
         
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 脳に直接手を突っ込んで引っ掻き回されているような、強烈な頭痛がタマリを襲う。

 焼き付いてしまった空っぽの笑顔が刹那苦痛に歪み、額にはびっしりと粘ついた汗が浮き上がった。

「まだだよ、まだ…。ここで諦める訳には行かない。アタシは…」

 死ぬまで、ではない、死んでも魔導師で在るんだ! と自身を叱責し、タマリは両の拳を固く握り締めた。

「タマリ…。通信の保護を一時解除。脳の負荷を逃がせ」

 一旦は物陰に身を潜めたケインがそう短く言い置き、足下に置いていた機関銃を引き寄せる。予備のマガジンを制服のベルトに何本も射し、弾丸の装填を確かめてから彼は、蹲って唸っているタマリに顔を向けた。

「…けーちゃん?」

「必要なのはこの任務を遂行するための「情報」だろう? タマリ。ならばそれを優先するのがここでの君の役割で、ぼくの役割は、君から五メートル以上離れない事と、あの、センスのない機械式とかいう連中をぶち壊し、君を先に進ませる事だ」

 通路をふらふらと歩き回る、機械式。アリスたちとは反対方向へ向かったタマリとケインがそれに遭遇したのは、機械式のアリス襲撃をタマリが察知してすぐだった。

「ナヴィ衛視にアドバイスを?」

「ある程度は終わってる。ヒューちゃんとアンちゃんがそっち向かったらしいから、心配はいらないと思うけど…」

「では、余計な情報を観測する必要はない。ぼくには目も耳も在り、牙もある」

 必死になって笑おうとするタマリの、苦痛に歪んだ少女のような顔。最初に出会ったときから少しも様変わりしないその悲痛な表情を、ケインは黙って拒絶した。

 伸ばした掌で、タマリの頬に触る。べったりと浮いた汗を拭ってやり、こつんと握り拳を額に押し付けてから彼は、第七小隊砲撃手という職務に忠実である前に、タマリとスーシェを「護る」のだと決めた「自分」に抗わず、通常のジャマー弾ではない実弾を満載した機関銃をぶら提げて、身を潜めていた物陰から機械式の蠢く通路に飛び出した。

 五メートル。動かないタマリから、五メートル…。大股で三歩も離れるとすぐに終わってしまうだろうその範囲を、ケインはタマリのために割り込む訳にはいかない。

「魔導師などというものは、知らない者が思っているよりか弱いものだ。いつだって、ひとりでは「生き残る」事さえ出来はしない」

 スーシェにタマリが必要なように。

 タマリには、今、ケインがなくてはならないだろう。

 動けない。動かない。サーカス・ブロックに展開する衛視、警備兵全ての「情報」をたったひとりで受け持っているタマリは、誰かに護って貰わなければならない。

「光栄だな。多いに愉快だよ。ぼくの命さえ有効範囲五メートルでも、少しも気にならないくらいにね」

 通路に飛び出したケインは、筒状の銃身を十本束にした直線的な回転式機関銃を身体の左側にぶら提げ、腰を落とした姿勢でそれを構えた。全長一メートル近い機関銃はその三分のニが銃身になっており、後方三分の一、銃身よりも二周りは太い回転弾倉部分に射出機能が備わっている。その射出機構からだらりと垂れ下がった弾丸は武骨なベルトのように地面に這っており、左手で確保した銃把、上に突き出したL型取っ手に付随したトリガーを握り込むことで、弾丸が毎秒二十発の速度で吐き出されるのだ。

 指先でトリガーを開放する。安全装置たるピンが弾けて、カツン、と地面に落ちたのを合図に、ケインは迷わず引き金を握り込んだ。

 射出機構内部でモーターが唸りを上げる。ゆらゆらと不安定に身体を揺らす二足歩行機械式たちはケインに目標を定め、一斉に彼を振り返る。光のない虚ろな瞳が機関銃を構えた警備兵を射抜いた、瞬間、モーターの振動が空回りする銃口に到達した。

 反動で跳ね上がりそうになった銃身を肩で押さえ込んだケインの直前で、銃口炎(マズル・ファイア)が爆裂した。

 甲高い悲鳴のような轟音が無人のサーカス・ブロックを揺るがす。彼の見た目の気障っぽさを裏切る、携えた凶悪な顎が咆哮と鋼の牙を剥き、迫る機械式に襲いかかる。弾丸に限りがある以上無駄な攻撃は無駄以外の何ものでもなく、だからケインは銃口を低く保ったまま、扇型に展開し包囲を狭めようとする機械式の軍団、その足下を狙って舐めるように機関銃を滑らせた。

 水平に射出される、無数の弾丸。幕のように張り巡らされたそれが機械式どもの膝から下を完膚なきまでに吹っ飛ばし、支えを失った二足歩行タイプが次々にひっくり返った。

 バラ撒かれた空薬莢がケインの足下で踊る。バラ撒かれた弾丸が機械式の体表で跳ねる。地面を這っていた弾丸はすぐに途切れ、彼は跳ね上げた銃口をスライドさせて弾丸の装填部を開放し、次のカートリッジをその空白に捻じ込んで、一呼吸も待たせずに次の弾丸を機械式に叩き込んだ。

 あらかたの二足歩行式が倒れて火花を散らす中、その向こうに隠れていた大型の四足歩行式がのそりと姿を現す。本当なら横合いに廻り込んで胴体の駆動部を狙った方が効果的だと思ったが、ケインは小さな舌打ちと伴にその有効手段を棄てた。

 頭上を見上げる。「アゲハ」は不安定ながらも必死に舞い踊っている。だからタマリは必死であり、ケインは、そのタマリから五メートルという距離を死守し続けなければならない。

 背中で、電脳陣が回る。

 重い足音を響かせて迫ってくるのは、いわゆる「象」か。ごてごてとかざりたてられた機械の像には輿(こし)が取り付けられており、普段はそれにお客を乗せ決まった周回路をのし歩いては歓声に包まれているそれが、今は、空っぽの輿をがくがく揺らしながら重たい足を持ち上げ、ケインを踏み潰そうとしている。

 不気味だ。と笑いが漏れた。

 小粒な弾丸をいくら叩き込んでも、停められそうにない。

「ではどうするか、だ。壊れない物を無理に壊そうとする努力は、果たして無駄か? それ以前になぜぼくは、それが壊れないと思うのか」

 大きいからか。

 固いからか。

 ケインは自問し、答えを出す。

「壊せないと思うからだ」

 腰を据える。足を固める。気の狂いそうな頭痛を抱えても魔導師であろうとするタマリを背に、ケインは機関銃の銃口を象の顔面に向けた。

 唸る鋼の刃。炸裂する火薬。回転する射出機構に振り回されそうな銃身を全身で押さえ込み、毎秒二十発という高速で吐き出される弾丸を大型機械式の眉間に集中して叩き込む。

 足を吹き飛ばされた二足歩行機械式は、腕だけで這いつくばっても尚、ケインとタマリを捉えようともがいていた。そのノロマな動きを目端で確認しつつも迫り来る象の顔面から銃口を逸らそうとしないケインの背中を胡乱なペパーミントの瞳で見つめていたタマリは、余分な観測機能を一旦全てオフにし、「アゲハ」を基本動作の自由行動に移そうとした。

 しかし。

「…停止命令を受けつけない! 違う…、データ齟齬(そご)が…」

 青くなって呟いたタマリが、がくりと地面に両手を突く。無茶をし過ぎたのか、逐次書き込みを行っている自由領域の反応が遅く、停止命令は既に出ているのに、実行されないのだ。

 勝手に脳内で命令が流れる。

 だらだらと、ただ、流れ続ける。

 今実行されている命令は途切れたりしないが、このままでは…。

「バッティングする」

 がくがく震えながら顔を上げたタマリの視界が、ぐにゃりと歪んだ。シュールで意味不明の絵画みたいに原色発光して混じり合い始めた風景に、タマリが悲鳴を上げそうになる。

 電脳の負荷率が急上昇。このままではどの命令も正常に稼働しなくなり、最後には、全てが凍り付いて停止してしまう。

「いや…だ」

 ケインの時間も、凍り付いてしまう。

「い…」

「落ち付きなさいね、そういう時は。ダウンしてねぇって事は、まだ生きてる領域があるんだろうしね。まずそれを探して、それから…って、それはね、お前が一番よく知ってんだね」

 穏やかな声だった。呟くような、低い声。微かに笑いを含んだ、飄々とした声。

「お前とケインに何かあると、スゥが悲しむからね」

 そう言い置いて、デリラはぽんとタマリの肩を叩いた。

「ケイン、後退! タマリを安全な場所まで移動させて、一旦全部の陣を消させろ。今エリア・ネットの制御室から電信があった。

 サーカス・ブロックはジョイ・エリアから完全に隔離された後、臨界式で全ての機能を回復する」

 翻った漆黒の衛視服。真紅のベルトで飾られたその黒が、芸術的な曲線と直線で構成された大型のリボルバーをぶっ放す。

 破壊力のある大口径の弾丸が、螺旋に空気を引き裂いて突き進み、機関銃の掃射にたたらを踏む象の眉間に突き刺さった。確かに頑健な乗用機械式ではあるが、その機能を統括する「脳」の表面を高速で叩かれ続け、これでおしまいとばかりに重い一撃を食らわせられたのだ、それまではなんとか首を振り回して機関銃の集中攻撃を避けていたようだが、狙い定めたデリラの一発は、暴れる象の眉間を貫き、四肢に命令を下す機械式電算機を叩き潰した。

 びくりと動きを停める、大型機械式。

 操作しているのが魔導師なのだからそれで本当に停止するのかどうかは判らないが、とりあえず、ケインとデリラが交替する隙は出来た。

 機関銃の銃口を空に向けて惰性を逃がしたケインが、踵を返して風のようにタマリの元へ舞い戻る。それを微かに動かした目だけで確認するデリラは、気安い姿勢で軽くリボルバーの銃口を前方に向けているだけだった。

       

「たかが実弾、されど実弾か…」

         

 短く刈り込んだ濃茶色のボウズ頭に、座った目つき。どこからどう見ても? スラムのごろつきにしか見えないデリラはしかし、王下特務衛視団電脳班の砲撃手なのだ。

「こんなデカいのが相手なら、普段の砲筒でよかったろうにね、おれもさ」

 まさか象だとはねぇ、などと気楽に付け足してデリラは、頭部から細長い白煙を立ち上らせつつもずしりと一歩踏み出した巨体に失笑を吐き付け、肩を竦めた。

 四肢の動きを統括する電脳がダメージを受けているのは一目瞭然。しかし象は動きを止めず、デリラと、その後ろから動かないタマリとケインを踏み潰そうとしている。

 こういう時はどうするんだったかね。とデリラは思った。口元の笑みは、消えなかった。

「タマリ」

「…ん、判ってる、デリちゃん…」

 ケインに支えられたまま俯いていたタマリが、デリラの呟きに薄笑みで答える。

「ダミー撤去、付近の索敵完了! 目標八時四十分方向に一名。操作陣十八、全て正常稼働中。電素数、最大電速測定キャンセル。展開一次平面陣!」

 にゃは! とタマリがあの少女っぽい顔に枯れた…ではなく、本当に楽しそうな笑いを浮かべて叫んだ、刹那、ケインは支えていたタマリを突き飛ばしてその場に転がすなり、後退しながらこっそり交換しておいたジャマー弾を迫る象の鼻先狙って叩きつけ、その機関銃の嵐が吹き荒れる寸前、デリラは踵を返して漆黒の長上着を翻し、タマリの指示した「八時四十分方向」へ一直線に突っ走った。

 走るデリラの視界に在るのは、植え込み、街灯の鉄柱、公衆トイレの建物、それから小道。小道の柵を越えるとフード・ルームと呼ばれる簡易シアターがあり、ここでは、王城エリアの上級庭園のように、よく出来た立体映像の庭で持ち込んだランチなどを楽しむ事が出来るようになっていた。

「デリ! ビジュアライザに割り込んでステルスしてる! 距離ニ十二メートル、正面!」

 植え込みをひらりと飛び越え鉄柱をかわし、トイレを廻り込んで小道に出る。小道といえどもここは幾つかのそれらが集まる辻になっていたから、結局、目的の簡易シアターまでは意外にも遠い。

 しかしデリラは迷わなかった。タマリが正確な距離を告げた瞬間、踏み出した右足が地面を掴んだのと同時に銃口を肩まで差し上げ、無造作ともいえるほど何の戸惑いもなく引き金を引き絞る。

 激鉄に叩かれて火薬が爆裂し、弾丸がきりもみしながら銃口から吐き出される。大型パーカッションリボルバーのリコイル(射出反動)は銃身のスライド機構を持つオートマチックよりも甚だしかったが、デリラの手首と肘はその動きに逆らわず柔らかく動き、上手く射出反動を空中に逃がした。

 しかし、放たれた弾丸は咲き乱れるひまわりの園に吸い込まれて跳弾音を響かせ、どこかへ飛び去って行った。だから当たっていない。手応えがない。

 本来なら立体映像を作り出す機能を使って自身をステルスしている、魔導師。間違いなく彼はそこに居るのに、手が…出せないのか?

 原理と結果を考える。刹那で判断する。原理なんか知るか、とデリラは吐き棄てるように思ったが、結果と、それに極めて似た現象を彼は知っている。

 例えば「ディアボロ」。例えば「フィンチ」。例えば「キューブ」。

 それから…。

「確かにあんたは「器用で強い」のかも知れねぇけどね、おれたちの事、判ってねぇよね」

 十八もの命令陣を使って機械式を動かしているとなれば、魔導師は相当のエネルギーと神経を使っているだろうし、その上、簡易シアターのビジュアライザにも干渉している。だとしたら、普段は余剰エネルギーを多分に逃がしているせいで踏み込めば煽りを食らって人体など吹っ飛び兼ねない一次平面陣内も、比較的「静か」だろうとデリラは判断した。

 だから、タマリには正確な陣の位置が判らないのだ。指示通りの場所を狙ったのにそこに標的がないと言う事は、タマリの観測結果に何らかの異常がある可能性と、逃げるエネルギー反応で陣の位置を特定するタイプの索敵陣が、相手の陣を観測出来ていないという可能性がある。

「フル稼働ってなぁね、術者に相当な負荷を返すモンなんだって、あの大将もダンナも口を揃えて言うってのにね」

 デリラはそう呟きながら正面に向けていた銃口をやや左に向け、その「足下」を狙って轟音を放った。

 跳ね上がったリボルバーを手首で抑え付け、またも銃口を左に流して、連続ニ射。断続的に聞えてくる機関銃の咆哮と低い地響きが微かに位置を変え、デリラはにっと口元を歪めて…。

「悪ぃね。ま、今更だけどね」

 一度も瞬きしない濃茶色の瞳を初弾着弾位置から二メートルほど右に流し、激鉄を起こすのと同時に肘で振って水平に構えたリボルバーを、派手な跳ね上げ動作で一発、何もない壁面に突き刺した。

 微妙に篭った着弾音と、静寂。放たれていた機関銃の弾丸が惰性のように空中を叩き、直後、何かとてつもなく重い物が地響きを立てて頽れ、デリラの正面右側で、無音のまま空気が炸裂した。

「………………なぜだ…」

 低い、怨嗟のうめきにデリラがにやにやと笑う。

「そいつぁね、企業秘密だよ」

 唐突に動きを停めて倒れ伏した象をその場に置き去ったタマリとケインが転がるようにデリラの元へ走りこんで来るなり、呆気に取られて口を開け、簡易シアターの隅に膝をついて腕を押さえている見知らぬ男と、リボルバーを構えたままさも可笑しげに笑っているデリラの顔を見比べた。

 男は、かなり体格がよかった。がっちり張った肩に分厚い胸板。インバネスに似たコートのようなものを羽織っており、アイロンの利いたスラックスが裾から覗いている。顔の輪郭は四角いが厳しい印象ではなく、細くて高い鼻とやや薄めの唇、深い緑色の瞳、というパーツだけを見るなら、物静かな印象を受けたかもしれない。

 しかし男は、まるで突き刺すような視線をデリラに叩きつけていた。だから印象は極めて悪い。もしデリラが衛視の制服を着ていなかったのなら、スラムの強盗に追い詰められた金持ち紳士、という構図が似合いそうだ。もちろん犯人はデリラ。などと、ケインは暢気に想像した。

 男の、腕を押さえた指の隙間から鮮血が滴っている。あの大口径の弾丸が掠りでもしたら肉ごと持って行かれかねないのだから、デリラは微妙な匙加減で銃撃し、男の集中力を削ぐのに成功したらしい。

 だから象は動きを停め、ステルスも解けた。

「で、大人しく捕まって貰えるのかね」

 挑発するようなデリラのセリフに、男は太い眉を吊り上げた。

「断ると言ったら?」

 軋るような返答に、デリラが肩を竦めて見せる。

「軍の狗めらが」

「…………」

 吐き棄てられた言葉。

「崇高な目的もない、愚民どもめ」

 デリラは、笑う。

「崇高ね。まぁ確かに、そんなモンおれにゃぁねぇね。おれにあんのは、なんだろね? んーーー」

 本気でそれを考え始めたのか、デリラは銃口を下ろしで軽く腕を組むと、男から顔を背けて吊りあがった細い眉を寄せた。

「あのひとの居るこの場所を愛してる」

 答えたのは、ケインだった。

 あの日の臨時議会中継を、ケインも見たのだ。タマリもその後見たのだ。

 俯いて、震えながら、でも、しっかりとミナミはそう言った。

「利己主義で悪いけど、そういう事だよね」

 デリラの腕が跳ね上がる。

「両手を頭の上で組み地面に伏せろ! 抵抗すれば容赦なく撃つ!」

          

 手加減なんかいりませんよ。抵抗しようとしたら、構わず撃ちなさい。相手は魔導師です、本気を出されたら、あなただけでは勝てません。

          

 涼しい顔のハルヴァイトを思い出した。なんて愉快な上官なんだと思った。

 しかし、デリラが銃口を向けるのと同時に、男の周囲に二次立体陣が急速展開。それが瞬く間に弾け跳び、男はなんと、簡易シアターの壁面を突き破って飛び出して来た獅子の首に掴まって、哄笑しながらデリラたちの頭上を飛び越え辻に降り立ったのだ。

「開門式かい…。しかも「ヴリトラ」の亜種っぽいんだけど? あれ」

 ぎりっと唇を噛んだタマリの呟きに、男がくつくつと笑いを向ける。

「お遊びは終わりだ、愚民たちよ。悪魔の滅びる様を見たいなら、急いで天幕に戻りなさい。申し訳ないが、わたしはその間に行かせて貰う…。いい加減、サーカスごっこも飽き飽きだからね」

 笑いを含んだ気に触る声でそう言い置いた男が、獅子とともにひらりと身を翻してサーカス・ブロック入場門方向へと飛び去って行く。その後ろ姿を見送る間もなく踵を返したタマリは、正常に復帰した通信端末に噛み付きながら、「アゲハ」の消え去ったサーカスブロックの上空を見上げた。

「すーちゃん! そっち方向に「ヴリトラ」が向かった! 急いで戻る!」

『タマリ…』

 溜め息のようなスーシェの返答に、タマリがきょとんと端末を覗き込む。苦笑いともなんともつかない表情でじっとタマリを見つめ返しているスーシェはなぜか、いつもの眼鏡をかけていなかった。

『そこにさ、デリ、居る?』

「あ? ああ、いるけど?」

『じゃぁ悪いんだけど、愛してるよって伝えてて』

 は? と呆れたタマリの横顔から、唖然とするデリラに視線を流す、ケイン。

『…………魔導師不明の「アルバトロス」がこっちに向かってる。あと七十秒で接触。それに「ヴリトラ」までやって来るとなったら、さすがに、楽勝って訳には行かないからね。それじゃ、よろしくね、タマリ』

 言ってスーシェは、タマリに何も言わせず通信を切断し、タマリが今にも悲鳴を上げそうな顔でデリラを仰ぎ見た、瞬間、彼はその小さな身体を担ぎ上げられていた。

「うわぁぁぁ!」

 手足をばたつかせてついに悲鳴を上げたタマリを掻っ攫ったデリラが「ヴリトラ」を追って走り出した背中にケインは、「人攫いだ…」と本当に暢気な溜め息を吐きかけつつも、いつでもジャマー弾が射出出来るようリロードし、彼らを追って走り出した。

  

   
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