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14.機械式曲技団

   
         
(28)

  

 観測している数値を変換しなければ現実面に何が存在するのか正確には判らない。

 陽炎のような文字列と歪んだ風景。

 それが全てだった。そのはずだった。

 それなのに、何かが記憶の邪魔をしている。考えれば考えるほどどう進めばいいのか判らなくなるのに、無意識に、ゴールを目指している。

 その、白一色に塗り潰されそうな空間を抜けてまた別の通路に入り、真っ直ぐに進む。今までもそうであったようにこの「秘密の空間」は、ファイラン外壁構造体の内部を蟻の巣のように走っているらしく、通路にはアップダウンと相当な距離があるように思えたが、実際は、迷うほど複雑な構造ではなかった。

 寒いなとイルシュは思った。歩きながら自分の腕をさすり、震える息を吐いた。

 途中いくつかのドアを目にしたが、それは無視する。「ある」というデータさえ残しておけば、後日やって来る調査隊が調べてくれるだろう。

 だから、少年は歩いた。ただ真っ直ぐに。目的の場所を目指して。

 そこは。

 あの日と同じに。

 ただ静かで。

 ただ陰気で。

 ただ、冷たかった。

        

        

 どれくらいぼんやりしていたのか、イルシュがハッと意識を取り戻し周囲を見回した時、彼はすでにその部屋の前に佇んでいた。どの辺りからかまたも記憶が定かでなくなっていて、またも無意識のうちに辿り付いていたらしい。

 それにふと、背筋が寒くなる。

「…………」

 イルシュは目の前に立ちはだかるドアを睨み、震える手で握り拳を作った。

 少年は、自問する。

 本当に自分は自分がそう思うからここへ来たのか?

 誰かに操られていたり、誘い込まれていたりしていないか?

 本当に自分は…。

「おれは……」

             

 誰?

         

 少年は、がくがく震える拳を冷ややかな琥珀の瞳で見下ろし、ゆっくりとそれを開いた。気持ちが身体から離れていて、悲鳴を上げる事も出来ない。

 頭が妙に冴えている。笑ってしまうほど震えている手を、まるで他人のものみたいに「観測」している。しかし少年は、その異様な感覚を「異様」だとは思わなかった。

 いつも、そうだった。

 この場所に居る少年は、いつもそうだった。

 泣いたし、震えたし、暴れたし、怯えもしたのに、いつも、頭は冴えていた。

 まるで。

 泣いて、震えて、暴れて、怯える「少年」を頭上から眺める第三者でもあるかのように。

 しばしの間自分の掌を見つめていた少年は、恐る恐るそれを伸ばし、のっぺりとしたドアから突き出す古風なノブに置いた。模様も何もない平坦なドアに、鍵穴のある丸いノブ。ファイランで比較的古い建物である城でさえ、このタイプのドアは本丸…城の中でも特に古い部分…の一部、地下層でしか使用されていないという事を、少年は知らなかった。

 施錠されていなかった。

 ノブを回すと微かな金属音がした。

 手を離し、一歩後退した。

 ドアは少年を招き入れるように自然に開き、少年は、ぼんやりと何かを考えながら室内に踏み込んだ。

 小さな、四角い部屋。今はベッドもない、寒々しい空間。

 窓がない。少年の記憶通りなら、ここには鉄格子のついた窓があるはずだった。

「外壁監視用モニターの映像を壁面に投影して見せてただけなんだ…」

 窓があるはずの場所に、通電していないスクリーンが在る、というデータを壁面の一部から読み取った少年が、半ば呆然と呟く。外から来てみれば、この位置に窓があって外部が見渡せる訳などないとすぐに判ったが、当時の少年に、そんな…この部屋の位置を特定する手立てはなかった。

 だからずっと窓だと思っていた。

 少年は、窓だったはずの壁をじっと見つめたまま、無意識に、部屋のドアを…閉ざした。

           

           

 イルシュの足跡を辿るのは、そう困難な作業ではなかった。

 少年は閉塞した空間を嫌った。ある程度の広さがあれば気にならないようだったが、彼は、魔導師隊の小隊長室に「ひとりで長時間」いられなかったのだ。誰かが傍に居て手を握ってくれている時は平素と変わりないものの、そうでない時、イルシュは、絶対にドアを閉ざさないで開け放しにし、よくタマリに叱られたりしていた。

 ミラキ邸でもそうだった。

 誰かが傍に居れば、普通に振る舞った。

 誰かが手を握ってくれていれば、普通に暮らせた。

 しかし少年は…。

「これってつまり、俺みたいなモンなんだよな、多分…。

 イルくんは随分長い間狭い部屋に閉じ込められてたらしいからさ、逃げ道塞がれんのが怖いんだよ、きっと。隔離されんのがさ」

 イルシュを追いかけるミナミたちを導くように、どのドアも開け放したままになっていた。多少の枝はあるがその殆どがドアで区切られた場所だからこそ、少年がどこへ向かったのかすぐに判る。

 周囲を慎重に警戒しながらも、ミナミ、ルードリッヒ、クインズは足早に進んでいた。どこまで行ったのか、開け放たれたドアのおかげで迷う事はないが、イルシュの背中はまだ見えない。

 それでも確実に追い付いているという希望的観測を信じて進む。

 その、迷いない歩みが止まったのは、細長い通路を突き進み、その途中、不自然に広い空間を過ぎて細長い廊下に入りってすぐだった。

「……消えた? 訳、ねぇよな…」

 通路はまだずっと続いているように見える。天上は相変わらず高いが通路の幅は極めて狭く、一番小柄なミナミでさえ壁にぶつかりそうな錯覚を起こした。

「もっと先に進んだんじゃないですか?」

 周囲に慎重な視線を馳せながら、ルードリッヒがミナミの先に立って歩き出す。通路は狭く、高く、仕切のようなドアを抜けた途端、左右に等間隔でドアが立ち並んでいた。

「…監獄みたいな場所ですね」

 ルードリッヒに続いて歩き出したミナミの背後を警戒しつつ、クインズがぽつりと呟く。ミナミが本物の「監獄」を見た記憶はなかったが、確かにその通りだと思った。

 静寂が、重くのしかかる。

 眩しいくらいの光が、監視している。

 開放しても、奇妙な閉塞感がある。

 距離感が麻痺しそうになって、ルードリッヒは軽く頭を振った。

 そうする必用などないのについ足音まで忍ばせてしまって、ルードリッヒが苦笑いする。神経が毛羽立っていた。百メートル先で針が落ちた音さえ聞き分けられそうな気さえした。

 だからルードリッヒは、聞いたのだ。

「声…」

 ふと歩調を緩めたルードリッヒが、ミナミに停まれと手で制す。微かだが何か声のようなものが鼓膜に触れ、瞬間、毛羽立った神経が震えた。

「………ルード…、電脳陣…」

 停まれと指示されて息を詰めていたミナミが、ルードリッヒの肩越しに前方を見据え、ぽつりと呟く。その言葉が何を意味するのか判らなかったルードリッヒとクインズは顔を見合わせて首を傾げたが、ミナミはそれに構わず、佇むルードリッヒに退けろと手で示した。

「陣が立ち上がってる」

 確信的な言い方に目を白黒させたふたりの部下を置き去りにして、ミナミが走り出す。

「アイリー次長、陣が立ち上がってるって…どうして判るんです」

「空気つうか、圧つうか…、とにかく、「触って来る」から判る」

 ミナミは、素肌にさらさらした違和感を感じながら、通路を奥へと向かって走った。

 その感触が電脳陣立ち上げ現象による現実面への干渉だとミナミが気付いたのは、結局というか、やはりというか、ハルヴァイトのおかげ(?)だった。

 元来ミナミには、「感覚を正確に脳に記録(記憶)」する特異な能力が備わっている。青年が日頃から如何なく発揮する「記憶力」というのも視覚情報の一部だったし、「誰にも触れられない」という不都合もいわば、彼の感覚に染み付いた他人の体温だとか感触だとか、そういったものが忘れられないから、何か似た感覚を覚えると過去の記憶(記録)を鮮明に脳が再生するために発生する。

 さてそれでなぜ、現実面への干渉現象が極めて少ない電脳陣の立ち上がりが察知できるのか。

 迷惑な? 必然として、ミナミの傍にはハルヴァイトがいるではないか。

 機嫌の良し悪しで放電したり、簡単に接続不良を起こしそうになったり、なければならないと思われている電脳陣を張らずに平然となんでもやる、恋人。

 一年も一緒に暮らしていると判る。とミナミは思った。

 判る。

 電脳陣が現実面に顕現するとき、空気の密度が濃くなるとでも言おうか、それとも、弾けない静電気が全身に纏わり付くとでも言おうか、とにかく、そういう違和感が付近に充満する。

 その違和感を「感覚」として覚え、合致する「違和感」を「陣の稼働現象」だと判断できたのは、ミナミだからなのだろうが。

 だからといってミナミの全身にセンサーが付いている訳ではなかったから、ルードリッヒとクインズは、青年の指示に従って左右に並ぶのっぺりしたドアの内部を窺いながら、廊下を先へと進んだ。

「…ロックされてるみたいです、次長」

 内部からの微かな物音に反応しノブを回したクインズが、そう呟きながら鍵穴を覗きこむ。何か気になる事でもあるのか、彼はしきりに首を捻ってから、ベルトに挟んでいた細いナイフを取り出しいきなり鍵穴に突っ込んだ。

「えーーーーーっと……」

 ぶつぶつ言いつつかなり乱暴にナイフを動かして中を探り、ルードリッヒのナイフを借りて、その薄い刃も鍵穴に突っ込む。

「………これ、ダミーですね。外観は旧式のロックですけど、中身は電子ロックみたいです」

「……………」

 器用にも二本のナイフを何度か動かして鍵を回してみていたクインズが、肩を竦めて立ち上がる。その頃には鍵穴のナイフは抜き取られていて、ミナミはちょっと…感心した。

「クインズ、空き巣の経験でもあんの?」

「まさか。城門警備部の前に、防犯講習の派遣監督官をやってたんですよ。それで、防犯するためにはまずその手口を覚えようと思って」

 言いつつクインズは暢気な笑顔を見せたが、ルードリッヒとミナミは思わず顔を見合わせてしまう。

「だからって、手際良過ぎだろ…」

 そんな場合じゃないと思いつつも突っ込んだミナミが、またも廊下を歩き出す。

「…壁が邪魔してんのかな…、この辺りだと思うんだけど」

 奇妙な「圧」が変化しない付近を行ったり来たりするミナミの背中を、立ち止まったルードリッヒがじっと見つめている。

「アイリー次長」

 歩き回るミナミとクインズからずっと目を逸らさなかったルードリッヒが、ふと、一枚のドアに顔を向けて静かに呟く。その声は聞き取り難いほど小さく、すぐには呼ばれたと気付かなかった。

「次長」

 再度呼びかけられてルードリッヒを振り返ったミナミが小首を傾げる。

「…ここに、誰か居ます」

 閉ざされたドアを目だけで示す、ルードリッヒ。

「怯えてます」

「…………」

 ミナミが電脳陣の稼働現象を感覚で察知したならば、こちらは室内から外を窺っている気配に気付いたルードリッヒが、短く告げてこくりと頷く。ルードリッヒの示した部屋に居るのは多分イルシュで、少年は。

 足音を忍ばせてドアから離れたミナミたちが、ひそひそと囁きあう。

「誰かが近くに来ているのには気付いているようです」

「ドアの構造が把握出来ないんでなんとも言えませんけど、オートロックですかね? だったら、こじ開けるか破るかしないと、室内に入れませんよ?」

 ルードリッヒとクインズの顔を交互に見遣って、ミナミはそっと首を横に振った。

「認識されてねぇつったらいいのかな…。イルくん、ここに来てるのが俺たちだって判ってねぇんじゃねぇ?」

 その、ミナミの深刻そうな表情に、ルードリッヒとクインズが顔を見合わせる。

「陣が稼働しっぱなしになってる…」

 開け放たれていて当然のドアが、しっかりと閉じられていた。そしてそれをミナミは「都合の悪い事になっている」と思い、残念ながら「そういった経験」のないルードリッヒとクインズは、閉じているなら無理矢理でも開ければいい、と思う。

 それでは、ダメなのに。

「……俺は、曇りガラスに人影が映んの、怖かったよ…」

 だからミナミは無表情に告白する。

「俺の閉じ込められてた部屋、ドアの上半分が曇りガラスになっててさ、外に人が立つと、その影が見えたんだよな。…だから…、俺は医療院のドアがすげー怖くて、…あすこ、全面すりガラスだろ? それが…怖くて、あすこに居る間は、大抵ベッドの下に…蹲ってた」

 ミナミの記憶が、再燃する。

 ミナミは、あのダークブルーでじっとドアを睨んでいた。

「イルくんがここまでドア開けっぱなしで来たって事は、やっぱ閉じ込められんのが怖かったからだと思うんだよ、俺はさ。なのにこの部屋、問題の部屋? じゃねぇかと思うんだけど、そこだけ閉まってるってのはさ、……閉まったのか、閉めたのか、閉まったんだとしたら、イルくんはもっと暴れて、ドアを叩いてもいいと思うのに、そういう物音しねぇってのは…」

 イルシュの記憶が、再燃する。

 燃え上がり。

「…………………。俺さ」

 囂囂と。

「時々思うんだよ、今でも」

 ゴウゴウト。

「ドアに焼き付いた誰かの影が部屋に入ってきて、俺は………ダメになるんだって…気が狂いそうになんだ…」

 記憶のループに突き落とされて、囂囂と燃え盛る幻影に焼き尽くされる夢を見る。

 ミナミは。

「だからイルくんを助けようとすんなら…さ」

 その方法を、知っている。

 無限ループから、抜け出す方法を。

「ドア開けて、外にはもっと広くて辛いことばっかじゃねぇ世界があんだって、教えなくちゃなんねぇんだよ」

 ミナミは。

「……………イルくんなら、間に合うと思うから…さ」

 抜け出せそうに…なかったが。

  

   
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