■ 前へ戻る ■ 平凡な色彩で飾られた闇を忘れてはならない。その時までは。 |
14.機械式曲技団 |
|||
(41) | |||
狭い空間に運び込んでいた様々な機材が手際よくキャリアーに戻されるのを横目に、アリスはハルヴァイトたちの待つ部屋のドアをノックしようとした。 「おう、ひめさんよ。大将いる?」 「ここで報告待ちよ。そっち、終わったの?」 ミナミに指示されて隔壁区画の調査に向かっていたギイルが、映像記録を収めたディスク満載の小箱を抱えて通路の奥から現れる。 「とりあえず言われた通り出入り口の情報確保して、向こうさんがこれ以上隠せねぇように先手打ったっつう程度だね。マップの保護も完了してっからよ、あの空間が急になくなるなんてこたぁねぇだろ」 絶対というデータは、ない。 「それに、ミナミもあの場所を「見てる」わ。隔壁区画に隠されてた施設に関してだけ言うなら、向こうはもう手詰まりね」 鮮明過ぎるほどに鮮明な記憶。アドオル・ウインを追い詰めて拘束した決め手。 「例えばここで向こうが、ギイルの持ってる映像データを改竄して来たとしても、ミナミの記憶は消せない…」 彼、は、記録する。記憶という不可侵領域に。 「実際あの施設が調査されんのはまだ先の話しなんだろ? ひめさんよ」 「ええ、そうみたいね…。その前にする事があるってハルは言うけど、その「する事」がなんなのか、あたしたちには予想もつかないわね」 ハルヴァイトの明かさない答えは、一体なんなのか。 「つーってうんうん唸ってもよ、おれらにゃぁ判りっこねぇんじゃねぇの? 何せ、ウチの大将と来たらよ…」 ギイルのどこか不満そうな横顔を見上げて、赤い髪の美女が少し笑った。 「秘密主義つんじゃねぇけどさ、肝心な事も言いやしねぇ」 しかし、アリスもギイルも判っている。それは「秘密」ではない。それは「情報」。混乱を招かないために提示されないだけの。 桁外れの処理能力で、一秒先の近近未来を全て予測可能なデータに置き換える。 大男の漏らした溜め息をやり過ごしたアリスが今度こそドアをノックすると、中からあの、抑揚に乏しいながらも透明な声が「どうぞ」と答えた。 会釈して入室したアリスとギイルを待ち構えていた面々を、亜麻色の瞳が見つめ返す。 いつもそうであるように無表情に、しかし、全てを見透かそうとする深いダークブルーの双眸を向けてくる、ミナミ。その傍らに立ち、倣岸に腕を組み、無言で事の成り行きを見つめているだけの、ハルヴァイト。今この時でさえも何か、次の展開に必要な情報を「誰か」「どこか」から搾取しようとしている、ドレイク。それから、たった半日で何かが変わり、微かに大人びた顔…魔導師らしいというべきか? をアリスに向けた、アン。 ギイルが隔壁区画内の施設について報告する。それを胡乱に聞きながらアリスは、壁際に佇んでいる少年たちにふと微笑みかけた。 ドアは、開かれた。 君たちの世界も、開かれた? それが判るのは、まだ、これからだけれど。と。 イルシュの、琥珀色の大きな瞳が笑みを返してくる。まだ戸惑っているけれど、畏れてはいないとアリスは思った。 少年のすぐ隣りに立っているブルースの表情は、イルシュと対照的にどこか晴れていない。それも、判らない訳ではない。後ろめたい気持ち? しかし、少年がそういう気持ちを抱くに至った事を、アリスは歓迎する。 そして…。 「報告」 ギイルが視線を流してきたのに頷いて、アリスはきりっとした声で室内に宣言し、すぐ、いかにもな険しい表情を綺麗さっぱり拭い去り、いつものように偉そうに、真っ赤な髪を揺らし小首を傾げた。 「で? まさかみんな、このあたしが市民管理局の特別審査課ごときに尻尾巻いて逃げ出してくるとでも思ってる訳?」 逸らされない亜麻色を見つめ返す、戸惑う瞳は。 「思ってねぇから、アリスに頼んだんだけど? 俺」 どこかの真白い少女を彷彿とさせる、真紅。 小さく肩を竦めたミナミに笑みを返し、アリスはもう一度、イルシュとブルースに付き添われる形で椅子に座っている青年に視線を戻した。 「ジュメール・ハウナスの無条件移送を許可させたわ。移転先は、王城エリア上級居住区のミラキ邸」 青年は、見た感じブルースのひとつかふたつ年上で、ハルヴァイトかドレイク並に背が高く、なんの飾り気もない黒いシャツに黒いスラックスという出で立ちだった。 ジュメール・ハウナス。多分、「彼ら」にファイランはお前の敵なのだと言い聞かせられ、「そうなる」ように……造られた青年。 朝日に光る氷河のようにきらきらと輝く、純白の長い髪。 燃える炎のように揺れる、真紅の瞳。 「…………「彼ら」の目的は、あなたがこの都市を敵視して、憎んで、破壊しようとするときそれに迷わない事だった。だからあなたには、一目で誰もがあなたを忌むような外観を与え、わざと、時折あの地下施設から連れ出してサーカスブロックを歩かせたりしたんですよ」 何度もあの地下室から連れ出されて通りを歩かせられた、とジュメールは、ルードリッヒの行った短い事情聴取の間に証言した。 色素遺伝子の欠損。マーリィと同じく真白い青年は、助けを求めた「外の世界」に冷たくあしらわれ、蔑まれ、孤独に、都市を憎むしかなかったのか。 しかし。 「確かに、「そう」かもしれない。本当は誕生を喜ばれるべきだったのに、始めからないものみたいに扱われて…、都市を憎まないで生きるなんて、出来ないのかも。でも、忘れないで、ハウナス君。マーリィは…………」 あの少女は。 屋敷の奥、薄暗い部屋に閉じ込められて数人の使用人と一日に一度会話するだけだったマーリィは。 「あたしと始めて合った日、閉ざされたドアの向こうで微笑んでたわ」
「外のお話を少しだけ聞かせて頂けますか? ナヴィ様」
悲観したり憎んだりしていなかった。 「大丈夫だよ、なんでもねぇし。自分が思ってるほど世の中なんてのは自分に注意してくれねぇモンだし、だからって完全に放っといてくれもしねぇけどさ…。例えば他の連中がなんつっても、俺たちは、君を特別扱いしたりしねぇよ」 呟いて、ミナミがドアへと爪先を向ける。 ドアは、誰かの手で開かれた。 だからミナミは、廊下へ出る。ハルヴァイトも、ドレイクも、アリスもギイルもアンも、気安い会話で笑いながら、出ていく。 「おれらも行こう」 言って、イルシュがジュメール青年の手を取り、ブルースは無言で先にドアから廊下に出て、振り返った。 ドアは、開け放たれている。 「…大変なのはこれからだけど、きっと…大丈夫だよ」 自分にも言い聞かせるように呟いてからブルースの赤銅色が、少し皮肉に笑った。
人気の絶えた、サーカス。 気配を殺す。 上辺だけの賑やかさを脱ぎ捨てた、サーカス。 機会を窺う。 半壊したもの、完全に破壊されたもの。機械式の残骸が通路の脇に打ち棄てられている。それらは命を持たぬもの。 「………………」 意識不明で戻ったラシュー・エドワドソン。 腕に傷を負ったガイル・キャニター。 ふたりの身元は、時置かず、リリス・ヘイワードの記憶と証言で明らかにされるだろう、とグロスタン・メドホラは冷淡に告げ、その上で彼らを纏めるグロスタンはラシューとガイルを利用すると決断した。 罠に嵌ったとあの悪魔に思わせるのが、どれほどの優位になるのか。 たったひとり伽藍のサーカス主天幕に降りたアリア・クルスは、踏み荒らされてうねった床を眺め、思う。 あれは、悪魔。 あれは、天使。 全てが、憎い。 ………………………。 失望かもしれない。 彼らが言う天使と悪魔の本物を肉眼で見たのは、始めてだった。「彼ら」は超然とし、それぞれが明らかに確立されていた。 悪魔は悪魔として。 天使は天使として。 この狭苦しい世界に認められている。 だから、失望した。 無意識に自分のシャツを握り締めていたアリアは、足下に落としていた視線を上空へと振り上げた。今こころの中で荒れ狂っているのが何と言う感情なのか、戸惑う。 中心を探している。今の自分に不満はない。見失った道標を取り返そうと躍起になっている。それが……………「しあわせ」なのかは判らない。 ただ、そうするしかない。 夢も希望もないこんな「世界」など、なくなってしまえばいいのにとアリアは思う。昨日も。今日も。多分、明日も。 必要なくなれば消される我が身に憐れを感じない。そうなのだから、受け入れればいい。あの天使みたいに無様に生きさらばえたいとは思えない。 それなのに、このもやもやした気持ちはなんなのだろうか、青年は、戸惑う。 深い青色の双眸が、虚空を胡乱に見据える。 所詮、未来は、ない。
地下通路に格納されたキャリアーに戻る間際、ミナミは一度だけ振り返った。 ネオンに火の入っていない無人のサーカス・ブロックはなんとも不気味で、よく出来た絵画か3Dビジュアルみたいに現実味がない。 その奥に聳える、サーカス主天幕。 サーカス・オブ・カイザーハイラン。 夕暮れに浮かぶ、マントを広げた魔術師のような異様。 「どうかしましたか?」 立ち止まったミナミを振り向いたハルヴァイトが、相変わらずの穏やかな口調で尋ねると、青年は小さく首を横に振ってから地下通路侵入口のドアを閉ざした。 「なんでもねぇ」 呟いたミナミは、ハルヴァイトの笑みを見つめた。 「………………」 何か、胸騒ぎがした。
2004/10/26(2004/02/12) goro
|
■ 前へ戻る ■ 平凡な色彩で飾られた闇を忘れてはならない。その時までは。 |