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14.機械式曲技団

   
         
(40)

  

 一瞬の和やかさを脱力と突っ込みで振り切って、電脳班は元の職務に戻る。

「モロウ技士には、今回の任務協力について簡単な報告書の提出と、特務室への出頭を求めます」

「ナヴィ、それでは第七エリアの制御室が空になってしまうだろう」

「というか小隊長? たまには王城エリアに顔くらい出してください。ブルースくんも寂しがってますよ」

「……………」

 出頭命令書にサインを書き殴りつつ言い放ったアリスに、ヘイゼンは言い返さなかった。

「黙らないでください。不安になります」

 噛み殺した笑い混じりのセリフにヘイゼンが、今度は微かな溜め息で答える。

「人間、偉くなどなるものではないな。小隊長、などとわたしを持ち上げて呼ぶくせに、平気で説教をくれる」

「小隊長にお説教する勇気なんかありません。わたしはただ、思ったことを思ったようにお伝えしただけです」

 はい。と手渡されたディスクを顔の前でひらひらさせたヘイゼンが、わざと肩を竦めた。

「特務室の命令なのだから、不承不承出頭するか。ついでに旧知の部下でも訪ねて、生活態度を改めさせるという天命を果たすのは?」

「まず、ご自分のその頑固さをどうにかなさってください」

 怯まず言い返されたヘイゼンが、安っぽいパイプイスから腰を浮かせる。

「だんだんと旗色が悪くなってきたな。出直そう」

「お待ちしてます、ヘイゼン小隊長」

 既に小隊長でも魔導師でもないのに、アリスは最後まで彼を「小隊長」と呼び続けた。

 不幸な事故。ではなく、あれは全ての者の転機だった、とヘイゼンの言う過去の出来事で解散してしまった「第五小隊」は、良くも悪くも、遺された者たちの現在に深く関わっている。

 先に会談していた部屋の真向かいに位置する小部屋を臨時の情報制御室にして、集中する情報を的確に捌き分別、データベースを作っておくのがアリスの役目だった。他は、「ジュメール・ハウナス」の事情聴取やサーカスの施設検証、イルシュとミナミの報告して来た隔壁内部の施設などに、電脳班のそれぞれが責任者として当たっている。

 スーシェの事も、タマリの事も気になった。しかし、それに意識を裂いているほどの時間さえない。

『ひめさんよ、隔壁区画のマップなんだがな』

「コンソールから直接こっちに繋いでくれる? ダウンロードじゃなくて」

 隔壁内部の施設を調べに行っているギイルからの通信に答えながら、王城エリアにいるクラバインに幾つかの電信を送り、臨時の移送許可を至急取れるよう各機関に掛け合って貰う。事が事だけに厄介な仕事かもしれない、とミナミは申し訳なさそうに彼女に言ったが、逆にアリスは、自分だから手際よくやれると答えて青年の不安を拭い去った。

 すぐに、市民管理局の特別審査課から入電。移送…拒否。

『文書による拒否理由に不明瞭な部分多数につき、責任者の直接通信を乞う』と乱暴に入力して、エンターキーが破砕する勢いでそれをぶっ叩く。

「大荒れだな」

「…まだ居たの? 怪我人には退去命令が出てるわよ?」

 いつの間に来ていたのか、相変わらず酷い有様のヒューが開け放たれたドアに寄りかかっていた。それに呆れた顔を向け、すぐ表情を引き締めたアリスが、軽く自分の左肩を叩きながら小首を傾げる。

 大丈夫か? と言いたいらしい。

「ああ…、元々こっちは脱臼が癖になってるんだよ。あっさり外れてくれたおかげで、引き千切られないで済んだ」

「怖い事平気な顔で言わないで。それにしても、機械式と素手で組み手しようなんて酔狂もはなはだしいわ、班長」

 わざわざ座席から立ち上がり、壁に立てかけてあったパイプ椅子を広げて勧めようとする、アリス。その彼女に軽く手を振って構うなという意思を伝えたヒューは、漆黒に流れる赤い髪と亜麻色の瞳の美女を少しの間見つめてから、寄りかかっていたドアを背中で突き放した。

「機械式だけじゃない、……魔導機とも組み手したよ。勝てなかったがな」

 失笑混じりの告白に、アリスがぎょっとヒューを見上げる。

「う…」

「嘘じゃない」

 呟いたヒューが、パイプイスの背凭れに置かれた彼女の手を取って引き寄せ、軽く、戸惑う指先に薄い唇で触れた。

「………………なんの冗談?」

「本気だよ。君のおかげで、無事城に帰れる」

 だからこれはお礼。と薄い笑みで付け加えたヒューは、硬直するアリスの手を滑らせるように離すと、さっさと彼女に背を向けた。

「さすがに、バカ固い機械式に間接技を仕掛けるには多少の勇気が必要だったよ」

 竦めた肩越しに漏れる、疲れた呟き。

「でも班長は、「勝った」でしょう?」

「無様にね」

 足音も気配もなく消えた背中。取り残されたのは沈鬱な言葉だけで、アリスには、それが何を意味するのか判らなかった。

 判らなかった。なぜ彼は、一歩も退かなかったのか。

 もしここにミナミが居たのならば、アリスの困惑を解決してくれただろうか…。

 佇む赤い髪の美女を急かす電子音。いくつもの書類が端末に届いては展開されていたが、アリスはヒューの背中を負うよう廊下に顔を向けたまま、少しの間身じろぎもせずに居た。

           

           

 ようやく気分を戻して端末の前に座るとすぐ、開け放たれたドアの向こうに小柄な人影が現れる。

「あら、リリスくん…じゃなくて、セイルくん? だっけ」

 小首を傾げて笑ったアリスに照れた笑みで頷いたセイルが何をしに来たのか、と思う間もなく、ミナミからの電信。その文字通信に目を通し、添付されていた入城許可証を展開しながらセイルに椅子を勧める。

「えーと? サーカス団員の神経検査優先? じゃぁ、面通しは後回しにされたのね」

「はい。タマリ魔導師が経過観察したいと言ったそうで、ぼくは後から特務室に出頭するって事で」

 勧められた椅子にちょこんと座ったセイルをまじまじと見つめたアリスが、赤い唇で朗らかな弧を描く。

「にしても、あのリリス・ヘイワードが実はカラーコンタクトとウイッグだったなんて、驚きね」

「そうでもしないと、狭いエリアの中なんかマトモに歩けないしね。だからナヴィ衛視も、この格好のぼくに会ったら「セイルくん」て呼んでよ?」

「それなら君も、あたしの事はアリスって呼んでくれる?」

 了解。と様になった敬礼で答えたセイルに、入城許可の入ったディスクを手渡す。

「それで、アンとの約束は無事履行されたの?」

「んー、それね、残念ながら保留。って、アンさん、すごく申し訳なさそうに言ってくれたけどさ、それはヒューが悪いんだからぼくはあんまり気にしてなかったんだけどねー」

 そこでセイルはなぜか、にーっとちょっと意地悪そうに笑った。

「約束…。協力するからヒューに会わせてって言ったんだよ、ぼく」

「じゃぁ、会うだけなら会ったんだもの、いいんじゃないの? とあたしは思うけど?」

「うん、ぼくも」

 しかし、アン少年は「約束、守れてないですね」と少し困ったようにセイルに言ったのだ。

 真面目にも。

「でもアンさん納得いかないみたいだったからさー」

 気安く言って頭の後ろに手を組んだセイルが、椅子の背凭れに身体を預ける。

「今度デートしてくれたら許すって事にして、休暇が決まったら絶対電信してくれるように約束して、一週間待っても連絡なかったらぼくの方から電信するねって脅かしておいた」

………………。

「君…、微妙なところで班長に似てるわ…」

 意外な伏兵の登場でアンのプライペートも忙しいわね、などと微笑ましく思いつつも、苦笑いを禁じえないアリス。ハチヤ程度ならアンにも抵抗出来るだろうが、スレイサー一族(?)のムービースター相手では、降り回されるのが目に見えている。

 小柄で凛々しいムービースター。しかしその中身は、あの食えないヒュー・スレイサーと同じなのだし…。

「とりあえず、君に怪我なくてよかったわ、本当に。それに、君、あたしを護ろうとしてくれたしね。ありがとう」

 軽く会釈したアリスの様子に慌てて姿勢を正したセイルが、こちらも真摯な顔つきでぺこりと頭を下げた。その意味が判らなかったアリスの亜麻色を見つめ返した栗色の瞳が、一瞬だけ、ヒューのサファイヤと被る。

「アリスにも怪我なくてよかった。ぼくは絶対に強くなくて、本当は、最後までアリスを護れるのかどうか、少し不安だったんだ」

 ゼッタイニ、ツヨクナイ。

「…絶対の強さなんてないんだってフォンソルは言うけど、ぼくには、護ってる誰かに不安を与えないだけの強さが、絶対に一番近いんだと思ってる。だから、ありがとう」

 何もなくて。ここに居て笑っていて。ありがとう。

「…………だから、今日の班長は無様なのね…」

 ようやくあの悔恨の呟きを理解したアリスが、閉ざされたドアに視線を馳せる。

 機械式に勝ち、魔導機に勝てず、しかし、ヒュー・スレイサーは。

 アン少年の不安そうな顔を思い出した。

           

            

 セイルが退室し、また、暫しの静寂。とはいえ、忙しく動くアリスの指先がコンソールを叩く音と、電信の到達を継げるアラームとがひっきりなしに囁いているものだから、静か、と表現するにはいささか騒々しいのだろうが。

 市民管理局の特別審査課から届いた何通目かの電信に目を通したアリスは、ほっと短い息を吐いた。

 ここから退去するために必要な許可は殆ど通り、あとは、城に戻ってからの仕事になる。サーカス団員の事情聴取を含む一時移送許可については期間を十日と定められたが、ハルヴァイト、ドレイク、アンの三名が強制休暇を取らされている間に、デリラとアリスで事情聴取を進めておけば問題ないだろう。

 これなら魔導師隊に居た方が暇だった。と苦笑いを漏らしつつも、アリスはたった今許可が降りたばかりの通知をディスクに焼き付け、オリジナルには閲覧済みのサインを入れてそれぞれの機関に返信した。さすがに、もうハッキングや割り込みの心配はないだろうが、その甘い読みで通信の一時不通という失態を犯したハルヴァイトは、臨界式通信網を解除し通常の有線通信に切り替わった後、全ての許可、許諾、通信記録を逐一バックアップし、ディスクを臨界式防電処置したケースに収めて城に持ち帰るように、と、通信先の機関でも同様の措置を取り、尚且つ、リゾート・エリア内で閲覧した書面は端末内部に残さず、アリスのオリジナル・サインを入れて返信しろ、彼女に通達した。

 リゾートに来た当初と違って極端に厳戒態勢だと彼女はそれを笑ったが、ハルヴァイトは残念ながら笑ってくれなかった。ただし、用心に用心を重ねる、という部類の指示ではない、とだけ、面倒そうに言い残したが。

 オリジナル・サインというのは、一部の貴族のみが持つ特殊な「紋」だった。それを描き込むために、五分もかけて準備しなければならないような。

 スキャナに仕込んであった極薄のガラス片を取り出して指先で粉々に磨り潰し、くずかごの上で軽く手を叩き合せる。これでここでの仕事は全ておしまい、とでも言うように一度だけ室内を振り返ったアリスは、すぐに、無言で真っ赤な髪と漆黒の長上着を翻し、衛視たちが急ぎ足で通り過ぎる廊下に出た。

「誰か、ここの端末をキャリアーに運び込んでくれない? 臨時通信統括室は、もう撤収よ」

  

   
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