■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
(6)

  

「と、まぁ、そういう訳でよ、別に「スペクター」つうか、ややこしいな…「バロン」か? それが勝手に動いたからつっても、不思議でもなんでもねぇんだよ」

 病室備え付けのソファにゆったりとくつろいだままドレイクが気安く言うと、唖然としたスーシェと、ブランケットを頭からかぶってスーシェに寄り添っていたタマリが、更に唖然とする。

「じゃぁもしかして、ミラキ…。君はあれだけの数の「フィンチ」を制御し切ってるんじゃなくて」

「まぁ、半分くれぇは勝手に飛ばしてるだけだな。つまりよ」

「禁則解除そのものは自己判断力の高い魔導機に限定された機能ではありますが、自由領域の解放、拡大はほぼ全ての魔導機に備わった基本機能ですから、簡単な動作や次点行動の選択くらいならどの魔導機でもやりますよ?」

 こちらもゆったりとソファに座って横柄に腕を組んでいるハルヴァイトの、いかにもやる気ない付け足しに、ブランケットの小山がもそりと動く。何か抗議したいようだが、そこから出るのは嫌らしい。

「だから別にスゥの見た「アレ」は現実におめーの脳を侵蝕してきたモンじゃなくて、「バロン」からのメッセージみてぇなモンなんだからよ、そんな、悩む必要なんかねぇって」

 悩むよ、普通は! と悲鳴を上げたい気持ちになったものの、スーシェにはそれが出来なかった。

「…君たちも、見たんだろう? あの風景…」

 萌える新緑と、突き抜けるような青空とその向こうの星空と、風の軌跡を描く広大な、広大な、地平線さえ見通せないほどに広大な、草原。

 音のない世界。

 その只中にたったひとり佇む自分と、自分を見つめている、白い獣(けもの)。

「見たぜ」

 頭上を旋廻し、無意識に伸ばした腕に降り立った、真白い小鳥。

「見ました」

 倣岸に腕を組み、空洞の眼窩で見下ろしてくる、鋼の髑髏。

 不安にならなかったのか、と言いかけて、スーシェは口を噤んだ。

 混乱はしていたし、意識を取り戻してからも記憶が定かでないような、地に足の着いていないような気はした。しかし、それが「不安」だったのかどうか、スーシェには急に判らなくなったのだ、その時。

 不安ではなかったのかもしれない。戸惑ってはいたが。不安で有る訳がない。

「「バロン」が………」

 そこには、居たのだから。

 何もない世界。でも、全てのデータが氾濫している世界。瞬間的に感じた本物の「孤独」という世界にしかし彼が怯えなかったのは、そこに、白い獣が居たから。

 誰もが口を閉ざし、それぞれの思いに沈む。静寂の間隙を縫ってごそごそとブランケットから這い出して来たタマリだけが、どん臭い仕草でベッドから這い降りた。

「お? 反省の時間はお終いか? タマリ」

「もう飽きたもん。それに、うちのちびっこトリオが待ってるから、執務室戻んなきゃなんないじゃん」

 くすん、と鼻を啜ったタマリが、広げた両手でごしごし顔を擦る。

 スーシェに「訊きたい事がある」と呼び出されたハルヴァイトがドレイクを伴って病室に着いた時、タマリはすでにブランケットを被りスーシェの背中に貼り付いていた。ふたりの間に何があったのか、監視名目でドアの前に立っていたルードリッヒは知っている様子だったが、首を横に振っただけで何も言おうとはしなかった。

 ふと、ドアの外でルードリッヒが誰かと言葉を交わしている気配。それに気付いたドレイクとハルヴァイトは頷きあってソファから立ち上がり、タマリも、不審そうなスーシェにあの、崩れそうな笑みを向けて、皺だらけになった長上着をぱたぱたと叩く。

「んー、じゃぁさ、アタシもう戻るね、すーちゃん…。明日、また来るよ。お見舞い何がいい? あ、明日こそ、じゅーくん紹介するね。あの…、それで…」

 俯いて、しきりに瞬きを繰り返しながらぼそぼそと話すタマリの小さい肩に視線を据えていたスーシェが、口元を微かに綻ばせてからベッドを降りる。

「ご」

「もうそれは百回も聞いたよ、タマリ。だから、ぼくとの約束、忘れるなよ」

 言ってスーシェは両腕を広げ、うな垂れたタマリをぎゅっと抱き締めた。

「もう許すよ。こら、タマリ、嬉しいって言え」

 まるで普段のタマリみたいにふざけて言いながらほの白い白皙に笑みを浮かべたスーシェが、しがみ付いてくるタマリを抱き竦める。

「…………………すごいうれしい」

 その、仲直りに成功した兄弟みたいな様子をくすくすと笑っているハルヴァイトとドレイクに顔を向けたスーシェは、小さく小首を傾げてウインクして見せた。

 と?

 唐突にドアが開け放たれ、多分、本丸から全力疾走して来たのだろうデリラが、その場で硬直する。

「あ、デリに浮気現場を押さえられた」

「む。いいトコなんだから邪魔すんなよー、デリちゃん」

 わざとスーシェの胴に細い腕を回したタマリが、ペパーミントの瞳でデリラを睨んだ。

「………てか、お前たちね。おれに内緒でいちゃつくんじゃねぇのね」

 がっくりと肩を落として繰り出された溜め息混じりのセリフを、ドレイクが笑い飛ばす。

「おめー、浮気つうのは内緒でいちゃつく事だろうが」

 それはそうですね。などとデリラをからかいながらもハルヴァイトが、そこでなぜか、スーシェにしがみ付いていたタマリをひっぺがして回収した。

「ところが、ちょっとこれに用があるのでお借りしますよ、スゥ。じゃぁ、お大事に」

「あ、大将………」

 何か言いかけたデリラの肩をぽんと叩き、ハルヴァイトは無言で微笑み病室を後にした。

 ルードリッヒには先に特務室に戻るよう指示し、ドレイクには会議室に電脳班を集めておくよう伝えたハルヴァイトが、何か言いたげなドレイクを振り切ってタマリと電脳魔導師隊の執務棟へ爪先を向ける。ジュメールに話を聞きたい、とどうでもようさそうに言ったハルヴァイトの横顔をちらちら窺っていたタマリがやっと口を開いたのは、医療院から随分と離れ、王城エリアに戻るエレベータに乗り込んでからだった。

「やっと第七小隊(うち)も落ち着きそうだわ、これで」

「スーシェにも、小隊長としての自覚が出るでしょうしね」

「臨界ねぇ…。アタシは、セカンド・システムとしてちょーっと見た事ある程度だけどさ、確かに、あれ見るとショックだよね」

「もっと薄暗くて文字列の乱舞する空間だったら、少しは納得行くのに?」

「そうそう、まさかあーーーーんなきれいな場所だなんて、想像出来ないよー」

 毛先の跳ね上がったショートボブを引っ掻き回しながら俯いたタマリが、溜め息を吐く。

「でもさー、すーちゃんの気持ち、判らないでもないよね。ハルちゃんは規格外だからどうか知らないけど、あの風景見ると、なんだろね…自分が凄く…人間じゃないものになった気するよ」

 臨界という異世界に降り、魔導機という導(しるべ)を得て、ゼロと無間を感じた瞬間。

 ハルヴァイトは、不透明な鉛色の瞳でエレベータの階層表示を見つめているだけで、タマリには答えなかった。

             

 イキ、イクルカ、イカニカ、イカナルカ。

             

 質問だからけで何も感じる暇などなかった、そういえば。と懐かしく思い出す。

 弾丸のように容赦なく叩き付けられる質問に答えられず当惑する少年に、ソレ、は言い置く。

           

 アイスル モノ ダケハ マモリ ナサイ。

 ノコセル モノ ハ アクマ ダケ。

           

「ところで、ハルちゃん? じゅーくんになんのお話かな?」

 と、不意に視界に割り込んで来た黄緑色の塊に視線だけを向けたハルヴァイトは、「口実」と短く答えて、長上着のポケットからフルサイズのディスクを一枚取り出した。

「こーじつ? なんの?」

「これを、あなたに預かって貰いたいんです」

 差し出されたロムを受け取ってケースごと天井の灯りに透かして見ながら、タマリがさも不審げに眉を寄せる。表面が真っ黒で裏面がエメラルドグリーンなのは、間違いなく臨界式ディスクの特徴だった。

「なにこれ」

「閲覧するには表面コートを「溶かす」必要があるんですが、ブロックプログラムの溶解コードは「知っている人」が知ってます」

 顔の前に翳したディスクを何度もひっくり返したり鼻に乗せてバランスを取ったり(?)していたタマリが、その要領を得ないハルヴァイトのセリフに、剣呑な表情を作る。

「その、知ってる人って誰さ」

「一行目」

 全く噛み合っていない会話を気にした風もなく、ハルヴァイトは涼しい顔をタマリから正面に戻した。

「むーー。レイちゃんかみーちゃんに渡しなよー。お預かりくらいならさー」

 返すもん! と正面に回り込んで、ハルヴァイトの組んだ腕にディスクを押し付けたタマリの顔に再度視線だけを向け、彼は薄っすらと微笑んだ。

「タマリでなければダメなんですよ。それに……………ドレイクやミナミでは、その中身を説明しなければならないでしょう?」

「じゃ、アタシには説明しないつもり?」

「しません」

 あまりにもハルヴァイトらしくきっぱりした否定に、タマリは唸った。

「ひとに物頼む態度じゃねぇぞ、こら!」

「わたしからそれを預かった事は、内緒にして貰えます? タマリ」

 またも自然にタマリから逸らされた視線。

「…………………」

「そのディスクをどこでどう使うのかは、きっと、すぐ判りますから」

 瞬間、タマリの胸に、言い知れない不安が沸き上がった。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む