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15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
(12)

  

 次々に運び込まれて設置されていく大袈裟な機材を唖然と眺めながら、ドレイクが溜め息を吐く。

「つうかおめー、こんな大荷物でどうしよってんだよ、ハル」

「サーカス主天幕を隔離するんです。とりあえず、彼らをここから移動出来ないようにします」

「彼ら」とハルヴァイトはいとも簡単に言い、思わずドレイクとアンが顔を見合わせる。

 機材の設置はデリラとアリスの仕事で、ふたりは忙しくギイルに指示を出し、様々なアンテナや鉄製の箱を天幕のあちらこちらに置いては、動作を確認していた。しかしながらその、ドレイク曰く大荷物が何にどう使われるのかは、それを扱うはずのアリスにさえはっきりとは判らない。

「大将、天幕天井に据えるパラボラなんスがね、本当に、地上に向けて垂直でいいんスか?」

 アンテナの向きを確認しに来たデリラが、どこかしら訝しそうな表情でハルヴァイトに問い、問われた上官は無言で頷き返す。それで、どうあっても目的を話しては貰えないのだと諦めたのか、坊主頭の砲撃手は小さく溜め息を吐き踵を返した。

「ああ、ダメよ、そんなじゃぁ! 一旦コード抜いて、全部天幕の外這わせて。接合部付近防電するだけのカバーしか持って来てないんだから」

 広い天幕内部に、アリスの声が響き渡る。何をやっているのか、彼女は機材の動作を確認しながら、しきりに配線状況を気にしているようだった。

「……なぁ、ハル。いい加減ホントのトコ白状しねぇか? おめー、ここで何しようとしてる?」

 動き回る警備部隊の隊員を目で追いながら、どこからか引っ張り寄せて来たパイプイスに気安く座ったドレイクが呟く。

 ハルヴァイトは、サーカスの舞台である丸盆を真正面にした客席の最後尾、壁になる天幕近くの座席にゆったりと座り、足を組んで全てを見下していた。

 漆黒の衛視服を深紅のベルトと腕章で飾った、鋼色。薄暗い天幕の内部にあっても不思議な光沢を放つ鉄色の髪と、透明度の極めて低い鉛色の双眸。鋭角的な印象のある端正な横顔は、訊ねたドレイクにも、ただ立ち尽くすアンにも向けられる事はなかった。

 解答は?

「何と言われても。別に、特別な事は何も?」

 いっときも視線を逸らさず丸盆を見据えたまま、ハルヴァイトが薄笑みの唇で囁く。

 何を、考えているのか。

「「向こう」が考える「最悪」を、わざと…ね」

 付け足すように口の中で呟いたハルヴァイトは、瞬間、全てを…「忘れた」。

           

        

 際限なく高いように見える天井。一階? 下の、ジュメールが軟禁されていた部屋を含む階層がああも薄暗く狭苦しいのに比べて、この、イルシュの監禁されていた部屋を抱えた階層は、どこの廊下も白く眩しくて、天井が高い。

「あー。途中に仕掛けあんだわ、みーちゃん。最初ここに入る時、なんか、穴倉っぽいとこ降りるじゃん? んで、そのまま進んで、左右に部屋のある廊下通って、さっきの広いとこ通過して、んで、ここでしょ?」

 長い、廊下。

 果てしなく。

 あの、イルシュの「サラマンドラ」とジュメールの「サラマンドラ」が激突した跡も生々しい細長い廊下の中央に突っ立ったタマリが、毛先の跳ねたショートボブをがりがり掻きながら、どうでもいいような口調で話し始める。

「ま、結局、ここがすげー細長く見えんのも、天井むちゃくちゃ高く見えんのも、錯覚だわ、錯覚」

 その、光の溢れる白亜の廊下を、水色の蝶が舞う。

 ひらひらと。

 ひらひらと。

 漂うように。

 ひら、ひらと。

 その間を掻い潜って戻って来た「ドラゴンフライ」が、ぼんやりと佇むイルシュの頭にぺたりと張り付いた。

 ミナミ…ちょっと羨ましいなと、思う。

 羽を消した「ドラゴンフライ」のカメラアイが、微かな駆動音をさせながらきょろきょろと動く。羽がある時は綺麗なトンボのように見える「ドラゴンフライ」だが、プラズマ翼を消し去ってしまうと、いかにも不恰好な…出来そこないの芋虫みたいだった。

 もしかしたら、少し前のブルースならばそんな不出来な「ドラゴンフライ」を人前に曝すのを嫌がったかもしれない、とミナミは、羽化する前の幼生に纏わりつかれたイルシュを見つめ、思った。

 しかし、少年は「判った」のだ。

 なぜ自分に「ドラゴンフライ」なのか。

 だから彼にはもう、「ドラゴンフライ」を否定する意味がなくなった。

 舞い散る「アゲハ」が索敵を続行する中、頭に「ドラゴンフライ(幼生)」を載せたイルシュが溜め息を吐き、おもむろにその「ドラゴンフライ(幼生)」を鷲掴みにして引きずりおろし腕に抱える。なんだかんだで五十センチもある鉄の幼生は意外に重く、首が…疲れるらしい。

 プラズマ翼を消した事で出来た外観電素の余剰を使って、なのか? 「ドラゴンフライ(幼生)」にはなぜか、六本の足があった。先端に刺状の返しがついた足は器用にもイルシュの腕を掴んで暴れ、少年の腕が緩んだ隙に、細っこい腕を…よじよじ登り始めた。

「つうか、意外とこえー画像(え)だよな、これ…」

 むー。と唇を尖らせたイルシュの腕を這い上がる、二個のカメラアイをぎょろつかせた、巨大芋虫…。その歩みは遅々として進まないから滑稽で、ついつい、ミナミもタマリも笑ってしまう。

「ぶーるーうーすーーー! ふざけてないで検索結果ダウンロードしてよぉ!」

「やってるよ」

 遥か後方、先ほど観測機材を設置した広い空間の、ドアに近い場所に佇んだブルースがにこりともせずに答える。本人はいたって真面目に作業をしているらしいが、彼の分身である「ドラゴンフライ(幼生)」はしつこくイルシュの頭に這い登り、きょろきょろと辺りを見回している。

 その間抜けなイルシュを見つめる、ジュメールの真っ赤な瞳。マーリィばりの青白い髪と抜けるように白い肌、血のような深紅の瞳。わざと「世間から冷たい目で見られ、世の中を憎むように」と与えられた青年の外観は確かに特異だったが、魔導師隊第七小隊の面々や特務室の衛視たちは、それについて何も言わず、何も問わず、青年を「特別扱い」したりしない。

 保護されて王城エリアに連行された青年。簡単な事情聴取の前に彼が引き合わせられたのは、他でもない、ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世と、マーリィ・フェロウだった。

           

「あなたがハウナス? すごい! マーリィみたいで、すごくきれい」

 弾けるような笑顔でジュメールの手を取ったルニの、振り返った視線の先。そこでふかふかと微笑むマーリィを目にして、青年は絶句した。

 謀(はかりごと)でない、正真証明の純白と、深紅。

 灰色。深緑。黒。青。黄色。緑…。そのどれとも交じり合わない少女。

 哀しいくらいに際立った白に、青年は「奇跡」を感じた。

              

 どこかに警戒心を残すジュメールの事情聴取は、最初の数日、マーリィ立合いで行われた。とはいえ、聴取官がイルシュやブルースなのだからそれは殆どお茶会のようなもので、真白い少女は毎日違うお菓子とお茶を支度し、屈託ない笑顔で「世の中は確かに冷たいけれど、でも、判ってくれようとする人も沢山ここには住んでます」とジュメールに言ったと聴く。

 微笑んでいたジュメールが、ふと、頬に刺さる視線に気付いて小さく振り返る。と、青年の深紅がミナミのダークブルーとぶつかった。

 問う代わりに小首を傾げる、ジュメール。背後の広い空間ではブルースの陣が稼働し、細長い廊下の先にはタマリの立体陣があり、イルシュ、ジュメール、ミナミとルードリッヒは、以前イルシュの監禁されていた部屋直前に佇んで、おおまかな周囲の状況をふたりの制御系魔導師が調べ終えるのを待っていたのだが。

 無表情に見つめてくるミナミの視線に、青年がそこはかとない居心地の悪さを感じた、瞬間、ミナミはなんの感慨もなさそうに「あのさ」と小さく呟いた。

「…ジュメールくんて、…………………」

 華奢で綺麗な青年。これが、あの「天使」なのか。とジュメールの内心に複雑な感情が起こりそうになる。

           

 これ、が。

          

「ときたまあの人と似た行動取るよな」

 で。すぐさま逸らされた視線に、ジュメールは呆気に取られた。

「はぁああああああああああ?」

 すぐさま素っ頓狂な声を上げたのは、ジュメールでなく、タマリの方だが…。

「てーかみーちゃん。どこがどうなると、そーゆー恐ろしい発言出るよ」

 殆ど喧嘩腰とも取れそうなタマリのセリフを聴きながら、イルシュが渋い顔で唸る。他の誰かがそう言ったなら「気のせい」で済まされる事だろうが、これがミナミなものだから、否定するにも理由が…見つからない。

「どうってんじゃねぇけどさ、今も、そう思った」

 呆気に取られる周囲をよそに、言った方は他意なかったのだろうし、ミナミは相変らずの無表情で、すっかり抉り取られた壁に触ってみたり、熱線砲で溶かされた床にしゃがみ込んでみたりしている。

 しかし、回りから注がれる探るような気配に負けたのか、ミナミは不意に小さく溜め息を吐き、仕方なく、また立ち上がった。

「だから、さ。俺は思うんだけど、アドオル・ウインは…闇雲に自分の魔導師を用意してた訳じゃねぇんじゃねぇかな、って」

 正面を見据えるミナミのダークブルーが、じわりと底光りする。

「複製…しようとした」

 自分のように。

「これは、あくまでも俺の考える仮定なんだけどさ…。アドオル・ウインは、ただプライマリ・テスト・パターンを後天的に焼き付けた魔導師を芸術的に「造った」訳じゃなくて、何か、を、模倣して、それ以上のものを…手に入れようとしたんじゃねぇのかって…」

「………………」

 舞い散る「アゲハ」が千路に乱れ、臨界へ帰還して行く。

「…………」

 イルシュの頭を蹴って跳ねた「ドラゴンフライ」の背にプラズマの羽が現れ、すぐ、中空に浮かんだ接触陣の中へ消えていく。

「「ヴリトラ」が居たよな。「アルバトロス」もさ。それから、真っ赤な…「フィンチ」もいたんだよな? 「ディアボロ」そっくりの「アンジェラ」も居た。………だからさ」

 アドオル・ウインは。

「もしかしたら、「ディアボロ」とあの人を……………造ろうとしたんじゃねぇのかなって…」

 ミナミの双眸が、「いつもと同じ高さ」にある深紅の瞳を見上げた。

 グランとローエンスのような。

 ハルヴァイトとドレイクのような?

「待って、みーちゃん。でもそしたらおかしくない? だって、「アンジェラ」と「フィンチ」はもう居るんだよ? それなのに、じゅーくん?」

 つかつかと歩み寄って来たタマリが、やっぱり少し怒ったような口調でミナミに抗議する。しかし当の青年はちいさく頷き、息を殺して聞き耳を立てる全てのひとに聞こえるように、きっぱりと言った。

「「アンジェラ」は「ディアボロ」じゃねぇ。あれは臨界第一位で、絶対に、「ディアボロ」じゃねぇんだよ」

 命令されるのを極端に嫌い、ただ自由に、目的のために「生きる」悪魔。

「失敗したから繰り返した。しかし、何度やっても結果は同じ失敗だった。「アンジェラ」が先か「サラマンドラ」が先かは今後調べてみないと判らないとして、とにかく、アドオル・ウインは」

「イルくんとジュメールくんでは、ジュメールくんが先。ジュメールくんだけが出入り自由なのに出入り口の判り難い暗い部屋に軟禁されてたのは、あの人が、子供の頃にそういう場所で育ってて、世の中を憎んでたからだと思う」

 索敵結果の投影された携帯端末を手にしたケインが薀蓄を語ろうと登場したのを、ミナミが制す。

「でも臨界がジュメールくんに割り当てたのは「サラマンドラ」で、だから今度はイルくんを、あの人が発現したのと同じ年齢で発現するようにしてみた」

「…十四歳くらいだっけ? それ」

 タマリの呟きに、ミナミが首を横に振る。

「実際は、もっと前らしい。発現つうよりは、「ディアボロ」があの人の前に現れたのがいつなのかは、あの人しか知らねぇよ」

 十四歳…。

「ガリュー班長が警備軍に連行されて来たのが、十四歳。だからその時点からしか記録は残ってない?」

 誰にともなく確かめるようなブルースの呟きが、高い天井に吸い込まれていく。

「しかしイルシュくんに割り当てられたのも、「サラマンドラ」だった」

 ルードリッヒの澄んだ声に、ミナミは頷いた。

「つう事はさ、なんにせよ、アドオル・ウインは失敗したんだよ。だからイルくんはイルくんだし、ジュメールくんはジュメールくんに「なった」」

 そして。

「……………じゃぁ、ハルちゃんは…?」

 どこかから調べ上げた情報を元に、ハルヴァイトと同じプライマリ・テスト・パターンを焼き付けられた少年たちの手には入らなかったものがある。

「ハルちゃんには、なんで…「ディアボロ」なの? みーちゃん…」

「それはさ」とミナミはなぜか、そこで少し困ったように俯き、微かに口元を歪めた。

「「ディアボロ」に訊いてみねぇと、判んねぇんじゃねぇの?」

 その時ミナミにはまだ、その、奇妙な一致の意味が判らないままだった。

  

   
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