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15.赤イ、毒ニ濡レタ月 |
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二度目ともなればまさかミナミが進路を誤る訳もなく、隔壁エリア調査班は滞りなく目的地に到着していた。 彼らが警戒しつつも展開しているのは、あの、ジュメールやイルシュが隔離されていた小部屋へ繋がる通路手前の、やや広い部屋。相変らず眼底を突くような白い光の満ちた空間に、漆黒と深緑が点在している。 その先を調査する前にここに至る区域の詳細なマップを、前回ブルースとイルシュの取得したものと比較する。運び込まれたモニターに映る現在のマップと前回の相違点は、ミナミの記憶力で素早く照合されていった。 ふう、と短く息を吐いたミナミが、折り畳み椅子の弱々しい背凭れに身体を預ける。ここまではまったく問題なく、逆に、薄気味悪いくらいに感じる。 「室内記録の映像、リアルタイムで特務室に送っちゃっていいんでしょ? みーちゃん」 ミナミとルードリッヒから少し離れた場所で電脳陣を展開しているタマリが、青年の疲れた溜め息に笑みを零しながら振り返った。色褪せたペパーミントグリーンの瞳に、薄水色の文字列が照り返している。 「うん。臨界式で割り込み警戒しながらだけど、それ、時間かかるモン?」 背凭れに腕を乗せて顔を向けて来たミナミに、タマリがちょっと難しい顔で答えた。 「かかるっちゃかかるけど、それがみーちゃんの考える「時間」つう物差しに当てはまるかは、甚だ疑問だねぇ」 「? それ、どういう意味?」 んー? とタマリは、何かのモニターを眼前に一個立ち上げた状態で生返事し、なぜかそのまま、ルードリッヒに軽く手を振って見せた。 「単純な話ですよ、アイリー次長。ぼくらの考える時間というのはつまり日常的に使われている感覚ですが、臨界式で映像を転送する場合に適用される「速さ」は、あくまでも臨界式ですから、簡単には通常の速さに換算出来ないんです。だから、割り込み警戒しない時よりは、警戒すれば若干ないし相当の時間を「食っている」と魔導師は判断します。でも、その速さはあくまでも魔導師の感じる速度であって、ぼくらがどう受け取るのかは判らないという事です」 だから、タマリは「ちょっとかかるね」と答えても、その他大勢は「もう終わったのか!」となるかもしれないから、結局どうか判らないという意味か。 言われてしまえば、今のが愚問だったとミナミもすぐに気付いた。何せ魔導師の操る「臨界式」というのは、常人に想像も及ばない大容量高速通信なのだから。 「ま、アタシは未熟モンだからすぐには答えられないつったら早いかな。これがハルちゃんだったら、一秒か二秒で通常通信と比較して終了までの時間教えてくれんだろうけどさ」 揺れ続ける通信速度を。 完璧に予測して換算し。 誤差数秒という正確さで。 弾き出すだろう。 「いくらシステムだつっても、ありゃデタラメだわー」 にょほほほほ。と気に触る笑いを中空に放つ、タマリ。 デタラメ。というタマリのセリフに、ミナミは室内を見回しながら表情を曇らせた。 なるべく考えないようにしていた、事実。 魔導師というものを、臨界というものを理解するにつれ、ミナミの中に燻っていく謎。 ハルヴァイトの本当の占有率がどれだけあるのか、ミナミには判らない。それは仕方のない事だとしても、臨界ファイラン階層と称される一定領域を、その時現実面に駐屯する魔導師達が共有し、それぞれの領域を確保している状態は、臨界というデータだけの世界が構築されてから現在に至るまで、まったく変わっていないはずなのだ。 例えば、ファイラン階層に「100」の領域(クラスタ)があるとする。そして、ファイランという、ファイラン階層の「表」=「現実面」に十人の魔導師がいるとして、等分したら一人当たりの占有率は「10」となる。そのうち、十人いる魔導師の中の誰かが子を儲け、その子が「2」の占有率を割り当てられたとしたら、親である魔導師の占有率は「8」になり、十一人の合計はやはり「100」のままでありそうでなければならない、というのが臨界の理(ことわり)なのだ。 実際はそれほど単純な数字でもないし、そもそも、最初の割り当てが等分であったかも定かではない。それに、歴史は積み重ねられており、足したり引いたり、使用されていない領域(クラスタ)があったり、それぞれの血筋が保有する占有面には非干渉領域というのもあるのだがら、果たして「ミラキ系ガリュー」の領域がどれだけあるのかは、システムであるハルヴァイトにしか、正確な数字は判らないのだ。 それにしても、とミナミは、陣を消したタマリの空虚な笑顔を見つめ、思う。 アドオル・ウインという生体データを確保し生存させたまま以前と変わりなく能力を駆使するハルヴァイトの領域は、本当に…………。 「…ミラキ家の割り当て、超えてねぇか?」 それだけ、なのか。 「つうか、もう終わったの? もしかして」 「ん? うん。終わったよ。お城で待ってるローエンス小隊長からも、正常受諾の返信受け取ったしぃ」 毛先の跳ね上がったショートボブを揺らして、タマリが笑う。 「やっぱ俺の物差しなんか通用しねぇって事?」 なんとなく傍らのルードリッヒを見上げたミナミに、青年が「そうですね」と朗らかな笑みで答えた。 「もうちょっと休もうと思ったのに、サボり損ねた」 微かに歪んだミナミの口元にこれまた笑いを吐き付けたタマリが、室内のそこここを歩き回っているイルシュとジュメールに手招きする。それに答えてなのか、茶色の髪に白い光を照り返す小柄な少年と、ひょろりと背の高い、真白い髪の青年が、顔を見合わせてからミナミとタマリに爪先を向けた。 「ブルースくんとケインさんの指示に従って、衛視は室内計測続行。ウロスさんは、ちょっとこっち来てくんねぇかな」 「んじゃ、アタシも計測班に回るからさ、みーちゃん。こっから先の構造照合の方は、じゅーくんに確認しててね。一応、何があるか判らないんなら、あっち行く時は、まず、アタシらが先行するわ」 ここまでは前回の突入でおおまかなマップも取得しているし、危険のない事も確認している。しかし、この先、あの小部屋の整列する廊下を含む奥の構造は、ジュメールの証言だけが頼りなのだ。もし、ハルヴァイトたちの予測が間違っていて、あの「アンジェラ」や「赤いフィンチ」が潜んでいた場合、全ての隊員、衛視は、まずミナミの安全を確保し後退しなければならない。 手が出せないのに、誰よりも憎まれている、それは、天使。 離れて行くタマリと入れ替わりに、イルシュとジュメール、ウロスがミナミに近寄って来る。今日のイルシュは随分と落ち着いており、前回のように取り乱したりはしなかった。 「簡単な確認だけしてぇんだけど?」 ミナミの正面に並んだ、イルシュ、ジュメール、ウロス。冷たいくらいの無表情を貫く青年の短いセリフに答えようと一歩進み出たウロスが携帯端末を取り出して何か操作すると、ミナミの目前に置かれているモニターの表示が文字列に変わった。 「内容は臨界式文字列で保護されており、逐次表示。書き換えの可能性はなし。 ジュメール・ハウナスの証言により、当該施設に隔離されていたと思われるのはイルシュ・サーンス、ジュメール・ハウナスの他、魔導師数名。しかしながら、五ヶ月前のイルシュ・サーンス連行後、一切「人」の存在は確認されておらず、現在は無人と予測」 的確に報告したウロスに頷いてから、ミナミがジュメールの赤い瞳を下から見据える。 「ジュメールくんの食事なんかは、どうなってたの?」 「部屋に…、小さな鉄製の窓があって、そこが時間になると開いて、トレイが出て来た。…イルシュが連れ出される前は頻繁に…、教官…って呼ばされた人が僕の部屋にも来てたけど、イルシュが出て行って、何か…、都合の悪い事が起こったってその、…教官が言って、…それ以来、誰も来なくなった…」 「食事以外の生活に必要な設備は、部屋に備え付けられていたと報告」 それらが事前に届いた報告書と相違ない事にミナミは頷き、戸惑う視線をウロスやイルシュに送るジュメールに、ふと、あの柔らかな笑みを見せる。 「別にさ、誰も君の証言を疑ったりとか、そういう風に思ってる訳じゃねぇんだよ。でも、俺達は今からあのドアを開けて、その向こうに行って、そこにあるものを…見なくちゃなんねぇ。何があるのか判んねぇ場所に行くのって、結構覚悟いる事だしさ、もしかして俺達を殺そうとか、そういう物騒な考えのヤツが隠れてるかもしれねぇから、なんだろう、ジュメールくんを信じて、確かめてぇんだよな、きっと。 それと、先に最悪の結果、言っとくけどさ…」 呟くような声に、広い室内のあちこちに点在してい誰もがゆっくりと動きを停め、ミナミを振り返った。しかし、ミナミのダークブルーはそのどれもを捉えず、ただ、開け放たれるのを待っている白いドアに向けられている。 「俺が監禁されてた建物にいた全員が、衛視が踏み込む直前に殺された。…俺も、殺される…はずだった」 呟いて、喉の傷が、疼く。 「何があっても、泣くな。喚くな。俺達に許されたのは、多分、後悔する事でもねぇし、悲観する事でもなくて…」 ミナミが衣擦れを伴って立ち上がる。 「怒る事だと、俺は思う」 怒れと天使は、甘やかな言葉で全てを救う愛を囁くべき唇で、きっぱりと言い切った。
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