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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(1)

  

 何があったのだろうと思う。

 それで、どうやってここまで戻って来てこうしているのか、ミナミの記憶は定かでない。

 ただ、気が付けば城の私室に閉じ篭り、何もない殺風景な部屋の中央に座り込んで、腕に緋色のマントを抱えぼんやりと天井を見上げていた。

 何も、考えていない。

           

           

 なぜ自分はこうも愚かなのだろうかと思った。

 あれの目的が判らない。

 どんなに記憶を辿ってみても、答えの片鱗さえ窺えない。

 どこかにヒントがあるはずだと頭では判っているのに、そのヒントを見付けるためのきっかけが判らない。

 だからドレイクは途方に暮れた。

 何も、判らない。

           

          

 その場に居合わせたドレイク、アリス、アン、デリラには、ハルヴァイトが忽然と消えたとしか言いようがなかった。本当に、そう見えた。

「アンジェラ」の長槍を受けた悪魔が天使を巻き込んで文字列に変換され、上空で待機していた電脳陣に、螺旋を描いて吸い込まれるのを見送った。その間、数秒。最後の一片がひゅるりと霧散するのと同時に陣は真白い激光を放ち、その光が消えた時、ハルヴァイトの立っていた場所にはあの緋色のマントだけが残されていたのだ。

 だから、ハルヴァイトも消えた。

 意識のないアリア・クルスは、丸盆(ステージ)の上で糸の切れた人形のように横たわっていた。今現在彼の青年は、王城地下の特別防電室に監禁されているはずだ。

 ドレイクたち電脳班の面々が、臨界ファイラン階層攻撃系システム閉鎖(スクラム)の報を受けたのは、急遽全ての調査を中止し城に戻ってからだった。特務室に詰めていたグラン、スーシェ、ヘイゼンという高位魔導機を従えた魔導師たちがそうだと言い、ローエンスが閉鎖(スクラム)について説明するまで、誰にも、本当は何が起こったのか判らなかった。

 システムは、自己防衛のための最終手段として一時的にその活動を停止、または、外部からのアクセスを遮断する。その時システムを擁する魔導師においては意識の喪失を伴うとローエンスは難しい顔で言ったが、決して、消えてなくなる、とは言わなかった。

 では、なぜ、ハルヴァイトは「消えた」のか?

 その答えを持つ誰もが口を閉ざし、沈鬱な表情で小さく首を振る。

 認めるつもりはないが、判っているのか。

 ハルヴァイトが消えた原因は、「アンジェラ」と「ディアボロ」の衝突による過剰出力に起因するのではないかと…、問う事も出来なかった。

 膠着する空気。

 ミナミは、緋色のマントを抱いていた。

        

         

 何かしなければならないと立ち上がり、何をすればいいのか戸惑って、アリスは形の良い眉を寄せた。

 電脳班執務室には、ドレイク、アン、デリラが揃っている。ドレイクはデスクの前に立ち、それに両手を突いたまま項垂れて何かを考えており、アンはソファに座り込み広げた両手を天井に翳してじっと見つめ、デリラは壁に寄りかかって難しい顔をしたまま、ぴくりとも動かない。

 全てが停滞している。

 室内に氷塊が詰まっているような息苦しさに、アリスは胸を押さえて小さく咳き込んだ。

 一度だけ。

 瞬間、不意にドレイクとアンの瞳が焦点を結び、二人は。

「アン!」

「はい、情報の照合作業に入ります。タマリさんに協力を?」

「非常事態だ、しょうがねぇ。とりあえずタマリ引っ張って来い。対象は、俺とお前だけだ」

「判ってます。…許可は、どうしますか?」

「出ねぇだろ…まさか。だから、内緒でな」

「…了解」

 何をしようというのか、俄かにばたばたし始めたアンが、うっそりと顔を向けて来たアリスにやや固い、短い笑みを向け、デリラには顔を見られないようにそそくさと執務室を飛び出していく。

「ドレイク?」

「ん? ああ…。なんでもねぇよ。魔導師サイドのお話だ。それで、アリス」

 ようやく椅子を引いてそれに腰を下ろしたドレイクが、曇天の瞳でまっすぐにアリスを見据える。

「サーカス主天幕で記録して来た映像を分析して、あの時天井に描かれてた陣のプログラムを割り出す作業すんのによ、先行して映像処理しといてくんねぇか? 陣のホログラムが欲しい」

 言われたアリスがこくりと頷き、足早に執務室を出て行く。その後ろ姿を渋い顔で見送ってからデリラは微かに咎めるような目つきでドレイクに視線を流し、上官は、乱れた白髪を軽く指で梳きつつ困ったように肩を竦めて苦笑を浮かべた。

「正直言わして貰えば、おれぁ反対なんですがね、ダンナ」

「非常事態だつったろ。待っててダメならこっちから仕掛けんのがセオリーだろうが」

「ま、そりゃそうなんスけどね…。タマリ」

 そこで一旦言葉を切ったデリラは背中で壁を突き放し、腕組みしているドレイクをじっと見つめた。

「便利に使うの、やめましょうや。つうか、ダンナ…」

 デリラは。

 濃茶色の座った双眸に剣呑な光を覗かせて、きっぱりと言い切った。

「違うと思うんスけどね、おれぁ」

 ただの人間だからこそ、違うと思う。ドレイクとアンが同時に行き着いた仮定を、デリラは否定した。

         

          

「うん? いかねーよ、アタシ」

 息を切らして駆け込んで来たアンの要請を、タマリはいかにも面倒そうな一言であっさりと断った。

「つーかんなバカな事言いやがんのはこの口か? ああ?」

 続けて言いながらタマリは、少女っぽい顔ににやにやと薄笑いを浮かべつつ、唖然とするアンのほっぺたを抓り上げ涙目で抵抗する少年の脛を蹴飛ばしてその場にひっ転がし、更に蹴りまで食らわせようとして、ジュメールに羽交い締めにされた。

「きーっ! めっちゃムカつく、このボケナス。てめーのアタマは飾りかつうの! 考えたのか? 最初から最後まで。今朝起きて食ったメシの素材いっこいっこから、止めたボタンの数と形といってきますして踏み出した足が右だったか左だったか最初に誰とどこで会ったのかなんて挨拶したのかくしゃみしたか欠伸したかケ躓いたかスッ転んだか! 考えて考えて、それでもダメでアタシんとこ来たのかって訊いてんだよ!」

 背中から抱きかかえられて爪先さえも床から離れたタマリは、赤くなった頬を押さえ床に座り込んでいるアンにそれだけの罵詈雑言を浴びせ掛けながら、ずっとへらへら笑っている。

 華奢な身体を怒気でいっぱいに膨らませても、タマリは笑う。彼にはその表情しか許されていないから。それしか出来ないから。だから、笑い続ける。

 そして、アンにはどうしてタマリがそんなに怒っているのか、判らなかった。

「戻ってのーみそ空っぽの上官に言ってやれ! 文句あんなら自分の足でここまで来やがれってな!」

 言うなり、羽交い締めにするジュメールの脛を踵で思いきり打ち据え、一瞬緩んだ腕からするりと抜け出す、タマリ。普段はどん臭いくせに、なぜこういう時だけ機敏なのか。

 惚けたように見送るアンをほったらかしたタマリが、どかどか廊下に出て行く。建物全体が揺れるような勢いでドアが閉ざされ、後には、とばっちりで蹴飛ばされたジュメールとおろおろするイルシュ、溜め息を吐きながらドアを眺めるブルースと、座り込んだアンを庇うように佇むスーシェとケイン、ウロスが残された。

「「「………………」」」

 少年たち、上官の暴挙に、唖然。

「…でも、まぁ、タマリが怒るのも無理ないんだから、しょうがないね、この場合。ねぇ、アンくん」

 ふう、と息を吐いて肩の力を抜いたスーシェが、首だけを回してアンを振り返る。

「戻ってミラキに、これ以上ミナミさんを傷付けるような真似するのはやめなさいって、伝えてくれない?」

「…え?」

 目尻に浮いた涙を指先で拭いながら、アンは府抜けた声を出した。

「…ミナミさんは、ちゃんと、ガリューが「消えた」って理解してるよ…。だから、今は混乱してるんだと思うけど、例えば君やミラキが考えたように、ズルしてね…、自分の記憶を他人に確かめて貰ってヒントを探そうなんて、彼は許さないよ」

 呟いて、スーシェはゆっくりとタマリの消えたドアに視線を戻した。

「ぼくが攻撃系魔導師だからそう思うのか、タマリが制御系セカンダリ・システムだからそう思うのかは判らないけれど、ぼくらが「役割」を果たす事で、ヒントは自然に発生するんじゃないかな」

 そうだろう? バロン。とスーシェは、応答のない臨界の片割れを想いながら、静かに瞼を閉じた。

  

   
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