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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(2)

  

アンは、まだ執務室に戻らない。

         

          

 ムカつく! と鼻息も荒く階段を駆け下りる、タマリ。最後の三段をぴょんと跳ねて着地し、膝を叩くような長上着の裾を軽く捌いて、電脳魔導師隊執務棟から出る。

 行く先は、別に決めていない。ただ、今は執務室に居るべきではなく、出来れば、少しの間姿をくらましたい気持ちだった。

 苛立たしげに、速足で、タマリは外壁に沿って建つ執務棟から離れた。誰とも話したくない。アンとドレイクの顔は、向こう一週間くらい見たくない。

「…すーちゃんは判ってくれただろうけどさ…」

 呟いてタマリは、いきなりその場に膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 場所は、電脳魔導師隊執務棟から一般警備部執務棟方面へ抜ける通路区画の、外壁沿い。通路の途中に設けられている書庫の裏側で、つまり普通そこは人の通る場所ではなく、タマリはそこに…隠れた。

 ドレイクとアンの言いたい事は、判る。ハルヴァイトは確かに「消えた」かもしれないが、その「消えた」という現象そのものに、なんらかの理由があるはずなのだ。だから臨界ファイラン階層攻撃系システムは閉鎖(スクラム)したままで復旧せず、そのくせ、アクセス禁止措置以外の不都合は今のところ起こっていない。

 つい数時間前、特務室に戻ったドレイクたちに「閉鎖(スクラム)」についての説明を求められたローエンス、臨界ファイラン階層制御系システムは言った。

             

「閉鎖が実行される可能性は、二種類。ひとつめは、いわずもがな、というのかな? システムそのものが、何らかの内部処理ないし防衛システムを実行し、外部からのアクセスを制限する場合。そしてもうひとつが、…システムの現実面における機能停止に伴う順位変更を実行するためのAIによる閉鎖の実行」

             

 つまり、後者を判り易く説明するなら、ローエンスが周囲に迷惑を掛け続けた幸せな生涯を閉じたとき、その後ろに控えているタマリを階級の先頭に持って来る準備期間、という事だと、ローエンスは面白くもなさそうに付け足した。

 グランと似た、それよりも底の知れない緑の瞳を、蒼褪めたミナミから呆然とするタマリに移したローエンスはゆっくり頷き、だから、タマリにも判った事がある。

 後者ではない。今のところは。まだ確信は持てないものの、絶対に、後者ではない。

 ただしタマリもローエンスも、そんな、不確かな慰めみたいな言葉を軽々しく口にはしなかった。その場では、制御系システムサイドとしてその意思を確かめ合っただけだったけれど、タマリはそれで随分と気持ちが軽くなったものだ。

 だから、頭の中身を整理したい、とタマリは、外界と王城を隔てる分厚い壁に背中を預けてその場に座り込み、深呼吸して瞼を閉じた。

「んと、さ。アタシだって判ってんだよね、うん。ホントはね、レイちゃんとアンちゃんの気持ちだって、判ってるつもり。でも、そうじゃないんだよ。無意識に「見た」何かがハルちゃんからのメッセージかもなんて、そんな事ありえないんだよ。だから、アタシがレイちゃんとアンちゃんの「記憶領域」に外部からアクセスしたって、何も見付からない」

 自分たちがサーカス主天幕で見聞きしたものを、ひとつ残らず正確にデータ化したいから協力してくれ、とドレイクはタマリに、アンを通じて伝えた。

「それよりも、今のアタシの役目は、みーちゃんに「ソレ」をどうやって判って貰うか、って…事なんだもん」

 ハルヴァイトの一時不在。タマリはその時点で、ハルヴァイトはなんらかの理由で一時的に非観測領域に入ったのだと判断する。

 冷たく無機質な壁面に背中を預け、投げ出した両足の間にぺたりと両手を突いて、タマリはぼんやりと地面を見つめた。

「確かに、非常識な話ではあるけど」

 誰に話しかけているのでもなく、少女のような唇から小さな呟きが漏れる。頭で考えた。気持ちは、少しの間だけ無視した。「望み」という希望的観念は不要だ。そういう不安定な要素を入れると、答えが濁る。

 タマリにとって頭で考えたものは事実に過ぎず、そこに他の要素は含まれてはならない。必要なのはクリアな情報と、結果。方程式を組み立てるための、嘘偽りないデータ。文字列という思考で脳から抽出したそれを、タマリはぶつぶつと口の中で繰り返して確かめ、ひとつひとつ並べて、たったひとつの正解に至る式を組み上げる。

「ファイラン階層攻撃系領域で、今現在までシステムの順位変更は起こってない。ってこたぁさ、システムは閉鎖(スクラム)したけど、ダウンしてないって事でしょ? 応答しないまでもシステムが落ちてないって事は、ハルちゃんは、絶対「どっか」に「居る」んだ」

 どこかに、存在している。

 ぴくとも動かない黄緑色の小さな頭の中で情報が高速処理され、不必要と思われる要素が次々切り捨てられて行く。アドオル・ウインは? その悪事が明白となる引き金だっただろう、ヘイルハム・ロッソーは? それから、サーカスの丸盆(ステージ)に倒れていた、アリア・クルスという青年は…。

「うげ…。ヤな事思い出しちゃった」

 アリアの姿形(すがたかたち)を脳内で再構築したタマリは、いかにも不快そうに顔を顰めて舌を出した。彼の横顔を思い出しただけで気持ち悪くなるのは、きっと、彼に対する嫌悪ではなく、アドオル・ウインに対する薄気味悪さなんだと、タマリは自分に言い聞かせる。

 ミナミと同じ顔をした青年。ミナミと同じ声で喋ると蒼褪めたアリスやアンは言い、ドレイクは渋い表情で俯き、デリラは苛立った溜め息を吐いた。

「……「天使」への妄執…」

 タマリは、データを並べ続ける。

「妄執が産んだ「天使」はいつの間にかひとになり」

 ミナミを思う。

「ひとは「悪魔」を得て「天使」に戻る事を拒絶し」

 ハルヴァイトを思う。

「しかし妄執は新たな「囚人」を産み」

 アリアという青年を思う。

「妄執は更なる妄執に呑まれて常軌を逸れ」

 アドオルを思う。

「真相は…臨界から現実を眺めている」

 グロスタンという名を…思う。

「真相? 真実か。それもまた妄執なのか。過去の遺物。遺産。臨界という文字列の世界。基底言語を操る魔導師たち。答えはどこだ? この難解な方程式を閉じるために必要な解答は、どれなんだ? イコールの先にあり、全てに繋がる答えは…」

 タマリは顔を上げ、迫る壁と壁に挟まれた細長い空を見上げて、搾り出すように呟いた。

「ハルヴァイト・ガリューの「答え」は、一体なんなんだ」

 この解答は、ひとつだけなのか…。

  

   
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