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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(3)

  

 姿を消したタマリに謝ろうと、少し探す。しかしあのやかましい声も黄緑色の頭も見付けられなくて、アンは、いかにも済まなそうな表情でスーシェに頭を下げた。

「いいよ、別に、本気で怒ってる訳じゃないと思うしね。そのうち出て来るだろうから、アン君が謝ってたって伝えてお…」

 そこまで言ったところでスーシェは、恐縮するアン少年の後ろにぬーっと姿を見せたウロスに、怪訝な視線を向けた。

「特務室より小隊長とアン魔導師に連絡。モニタに投影を?」

「? ああ、うん、そうして」

 個人の端末でなく執務室宛てに特務室から連絡とは何事か? と顔を見合わせたアンとスーシェ。広いデスクの片隅に置かれた通常モニターに火が入るのを確かめながら、スーシェは少年に手招きして自分の方へ呼び寄せた。

『急ですまねぇ。タマリ居るか?』

 映し出されたのはドレイクで、彼は余程慌てているのか、モニタには視線を向けずしきりにどこかを見遣りながら、早口でまくし立てる。

「今ちょっと失踪中だよ、ミラキ。その件なんだけどね…」

『あ? ああ。違う、スゥ。そっちじゃねぇ』

「……そっちじゃない?」

 ようやくスーシェとアンに視線を向け直したドレイクが、小さなモニターの中、酷く難しい顔で首を横に振る。何があったのか。今度は、なんなのか。微かに唇を震わせたアンの顔を曇天の瞳で険しく見つめてから、溜め息と伴に呟きを漏らす。

『ミナミが…………………』

 続く言葉がスーシェの脳に到達し、瞬間、アン少年はその場にぺしゃりと…座り込んでしまった。

 告げられた事実に、愕然とする。目の前が真っ暗になり、頭の中が真っ白になり、何も、考えられない。

「…判ったよ、至急タマリを探してそっちに向かわせる。アンくん? 大丈夫。少し休ませて、それから誰かに送らせよう。医療院の方には連絡したのかい? カウンセラーが来る? 判った。タマリにはそれだけ伝える。うん、判ってる。

 ミラキ」

 スーシェは、急激に全身の力が抜けて膝から崩れたアンの肩を抱いたまま、モニターを見つめた。

「君は、大丈夫なのかい?」

 その、誰もが言いあぐねていた質問に対しドレイクが、弱々しい笑みだけを返し答えを返さず、一方的に通信を切断してしまう。

「…………」

 少しの間ブラックアウトしたモニターを睨んでいたスーシェは、短い吐息で気分を変え、とりあえず、床に座り込んだままのアンをそっと立ち上がらせてソファに移すと、無言で、少年の小さな頭を抱きかかえた。

 何もかもが腹立たしい。否。哀しいのかもしれない。それをどう表現していいのか判らず、スーシェは瞼を閉じた。

「タマリを探そう、アンくん。それが、今ぼくらに出来る精一杯なら、そうしよう…。誰もミナミくんと代わってやれないのなら、誰も………ガリューの代わりになれないのなら、ぼくらは、ぼくらに出来る事だけをやろうよ、ね」

         

     

 いっときの不在が意味を持ち、その意味が答えになっているのだと気付くまで、

 どれくらいの刻(とき)が必要なのか。

 全ての人よ、うらむなかれ。

 世界はデータで出来ている。

 しかし、完璧なデータはない。

 もしもその答えに誰も行き着かなければ、わたしは本当の意味で「閉じる」だろう。

 そしてわたしは卑怯にも、わたしの行く末をデータの海に点在する道標に任せた。

 あなたはそれに気付くだろう。きっと。

 なぜならわたしは。

        

 そうあればいいと、「望む」のだから。

      

 恋人は。

       

       

 紡ぐ言葉もなく震えるアンを小隊長室に残し、スーシェは執務室に戻った。

「ウロス、タマリを呼び出せ」

 私服を脱ぎ捨てて制服に着替えたスーシェが、いつにない厳しい声音で言い放つ。つい数時間前までどこか弱々しくあった彼の変わり様に、部下である少年たちは首を傾げたが、ウロスとケインはこれ当然とそれぞれの仕事に戻ろうとする。

「イルくんは、アンくんの傍に居てあげてくれないかな。彼が落ち着いたら、特務室に送って行って」

「タマリは端末を切断している模様。検索出来ん」

 忙しくキーボードを叩いていたウロスからの報告に、スーシェが小さく舌打ちする。

「ブルース。臨界式でタマリと通信出来るかい?」

「やってみますが…」

 意外にも落ち着いたブルースの返答に、細いネクタイを締め終えたスーシェが頷きかける。

「説明は後だと伝えろ。電脳班に関わるこの「事件」が外部に漏れる事を、陛下並びに特務室は望んでいない。極秘事項に係る予測不能事象の発生だ」

 言ってスーシェは、俄かに緊張した部下を自分の周囲に呼び寄せ、一言、こう付け足した。

 声を潜めて。

 息を殺して。

 他の誰にも聞かれないように。

 囁いた。

「…ミナミくんが…………声を棄てた」

 その言葉が終わるのと同時にブルースがひとり輪を離れ、臨界式通信陣を立ち上げる。回転する陣を映す赤銅色の瞳が微かに見開かれ、すぐ、苛立たしげに眉根が寄る。

「一方的に通信を拒否してます。呼びかけに応答なし。アカウントが他の接触を拒んでいるようです」

 言い捨てて陣を消したブルースが、迷わずドアに向き直る。

「だったら足で稼ぐしかないでしょうね、スゥ小隊長。とにかく、タマリ「魔導師」を探しましょう」

 まったく! と短く付け足したブルースが勢いよくドアを開け放ち、廊下に飛び出して行く。それを追ってウロスとケイン、ジュメールも執務室から駆け出す。

「イルくん…」

「おれも、行きます、小隊長。

 あの、こういう時アンさんの傍に居てあげるの、おれじゃないと思います…から」

 少年は、一瞬迷うように小隊長室のドアに顔を向けてから、何かを吹っ切るようにスーシェを見つめ直し、そう言ってぺこりと頭を下げスーシェの前を走り抜けて行く。

 イルシュは何を言いたかったのだろうか。スーシェはゆっくりと息を吐き、自分も廊下へ出た。

「…………………………エスト小隊長」

 そこでは、執務室の壁に寄りかかって腕を組んだローエンスが彼を待ち構えていた。

「ルー・ダイが居る?」

「はい」

「あのコは、とてもガリューに憧れていたよ。恐れてもいたし。でも、ああ見えて強情なのか、よく喧嘩もしていた」

 呟いて、スーシェから視線を逸らし自らの足元に顔を向けたローエンスが、短く苦い溜め息を吐く。

「なぜ、泣かないのだろうな」

「…………………………」

「なぜ、誰も泣かないのだ? ゴッヘル」

 廊下の真ん中に佇み、スーシェは。

「明暗は未だ決まらず、しかし、最悪の結果もあるだろうに、なぜ、誰も、一粒の涙も見せないのだろうか」

 壊れて行くばかりで。

「では、あなたならいかがなさいますか、エスト卿」

 問われたローエンスが無言で携帯端末を取り出し、何かを打ち込んでスーシェに放ってよこす。

 表示された電信番号に、覚えがあった。すぐ応答し映し出されたひとは…。

「…………………ゴッヘルです…。お忙しいところ申し訳ありませんが、アンくんを、迎えに来てくれませんか」

 泣かせてあげてください。と震える声で付け足したスーシェに、そのひとは、いつもと同じに素っ気無く、「そうか」と答えた。

  

   
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