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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(26)

  

 保養所のカフェで簡単な昼食にしようかと言っていたはずが、本丸七階で運悪く(?)ルニとマーリィに遭遇したミナミたちは、ふたりの護衛に当てられていたルードリッヒを入れ、結局、二号分館のレストランでたっぷり時間をかけてランチを摂るハメになった。

 様々な理由を付けてその誘いを断わっても良かったのだが、明かせない公然の秘密としてウォルがドレイクの休息に付き合っているからなのか、最終的に「どうする?」とヒューに確かめられたミナミは、無言で彼に頷き返してから、どこか不安げに表情を曇らせている姫君に視線を戻して、薄く微笑んで見せた。

 ルニは、当然と言おうか…、始めて会ったらしいタマリに、大いに興味を示した。というか、懐いた?

 テーブルのセッティングが終わるまでの短い間も、食事が始まっても、食後のコーヒーと紅茶が出て来ても、傍らに置いたタマリといかにも楽しそうにきゃぁきゃぁ話している有様で、ついには、行儀がなってないとフェロウ女官に叱られたりした。

 騒々しい室内。タマリとルニが揃ってマーリィにぶーぶー抗議し、真白い髪を逆立てそうな勢いで握り拳を固めた少女が、アリスそっくりに「お二人ともそこに正座なさいっ!」と声を張り上げているのを眺めつつ、ヒューが苦笑を漏らす。一般の貴族が出入りするフロア奥のVIPルームが、微妙に阿鼻叫喚、などと笑っているアン少年やデリラは未だ食卓に着いていたが、ミナミとヒューだけは装飾も美しい飾り窓の傍に置かれている肱掛椅子に、それぞれ移動していた。

 いつもなら食後はコーヒーと決まっているミナミが手にしたカップを満たすのは、仄かに赤い砂糖なしの紅茶。無意識なのか意識的になのか青年がコーヒーを避けた理由は、ヒューにも判らない。

 こちらは、ブラックは胃に悪いですよ、などとアン少年の咎める表情とセリフをさらりと流したヒューが、ぬるくなり始めた苦い液体で喉を潤す。果たして、わざとのように騒ぎ立てる姫君や女官からこれもわざとのように遠ざかった青年が何を言い出すのか、さり気なく視線で促がされ騒がしい環から外れた銀色は、探るように溜め息を吐いた。

 ついに、タマリの扱いに音を上げたマーリィが涙目でスーシェに助けを求め、小隊長の平手が容赦なく黄緑色の後頭部に炸裂する。情けの欠片も見当たらないそれを見たルニが蒼くなってデリラの背中に隠れるのを遠目に眺めていたヒューは、退屈そうに肘掛に凭れてから、小さく失笑した。

 ミナミの問うような視線を頬に感じて、男が薄い唇を動かす。

「くだらない三文芝居を観てる気持ちだなと思っただけだ」

 いかにも「それらしい」セリフに、傍らの青年も少し笑った。彼はこういうところ意外に辛辣で、それなのにちゃんと巻き込まれれば付き合ってやれて、不器用なくせに大人な部分は大人なのだと思い知らされる。

 そして、誰もがそういう面を持ち合わせているのだ。

 ミナミはそこでようやく、手にしていたカップをサイドテーブルにことりと置き、懐から取り出した小豆色の手帳に何かを書き付けた。

 長くはない一文。

 顔だけを、ではなく、狭い椅子の中で身を捻り、全身でヒューに向き直ったミナミの翳す手帳に綴られた文字を、男は肘掛に預けた腕で頬杖を突いたまま横目に眺める。

 そして。

 ふと、その唇が浅く弧を描いた。

「そう来たか。それで、なぜ先に俺に言う?」

 ミナミの「発言」は、ヒューにとってみれば、意外でもなんでもなかった。いつか言い出すだろうと思っていたのだ、今更驚くほどでもない。

―――ミラキ卿―――

「停められると思ってるんだな」

―――多分―――

「なら、お前が欲しいのは味方か」

 こくり、と頷いたミナミの金髪が綺麗な輪郭をさらりと撫でる。

 短い単語だけで構成されるミナミの「意思」は、勘の悪いものならば完全には汲み取れないだろうし、そもそも、この筆談自体成立しない。果たして、今交わされている連想ゲームのような会話は相手が自分だからなのか、それとも、誰に対しても同じなのかと少し考え、ヒューはすぐにその答えを放棄した。

 そんな事は、どうでもいい。必要とあればミナミは、手帳の紙面いっぱいに伝えるべき事を書き綴るだろう。だとしたら今彼が求めているのは、自らの意思を簡潔且つ手早くヒューに提示する事だ。

 瞬き一回を過ぎる間、ヒューの言葉を肯定したにも関わらず、ミナミはじっと彼を見つめていた。迷っているのではないだろう。でも、何か違うのか? とヒューが頬杖を外して足を組み直しながらちらりと青年に視線を送れば、ミナミが、再度小さく頷いた。

―――味方 ×―――

「………?」

 記号混じりで「味方ではない」と告げられたヒューが、片方の眉だけを吊り上げて首を捻る。

―――ミラキ卿 ×―――

「ミラキがダメ? ………………」

 もう少し判り易く書けと言いたげな目付きを送られたミナミが手帳に視線を落とそうとした時、不意にヒューが、「ああ…」と溜め息みたいに弱く笑った。

「ミラキ「が」ダメじゃなく、邪魔させるなって事か?」

 あくまでもこれらの発言は全て、最初の一文に掛る。だとしたら、ミナミはなんとしてもその「行動」を取ろうとするのだから、誰にも邪魔させるなというのだろう。

「欲しいのは味方でなく、ミラキには邪魔させるな…ね」

 呆れた苦笑まじりに呟いた端正な横顔を、ミナミは無表情に見つめていた。

「横暴な上官を持ってしまって魔導師に喧嘩売らされるなんて、俺は幸運だよ」

 確かに、電脳班の誰もが、これからミナミが言い出す事には反対するかもしれない。しかし最大の問題はドレイクで、逆に、ドレイクを黙らせれば、実質ミナミを停められる者はいなくなる。

 そしてミナミの書き綴った短い言葉は希望などというかわいいものではなく、ヒュー・スレイサーという部下に対してミナミ・アイリー次長の出した、命令なのだ。

 ではそろそろ仕事するか。と独り言みたいに呟いたヒューは、談笑するアリスたちを眺めながら、極力唇を動かさず、声を潜めて訊くべき事を整理し始めた。

「タマリの持ってたディスクはどうする?」

―――先に展開 解析は後回しーーー

「同時進行で向こうに仕事を押し付けておいた方がいいんじゃないのか?」

―――無理 すぐには読めないーーー

「解読に手間が?」

―――多分―――

「なら、展開の準備を」

―――アンくんーーー

「他の資料は」

―――アリスとデリさん 後でいいーーー

「第七小隊はどうする」

―――出向扱いのまま 手が欲しいーーー

「陛下には?」

―――室長と陛下 自分で報告するーーー

「ミラキは?」

 そこでようやくミナミに顔を向けたヒューに、青年は、ゆっくりと微笑んで見せた。

「…………」

 平気じゃね? もう。

 淡い色彩の唇がゆっくりと動き、声のない囁きを漏らす。

 それを確かめ、微か口の端を笑みの形に引き上げて、ヒューは全てを肯定するかのように一度だけ瞬きした。

「ところで、後で「会ったら」、一発だけガリューを殴っても構わないか?」

 突如薄ら寒い笑みを満面に浮かべたヒューにミナミは、「それ、俺の役目」と書き付けた手帳を突き出し、それから「ヒューは三番目」と書き足した。

「二番目はミラキか?」

―――アリスだろ? 当然―――

 という予想通りの返事に、ヒューがわざと声を上げて笑う。

 それに驚いたのか、食卓を囲む輪の一部が、窓際でひそひそと相談していたミナミとヒューを振り返った。

「…アンくん」

 今だくすくす笑っているヒューに呼ばれて手招きされたアンが、訝しそうな顔をしながらも食卓を離れて窓際へと移動して来る。

「なんですか?」

 近付いて微笑んだ少年の腕を掴んで引き寄せたヒューは、色の薄い金髪に埋没した耳元に唇を寄せ、何事かをぽそぽそと囁いた。

 別に内緒話でもないだろうに、これはもしかして微妙にセクハラか? などと、身を屈めた少年と背筋を伸ばしたヒューの横顔を同時に見ながら、ミナミが内心の苦笑を噛み殺す。と、目端でもそりと動いたルニがしきりにこちらをちらちら窺っているのに気付いて、ようやく、青年にもヒューの思惑が判った。

 姫君には悪いが、ここで下手な興味を示されるのは得策でない。色々な意味で心配してくれているのだとは思うものの、今は、首を突っ込んで欲しくないのだ。

「判りました。仕度が終わったら電信しますね、ミナミさん」

 暫し何かを耳元で囁き合っていたヒューとアン。話が付いたのか、少年はそっとヒューの腕を押して身を起こし、男が、アンの腕を解放する。

 にこりと笑って会釈した少年が、黒い長上着の裾を翻してミナミたちに背を向け、お先に失礼します、ルニ様。と言い置いて部屋を出て行く。その背中を見送って、さて、どうやって自分はここから退場しようかと思案するミナミの目前に、ひょいと顔を出したルニは…。

「何? スレイサー! アンくんと内緒話?」

 何やら面白いくらいにヒューの思惑にハマって、黒い瞳をぴかぴかと輝かせていた。

「ええ、まぁ」

 あからさまに胡散臭い笑顔でヒューが答えるのと同時にミナミはさりげなく立ち上がって、自分の座っていた肱掛椅子を手で示し、ルニに座れと促がす。

 見栄えの良さが仇(?)になってなのか、ルニはヒューがお気に入りなのだ。そして、アン少年も、お気に入り。好奇心旺盛でそれなりに「少女」な姫君にしてみれば、そのふたりが何やら内緒話をしているとなったら、首を突っ込みたくなくって当たり前か?

(…ヒューってこえー…)

 それを知っていてわざと気を引くようなマネをしてみせる銀色にそこはかとない寒気を憶えつつ、ミナミは、椅子に収まって肘掛に縋り付き、しきりに「何の話?」と食い下がっているルニの前からそっと離れた。

 ヒューがどんな口から出任せを並べて姫君から逃れるのかちょっと興味はあったが、とりあえず退室しようと青年は、複雑そうな苦笑いで肩を竦めているアリスとマーリィに目配せしてドアに爪先を向ける。それを察したデリラが席を立ち、他を残しミナミの後ろに着いて一緒に部屋を出た。

 デリラは、ミナミがなんのためにひとり退室したのかと訊かなかった。アンをどこへ行かせたのかとも言わなかった。ただ、「おれぁミナミさんのエスコートに慣れてねぇんでね、なんか不都合あったら言ってくださいね」と思い出したように言い、それから。

「それだって言いたくねぇんなら、そうだね、軽く蹴飛ばすくらいでお願いしますね」

 からかうように付け足し、人悪そうな顔で笑った。

  

   
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