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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(35)

  

 「だったらなんだよ!」

 半狂乱というほどでもないが冷静とも遠い微妙に取り乱した状態で言いつつ、アリアがミナミを睨む。

 明らかな感情の起伏を示す表情。眉を吊り上げ? 鼻面に皺を寄せ? 牙を剥き? か? 忙しく動くアリアの顔を冷たく見つめていたドレイクが、ついに、背中を壁に預け直して俯き、くすりと笑う。

 それにもまた、アリアが即座に反応する。青年は苛々と舌打ちし、金色の毛先を振り乱して壁際のドレイクを睨み据えると、薄い唇を動かし何かを訴えようとした。

「おめー、なんだか、急がしそうだな」

 それを遮って、ドレイクが呟く。

 腕を組んだまま壁に寄りかかっていたドレイクの白髪がゆらと揺れ、俯き加減だった顔が上がる。

「訊きてぇのはおめーの方じゃねぇのか? なぁ。話してぇのは、おめーじゃねぇのか?」

 ごく近くで曇天の瞳に見つめられ、アリアは短く息を飲んだ。

「ミナミは…俺たちは…、お前に何も期待しちゃいねーよ。何かを話して欲しいとも、何か教えてくれとも思ってねぇ。

 ただ俺たちは、お前を確かめに来ただけだ。

 それなのにお前は、俺たちが「何かお前から聞き出そうとして来た」と思ったのか?

 それってのはつまり」

 晒したい秘密があるのか? とドレイクは、吐く息のようにひっそりと呟いた。

 硬直して唇を引き結んだアリアの横顔からミナミは、ドアのすぐ横に佇むヒューに視線を移した。それを受けて微か顎を引き、何かを了承したらしい銀色が口を開く。

 ミナミの代弁者として、か。

「言いたい事があるなら言えばいい。

 俺たちはただそれを、聞きに来ただけだ」

 ヒューの声が途切れ、室内に静けさが戻る。

 誰も動かない。彫像のように佇み、何かを待つ。何を言うでもなく、何をするでもなく、ただ、アリア・クルスという青年がその胸の内にある澱を吐き、この世に。

 関わろうとするのを、止めたりしない。

「……あんたが…」

 ふと、疲れたように肩を落として俯いたアリアが呟き、ドレイクに向けていた顔を正面のミナミへと戻す。どこか戸惑うように紡がれたセリフは一旦途切れ、中空を彷徨っていた青い瞳がミナミの無表情に吸い付いた。

「あんたが居るから、俺がいんのかよ。じゃぁ、あんたが居なかったら俺はいないのか? 俺は何で、あんたは何で、どうして、俺はあんたと同じ顔に造られた? それなのに、なんで俺にだけ「アンジェラ」が居る? あんたにはないものが俺にあるのは、なぜなんだ? 俺は。

 どうして、「ミナミ・アイリー」じゃない?」

 淡々とした問い。

 ミナミは、ゆっくり首を横に振る。

 否定する。お前は、俺じゃねぇよ。と。

 言ってしまって、アリアはなぜか吐き出すように笑った。自分が滑稽だと言わんばかりのそれにも、誰も答えてはくれないけれど。

「判ってる。俺は俺で、あんたはミナミ・アイリーだ。別人だろ? そんなの、俺は知ってる。でも、周りはどうなんだよ。判ってんのかよ。時々、判ってるはずの俺だって混乱したのに…」

 混乱「したのに」。

 独白するように喋り続けるアリアから目を逸らさないミナミの、胃の辺りがじわりと熱を帯びた。

 ミナミは仮定する。その仮定を成立させるための呪法と手段を、記憶の中から選択する。

 ヒントは、「ゲートウェイ」。

 燃え上がる炎で表される、文字列。

 アリア・クルスは、ミナミの視点でこの都市を見ていた。そうする事が出来た。臨界を経由し現実面のデータを閲覧、再生が可能ならば、「他人の視点を自身の視点と入れ替える」呪法は、存在する。

「…でも、別々なのに、あんたも俺も、結局同じ…なのかもな」

 フッと薄い唇に笑みを載せたアリアの眦が、ゆっくりと吊り上がった。

「結局何も、手に入らねぇ」

 アリアが何を欲しているのか、それは今の問題ではない。だからミナミは否定も肯定もせず青年を見つめ続け、青年は、どこか挑戦的に歪んだ笑みをミナミに突き付ける。

「あんたは、アイツを、取り戻せねぇよ。絶対に」

    

    

アリア・クルスは。

知っている。その、意味を。

    

    

なぜなら彼は、

グロスタン・メドホラに通じていたのだから。

     

     

「あんたは失望すればいい。俺があんたでない事に失望したのと同じくらい」

 瞬間、アリアの腕が高速で跳ね上がり、ミナミの黒ネクタイに掴みかかる。

 咄嗟に飛び退こうとして、背中から壁に衝突するミナミ。空を切ったアリアの腕は今度こそ二人の間に割って入ったドレイクに弾き返され、壁に背を預けたままその場に座り込んだミナミの傍らへ、アリスが駆け寄る。

「ミナミに触んじゃねぇ」

「ハッ!」

 立ちはだかるドレイクを睨んだアリアが、短く吐き捨てるように笑った。

「あんたは、いつもそうだった。俺の見るあんたは、いつでも誰かに助けられ…」

「誰も、ミナミを助けてはいない。助けようとするだけだ。

 助けようとして、手を差し伸べようとして、でも、何も出来ずに居ただけだ。

 だから結局、ミナミはいつも自分で立ち上がるしかなかった」

 ドレイクに食って掛ろうとしたアリアの言葉を、ヒューが遮る。いつもと同じに横柄に腕を組み、冷たいサファイヤの瞳で喜怒哀楽の激しい青年を見下ろす。

「お前は、ミナミと自分を混同したんじゃない。

 ただ、羨んだだけだ」

 そういう風に見ていただけだと、彼は静かに言い置いた。

「…ああ、違うな……」

 二呼吸ほどの間を置いてから、ヒューがふと口の端を吊り上げる。それでアリアの視線がミナミとドレイクからドア近くに佇むヒューに移り、青年の意識が銀色に集中した。

 絶妙のタイミングか。ヒュー・スレイサーもまた、ハルヴァイト・ガリューとは違ったアプローチで、相手を掌中に落とす。

「たったひとりミナミを助ける事の出来ただろうヤツは、お前が、消したんだな」

「違う」

 冷笑を消さないヒューの顔を睨み、アリアが低く呟く。

「………………それは、違う…」

 ドレイクの視線が動く。

 アリスの、アンの、デリラの視線が動き。

 ミナミを、見た。

「あの悪魔は…、魔導機同士の衝突で放出された過剰出力を使って無理矢理ゲートをこじ開け、臨界に行った…」

 確定した証言にミナミのダークブルーが動き、アリアの蒼褪めた横顔を捉える。

 知りたいのは…。

 瞬きを止めたアリアが、無言のヒューをじっと睨む。これだけは否定しなければならないのか、彼は、促がされもしないのに、まるでその事実から逃れるように、吐く空気の混じった酷く聞き取り難い掠れ声で淡々と言葉を続けた。

「あいつは、自分であの牢獄に…グロスの言う「永久の裏側」に行ったんだ…、あんたを、見捨てて…」

        

       

それは………どうでしょう?

     

       

 呟きながら旋廻したアリアの、絶望に翳った青い瞳。その頼りない表情の意味に気付いたのは、ミナミだけだったのか。

 ミナミ・アイリーの世界を見ながら今までを生きて来た青年にとって、果たして「ハルヴァイト・ガリュー」がどんな意味を持っていたのか、本当の所はアリアにしか判らない。しかし、全てではないにせよ一方的に「情報を共有されていた」ミナミには、朧にその、自分によく似た青年の落胆が見えた気がする。

 彼は、同じだと言わなかっただろうか。たった今。結局何も手に入らないと、そう言わなかったか?

 ミナミを救うものは、どこかで、「アリア・クルス」という青年のこころを救ったのではないか…。例えそれが「アリア・クルス」に向けられたものでなかったとしても、「ミナミ・アイリー」と自己を混同した青年もまた、「その時」、ミナミの見るもの聞くものを自分の見るもの聞くものとして捉えていた時、あの悪魔に、「愛された」と…思ったのではないだろうか。

 壁に背中を押し付けて床に座り込んだままのミナミが、蒼褪めた無表情でアリアを見つめ返す。

 室内を抑え付ける探るような静寂。アリアは息苦しそうに何度も大きく息を吸い、ミナミは、静謐な、観察者。

「結局あんたも取り残されたんだろ? そうなんだろ? ウイン卿が来なくなって俺がひとりあの空間に取り残されたみてぇに、あんたも、あいつに見捨てられたんだよ!

 あの、刻(とき)の止まったデータの世界から現実面に戻るなんて、そんな夢みてぇな事、誰にも出来やしねぇんだからな!」

 刻(とき)の止まった…。

 ミナミの中で、何かが閃こうとする。後少し。もうちょっとで、その「何か」=「答え」が、はっきりと形を取ろうとする。

 もどかしいほど、ゆっくりと。

「あんたも、絶望すればいい。はっきり知ればいい。あいつは間違いなく臨界に居る。でも、二度と逢う事なんて出来ねぇって判って、絶望して、諦めて、死ぬまで悲しめばいい。ああ、そうだ! だから俺が教えてやるよ。聞きたくねぇって、そうあんたが、あんたたちが言っても、俺が…言ってやるよ!」

     

      

わたしの答えを恋人に告げるのは、

恋人と同じ顔をした、

別人。

     

     

「現実面と繋がった臨界で唯一同調出来ねぇのは、「時間」だ。臨界は気紛れに「刻(とき)」を揺さぶんだよ。動かないデータは進行しねぇ。現実面から魔導師に操られるデータだけが、同速進行する。占有領域にデータの進行開始時刻と終了時刻を書き込めるのは、魔導師だけだ。

 だから、臨界に行ったあいつには、現実面の時間進行を確かめられても、データを現実面から繋ぐ事は出来ねぇ」

 大雑把に言えばズレが生じるという事なのだろうか。と、ヒューが内心首を傾げる。しかし、だからといって何がどう不都合なのか、自称凡人の銀色にはさっぱり判らなかったが…。

「脳波時刻で誤差ゼロでなくちゃ、生体の完全再構築は出来ねぇんだよ」

 アリアが消え入りそうに呟いた、瞬間、ミナミが……………俯く。

 壁に背中を預け、立てた両膝を抱えて顔を伏せたミナミの肩が、ふるふると小刻みに震え出す。

 これが事実か。お終いなのか? 「閉鎖(スクラム)」は実行され、臨界に沈んだハルヴァイトの時間は止まった。

 そして、ミナミは…。

「ちょ……………っと…、ミナ…ミ?」

 青年の傍らに膝を突いていたアリスが、なぜか困惑したように青年の横顔を覗き込んでから、おろおろとドレイクやヒューに助けを求める視線を送る。それに答える術も見つからず、重苦しい息を吐いて首を横に振りかけたドレイクの顔を上げさせたのは、続く、赤い髪の美女が苛立ち紛れに放った一言。

「何笑ってるのよ、もう!」

 言われて、アリアまでもがぎょっとする。

 膝に置いた両の拳を固めて眉を吊り上げたアリスに軽く手を振って見せてから、ミナミがゆっくり視線を上げて室内を見回した。

 間違いなく、青年は笑っていた。可笑しくて可笑しくてどうしようもないとでもいうのか、貫き通したい無表情も一秒と保てない。

 声もなくくすくすと笑いながら、ミナミは肩を竦める。

 知ってしまった答えは、最悪。判ってしまったから、もう後戻りは出来ない。

 ミナミは床に座ったまま長上着のポケットを探り、携帯端末を取り出した。

 未だ薄気味悪くも笑い続ける青年の指が何かを押し込み、直後、ドレイクの端末が呼び出し音を発する。慌てて懐に手を突っ込んだ彼が端末を開いて、すぐ、曇天の瞳が滑るように移動しミナミの横顔を睨む。

『判った』と一行。

『説明する モニター投影 頼む』と二行目。

 ドレイクはミナミから目を逸らさずに、アリアとミナミの間に臨界式のモニターを立ち上げ、通常通信を直結した。

  

   
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