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17.フレイム

   
         
(4)一日目(前日)

  

「地下施設の調査結果とサーカス天幕の調査結果はどちらも、明日以降第七小隊の方で解析させる事にしたけど、それでいいの?」

「あっち、明日で調査終わらせられんのか?」

「見えてる部分だけなら終わるだろうって、班長が。ブルースくんもそう言ってたらしいわよ」

 アリスが通信端末を高速で流れる文字をちらちら確認しながら報告してくる内容に耳を傾けていたドレイクはひとしきり唸って、意を決したような顔でデスクから離れると、隣の衛視執務室を覗いた。

「ジリアンくん」

「なんですか? ミラキ副長」

 今日も今日とて何をやっているのか、モニターの前から一向に動かないジリアン・ホーネットに、いかにも胡散臭い笑みを浮かべながら近付く、ドレイク。

「暇だろ?」

「そんな訳ないじゃないですか、何寝ぼけてるんです? 寝起きの班長だってもうちょっと気の利いた質問しますよ。はいはい。邪魔なんで、これ持ってさっさと執務室帰って仕事してください」

 そもそも特務室というのは、何をやっているのか判らないがいつも人手不足に喘いでいる。そのくせなぜかこのジリアンという青年はどんな時でもここに居て、でもちゃんと官舎でも会うので仕事し通しという訳でもないだろうと、特別官舎住まいのアンなどは言うのだが、ドレイクは日頃から、実はこいつ摩り替え要員が三人くらい居てもおかしかねぇ、などと思っていたりする。

 それくらいよく目にするのにも関わらず、ヒューの次くらいに何をしているのか判らない青年に仕事を頼んでやろうとしていたドレイクはしかし、あっさりばっさり言い捨てられて、ついでに、大容量メモリキットを外装ごと端末から引っこ抜いたまま手渡された。

「つか、これなんだ?」

 何も頼んだ覚えはない。という、微妙に不機嫌そうなドレイクの顔を目だけで見上げたジリアンが、黒いセルフレームの眼鏡を直しながら、小さく…笑った。

「アンさんから直接送って貰った、サーカス主天幕及び、展示、整備天幕の内部測量、索敵調査の結果と、フルブロックで機械信号化した、初回主天幕内部で行われてたリリス・ヘイワードの舞台挨拶と、前回電脳班が記録してきた「アンジェラ」出現直後までの映像に、今日の天幕調査状況を記録した映像です。他にも幾つか細かい資料や調査報告など入れておきましたから、前回、前々回、今日の都合三日分のサーカス天幕に関する必要資料はほとんど揃ってると思います。

 ちなみに、地下施設の資料は基本的に第七小隊の方で解析する事にして、複製を取らずに直接ハードごとこちらへ運び込むようにとウイリー事務官に指示しておきました。外部からの不正アクセスに用心するため、警備軍の端末ではなく、本丸三階に支度させた臨時執務室…」

「ってよ、待て、ジル」

 てきぱきと報告するも、どこかしら可笑しげな光を湛えた、黒いセルフレームの奥の瞳。それをぽかんと見つめて、一呼吸、ドレイクはなぜかさも不機嫌そうに眉を寄せ、青年の発言を遮った。

「誰の指示だ? そいつぁよ」

「誰って、別に誰の指示でもありません」

 ? それは一体、どういう意味なのか。

「ミラキ副長はご存知ないでしょうが、特務室、電脳班、警備部隊に第七小隊、本件に関わる班隊の動きを総合的に鑑みて、不足する部署事柄を適正にサポートするのが、常にここに居残っているぼくの仕事なんです」

 つまり?

 いつも何をやっているのか判らないこの青年こそ、特務室で行われている全ての事件について、常に把握しているという事か?

 もしかしてこの、少々いたずらっ気の強い眼鏡の事務官はとんでもなく頭の回転が速いのだろうか、とドレイクは背中に嫌な汗を掻いた。

「どんなに注意しても、意識しても、実際事件にかかずらってしまうと、どうしても見落としや勘違いが生じます。それを客観的に整然と並べるチェック機能は、ないよりも有った方がいいでしょう。と、そういう事です」

 ジリアンは取って付けたようにそう言って、にこりと笑った。

「ですが、ぼくはあまり電脳班の職務に首を突っ込んだ事がないので、資料の不足や形式の差異には眼を瞑ってくださいね、ミラキ副長。今日のひめさまは、始終前回取ったデータの解析に忙しく、資料の確認して頂くに至ってませんので」

 片手にメモリキットを捧げ持ったまま、ドレイクは唖然とジリアンを見つめているばかり。

「………」

 用事が済んだからなのか、ジリアンはデスクの下に置いている箱から新しいメモリキットを取り出して空いたスロットに突っ込み、別の仕事に取り掛かろうとしていた。今度は何をするのか興味はあったが、忙しいんだからさっさと執務室に帰ってください、という微妙に失礼な空気に当てられたドレイクは、とりあえず「ごくろうさん…」と呟いて、すごすごと来た経路を引き返す。

 さすがは特務室、か?

「何、ドレイク、変な顔して」

 ぱたりと閉めたドアを背にして呆然と手の中の資料を見つめていたドレイクに、アリスが小首を傾げて問いかける。

「いや…、今隣行ったらよ、資料渡されてな? んで、追い返されたんだけどよ…」

 欲しいものがほとんど揃っているらしいメモリキットからアリスに視線を流したドレイクが口篭り、すぐ、赤色の美女がくすりと口の端をほころばせた。

「いい事教えましょうか、ドレイク」

「あ?」

「ジルってね、ネットカフェの千問クロスワードチャンピオンシップの、五年連続優勝者だったらしいわよ?」

「…はぁ?」

 毎月配信される千問クロスワードには、年一回、毎月の優勝者だけを集めて行われる最優秀者決定戦がある。問題は難解。最初の百問を正確に解けなければ残りの九百問の問題さえ構築されないという、クロスワードであり連想ゲームであり雑学知識を試されるそれの、五年連続優勝者?

「カイン君がね、以前所属してた部署に入って来た新人に、とんでもないのがいるって言ってて、それがどうも、ジルらしいのよね」

 さて、果たしてそれがどこだったかと考えを巡らせるドレイクをよそに、アリスはくすくす笑いながら続ける。

「一を言えば関連項目が十まで返る。上官泣かせの優秀さだって」

 しかも仕事が速いとなれば、確かに、いい面もあるだろうが…。

「提示された情報を上手く使いこなせねぇ上官なら、逆に鼻持ちならねぇってとこか?」

「そういう事。それでね」

 うふふ、とそこで彼女は、ついに堪え切れなくなったように明るく笑った。

「上官に嫌われて、情報室から資料整備部に転属させられたらしいわよ?」

 出る杭は打たれるのか。

「その上官は、自分の無能さを露呈しちまったってワケかい」

 アリスにつられて吹き出したドレイクはそこで、なるほど、そんなヤツならあいつの気に入りそうだと、妙に納得した。

           

        

 整然と並んだジリアンの資料と格闘していたドレイクの元にヒューが戻ったのは、深夜に近い時間だった。城へはもう少し前に到着していたらしいが、三階に支度された臨時執務室で持ち込んだ調査結果の確認をし、明日の予定を打ち合わせ、ようやく今解散したのだと彼は言う。

「ミナミの方はどうなってるんだ?」

「二度目の二十番目まで描いて、さっき私室に戻って眠ったぜ。部屋中にぶっ散らかってた図版見て来たけどよ、判っちゃいたが、ありゃすげぇよ」

 確認のために二組の図版を描くと言っていたミナミの周囲に散らばった、あの青緑色の炎たち。試しに「1」とナンバーの振られた二枚を手に取って臨界式で照合したドレイクは、その、あまりの正確さに思わず言葉を失った。

 寸分違わずとはまさにこの事か。揺らめくような先端の小さな撥ねにさえ少しのズレもないその図版を彼は、まるで、神経を磨り減らしながらも切々と綴られる恋文のようだと思った。

「明日の昼前には、全部終わらせるつもりらしいぜ、ミナミはよ。サーカス天幕の調査は今日で粗方終わってるから、あとはデータの解析だけ。いまいち難航してんのが、スゥとデリの方だな」

 脳内で資料を展開しながらも気安く椅子にふんぞり返っているドレイクに濃いコーヒーを手渡したヒューが、ああ、と呟いて渋い表情を作る。

「例の、「ヴリトラ」と「アルバトロス」の飼い主を割り出す準備か」

「飼い主って…班長…」

 今日はもう遅いからとアリスは一旦下城し、灯りの点った電脳班執務室に居るのはドレイクだけだが、実際は、サーカス主天幕から回収して来た機械式の組み立て作業にはアンが同行しており、電脳魔導師隊執務棟地下演習室に残っている。

 それからもう一箇所、階下の会議室に急遽支度されたモンタージュ作成室には、初回捜査時違法魔導師と遭遇しているスーシェとデリラが朝から詰めていて、目撃した二名のモンタージュを作っているはずなのだが。

「元よりスゥの「記憶」にゃぁ大して期待しちゃいねぇんだがな…。あんな事が起こっちまって、本人も「劣化」してるだろうつってたし、そもそも、記憶を再現するにしても臨界が応答しねぇしよ」

「だが、コルソンの方は多少覚えてるだろう?」

 肘掛のない椅子の上にあぐらを掻いていたドレイクが、なんだか奇妙な唸り声を発しつつデスクに肘を置き、がりがりと白髪を掻き毟る。

 それを見もせず勝手にハルヴァイトのデスクに寄り掛かって腕を組んだヒューの横顔を、ドレイクが眼だけでじろりと見上げた。

 よくハルヴァイトもそうやって、ひとの話を聞いているのかいないのか判らない表情でそこに立っていたなと、なんとなく思い出す。色は違うものの背格好が似ているからか、酷く、気になる事があった。

 相似などこの世にないはずのハルヴァイトと、目の前の男が、重なって見える。

「…可能性の問題なんだけどよ、班長」

「なんだ?」

 呟きに返る、ぶっきらぼうな低い声。それから、微かに動いたサファイヤだけが、傍らのドレイクに移る。

「班長がいなかったら、ハルは、こんな無茶しなかったんじゃねぇかなってよ」

「それは何か? ミラキ。ガリューがこんな事をしでかしたのは、俺がいたからだとでも言いたいのか?」

 本気ではないのだろうが、ヒューはわざと意地悪く言って、カップで隠した口元に薄い笑みを零した。

「そうじゃねぇ」

 静けさの戻る、室内。

 擦れ合う金属音を想像させる銀色がさらりと揺れて、ドレイクに向き直った。

 俯いた浅黒い横顔に、乱れた白髪が淡い陰影を刻む。

「あんたが居たから、ハルは、ミナミをひとりここに残しても大丈夫だって、そう思ったんじゃねぇのかなってよ…」

 冷静に全てをここまで導いたのは、他の誰でもない、ヒュー・スレイサーなのではないかと。

「お前たち風にはなんと言うのか知らないが、俺は俺を、一個の「要素」だとしか思わないがな」

「要素?」

 手にしていたカップをハルヴァイトのデスクに置いたヒューが、ひとつ頷いて腕を組み直す。その、相変わらず横柄な態度を胡乱に見上げたドレイクは、小首を傾げた。

「現状でミナミを囲む何かが、もしも「その時」欠けていたとしたら、ガリューはこの行動に移らなかった。俺だけでなく、お前を含む電脳班、特務室、警備部隊、第七小隊、それから、陛下や…とにかく、そういうものがミナミの周りに「在る」から、ガリューはミナミを心配しなかったんじゃないのか?」

     

           

差し伸べる手は、わたしだけのものではない。

ただ、あなたが握り返す手は、わたしだけでありたいと思うだけだ。

          

          

「それと」

 ふとヒューはそこで、いかにも年長者らしく鷹揚、且つ少々意地悪に微笑み、見上げてくる曇天を覗き込むように身を屈めた。

「真っ先にお前が「使えなく」なるという予想はしただろうし」

「…………」

「違うか。それだけは、絶対に予想出来たんだろう? ガリューにはな」

           

          

…ご名答。

        

           

 普段ならば自分に対して絶対にこういう態度を取らないヒューの予想外の行動にドレイクがぽかんと口を開け、にやにやする銀色を見つめたまま硬直する。

 というか、誰かに「年少者」扱いされたのは、軍に入ってからアリス以外では始めてかもしれない。

「忙しいのは判る。ミナミのため…に、ガリューを早く戻してやりたいのも判る。だが、その前にお前がまた寝込んでしまっては笑えない。だから、今日はここで仕事を切り上げ屋敷に戻って寝ろ。

 ついでに、今作業してる連中にも、本日解散を言い渡しておいてやる」

 ヒューは、組んでいた腕を解いて軽く首を回し、凝った、などと呟いて、中身の残ったカップをデスクから取り上げた。

「どんなにお前ががんばっても、一秒に、時計の針はふたつ進まない」

 笑みを含んだ声で言い置かれ、執務室を出て行く背中を見送りもせず、ドレイクは、ドアが閉まってからようやく、詰めていた息をゆっくりと長く吐き出した。

「…かかる時間は、結局かかるっつう事か? 班長…」

 これもまた特務室の怖さか。急く気を誰にも知られないように振る舞っていたつもりが、余計な愚痴を零したおかげで、一番都合の悪い人間に見透かされた気分だった。

 明日は嫌がらせでおにーさんと呼んでやろう、とドレイクは、脳内で、…通常の倍近い勢いで展開していたデータを全て停止し、乱れた白髪を更に掻き回しつつ、奥の仮眠室へ向かうために椅子から足を下ろした。

  

   
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