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17.フレイム

   
         
(3)機械式(機械式)

  

 例えば、サーカス主天幕の内部を成るべくして成った惨状だと称するならば、この場所こそ本当に意図せず荒らされた「惨状」だと、ルードリッヒを含む衛視たちは唸った。

 柔らかい印象で広い天幕の内部を区切っていただろう布は、ほとんどが支柱ごと引き倒され、踏み荒らされて千切れている。その上に折り重なるのは、手足をへし折られて部品を撒き散らし、最早ことりとも動かない機械式たち。傷のない、穏やかな笑顔、人懐こい笑み、怜悧な微笑の仮面(マスク)が逆に奇妙なグロテスクさを醸し出す、無残に破壊されたそれらは、まるで廃棄物のように散乱していた。

 唖然とする、または一瞬竦んだ周囲を余所に、ルードリッヒが長上着の裾を閃かせて踏み込んだのは、サーカス主天幕に併設された機械式の展示天幕。外観に変わった所はないのだが、内部は嵐でも通り過ぎたみたいに酷い有様だった。

「前回の調査で、こっちの検証はしてないんでしたっけ? キース連隊長」

 出入り口付近に転がっている半球形の機械式甲虫類を跨ぎ越えて周囲をぐるりと見回したルードリッヒが、背後に立つ大男を振り仰ぐ。

「あ、ああ…。ほれ、すぐに主天幕の方が騒がしくなっちまってよ、ろくな調査もしねぇでそっちの警戒にな」

 慌てて答えた警備部隊長、ギイル・キースのやや緊張した面持ちに相変わらず掴み所のない笑みを見せ、ルードリッヒはすぐ正面に顔を向け直した。

 その顔から刹那で消える、笑い。知らず眉間に皺を寄せ、青年は感嘆ともなんとも付かない短い吐息を漏らす。

 この場所は。

 機械式たちが累々と屍になったこの場所は。

 たったひとりの「人間」が作った。

「しかも、素手でね」

 それで入院してくれなかったら人間に分類するのを遠慮したいなー。などと少々失礼な事を考えつつも、ルードリッヒは斜めに傾いだ支柱から垂れ下がっている白い布を越えて奥へと進んだ。その頃になって、ようやく正気を取り戻したらしい同行の警備部隊数名が、簡易観測機を使って天幕内部を計測したり、散乱している残骸を掻き分け残された証拠を探したりし始める。

「アレだな、エスコー衛視。お宅の班長」

「なんです?」

「なんでこんなバカ強ぇワケ?」

 歩調を緩めもせず最奥を目指すルードリッヒに追い縋ったギイルが、短い髪をがしがしと掻き毟りつつ溜め息混じりに言うと、それを小さく笑った青年が、そうですね、と妙に平坦に呟いてから、ふと、外周を囲む天幕が楕円に吹っ飛んでいる部分と、その直前、床に散った黒い染みに視線を置いて、足を止めた。

「自分は強くないと言いますけどね、班長は」

「そりゃ嘘だろ。謙遜だったら嫌味だな。どこの世に、機械式これだけぶっ壊して弱ぇなんて…」

「弱くはないですよ、キース部隊長」

「あ?」

 どこかをぼんやりと見ているようなルードリッヒの横顔を覗き込んだギイルが、首を捻る。

「班長は、強いのではなく、弱くないんです」

 強くない。けれど、弱くもない。

 勝てない。けれど、負けない。

「そうか…。正体の知れない相手魔導師のスペックをある程度割り出す、いい方法があります。それで、キース部隊長」

 いっとき眺めていた床の…乾き切った血痕…から視線を上げたルードリッヒは、背後のギイルに身体ごと向き直って、にこりと微笑んだ。

「ここいらにとっ散らかってる機械式のパーツを集めて、全部で何体この場に在ったのか確認してください。ハチくんは実際見てるでしょうから、その証言も合わせればそう時間は掛からないでしょう?」

 告げる間、始終笑顔。掴み所のない、完全無欠の。

「それから、あの日アンさんたちを襲撃した二足歩行式タイプのうち、標準的な大きさと重量のものを一体、王城エリアに持ち帰れるよう梱包して封印を。実際それをどの程度の電素と技量で動かせるのかは、特務室に戻ってから、誰か魔導師の方に確認して貰うようになると思いますけどね」

 にこにこと、ただただ笑顔。少々癖のあるブラウンの髪と緑の瞳が、誰かそっくりに見えるくらいの、笑顔。

「それじゃ、ぼく、あっちの整備天幕も見て来ますから、よろしく」

 呆気に取られたギイル以下警備部隊の面々にダメ押しみたいな笑顔を圧し付けたルードリッヒは、正面にぽっかりと口を開けた天幕の穴を通り抜け、主天幕側の暗闇へ消えた。

「…マジすか、部隊長…」

「…………」

「とっ散らかってるというよりは、機械式のパーツで足の踏み場もないようなここで?」

 地獄のような、人体パズルを解けと?

「ピーイン」

 背後で立ち尽くしているだろう通信官に手招きしながらギイルは、そういえば、こういう時は決まり文句を吐いて「全て諦めるんですよ」と、ルードリッヒとコンビを組んでいる…ある意味最高に運の悪いクインズの言葉を思い出した。

「周囲に展開してる哨戒班を全員こっちに呼び寄せろ…。警戒なんかしてる場合じゃねぇぞ、こりゃ」

 どんな無茶苦茶でも言われたからにはやらねばならぬとは、部下の悲しい性か。

 何がどれだけ在ったものか、そのほとんどを行動不能にしたヒュー・スレイサーも洒落にならないが、その、上官のぶっ壊した機械式を元通りにしろと言う部下もシャレならん、と固い髪をがさがさ掻き回してからギイルは、太い腕を大仰に組んで、ふん、と鼻息も荒く一言吐き出す。

「あの隠れエスト卿め!」

 なるほど、確かにこりゃ諦められるわな、とギイルは、なんとなく納得した。

            

          

 展示天幕で無情な命令を下したルードリッヒは、リリス・ヘイワードの新作ムービー発表会の日アンが通ったのと同じルートを通り、一旦舞台袖に出た。なるほど、妙な場所に妙な穴があると思ったら、こういう理由だったのか、などと納得しつつ丸盆(ステージ)に踏み込み、中央に広がる黒い染みを無表情に眺める。

 アリア・クルス。ミナミ・アイリーを模して造られたという青年。確かに、彼を見たら誰もが戸惑ってしまうほどミナミにそっくりだとは思うが、少し考えれば、その違いは明白過ぎるくらいに明白だ。

 冷静になれば、か。

 あの青年には「天使」が在るという。

 しかしミナミに有るのは、「悪魔」だ。

 そして「悪魔」は戸惑ったりしない。間違えない。

「だからって、ボコらなくてもいいと思うんだけどね」

 思わず漏らしてから一旦停めていた歩みを再開し、丸盆を突っ切り上手側へ。所々に設置されている非常用照明を頼りに、展示天幕とは反対隣に併設され、短い通路で繋がれた機械式の整備天幕へと進む。

 立ちはだかる紗幕を腕で押して中を覗き込むと、数人の警備兵の他、こちらの指示を任されているクインズの姿も見えた。微かな衣擦れにすぐ反応した相棒が顔を上げると、ルードリッヒは軽く手を振ってから手狭な内部を見回しつつ、天幕内に入った。

「意外と狭いね」

「ほとんどがメンテナンスポッドなんだよ、こっちは。そこ、ほら、外周側に通路があって、奥にポッドの開口部が並んでる」

 様々な機材の向こうに見える隙間を指差す、クインズ。それに誘われて奥に視線を流し、ふうん、と生返事してからルードリッヒは、テーブルに置かれているモニターをしきりに弄り回しているクインズに近付いた。

「あっち、いいの?」

 何をしているのか、流れる文字列を睨んだままクインズが問う。

「うん、部品の組み立てと回収指示して来た。アンさんとタマリが戻れば、機械式電脳の信号痕から大体の組み合わせは判るだろうけど、とりあえず、準備として分別しててくれたらいいかなと思って」

「そりゃ大変だ。パズルだろ」

 先に展示天幕の惨状を確認していたクインズが笑い、ルードリッヒものほほんと笑みを返す。

「パズルだよ」

 言って、「難儀だねぇ」とわざと声を揃えた衛視どもが肩を竦めるのと同時、奥から台座に載せられた一体の機械式が運び出されて来た。

「あ、ハチくん。こっちはいいから、展示天幕の方に行ってくれない? 今頃、キース部隊長が君を探して走り回ってるかもしれないから」

 背の高い機械式の後ろにちらりと見えたひょろ長い人影が、言われて渋い顔をする。

「またあすこに行くんですかぁ、オレ」

「嫌なの?」

 機械式の陰になってよく見えないが、人悪く喉の奥で笑ったらしい同僚を眠そうな目付きでじろりと睨み、それから溜め息を零した青年の様子を、ルードリッヒとクインズは小さく笑った。確かに、見た目の怪我はヒューに比べて少なかったが、こちらも機械式と殴り合いを演じて全身青痣だらけだったのだ。あまりいい印象のない場所に再度行くのは、気が重いだろう。

 新品同様の機械式は、口元だけで薄っすら微笑んだ二足歩行式だった。実際アンたちを襲ったのと同様のタイプを一体回収したかったのだが、整備済みの中にはないらしく、極力似たものを持ち出して来たらしい。

「結構でっかいんだね、これ」

 がたごとと車輪を鳴らしながら目前を行き過ぎる薄笑いの機械人形を見上げ、ルードリッヒがぽつりと漏らす。

「スレイサー衛視が粉砕したのよりは、小さいですよ」

 台座に載って、長身のハチよりやや大きいくらいの痩せた機械式をつられるように見上げ、青年は溜め息みたいに答えた。

 一瞬、室内に嫌な空気が満ちる。

 魔導師という人ならざる能力を有した者たちの暴挙は、今に始まった事ではない。だからそれは、理解出来ないという理由で安心出来る。どうせ何があっても、「彼ら」の真相など誰にも判らないのだ。

 しかし、彼、はどうか。

 例えば硬い装甲など持たない、理解出来る範囲に居るはずの人は。

「…位置関係を考慮すると、逃げる事は出来たんじゃないかと思うんだ」

 重苦しい雰囲気になど気付かぬように、ルードリッヒがぽつりと呟く。

「アンさんが通ったっていう天幕の穴から、ね」

 その直前に飛び散った血痕を確認した。あの日あの場所で血を流せたのはアンとハチヤとヒューで、前述の二人にはほぼ外傷がなかったとすれば、あの場所までヒューは移動したという事になる。

 しかし彼は、逃げなかった。

「でも、班長は守る人だから」

 展示天幕に向かった同僚たちがそこに踏み込んだ時、ヒューは床に座っていたという。

 全てを飲み込むように口を開けた暗がりに背を向けて、外れて動かない左腕を抱え、機械式の屍を睨み。

 その、場所に。

「守る人というのは、闇雲に攻める側より強固な覚悟がいるものだよ」

 こんなのと喧嘩しようってんだもの、化け物扱いされるくらいの覚悟なんか、覚悟のうちにも入らなかっただろうなぁ。とルードリッヒは、黙して語らず動きもしない無機質な機械人形を見上げて、苦笑を漏らした。

  

   
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