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17.フレイム

   
         
(6)二日目(機械式-2)

  

 翌日、第十エリア隔壁区画地下捜査班は、昨日と変わらぬ人員で件の地下施設に赴いていた。

 今朝早く、結局昨晩は三時間も寝ていないヒューと、一睡もしていないかもしれないクラバインは、天蓋の向こう、眼下に広がる水平線から太陽が顔を出す前に登城し、既に今日の予定を確認し終えている。様々な経過報告を受け取り決済を行うクラバインは今日も特務室に詰め、ミナミはまたあの小さな会議室に引き篭もり、モンタージュ作成班に参加していたデリラは電脳班に戻って収集した情報の分析を行い、アンは招集がかかるまでの時間を機械式組み立て作業に当てるという。

 当初予定になかった機械式の回収を天幕捜査班に命令したのは、ルードリッヒだった。粉砕された一体は証拠品だとしても、新品の一体はなんのために城まで運ばれたのか。ヒューを含む、いわゆる「普通の人間」は意味が知れず首を捻るばかりだったが、命じたルードリッヒと、同行していたタマリとアンには、機械式に対して共通の思い付きがあったらしく、なるほどね、などと意思の確認もなしに妙に納得していた。

 と思い出しつつ、違法施設内部をつらつら歩くヒューが短く息を吐く。

 相変わらず、おかしな具合に傾斜している酷い構造だと思う。捩れているとでも言えば判り易いかもしれない。天井や細長い廊下の先に隠された巧みな視覚効果のせいで、それと気付くのはよほど身体感覚に優れている人間だけだろうが…。

 施設自体がもっと目に見えて歪んでいたとしたら、正直、真っ直ぐにも歩けないだろう。平衡感覚が狂う。あと半日もしたら頭痛がするかもしれない。出来れば、そんな醜態を曝す前に引き上げたいなと思いながら例の真白いホールを突っ切って、奥へと続くドアから一歩踏み込んで停まったところで、ヒューは片眉を吊り上げた。

「…………。…そうか…」

 呟いて、またもや踵を返し来た道を取って返そうとするヒューを、ドアの横にしゃがんでいたイルシュが、きょとんと見上げている。

「なんだ? サーンス魔導師」

「さっきから行ったり来たり、何してんのかなって思って」

「大した事じゃない。ただちょっと、確かめてるだけだ」

 誰に対してもそうなのだから、当然少年に対してもそうであるように、ヒューはいかにもぶっきらぼうにそれだけ答えてまた白い空間で乱舞する光の中へと紛れて行く。前回のように酷く緊張したりはしなかったが、なんとなく気分の悪さを訴えたイルシュがここで休むようにと言い置かれて、暫し、ヒューはホールを三往復もしていた。

 細長い天井を見るともなしに見上げた少年が、小さく溜め息を吐く。臨界との接触がまったくない今彼に出来るのは、せいぜい個々の部屋を覗いて何か変わったところがないか確認する程度だというのに、それもままならない自分のふがいなさに泣きたくなる。

 気分が悪い。目の奥が苦しい。なんだか足元が浮ついていて、ふらついていて、じっと立っている事が出来ない。

 と、少年は、さっさと言えばよかったのだ。

 イルシュが再度溜め息を吐き、膝の間に頭を突っ込んで意味不明のか弱い唸りを喉の奥から搾り出すのと同時に、ばさりと着衣の乱れる音。それに驚いて顔を上げた少年の隣に、いつの間に近付いていたものか、膝を立てて床に座り込んだジュメールが居る。

「どうかした?」

「…気持ち悪い」

 元より抜けるように色の白い青年なのだが、それが酷く蒼ざめて見え、イルシュは戸惑った。やはりジュメールにも何か気持ちの問題でもあるのだろうか。マーリィに似た真っ赤な瞳からは何も窺えなかったが、ただ、その後に続いた言葉は…そういう、少年の想像する不都合とはちょっと違うような気もした。

「吐きそうだ」

「…。病気?」

「さぁ」

 微かに首を傾げて溜め息のように漏らした真白い青年と、琥珀の瞳を見開いた小柄な少年の間に奇妙な空気が蟠る。

 そのまままた暫く、細長い静けさが戻り、聞こえるのは幾つもある小部屋を忙しく繋ぐブルースとケインとウロスの足音だけ。どんなに待ってもそれきり口を開こうとしないジュメールから何か聞き出すのを諦めたらしいイルシュがまた膝を抱えてうな垂れ、二人から離れた位置を何度か横切ったブルースは、ふと、とある一室の前で足を停めた。

 最早廃棄されたものと思って差し支えない、施設。実測と臨界式測定はまだ残っているが、もしかして、ジュメールとイルシュは帰らせた方がいいのか、と眉間に皺を寄せて悩む少年の魔導師のくすんだ赤い髪が揺れて、知らず俯いた頃、ヒューがわざとのように足音をさせながら廊下へ戻って来る。

「アントラッド魔導師に話がある。それで…とりあえず、どこか「ちゃんとした平面」を探して貰いたいんだが?」

 現れて、偉そうに腕を組んだヒューが大仰な溜め息混じりに言い放ち、ブルースは反射的に顔を上げた。

「ちゃんとした…平面?」

 訝しそうに聞き返した暗い赤銅色に、銀色が頷きかける。

「ああ。余計な事をして歩き回ったおかげで、予想よりも早く限界が来た、さすがにな」

「って、どういう意味? ヒューさん」

「理由は多分、君たちと同じだ」

 小首を傾げるようにしたサファイヤから注がれる視線は、足元にしゃがみ込んだイルシュとジュメールを捉えている。おれらと同じ? とイルシュはしきりに首を傾げ、ジュメールも難しい顔で唸った。

 だからあんた何者だよ…。と内心思い切り突っ込みつつ、ブルースはヒューに向き直るのと同時に、背後に口を開けている大穴を気にしながらドアの前を離れた。

 今は、落下防止のネットを張られた、その穴は。

「アントラッド魔導師は「なんともない」のか?」

「え?」

 一瞬ネットの底に深く続く暗闇に気を取られていたブルースが、視線をヒューに戻しながら慌てて答える。廊下が何やら騒がしいのを気にしたらしいケインとウロスも少し先のドアから顔を出し、ヒューは、そのみっつを順繰りに眺めてからいやに真剣な面持ちで、ひとつ溜め息を吐いた。

「どうやら、そちらのお三方よりも君たちの方が、性能いいらしいな」

            

        

 実測、修正値なし、測定範囲最大。

 ヒューに言われた通りの条件で細長い廊下の左右に点在する小部屋を一気に簡易測定したブルースが「純然たる平面」と判断したのは、よりによって、例のイルシュが監禁されていた部屋だった。

 少し先に機材を放り出したまま、呼ばれて件(くだん)の部屋に踏み込んだケインとウロスが、やや緊張した表情ながらイルシュがにこりと笑ったのに、薄い笑みを返す。さすがにその手はしっかりとブルースの腕を掴んでいたが、それくらいは大目に見てもいいだろうとふたりの大人たちは思った。

 知らず、肩に入っていた余計な力を抜いてほっと息を吐いたケインが、眼鏡の奥の双眸を訝しげに眇める。さて、なぜ自分はこんなに身体を強張らせていたのかと、ちょっと不審な気持ちになった。

「作業途中で申し訳ないが、昨日から今まで測定したデータ通り、この施設がファイランのどの辺りに位置するのか割り出してみてくれないか」

 言われたブルースは臨界式のモニターをふたつその場に立ち上げ、一方に資料として脳内に駐屯させていたファイランの全景を、もう一方には、進入口である隔壁区画メンテナンスハッチを基点とした地下施設の測定調査済み部分をワイヤーフレームで構築、ついでに、マーキングしておいた「アスタリスク=第一期臨界式文字」箇所を投影し、それを重ね合わせて見せた。

 本来ならば、空洞とバラスト…バランス調整のために隔壁と隔壁の間に詰めてあるガラクタのようなものなのだが…しかないはずのブランクエリアを走るように描かれた、施設の全景。内部を歩き回っている時分はそう感じないが、随分と下に伸びているものだとケインはひとり頷く。

 しかし。

「だがしかし、何度やっても正解に行き着いた気がしないのはなぜなのか。…前回の調査でアイリー次長が仰った通り、この場所はサーカスの下に回り込んでいるべきであって、このように、第0エリアに食い込んでいいものではない」

 思わず、嘆息。

「いや、俺はこれで正解だと思うがな」

 腕を組んで身を屈め、何か面白いものでも見るように、空間に投影された映像に顔を寄せて目を細めたヒューが、大きな独り言を漏らしたケインに言い返す。

「と、言うだけの根拠が? スレイサー衛視」

「根拠ね…。これだけ見事に傾斜した床と歪んだ壁に囲まれてる理由が判れば、その根拠とやらも明白になるんだろうが…」

 そこは俺にもさっぱりだ。とどうでも良さげに付け足したヒューの顔を、唖然と見上げる、イルシュとブルース。

 じゃぁあんた何でそんな偉そうに正解とか言ってんだよ。とブルースは言ってやりたくなった。怖いので言わないが。

「床と壁…」

 不意にぽつりと漏らしたジュメールが、わざわざ手袋を外し、素手で近くの壁に触る。これは、平面。滑らかで継ぎ目のない壁。壁と天井、…床。

 青年はそこではっとした。思わず、弾かれたように天井を見上げる。

 蒼白い光沢の短い髪が踊り、その先端で光が散る。瞬きをやめて食い入るように天井を見つめるのは、血のように真っ赤な瞳。

「天井が、近い。室内計測で、四角が認識出来てしまう」

 は? と首を傾げる周囲にゆっくり視線を戻してから、ジュメールは軽く目を伏せ言い足した。

「中心を割り出そうとしたら、歪み率に気付く」

 そこまで言って、目を伏せるのと一緒に足元へ落としていた視線を上げれば、ケインとウロスが眉根を寄せて難しい顔をしていた。もしかしてこれはもっとちゃんと説明するべきなのか、とジュメールは…相当本気で困惑し、やめればいいのに、なぜかヒューの涼しい顔を窺ってしまう。

「…いや、俺に助けを求められても困る。俺はただ、「感覚的にこの施設が至る所で捩れている」と思うだけで、証拠は何もないからな」

 ここにミナミかアン少年でもいれば絶対苛烈に突っ込んでくれるだろうヒューの台詞に、しかし、第七小隊は唖然としただけで何も言わなかった。

 だから結局、室内には探るような空気だけが戻る。

 先から…というか普段からそうなのだから今更改めて言う必要もないのだが、それまで一言も話そうとしなかったウロスが、急に踵を返し部屋から廊下へ出て行った。その唐突さに今度はヒューだけが不審そうな顔をし、第七小隊の面々は別に気にした風もない。

 いつもの事。必要なら何か言い置くし、そうでないなら何も言わずにさっさと仕事に取り掛かってしまうというのが、ウロス・ウイリーという男のデフォルトなのだ。

 すぐに戻ったウロスは、廊下に放置されたままだった装置から外して来たのだろう、臨界式ブロックの施された記録媒体を手にしていた。表面に焼き付けられた臨界防御式はタマリの描いたもので、外部から不正に接触すると高速稼動し、相手魔導師のアカウントを割り出すのと同時に攻撃を開始するものらしい。

 水色が描く真円を纏った鉄色の箱を床に置いたウロスが、その表面を指差して顔を上げる。床に片膝を置いた姿勢でもイルシュの胸まである大男は、口髭に埋もれた唇から、実に数時間ぶりに言葉を発した。

「ファイラン・アンダー・ストラクチャーを抽出、投影」

 鉄色の箱からブルースの目前に展開されている臨界式モニターに指先を移したウロスが短く告げて、戸惑うような赤銅色に頷いてみせる。

 都市地下構造物(ファイラン・アンダー・ストラクチャー)。便宜上全てを「地下(アンダー)」と称するが、この隔壁区画の一部を含む、都市骨格。確かに、いわゆる市民の住む「地上」(平面第一層というのが正式な名称だが)を下から支える部分がその大半を占めるものなので、アンダーというのもあながち間違いではないだろう。

 ウロスに指示される形でブルースは、タマリに描き込んで貰った臨界防御式の解除パスを入力した読み込み専用プログラムを立ち上げ、記録媒体にアクセスした。直後、ぴかん! と勝手に立ち上がったモニターの中にデフォルメされた「キャラタマリ」が現れたのに、誰もが軽い疲労を感じる。

 というか、どうしてあの男はこういう無駄な仕込みが好きなのか。

『はいはーい、ご案内のちびタマリさんでーす。みんなくそ真面目にお仕事がんばってるかにゃ? 御用の方は、ここに検索事項を入力してからエンターしてねん』

 二頭身のちびタマリが両腕を広げると、まるで抱えられた看板みたいに入力ボックスが現れる。それと一緒に黄緑色の頭上にぽと燃え上がった水色の蝶々の翅には、ENTERの文字が描かれていた。

「今朝…訳の判らない音声録音してたのは、このためか…」

 ぶつぶつ言いつつも「地下構造物」と入力するブルースの渋い顔を見ながら、ヒューが微かに口の端を歪める。あの心配性めと思ったが、それを教えてやるほどこの銀色はお節介ではない。

 ここには居てやれないけれど。

 ちゃんと忘れないで。

 何かに困ったら助けを求めていい人が。

 君たちには付いている。

 きっとそれに気付いているのだろうウロスとケインは、やれやれと肩を竦めつつも顔を見合わせていた。さすが第九小隊時代から付き合っているこちらには、あの黄緑色の思惑などお見通しなのだろう。

「? ねーウロスさん。ここ…この辺りのぐるぐるしてんのは、何?」

 ブルースの腕にしがみ付いた状態でモニターを覗き込んでいたイルシュの指先が、丁度今自分たちの調査している付近を指す。黄色い基本構造に、青い地下施設の観測結果、更に重ねあわされた紫色のアンダー・ストラクチャーは、相当複雑に直線と曲線を描いていたが、そのうちでも、イルシュたちの現在地を示す赤い点の付近では、綺麗な螺旋を描いていた。

「捩れの原因だ」

 それが、とでも言うように、モニターを挟んだ反対側からイルシュの指先と同じ箇所を示す、ウロス。

「ああ、なるほどね」

 と、そこで、「捩れている」としきりに言っていた当のヒューが、いかにも納得したように漏らした。

「というか、どうしてあなたが今頃気付くんですか」

「だから、俺はただ捩れてると思っただけで、理由はさっぱりだと言ったろう」

 果たして、これでいいのか特務室。

「は、はぁ。しかし、納得。これでは、スレイサー衛視のようなお方の癇に障る訳ですね。不愉快ながら重ねて納得するならば、なるほど、どうやら僕ら年寄りよりも、少年たちはそれなりに敏感である、と」

「…それじゃブルースは年寄りなの?」

「本気で訊くな…サーンス」

 頼むから誰か普通に話を進めてくれよ、と内心泣きたい気持ちになって来たブルースの煉瓦色を見つめ、ウロスが困ったように唇を歪める。

 そして結局、ウロスとケインと、ヒュー。それから、何か勘付いたらしいジュメールが顔を見合わせ、誰がこれを説明するべきか、本気で悩んだ。

「何せウロスは言葉が足りず、ジュメールは理由が朧で、スレイサー衛視は偉そう過ぎる」

 顎に手を当てて呟いたケインの横顔を見つめ、ブルースはちょっと唸った。

「ついでに言うなら、ケインさんの説明は難し過ぎるし…ね」

  

   
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