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17.フレイム

   
         
(7)二日目-2(機械式-3)

  

 それで結局どうなったかと言えば、多少の偉そうさには目を瞑るという事になって、説明役はヒューに回ってきた。

 そもそも一番最初にそれに気付いたのだから、妥当な選択だと思いますが? と渋るヒューに笑顔を向けたケインに軽く溜め息を吐きつけ、銀色が仕方なさそうに口を開く。

「見てる通り、都市の構造は意外にも複雑で、使用されていないながらもそれなりの空間と、逆に、重量調整のためのバラスト部が絡み合っている。

 本来なら空間であるはずの隔壁区画地下に造られたこの施設だが、元々利用「されない」はずの場所だろう? ここは。しかし都市骨格上、利用はされないがなんらかの役割を持った設備があってもおかしくはないし、実際、平面第一層を水平に保つための機構は、大小取り混ぜて各エリアに点在している」

 都市は、ただ空を漂っている。しかし、この惑星上に存在する以上、絶対に「引力」の影響を受けるのだ。例え地上…まさしく惑星の大地…に足が付いていなかろうとも、引力は、この巨大構造物を空に留める程度には引き付けている事になる。

「水平機構は、平面第一層だけに影響するのではなく、地下層…ファームやファクトリー、ラボなどを含む都市の全体、どこに居ても「正しく」引力を感じるように稼動してる。そしてその「水平機構」がつまり、この、螺旋だ」

 中空に浮かんだモニターの紫色を指差して、ヒューは目を細めた。

「俺は専門の技師じゃないから、これがどういった構造で動いているのか詳しくは知らないが、とにかく、水平機構は都市を平面に「感じる」ように、例えば、気象条件や気流によって刻々と角度を変える円盤の動きに連動して、速度を変えながら回転しているものだ」

 朧にではあったが、ブルースも中等院で都市学の時間に習った覚えがある。平凡な日常生活者には、まるで、ではないにしろ関係が浅いという理由で、ろくに覚えていなかったが。

「面倒な説明は、後で興味があったら誰かに訊いてくれ。今問題なのはなぜこの施設が「捩れて」いるのかという事だからな、そっちだけを説明する」

 ブルースの腕を放して床に座り、迫る壁に背中を預けて膝を抱えていたイルシュは、やっぱり微妙に偉そうだよー、ヒューさん。などとちょっと思った。しかしここで何も言わなかったのはつまりそれが少年だからであって、万一ミナミやアンだったりすると、進む説明も突っ込みの応酬で停滞すること請け合いだ。

「大前提として、ファイラン・アンダーストラクチャーに手を加える事は出来ない。人体と同じなんだ、骨を削ったり切り取ったりしたら、都市がその形状を保てなくなる。同様に、この水平機構にも手は出せない。これが動かなくなれば、当然のように技師がやって来る。下手をすれば、来るのは魔導師だ。まさか、秘密施設を造るのにわざわざ「敵」に来て貰うような真似は、普通、しないだろう?」

 きらきらとした冷たい銀髪を揺らして小首を傾げたヒューに、ウロスが無言で頷きかける。

「だから、それらを躱してるから、ここが捩れてるってそういう事なの?」

 確かに、地下施設の構造をよく見れば、紫のワイヤーフレームを器用に縫って構築されているのが判る。しかし、そんな単純な問題ではないような気がして、イルシュは膝を抱えたままモニター越しにヒューを見上げた。

「そうだな。ここが「捩れているように思う」のは、水平機構…回転する螺旋の生み出す引力の極近く、本来ならそれほど接近するはずのない場所にあるからに他ならないんだが」

 だから、ヒューは長い廊下、白い空間を歩き回るうちに、つまり、螺旋の引き起こす微弱な引力に引っ張られる形で、この施設が歪んでいると「思い込まされた」というのか?

「そもそも、この施設の必要箇所は、幾つかの小部屋だろう? この近辺のな」

 施設内で明らかに使用されていたと判明しているのは、この、イルシュの監禁されていた小部屋や、一階層下のジュメールが居た部屋だけだ。その他はほとんどが通路のようなもので、移動に使用する事はあっても、何かが在った形跡はない。

「それぞれが大した大きさじゃない小部屋を隠すのに、なぜここはこんなに深く、遠く、入り口から離れている?」

「…隠れ蓑としてのサーカスとこの施設の関係を、判り難くするためじゃないんですか?」

 モニターに展開していたワイヤーフレームマップを上空から見下ろした形に書き換えたブルースが、煉瓦色の眉をひそめて呟く。

「それが目的なら、もっと単純に、隔壁地下で済ませても良くないか?」

 言われて見れば、わざとのようにあちこち引っ張り回さずとも、外壁の空間だけを使って横移動させればいいとも思う。なるほど、ではなぜ、この施設は地下に潜りながら斜めに伸び、わざわざ水平機構の脇を掠めて…。

「しかし、やはりこれは不正解な調査結果だと取れはしないでしょうか? スレイサー衛視。二度目の探索時、アイリー次長はまさにこの場所に在って、その時上空で無数の電脳陣が稼動していると仰いました」

 だからこの上空はサーカスであって然るべき。と言いたげなケインの横顔に一瞬視線を馳せたのは、ヒューではなくジュメールだった。

「引力係数を修正値にすれば、判る」

「そう。ここまで来てもまだミナミを信用している君らには申し訳ないが、そうだな…ミナミの記憶力がいくらいいと言っても、見ないものは覚えられないんだぞ?」

 知らないものは、覚えられない。

 触れないものは、判らない。

 一度関わってしまえば半永久的に忘れないだろう青年はしかし、何もかもを瞬時に理解し会得する訳ではないのだ。

 例えば、ミナミに全ての情報があったとしたら、話は別なのだろうが…。

「アイリー次長が、勘違いなさったと?」

「調査途中で騒ぎが起こった。結局ミナミは、この施設の計測結果を今もまだ確認していない。俺たちのようにマップや調査結果を並べて見せればすぐ気付くかもしれないが、あいつはそれを、していないんだ」

 だからこの勘違いは、当然。

「…水平機構…引力…引き寄せる力…不自然な距離と…細長く捩れた施設…。上空の、電脳陣!」

 ブルースは、はっと顔を上げ正面に佇んでにやりと口の端を歪めた銀色を、睨んだ。

「ちなみに、あの日…ガリューが姿を消した日、うちのひめさまはミラキに命令されてサーカス直下のアンダーストラクチャーまで音測とサーモグラフサーチを敢行したが、結果は、「何もない」だったそうだ」

 ミナミは頭上がサーカスだと言い。

 しかしアリスは、そこには誰もいないと言った。

「今の状態では、水平機構が邪魔して正しい観測は出来ない。どうあっても、それは「引力」を発生しぼくらを「水平」に保とうとする。だからぼくらは…」

 ブルースは、忌々しげに長靴で床を踏み鳴らした。

「床が「下」だと思う」

「そうだ。例えば床が極端に捩れて真横に近い状態であっても、ここが水平機構の影響を受け易い緩衝地帯として立ち入りを禁止されている距離にあり並走しているとしたら、俺たちは、方向感覚そのものを狂わされている事になる」

 別々の事象を合わせて考える。

「実測値を単純立体映像で構築します。多少の誤差は出るかもしれませんが、とりあえず、やってみましょう」

 ブルースにも、やっと判った。

「ま、データは万能かもしれないが、それは、そのデータが正しく全て揃っていてこそ十全で、俺はデータほど万能じゃないが、バランス感覚だけは飛び抜けて良かったという、その程度だな」

「ではもしかして、スレイサー衛視? ジュメールとイルシュが先程から調子を崩していたのは…」

「ただの乗り物酔いみたいなものだろう?」

 っていうかそれがオチかよ。とジュメールは、心の中でミナミ風に突っ込んでみて、ちょっと可笑しくなった。

 砂嵐の渦巻く臨界式モニターが消え、ヒューの長い腕でさえ抱え切れないようなファイラン浮遊都市の全景立体映像が、淡い黄色で空中に描き出される。次にはそれに紫色のアンダーストラクチャーが投影され、それから、小さな緑の三角形でアスタリスクの場所が、最後に、ブルースが臨界式で計測した施設の実測値が赤色で重ねられた。

「うわ! 何、これ。こんなにねじねじなの?!」

 瞬間、床に座っていたイルシュが膝立ちになり、唖然と叫ぶ。

 少年の細い指が示した赤い線は、紫色の線に寄り添い、時に重なり、螺旋を螺旋に回り込んで、とある地点で終わっていた。

 第0エリア0-1区画地下第三層永久立入禁止地区。の、更に下。

「凍った子宮の、真下とはね」

 ケインの漏らした呟きが、立体映像を凝視する面々に「解答」を与える。

「あの日アイリー次長が感じた電脳陣とはつまり、サーカスで繰り広げられていた闘争の黒幕を、既に示していた、という訳だ」

 錯覚、錯覚、ギミックだらけの施設が本当に隠したかったのは、多分。

「躍起になって隠れ家を死守しようとする子供みたいだな」

 言って、ヒューはさもつまらなそうにふんと鼻を鳴らした。

  

   
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