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17.フレイム

   
         
(11)臨界-2(回答)

  

 それは、意識。構築されないデータを纏った。

 それは、ここに、現れた時からずっとその場に立っていた。

 ここは、草原。地面から立ち上がった柔らかい葉が、走る風に煽られて時に激しく、時に緩やかに、間断なく波打つ、緑。

 ゆっくりと周囲を探ってからその意識は、うんざりと溜め息を吐いた。それでふと、意識が溜め息を吐くのはおかしいなと感じたが、どうでもいいかとすぐに思い直す。

 意識は、回答者。

 その時、ひとつの回答者は不穏分子である質問者と接触していた。そして回答者は、同時にここにも接触している。

 ここは、草原。馴染みの場所。

 何度も見た場所。「臨界」という任意の名前で呼ばれている。

 走る風の軌跡を描く草原をぼんやり眺めたまま、回答者はずっと立っている。時間がない。時間はある。否。そもそも「時間」という概念はこの場所に存在出来ない。

 ならば「自分」はなんなのだろうと回答者は首を捻った。「時間」のない場所に立つ回答者はしかし、「現実面」と繋がり「絶対時間」という自由に出来ないカウンターを抱えている。酷い違和感だ。あちらの回答者は常に「時間」を意識しなければならなかったが、こちらの回答者は逆に「時間」を意識し過ぎてはいけない。気が狂いそうだった。

 少し、心が動く。

 それも悪くないかもしれない。

 煩わしいものがなくなるのは歓迎出来た。歓迎。ああ、自分は「歓迎」する事も出来るようになったのかと思った。

 回答者はまた溜め息を零した。疲れているのか。

 疲れている。さすがに、これだけ大量のデータに剥き出しの意識を晒しているのだから、疲れて当然だ。

 疲れている。

 それならばまだ大丈夫だなと回答者は虚ろに思う。まだ意識は「自分」にある。だから「自分」は探す事が出来る。

        

       

文字列に埋もれない、綺麗な恋人。

     

       

 そこは、確かに草原だった。データの萌える広大な場所。頭上には色の薄い空が広がり、その向こうには満天の星を湛えた宇宙が広がっている。

 回答者は何気なく上空を見上げ、明滅する星を眺めた。余り真剣に上を見ていたものだから、不覚にもひっくり返りそうになった。しかしそれもデータだ。転倒。と文字列が書き込まれるだけ。

 落胆にも似た気分で正面に顔を戻した回答者は、回答するために待った。眺める草原は異様なまでに広く、広く拡がり風に揺られるばかりで、回答者の他には何も存在していない。

 おかしいと思った。

 もうひとつ、在って然るべきものがない。

 そう、あの。

「白い小鳥は、どこにいるのか」

 回答者が回答者でありながら回答ではない文字列を抑揚なく呟いた、瞬間、正面の草が見る見る色を失くして枯れ果て、地面が剥き出しになった。地面と言っても平滑な黒に青緑色の文字列が流れている、つまりはそれもデータだったが、その地面が直径二メートルほどの円を描き、剥き出しになっている。

「いない」のだと回答者は思った。平滑面を滑るように流れる文字列を見て、そう思う。

 ここに小鳥はいない。いないのだ、あの小鳥は。ではここは「どこ」だ? ここは…。

「この世」に存在しない肉体が瞬きした。

 その瞬きの刹那を縫って、晒された円形の地面に忽然と。

 悪魔。

 悪魔、「ディアボロ」の出現で回答者は、来るべき時が来たのだと知る。

 回答者に質問は許されていない。

 回答者は答えるために来た。

 悪魔は、質問者。

 質問者に回答は許されていない。

 質問者は質問するために来た。

 否。

 質問者…悪魔…は、答えを聞くために来た。

 否。

 ずっと、ここに、居た。

 回答者の内心に沸いた疑問に、質問者である悪魔は答えてくれそうになかった。円形に草の枯れた地面に佇み、細長い骨剥き出しの腕を組んで、空洞の眼窩で回答者を見ている。

 だから、待っても仕方がないので、回答者は答える事にした。

 どうせ、答えるために来たのだ、ここで出来るのは、それだけだ。

       

        

 イキ、

 イカニカ、

 イカナルカ。

       

「生き。

 如何様にも。

 如何なるも」

     

     

 回答者は答えた。

「絶対時間」で十二年以上前に繰り出された質問に、彼…ハルヴァイト・ガリューは、ようやく答えを返した。

 答えてすぐ、ハルヴァイトは俯いて目を閉じ、そのまま…ハラを抱えて大爆笑し始めた。なんと単純な事だろうか。なぜこんな簡単な事に十数年も迷ったのか。荒れた少年時代。突如放り込まれた「この世」で質問者である鋼の悪魔に質問された時、回答者はあまりにも未熟だった。

 質問者は問うた。生きてどうする、どうなる、どうなりたい。と。少年は言葉に詰まった。判らないとさえ答えなかった。だから知る事を許されず、弾き飛ばされた。

 回答者に求められていたのは、解答ではなかったのに。

 それから回答者は十数年という「絶対時間」を経て、ここに舞い戻った。今度こそ、自分の意志だった。そしてまた自分の意志で「あの世」に戻るため、回答者ハルヴァイトは、答えなければならなかったのだ。

 保留されていた質問に。

 彼は、「あの世」に残したこころを目指して帰る。

 生きます。どうなっても。どうなろうとも。と答え。

 ばかばかしくも愚かな自分を死ぬほど笑うハルヴァイトを、「ディアボロ」は少しの間眺めていた。困っているようにも見えた。何がそんなに可笑しいのか。可笑しいから可笑しいのだろうが、そのツボが判らない。

 ひとしきり笑ってから、ハルヴァイトはようやく顔を上げた。

「用事も済んだ。そろそろ、戻るか」

 ハルヴァイトが薄笑みの唇で呟くのと同時に、「ディアボロ」が何かを迎え入れるように両腕を広げる。

 そして。

 風が舞った。

 データの草原が揺らめいた。

 振り仰いだ頭上の星が宇宙ごと剥がれ落ちて来る幻想に目を細めたハルヴァイトは、見たのだ。

 草原が、全てを燃やし尽くすような青緑色の炎に姿を変え、佇むハルヴァイトと「ディアボロ」を炙り、色の薄い空を炙り、降り注ぐガラス細工の宇宙を溶かし全てを再構築しようとした直前、一羽の蝶々が水色の燐光を撒きながら、ひら、と彼の鼻先を掠めて飛んだのを。

          

        

 彼は、知ることを許されたのだと、知った。

  

   
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