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17.フレイム

   
         
(19)絶対時間-4(同時進行-4)

  

 <本丸最上階-「展望室」>

 緊張に強張った頬を上気させ、ルニは展望室中央に描かれた八角形の中心に立った。意味もなく身体を襲う震えに歯の根も噛み合わない。それでも少女は頭上に広がる空を見上げ、もう一刻の猶予もないのだと自分に言い聞かせて目を閉じ、その場に跪いた。

 雲が、流れていた。足元から沸くように、上空へと。感覚的にはまだ「落下している」と判るほど明らかではないが、間違いなく、都市は降下していた。

 目を閉じてうな垂れた少女は、胸の前で両手を組み合わせ、祈るような気持ちで囁いた。謁見を。一度目のそれを発して少し、なんの変化もない事に不安と焦燥を感じながら、今度は少し大きな声で空に訴えかけてみる。

「惑星の女王に謁見を」

<知らないわ>

今度は、答えが返った。

「お願いがございます。惑星の女王に謁見を」

<知らない。うふふ。知らないわ>

<知らない、ふふふ。あなたを知らないわ>

 少女の周囲、三百六十度から降り注ぐような可憐な声、声たち。右から左。左から右。上から下。下から上。斜めに、水平に、垂直に移動しながら浴びせかけられるからかうような声に、少女は恐怖と苛立ちを感じる。

「どうぞ、わたくしのお話に耳を傾けてくださいまし、女王様」

<知らない知らない。女王様は知らないヒトとお話なされない>

<知らないもの、あなたの事。知らない>

 知らない、知らない、と繰り返す声に顔を上げ、少女は頭上に黒い瞳を向けた。

「………」

 何もない、天蓋越しに青い空が広がっているだけだったはずの室内を、何か透明で小さなものが無数に飛んでいる。はっきりとその姿が見えないのはきっと警戒されているからだろう、母であるキャレは、そこで会うのは七色に光るスミレの花を背負った生き物だと言った。

「都市をお助けくださいまし、女王様。どうぞ、わたくしのお話をお聞きくださいまし」

 ルニは跪いたまま根気良く訴え続けた。ここで癇癪を起こしてはいけない。せめて、「惑星の女王」が姿を見せるまでは。

<知らない、そんなの知らない。あなたの事も、何も知らない。としってなぁに? それなに? 知らないのに。何も知らないの>

<知らないの、そんなの。知らない>

<知らないの、そんなの。知らない>

<知らないの、そんなの。知らない>

<知らないの、そんなの。知らない>

<知らないの、そんなの。知らない。知らない。知らないの、そんなの。知らない。知らないの、そんなの。知らない。知らないの、そんなの。知らない。知らないの、そんなの。知らない知らないの、そんなの。知らない知らないの、そんなの。知らない知らないの、そんなの。知らない。知らない、知らない、知らない、知らない>

<そんなの、しーらない>

 屈託のない「きゃはは」という笑声が室内にこだまして、暫し、それまで俯き、必死になって何かに耐えていたルニの…その「何か」が、先の決心も空しく? 吹っ飛んだ。

「知らない知らないって煩いわよ、もう! まだ何も言ってないんだから、知らないの当然でしょ! あたしは女王様にお願いがあって来たの! あなたたちに笑われに来たんじゃないの! だからちょっと静かにしててよっ!」

 胸の前で組んでいた両手で握り拳を作った少女は、勢い立ち上がって空を睨んだ。

「他人の話しは最後までちゃんと聞きなさいって、おかーさんに教わらなかったの!」

 言って…少女は。

「…ってー…やっちゃった…」

 急に、しん、と静まり返った室内をぐるりと見回してから、あはは、と引き攣った笑いを浮かべた。

          

        

<同時刻-第0エリア閉鎖区画-人工子宮前>

 そこに存在しているのは、壁だった。鉄色の無機質な壁。

 閉鎖区画第三ゲートを開放するとすぐ、その壁が眼前に立ちはだかる。室内は奥行きが五メートルほどしかなく、薄く細長い空間が在るだけという感じがした。

「兵士も警備部隊も入れるな。こう場所が狭くちゃ、陣の領域確保も難しいぜ」

 薄っぺらい空間を覗き込んだドレイクが漏らすのとほぼ同時に、「やっほー」と妙に緊張感のない声が背後からかかる。それで、来やがったよあの能天気め、と少々恨みがましい表情で振り返ったドレイクが見たのは、ルードリッヒに付き添われて現れた国王の御姿だった。

 ドレイクと前後して振り返ったミナミの無表情に、一瞬だけ安堵の色が浮かぶ。それを複雑な思いで見つめ返した黒瞳がふと微笑むと、青年のダークブルーが傍らの銀色に移った。

「お待ちしておりました、陛下」

「本当にそう思ってるのか? スレイサー。また余計なものまで現れたとか、実は考えただろう」

 ふん、と鼻を鳴らしたウォルに薄い笑みを向けたヒューが一歩後退して空けたミナミの隣に、王が当然のような顔で据わる。

 短い遣り取りを無言のまま見つめていた曇天が旋回し、また正面に向き直った。建前は…そう、今だから言ってしまえば、建前はミナミのためにハルヴァイトを一刻も早く取り戻してやりたい、だろうが、それに付随して起こった機関部と駆動部の異常事態を合わせて考えるなら、一刻も早くこの騒動を解決して、…王…の苦悩を取り除いてやりたいと思う。

 魔導師の配置を考える傍ら、ドレイクはなんだか可笑しくなって口の端を歪めた。

 なんと自分勝手で我侭で利己主義な理由なのか。それでは、ミナミもハルヴァイトもただの「おまけ」で、都市を正常に運行するという大義名分を隠れ蓑に、これ以上王…最早その名前さえ呼ぶ事を厭わなければならないけれど…を、自分の責任で苦しめてはいけないという強迫観念に突き動かされているようなものだ。

 なんだかなぁ、とドレイクは内心嘆息した。ただ、ハルヴァイトは今頃笑っているのだろうかとも、思ったが。

       

       

難しい理想などいらない事もある。

あなたは多くのものを背負い過ぎた。

それでもあなたもまた、この都市を愛している。

この都市は、彼そのものだ。

        

と、気付くのが遅いですよ、という話。

       

        

「とりあえず内部計測すっからよ、全員臨界式でモニター立ち上げとけ。こっちで勝手に繋いでデータ送る。

 それで、なぁ、ミナミ」

 背後に控えた魔導師たちにぞんざいな口調で言い放ってから、ドレイクは振り返ってミナミに顔を向けた。

「中で、何か稼動してんのか? 今」

 さすがに二千二百ミリの鋼板を隔てていては感じないのかと思いつつ訊ねたドレイクに、ミナミがきっぱりと頷きかける。これもまた恐怖か。はたまた奇跡か。青年は隔絶された空間で稼動するプログラムを、正しく感じている。

「…まさか、幾つ稼動してるかまでは…」

 恐々訊いたドレイクが言い終わらないうちに、ミナミは指を一本だけぴんと立てて見せた。

「いっこですか…」

 機関部の予備機関までフル稼働して生成されたエネルギーをたったひとつのプログラムが使おうとしている。というのには誰もが普通に驚いたが、それ以上に、ミナミがそれを感知しているのの方が、驚きだった。

「…ミナミ、お前、特務室次長の看板架け替えた方がいいぞ…。何か、他のに」

『何にだよ』

 呆れたように呟いて、直後、唇の動きだけで突っ込まれ、ヒューが苦笑する。どうやら青年も調子が戻って来たらしく、声が出ないだけで、普通に突っ込みたい気持ちはあるようだ。

 そんなどうでもいい会話を背中で聞きながら、ドレイクは内部計測用のプログラムを幾つか立ち上げて、その、二千二百ミリの鉄の壁に阻まれた箱の内部をサーチした。

「うわー、こりゃすげいわ。つうかさ、内側こんななってんのにびくともしてないこの箱がスゴいよ」

 ミナミやヒューなどの、脳内でデータを展開出来ない者のためなのだろう、かなり大きい臨界式モニターを何もない空間に立ち上げたタマリが、呆れた口調で言いながら黄緑色のショートボブをがさがさと掻き回す。

 壁の向こうから送られて来た映像は、酷く乱れていた。内部のエネルギー係数が不安定で、プログラムの稼動を阻害しているせいだとドレイクが言い訳みたいに言う。しかしながらそれはわざわざ言われるまでもなく、質の悪い映像を通しても誰にもすぐに判ったが。

 粘質な液体を充満させたかのように曇った箱の内側。または、燃え盛る炎に炙られた上昇気流の引き起こす陽炎。音も光もないのに、ねっとりとうねる濃密な「何か」がはっきり見て取れる様は、なんだか現実味がない。

「…エネルギーの粒子運動に秩序がないのは、なんででしょう」

 収束し同方向へ運動して、初めて百パーセント「エネルギー」となるべく物質が、その箱の内部では互いにぶつかり合ったり反発し合ったりしているのに、アン少年が首を捻る。

「内部が混乱してんだよ。本来なら導入するはずのない莫大な力が、一方的に機関部から送り込まれてる。でも、ここにゃ元より、人工子宮の外側から内に向かって別の力が掛かってんだぜ? 元来均衡の取れてたそれのバランスが悪過ぎて、つまり、この鉄の箱ん中で、漏れたエネルギーと外からかかるエネルギーが、押し合いへし合いしてんだろうよ」

 ドレイクの淡々とした口調に、誰もが難しい顔をした。

 その中で、果たしてシンクロ陣を正常に働かせる事は出来るのか?

 魔導師たちは多くを語らなかったが、内部計測を始めてからドレイクは、ひっきりなしに映像の送信と受信プログラムを組み替えていた。それだけではなく、内圧監視プログラムやエネルギー数値の算出プログラムも、立ち上げては停止し、停止したのを確認する間もなくまた新しいものを稼動させている。

 過剰エネルギーが無秩序に荒れ狂う箱の内側では、長時間プログラムが維持出来ないのだ。

「内圧とエネルギー流が不安定過ぎるぜ…、まったくよ。

 イルくんとブルースが上手くシンクロしてくれても、これじゃ…」

「プログラムを稼動させる時間だけエネルギーを逃がす事は出来ませんか?」

 こちらも相当難しい顔で目前のモニターを睨んでいたブルースが、顎に手を当てたまま目だけを上げドレイクの背中を窺う。

「どこに逃がすんだよ、こんな出力不安定なモン。例えば駆動部に還元したとしても、逆に機械装置がぶっ壊れるぜ」

 言われて、ミナミはモニターの左上に投影されているエネルギー係数の推移値を確かめた。観測点のほぼ全てで、プラス二桁から七桁の範囲で揺れている。

 いくらイルシュとブルースが完璧にシンクロしたプログラムを立ち上げても、どちらかが停止してしまっては元も子もない。機械的強化とプログラムの組み替えは同時に開始し、全エネルギーを人工子宮に供給する命令が正常に働き出した時、供給システムもまたそのエネルギーの流入に耐え得る物になっていなければならない。

 だから、始まってしまったのならもう停止する事は許されないのだ。

 例えば、内部で何がどう荒れ狂っていようとも…。

「…「アゲハ」」

 ミナミと同じモニターを見つめていたタマリがぽつりと漏らし、青年がダークブルーを旋回させて、少女っぽい小さな顔に視線を移す。

 笑っていないタマリ。

 大きなペパーミントグリーンの双眸を見開き、荒れる数値と陽炎に歪む映像を睨んで、普段見せる笑顔の片鱗さえ窺わせない険しい表情のまま彼は呟いた。

「イルシュとブルースのプログラムを保護するためのエネルギーの「隙間」を、「アゲハ」なら…作れる」

「擬似防電空間ですか?」

 タマリの独白じみた台詞に問うたのは、ここでもアン少年だった。

「うん…。ちょっとシミュレーションしてみっからさ、アンちゃん。それ、そこいらの連中に説明しといて」

 空間に浮いていたモニターを消し去ったタマリが、言いながら手をひらひらと振りミナミたちから少し離れる。壁に向き直って胡坐を掻いた小さな背中。それをいっときだけ見つめていたアンが、周囲の視線に促される恰好でミナミと陛下に向き直った。

「今ここで必要なのは、内側のエネルギーをどうこうする事じゃなくて、イルくんとブルースくんの実行しようとするプログラムが正常に稼動する空間を確保する事です」

 アンに言われて、ミナミは内心大いに納得した。発想の転換か。箱の、内側にある、人工子宮に、手を加えるための、プログラムを、稼動させる。という文字列から引き出される可能性は、何も、箱の内側のエネルギーを全部どうにかしてやらなければならない、というものだけではない。これもヒントか、それとも要素か。「箱の、内側にある」に解答を求める者もあれば、「人工子宮に」を念頭に置く者もある。

「エネルギー流の制御、供給量の増大に伴う機械的強化といっても、別に目に見えて何か工事する訳じゃなく、結局のところデータを書き換える作業ですから、無意味に広範囲のエネルギーを捻じ伏せる必要はありません。逆に、内部で無秩序運動しているエネルギーを一時的に停止出来たとしても、それを人工子宮へ供給しようとするとき掛かる負荷が今の状態では予測出来ないので、折角構築した式が吹っ飛んでしまうかもしれません。

 だから、内部に「擬似防電空間」を確保し、そこでイルくんとブルースくんのプログラムを実行、周囲で荒れてるエネルギーは防電空間の段階的解除で流入量を調節しながら、最終的に人工子宮へ供給する、という手を、タマリさんは今シミュレーションしてます」

 ここまではいいですか? と言いたげに小首を傾げた少年に、ミナミがゆっくりと頷いて見せる。言いたい事は、とりあえず判った。

「それがなぜ「アゲハ」なのかですけど、えと…、「アゲハ」そのものも、ある種の「エネルギー」の残影だっていうのは、判りますよね?」

 実体を持たない、水色の蝶。

「タマリさんは、「アゲハ」を極密集した状態で人工子宮を納めた箱の内部に展開し、「アゲハ」で隔離した空間内で、イルくんとブルースくんのプログラムを実行させようとしてるんです」

 つまり、少年たちのシンクロ陣を「アゲハ」の中で稼動させろという事らしい。

「しかし、「アゲハ」もある種のエネルギーだというなら、その中で正常にプログラムを稼動させるのは難しい? んじゃないのか?」

 種類は違えど、エネルギーの荒れ狂う隔離空間内と密集した「アゲハ」の中は同じではないのかと、ヒューが漏らす。

「「アゲハ」のエネルギー運動は制御されてますよ、ヒューさん。無秩序に出力を変えて来る訳でもないですし、そもそもですね…」

 そこでアンはなぜか、大きな水色を眇めてにこりと微笑んだ。

「タマリさんも、イルくんもブルースくんも、第七小隊所属ですから」

 彼らは判り合っているはずだ。先から一言も発しず事の成り行きを見ていたようにして、薄暗い壁に際立つ黄緑色をただ眺めていたようにして、イルシュとブルースは、少しの気負いも感じさせない落ち着いた表情で、不安そうなスーシェに微笑みかけた。

「うっしゃ、しゅーりょー。ま、どーにかなんでしょ」

 それと同時に自分の膝をバシンと叩いたタマリが、勢い良く立ち上がり振り返る。枯れた笑み。色褪せた微笑。ではなく、正真正銘自信たっぷりのにやにや笑いを口元に浮かべた彼のペパーミントグリーンが、無表情に見つめ返すミナミの青から、佇む少年たちに移った。

 深緑色の長上着と真紅の腕章。「F」の刺繍。

「これ、ウチのちびども。カウンターあわしたりとか色々すっから、ちょっとこっち来い」

 呼ばれて、壁に背中を預けて腕を組んだタマリを挟むように対面したイルシュとブルースが、口々に何か言い合いながら小さな陣を立ち上げる。出力が、稼働率が、構築式がああだとかこうだとか、誰が先だとか同じでなければいけないとか…。探るように見つめる周囲に構わず、彼らはそれぞれのすべき事を確認して行く。

 それを無言で見つめたまま、ミナミは思った。

 否応ない現実を、迫るリミットに追い立てられて余計な思考を働かせる暇もなく、あの悪魔は突き付けて来る。恐ろしいまでの暴挙だ。誰かが自分の役割を間違えただけで、真円は真円を描かず、都市もろとも崩壊するだろう。

 あのひとはなんと我侭なのか。周囲のその他大勢など知らぬ存ぜぬという顔をしていながら、あのひとは、天使と悪魔を囲む「ひと」のあるべき場所を過たず理解し、利用し、それが思惑通り行われなければこの世に戻らないと言っているようだ。

 全ては方程式。

 明らかにあからさまに、解答はひとつ。

 そう、この「解答」は、正解しか存在出来ない。

        

 すべてのひとよ、うらむなかれ。

  

   
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