■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

17.フレイム

   
         
(18)ビッグ・マザー(フレイム-3)

  

 集結する思惑。

 収束する事象。

 全ては三十二年前、この場所から始まったのか。

 そう。

 天使の、不幸としあわせさえも。

           

          

 王城エリアから非常用の地下通路を通って一直線に第0エリアへ向かい、エントランスでモビールを乗り捨て下層の閉鎖区画へ入る予定で降車場に到着し、しかし、ミナミはヒューの後ろから飛び降りたところで、床に座り込んだままふるふる震え、一歩も動けなくなってしまった。

 ミナミが「そういう状態になるだろう」とある程度予想していたものの、事態は火急を要する。それでも誰も青年を咎めたりしなかったが、後からやって来てその状況を目にしたドレイクは、八つ当たり気味にヒューに詰め寄ったものだ。

「…だから、何度も言ってるが、悪いのは俺だが俺の「せい」じゃない」

「意味判んねぇつってんだよ、それが!」

 今にも掴みかかりそうな勢いで噛み付いて来るドレイクを適当にあしらっていた銀色が、ついにうんざり嘆息し天井を仰ぐ。

 その様子を、停車したモビールの傍に座り込んだまま眺めるミナミもまた、内心うんざりと嘆息した。確かに、長時間誰かに触れているのは…正直それがヒューであって、ハルヴァイトのためだと判っていても…辛いだろうとは、伝えた。ならどうすればいいかと問われたから、単純に、とっとと向こうに到着すればいいよと青年は気楽に答えたのだが…。

 まさか、場所によっては幅三メートルにも満たない薄暗いトンネルを、時速百キロ超、殆どノンブレーキで踏破されるとは思っていなかった。

 はっきり言って、怖かった。ヒューの容赦ない性格を失念していたミナミの責任かもしれないが。

 目前で繰り広げられる不毛な言い争いに一石を投じたい気持ちながら、指先に力が入らない。それほど力一杯誰かに抱き着いていたのは生まれて初めてだと、ミナミはそこだけ冷静に思った。

 他人に触れ続けるという恐怖は、もっと判り易いスピード感に取って代わられ、だから、精神的に参っている訳ではない。可笑しな話し、先日ドレイクやウォルに「触れた」時よりも気持ち的に軽い…というか、全くダメージを受けていないのに、ミナミはなんとなく笑いそうになってしまった。

 やや離れた位置に膝を置き、不安げにミナミの顔を覗き込んでいるアリスに、青年が薄く微笑みかける。事情の説明は後回しにしようと一瞬考えたが、遠巻きにしているアンやイムデ少年の心配そうな表情に負け、青年はなんとか、震える指で携帯端末のキーを叩いた。

 それを目に、慌てて自身の端末を開いたアリスが送られて来た文字列を口の中で言い直すなりきょとんと亜麻色を瞠って、妙に子供っぽい顔でミナミに視線を戻し、はぁ? とおかしな声を上げる。

「怖かったって…班長?」

 ううん、と首を横に振ったミナミの、細い指の示した方向に顔を向けたアリスと、その会話を聞きつけたドレイクが見たものは。

 今やエンジンの停止した、タンデムシートのモビール。

「? モビール? 乗ったの始めてよね? でも…そんなに怖くないと思うけど…」

 当惑するアリスに再度微笑みかけたミナミが、ようやく立ち上がる。

『今度ヒューに乗せて貰ったら判る 魂抜けると思った』

…………。ミナミ、この非常時に何を暢気な。

 その奇妙な遣り取りを眺めていたアン少年が、ふと小首を傾げて呟いた。

「ヒューさん、妙に早く着いてましたよね? …何キロで走りました?」

「? 常時百キロと少し。直線で百二十キロ」

 涼しい顔で言い放たれて、問うたアンが両手で頭を抱え悲鳴を上げる。

「うわぁ…。ぼく、デリが八十キロで走っても振り落とされそうだったし、相当怖かったんですよ?! それなのに、常時百キロって…百キロって!」

 アン少年の悲鳴を聞いて、誰もが、即座に納得した。

 単純に、ミナミは「怖かった」だけだと。

 呆れた。

 両者の緊張感のなさに、か?

「…あほくさ!」

 キレ気味に絶叫してヒューから顔を背けたドレイクが荒々しい歩調で閉鎖区画の第一ゲートに向かうのを見送りつつ、捨て置かれた恰好の銀色がミナミに視線を向けて肩を竦める。

「ミラキはアレだな…、お節介だお節介だと思っていたが、ついでに過保護だ」

「あら、知らなかったの? 班長」

 ようやく立ち直ったミナミの傍らから離れながらアリスが笑う。

 そしてミナミも、薄く微笑んだ。

 ようやく調子が出て来た。

 どんな有事に遭遇しても軽口を叩き、どんな状況に陥っても緊張感など無縁だとばかりにふざけ合い。だからこそ際立つ、「彼ら」の才能。

 彼らは。

「機材の搬入準備始めろ! 二分で第三ゲートまで突破してやっからよ」

           

 文字列の草原を掻き乱し、人智を超えた現象をいとも容易く実現する、魔導師なのだ。

           

        

 隣接する空間に強い電脳陣反応を確認したとの、簡易式臨界観測機を睨んでいたアリスからの報告に、ドレイクは軽く鼻を鳴らしてだからなんだよと言い返した。

「だから出来ねぇ。俺は失敗する。冗談やめてくれ。あいつは俺を、そんなに安く見積ってねぇよ」

 小型のフローターやキャリアーに分乗したギイル率いる警備部隊の到着を待っていたかのように、大柄な人影がエントランスに飛び込むのと同時、見上げるような巨大ゲートの直前に立っていたドレイクの周囲を、直径二メートルの一次電脳陣が取り囲む。通常なら立体で描かれるはずの解析プログラムと強制解除プログラムの圧縮率を落として極力誤作動のないように、更には、極端に限定的な範囲で膨大なプログラムが稼動している不利な状況を彼は、最も遅い電速でプログラムを稼動させる手段で乗り切ろうというのだろう。

 床に浮かんだ灰色の光を放つ赤い陣が、酷くゆっくり回転する。その回転、プログラムの稼動が開始してから数秒後には、最もセキュリティの甘い閉鎖区画第一ゲート表面に幾何学的な蒼白い光が走り、床から天井まである扉が重々しい軋みを伴って左右に開いた。

 ドレイクの陣が消し飛ぶのと同時、待機していた警備部隊武装班が銃を構えてドアの内側へと緊急展開、エネルギーの供給がストップしているのだろう内部は暗く、自分の爪先さえも見えない。

 投光機の放つ光が一筋前方を照らしたが、それもすぐに立ちはだかる闇に邪魔されて霧散する。それで、勘良く照明の確保に動いたのは、緊急招集で収監され辟易していたらしい電脳魔導師隊第九小隊副長、ベッカー・ラドだった。

「発電機持ち込ませて光源確保くらいしようぜ、特務室」

 やれやれと肩を竦めてさっさと暗がりに紛れて行く、痩せぎすの背中。見えなくなったそれを探してミナミが目を凝らすのとほぼ同時に、暗闇ばかりだった空間が淡い光で満たされる。

 ベッカーは、ドアのすぐ横、配電盤の前に立っていた。広げた掌を壁に押し付けているのだが、その手の甲に、何か簡単で極小さな陣が一つ浮かんでいる。

 室内というよりも、やはり空間といった方がしっくり来るだろう、何もない場所。巨大な扉だと思っていたものは壁面そのものだったらしく、開け放ってしまうと、十メートル程向こうの第二ゲートまで、視界を遮るものは何もなくなった。

 油断なく周囲を警戒する兵士の間を通り抜け、ドレイクは真っ直ぐに次のゲートへ向かった。突き進んで、立ち止まり、また慎重に陣を描き、描いたと思うと数秒で、また、第一ゲートと似た巨大な扉が軋み始める。

 先行するドレイクとベッカー、警備部隊に紛れ込んだデリラの背中を見ながら、ミナミもまた一直線に進んだ。はやる気持ちというよりも、酷く落ち着かない鼓動が身体の内側ではなく耳の後ろで煩く鳴っていて、青年は短く息を吐いた。

 気持ちと身体が離れている。しかもいつもとは逆に、冷静に振る舞っているのに気持ちだけが浮ついているのではなく、気持ちは凍えるように冷えているのに身体だけがフル稼働しているようだ。

 原因は、判っている…。もう何度も確かめた。ミナミは間違いなく繋がっている。だから、おかしな事になっているのか。

 第二ゲートも難なくクリアし、またも展開する警備部隊。その間を縫って更に奥へ進み、直前二枚の扉とは少し様相の違う第三ゲートの正面に立ったドレイクの背中を見るともなしに見ながら、ミナミも足を停めた。

 今度のドアは、円形だった。中央に半球形の透明部分を持つ、丸い扉。これが一体どうなって開くのか、構造がさっぱり判らない。

 自己思考型セキュリティだよと、ドレイクが誰にともなく説明する。それは説明と言うより独り言みたいに聞こえた。

 下がれと手で示されて、ドレイクの周囲に展開していた兵士たちが後退する。このドアの向こうに何が広がっているのか、それはもう誰にも判らなかったが、ただ酷く、誰も彼もが落ち着かない気持ちでそわそわと目配せし合い、息を詰めて、薄暗がりに佇む漆黒の背中と煌くような白髪の発する重い気配を探った。

        

        

 通路を塞ぐ小型のキャリアー群に邪魔され、モビールでは先に進めないと判断したウォルとルードリッヒはそれを乗り捨て、車両の隙間を縫うようにして前進した。

「もう連中は人工子宮に辿り着いたのか?」

「いえ。ほんの数分前に第二ゲートをクリアしたと連絡されて来ただけのようです」

 乱雑に駐車した邪魔な鉄の塊を躱しやや拓けた場所、閉鎖区画のゲート前に飛び込んだふたりが抑えた声で囁き合った直後、背後から細い光が足元に差し込み、ルードリッヒが反射的に振り返って王を庇うように立ち塞がる。

「…エスコー衛視!」

 光源の辺りから上がった聞き覚えのある声に、ルードリッヒの緊張は一瞬で霧散した。

「ゴッヘルか?」

 顔だけを回して背を窺ったウォルの問いに、複数の足音が追い縋る。

「はい。他に、サーンス、アントラッド、エスト小隊長と、もうすぐガン大隊長にタマリも到着します」

 手に掲げていた非常用ランプの光量を上げながら近付いて来たスーシェが、王を認めて目礼する。それに短く頷いたウォルはすぐ正面に顔を向け直すと、口を開けたまま放置されている巨大なゲートを見上げた。

「…万全のセキュリティで固めたはずのゲートが、この有様か…。何のためのロックだか判らないな」

 呆れた溜め息と共に漏れた呟きを、背後のローエンスが笑う。

「解除痕はミラキのものだな。さすがというか、なんというか…。機械語で描かれたセキュリティプログラムなど、あってないようなものなのでしょう、アレに掛かっては」

 壁面をそっくり切り取った大扉の前に立つ彼らの前方で、何かがぼうと暗く光った。

 そもそもドレイクは、制御系ジャッカーという不名誉な階級を振り翳す、天才ハッカーだ。魔導師、技師を問わず、独自にプログラムを構築する事を生業とする者の思考を暴き裏を掻くジャッカーは、その本領を発揮すればするほど嫌がられる。

 だから自分の能力が嫌いだと、いつかドレイクは…今はもう「いない」恋人の耳元で、疲れたように囁いた。結局自分はそうやって、誰かが必死に造ったものを謀り、壊し、失望させるだけだと。

「…………。もし、それを、アレが知っていたのだとしたら、恐怖だな」

 遥か前方ではっきりと輝き出した暗い赤を眺め、ウォルはゆっくり歩き出しながら口の端を歪めた。

 それもまた予想か、予測か。今ここにドレイクが居なかったとしたら、第三ゲートのセキュリティは破れないだろう。

「プリメラ」と名付けられた擬似脳を有するシステムは、その扉を強固に死守するという命題を絶対に譲らない。自身で策を講じ、侵入者の打つ手の裏を掻いて、施錠プログラムを保護するのだ。

「きっとレイちゃんは、「プリメラ」を説得してドアを開けさせようなんて温い手使わないよ。てってーてきに攻撃して攻撃して攻撃して、思考回路崩壊さすね」

 いつの間に近付いていたのか、キャリアーの陰からひょこりと現れた黄緑色が、沈んだ声で、判り切った事を再確認するように呟く。暗闇に陰々と響くその声は、彼…タマリ・タマリらしからぬ抑揚のないものだった。

「非常事態だもん。のんびり人工知能の相手なんかしてる場合じゃねーよ。レイちゃんに訊いたら、みーちゃんのために一刻も早くハルちゃんに戻って欲しいって、そう答えるかもしんないけど、みーちゃんはさ、あのコも容赦ねーから、きっと、こう…言うと思う」

 無言で佇む王と肩を並べ、タマリは薄く、暗く、微笑んだ。

 天使は言うだろう。

 抉り出すだろう。

「それは、ミラキ卿の勝手だろ。ってね」

          

        

 突然の異常事態に「プリメラ」は「不快」を示す信号を発した。身体(思考プログラムの本体というべきか)に、バグのようなものがひとつ取り付いている。

 もしや「扉」に何か起こったのだろうかと、「プリメラ」は周囲を「見回した」。「扉」正面に埋め込まれた広角カメラを「瞬き」、慎重に上下左右を探ったが、「そこには相変わらずの闇しか存在しておらず、怪しいものは何もない」。

 ではこれは何らかの思考ミスによって生じる、無為な信号だろうか。きっと、そうだ。自己思考型「プリメラ」にはそういう些細なバグが起こり易かったが、逆にそれを自分で除去する事も出来た。

 だから「プリメラ」は、思考ルーチンに紛れ込んだバグを探り当て、それを「摘んで外に放り出した」。やれやれ。外部からの攻撃に対処するためあらゆるテストケースを収めた「膨大な容量の身体」は、実は酷く繊細で、そういうバグを感じると、そう、「不快」でしょうがないのだ。

「不快」。

「プリメラ」が、「首を捻る」。

 それは、何の事なのか。

 自己思考型システムは外部からの攻撃を臨機応変に防ぐためのプログラムであって、「人格」ではない。実際「プリメラ」に身体はないし、だから、バグを発見して除去するという一連の行動はシステムを保護するためのパターンであり、「不快」を感じるようなものではない。

「不快」

 その未知の「思考」に囚われた末端を、「プリメラ」は切り捨てた。

 バグの引き起こした思考の残骸を消去するうちに、「プリメラ」は「不快」になった。進化するプログラム体に「不快」などという記号は含まれて居ない。ああ。まただ。これも「不快」。「プリメラ」は更に末端に続く思考プログラムを切断し、中枢思考プログラム内のブランクを増やした。

 ひとつの信号が齎した「不快」という記号が、中枢思考プログラムの統括する末端プログラム群のあちこちで明滅する。なんて「不快」。中枢は自己防衛のためにその「不快」を消去しようと、次々に末端を切り捨ててブランクを増やし、内部でまた新しい末端プログラムを構築しては送り出した。

 それは、生き物が、腐っていく自分の身体を切り取っては投げ捨て、再生するのと似ている。

 連続する消去と構築を繰り返しているうちに、中枢思考プログラムはだんだんと「不快」になって来た。潰しても潰しても発生するバグは、纏わりつく無数の小さな虫のように身体を這いずり、表皮を食い破って内側へと侵入する。

「不快」だ。

 中枢思考プログラムは狂ったように消去と構築をループさせながら、何か異変のようなものを「感じて」再度周囲を「見回した」。しかし外界は相変わらず暗闇ばかりで、「今日は見回りの兵士さえも見当たらない」。

 だからこれは内部異常だと判断し、「プリメラ」は作業を続行した。

 沸き上がる「不快」を潰しては領域をクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てまた領域をクリーニングし新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨てクリーニングし、新たな思考プログラムを組み立てて…すぐそのプログラムを切り捨て…。

「必死に」なって内部処理を「追いかける」「プリメラ」は、外部センサーを含む全ての機能が停止、内部処理経路に書き込まれたエンドレス命令を正しく守って、ただひたすら、心の内に「あるはず」の「不快」という信号を探す。

「プリメラ」は、思考する。思考するために存在する。外部からの如何なる攻撃にも対処出来るようにと当時の技術者が叡智を尽くして構築した自己思考型セキュリティシステムは、内に送り込まれた一個の『見知らぬ信号』に翻弄されて、「ハッキング開始からきっかり六十秒後」、外部監視を放棄し永劫停止しない内部処理状態に突入した。

          

        

 眼前に座った巨大な扉の中央、半球形の透明部分に淡い緑の光がぽうと浮かんでゆっくりと点滅し始めてから丁度一分後、それが急激に忙しく明滅し出す。同時に、ぴったりと閉ざされていた灰色の扉に無数の光が走って、ミナミは、終わりと始まりを感じた。

 閉鎖区画最大の難所と思われた「自己思考型セキュリティシステム・プリメラ」が、死守すべき大扉の監視をなぜ放棄したのか、青年には判らなかった。しかし、今その扉の目前で暗い光に包まれた電脳陣を踏みつけ、傲岸に腕を組んだままそれを睨んでいたドレイクが「何か」したのだけは判る。

 それが何なのか、なぜ「プリメラ」が外部に干渉する事を辞めたのか、誰も問いはしないけれど。

「開けるぜ」

 陣の中央に佇んだままのドレイクが、何かを確かめるように軽く振り返り、ミナミに向かって小首を傾げてみせる。たった一分で「万全」と言わしめたセキュリティを突破したとは思えないその気安い口調に、青年も平素と同じ無表情で頷きかけた。

 そして、半球体の上下に光の亀裂が走り。

 狂った我が子を抱いたまま幽閉された母の外郭が、しめやかに開かれた扉の向こうから姿を…現す。

          

        

 その母は今、臨界を抱いている。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む