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17.

   
         
(21)女王-3(同時進行-5)

  

<本丸最上階-展望室>

 ドーム型の天井を持つ円形の室内は、緊張を孕んだ静寂に締め上げられていた。

 その中央足元に描かれた八角形を形成する、淡い藍色のタイル。殆ど継ぎ目のない乳白色の床材に唯一色を落としたそれに向けていた視線を斜め上空に振り上げて、ルニは握り締めた両の拳を胸に押し当てた。

「惑星の女王様に謁見を」

 起こしてしまった短気を反省する間も惜しんで、少女はまたも声を張り上げる。開き直りと言われればそれまでかもしれないが、あの小さな生き物? たちを怒鳴ってしまったのは、ルニの我儘が原因ではない。そう。だって、女王様にお話をと希望しているのに訳の判らない事を言って取り合ってくれず、少女を怒らせたのはあちらなのだ。咎められたらごめんなさいと素直に謝るつもりはあるが、一方的に少女が悪いからもう話など聞かないなどと言われる筋合いはないはずだ。

「惑星の女王様に謁見を!」

 焦燥の滲み始めた声。固く握った拳の関節は、力の入れ過ぎでなのだろう、すっかりと白くなっている。しかしルニはそれにも気付かず、ただ上空の一点を見上げて、三度目の…悲痛な…声を上げようと、深く息を吸い込んだ。

        

       

<臨界-聖杯黒の宮殿内>

「お前のようにゃ「読み取れる者」の接触は解禁されてないにゃ! 惑星は未だ保護が必要にゃ期間にあるのですにゃよ! 判るかにゃ?」

 タン! と、ふっかりした後ろ足の先を背凭れの高い玉座の肘掛に無理矢理載せた聖杯黒の(猫)女王は、細長い尻尾の毛を目一杯逆立てて重々しく険しく言ったが、最後の部分ではなぜか非常に愛くるしい感じに小首を傾げたりもして、ハルヴァイトの頭痛を増徴した。

「はい、はい。判ります。ですので、今回の接触はあくまでもイレギュラーであり、あなた様がわたしの要望を呑んで下さるのであれば干渉システム内からも即刻退去しますし、「臨界」の真の存在意義とあなた様方の役割は一切他言しませんから」

 だからとっとと話を聞いて開放してくれ、的な空気満点でうんざりと肩を竦めたハルヴァイトを、聖杯黒の(猫)女王が、緑色の双眸でじっと睨んだ。

「誓約するにゃら、その要望とやら、呑んでやらにゃい事もないにゃ」

 と、そこだけ妙に冷静に言い置いた(猫)女王が、すとんと玉座に座り直す。

「誓約、ですか?」

 意外とまともな事を言い出したなと、どうでもいいのだけれど妙に感心しつつハルヴァイトが聞き返す。

「約束する事にゃ!」

「誓約の意味は判ってますよ…。内容の問題です」

「お前の要望は呑むにゃ。その代わり、お前は「臨界」解放まで不可侵領域で待機するんにゃよ」

「…はぁ」

 と、言われた内容を反芻するでもなくハルヴァイトは、生返事しながら背後で未だ踊り狂っているガイドの位置を確認し、一歩、彼? から離れた。

「臨界」開放まで不可侵領域で待機する。つまりは、「臨界」がその役割を終えるまで、その秘密をバラされては困るから帰るな、とそういう事を、(猫)女王はさらりと言うのだが。

「でもですね」

 言ってハルヴァイトは、口の端に薄い笑みを浮かべた。

「恋人を待たせているので、誓約は出来ません」

「ならばお前の要望は呑まないにゃ」

 ぷい。とそっぽを向いた(猫)女王から背後のガイドに視線を移したハルヴァイトが、面倒そうに嘆息する。やはり、誰かに何かを頼もうなどと人並みな事など考えなければよかった。

「そうですか。では、非常に残念ですが…」

 わざと落胆の表情を浮かべて一度俯いてからハルヴァイトは、再度顔を上げ、いかにも偉そうに腕を組み、玉座の上で縮こまった聖杯黒の(猫)女王…浮遊都市維持管理システム・コア・ブレーンを、あの一切光の入らない不透明な鉛色の瞳で、睥睨した。

「ここで基底言語によるデータバーストを起こされたくないのなら、黙ってわたしの言う事を利け」

「っていうかそれ要望にゃなくて横暴にゃーーーっ!」

「脅迫な、ノデハ?」

 椅子の背凭れに縋り付き涙声で悲鳴を上げる(猫)女王と、おかしなポーズで動きを止めたガイドを無視して、ハルヴァイトは、肩まで差し上げ伸ばした右腕、その先端に、あの青緑色の炎を燃え上がらせた。

「おにーっ! あくまーーーっ! お前にゃんて、お前にゃんてぇぇええええっ!!」

(猫)女王が涙ながらに吐き捨てた悪態はしかし、囂々と燃え盛る青緑色の文字を翳すハルヴァイトを、大いに納得させただけだったけれど。

         

 これで彼は、本物の、臨界の悪魔、になった。

     

    

<本丸最上階-展望室>

「惑星の女王様にお願いがございます!」

 床に膝を置き、しっかり組み合わせた両手を胸に抱いて、少女は天を見上げ叫んだ。

 蒼い空が美しかった。

 白い雲が刷毛で刷いたようにどんどん上空へ攫われて行く。

 墜ちている。

 約束したのに。

 みんなと。

 大好きで大切なもののために。

 約束。

 したのに。

 なんの変化も無い室内の静けさに、悔しさなのか悲しみなのか判らない涙が出そうになって、ルニはぎゅっと唇を噛んだ。そんな場合ではない。泣いている暇ではない。少女は一度深く頭を垂れて固く瞼を閉じ、ゆっくりと深呼吸してから、黒い瞳に強い光を湛え顔を上げた。

「え?」

 瞬間、思わず漏れた、気の抜けた声。

 何せそこに、つい一秒前まで存在していなかった、光沢のある黒いドレスを身に纏い、そのドレスにも見劣りしない美しい黒髪に銀糸で編んだごとく繊細なティアラを頂いた女性が、なぜか…疲労困憊という表情で額に手を当て、突っ立っていたのだから。

 ルニは、困惑した。

 明るい青空と、陽光を乱反射するガラスのドームに縁取られた美女。が、なぜ、こんなにぐったりしているのか。

「ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世?」

 耳障りのいい、落ち着いた声に名前を呼ばれた少女は背筋をぴんと伸ばして立ち上がると、「はい!」と反射的に元気よく答えた。しかしよく考えれば、これまたなぜに質問口調なのか、とも、思わなくもないが。

「そう。そうなの…。少しお待ち頂いても構わないかしら? ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世」

「あ、えと…はい、構いませんけど…あの…」

 もしかしてこの憔悴しきった美女が、惑星の女王なのだろうか? とルニは訝しんだ。

 彼女は、ルニには顔も向けずあらぬ方向を濡れたエメラルドグリーンで見つめたまま、額に当てた手の下の柳眉を寄せ、何事かを口走っている。ウォラート・ウォルステイン・ファイランではなくて? とか、順位がつい今しがた組み替えられたばかり、とか、溜め息とか、何か確かめているような独り言を唖然と見つつも、待てと言われたからだろう、少女は彼女の関心が自分に向くのを待った。

 今度は失敗出来ない。

 何せ…多分だけれど…惑星の女王様直々のお出ましなのだ。

 どれくらい待ったのか、実際は一分にも満たなかったのだろうが、不意に短く息を吐いて額に当てていた手を下ろした女性が、ようやくルニに向き直る。長い黒髪。色の白い、冷たい印象を受けなくもない白皙。ほっそりと背の高いその人は、どこか少女の兄と似ている気がした。

「ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世」

 女性らしいフォルムを際立たせる飾り気のないドレスに身を包んだ彼女は、改めて少女の名を呼ぶと、にこりと微笑んでから体の前で両の手を組み合わせた。その優雅な事この上なく、憧れにも近い眼差しを送りながらも頬を薄く染めたルニが、はい、と短いがはっきり答える。

「あなたのお願いを、利かせて」

 ? 「聞かせて」ではないのか? 言われたルニには、そのニュアンスは伝わらなかったけれど。

 それでも何か妙だと思ったのか、少女はちょっと首を捻った。

「惑星の女王様?」

「そう見えて?」

「…はい、とてもお美しくて、羨ましゅうございます」

「よかった…」

 心底安堵したように呟いて胸を撫で下ろした惑星…聖杯黒の女王は楚々とした足取りで少女に近付くと、甲に爪痕の浮いた華奢な手をそっと取り上げ、それを柔らかい両手で包んでくれた。

「こんなに…お若いのに苦労が絶えないのね…」

 いや、どうしてそこで同情? ルニは目を白黒させて、俯いた女王の顔を凝視する。

 なんか…ヘンだ。

 一瞬前までの緊張など忘れてルニは、自分の手を取り痛ましげな笑みを…いや、そんなもの初対面で向けられる覚えはないのだけれど…浮かべて小首を傾げた惑星の女王を、ぽかんと見つめた。

 しんと静まり返った展望室。

 微笑む女王。

 光の粒子をきらきらと反射するティアラを頂いた彼女の背後を、猛烈な勢いで飛び去っていく白く霞んだ雲。

 少女…王女は黒い瞳をゆっくりと瞬いて、自分のか弱い手を握る女王の繊手をきゅっと握り返し、頭を垂れた。

「…わたくしの愛する者たちの在るこの都市を、お救いくださいませ。

 わたくしを信じる者たちの在るこの都市を、お守りくださいませ。

 女王様。

 落下し、一瞬で潰えようとする都市を、空に」

 ルニは言いながらその場に跪き、両手でしっかりと包んだ女王の手を額に当てて、懇願した。

          

 空に!

  

   
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