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17.フレイム

   
         
(22)女王-4(臨界-2)

  

 柔らかな風に揺れる草原。

 その只中に佇み何かを待っていたハルヴァイトの直前に、たゆたう…データがすうと立ち上がり、文字列で造形された女性がその内から現われる。

「都市ファイラン、接触許可者第一位ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世は、現在落下中の三号円盤の軌道修正を申請し、浮遊都市維持管理システム・コア・ブレーン<聖杯黒の女王>が申請を受理しました。

 これにより、都市ファイランは百八十秒後に惑星上空周回軌道第2328号への誘導を開始され、六百秒後に軌道到達、<聖杯黒の女王>管理下において周回を開始します」

「システム管理の解除方法は」

「都市ファイラン、接触許可者第一位ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世による、管理中止及び都市管轄機能復帰の申請によってのみ、解除されます」

「システム管理中の運行は」

「浮遊都市維持管理システム端末、不可視モードのソーサーによる曳航です」

「高度、推進ともに通常の都市運行状況と差異ないよう、<聖杯黒の女王>に求める」

「了解。アカウント「El/diablo」 からの付加事項を了承します」

 それで用件は終わりだったのか、ハルヴァイトは相変わらず偉そうに腕を組んだまま、口を閉ざした。しかし、目前に立つ、忙しく流れる文字列で構築された女性の立体が未だ消えず、ふと、悪魔が小首を傾げる。

「都市ファイランの悪魔よ」

 文字列ではない音声で名を呼ばれ、ハルヴァイトは微かに苦笑した。

「はい、なんですか?」

 答えて、瞬間、ハルヴァイトと対峙していた文字列に色と厚みが加わるなり、それは、抜けるような白い肌にエメラルドグリーンの瞳、星の瞬く闇夜を固めたような長い髪に銀色の繊細なティアラを頂き、美しい光沢のある黒いドレスを纏った、聖杯黒の女王へと変貌した。

「約束を約束せよ」

「…」

 女王は酷く平坦な表情でハルヴァイトを見つめ、しかしどこか…微かな畏怖を滲ませた声で呟く。

「接触許可者第一位ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世の求めに応じ、聖杯黒の女王はその名において都市ファイランを空に留める。都市ファイランの悪魔よ。約束を約束せよ」

 その口振りに、悪魔がふっと短く笑みを漏らす。これは、<聖杯黒の女王>という中間管理システムの姿を借りた、…中枢統括システム本体に違いない。

 さすがに遣り過ぎたな、というのが正直な感想か。無数にある自己思考型管理システムをちょっと脅して一時的に従わせる程度、惑星全土を統括している中枢は気にも留めないと思っていたのだが、さすがに、システム内に侵入し監視者である「ガイド」にまで誤作動を引き起こしてしまったのは、よくなかった。

「構いませんよ。何を約束しましょうか」

「約束を」

「「臨界」の存在意義を他言せず」

「約束を」

「「魔導師」の管理システムへの接触を禁止し」

「約束を」

「「接触許可者」の秩序を厳守し」

「約束を」

 幾ら言っても満足しないらしい中枢統括システムを鉛色の瞳で見つめ、ハルヴァイトは…ふん、とつまらなそうに息を吐いた。

「全ては「人」の意思から始まった。

 惑星は、人類の私利私欲に傷つけられて滅びようとした。しかしその惑星を救おうとしたのも、人類から安息の地を取り上げたのも、いつかその安息の地、地上に帰る機会を与えようとしたのも、結局「人」だった。

「臨界」は即ち、惑星と人類を個別に監視するために開発された管理システム。惑星の自然治癒を助け、不自然な状況で空を浮遊する人類の箱舟を監視するために、必要不可欠なもの。

「惑星の女王」が各浮遊都市において「接触許可者」に「魔導師」を禁じているのは、「惑星の女王」、「臨界」が共に、同じ「中枢統括システム」の管理下にあると知られてはならないからだ。もし「魔導師」、いわゆる「都市駐屯型自想式端末」が両者の関係に気付いた場合、端末は極めて高確率で「中枢統括システム」に接触し「臨界」を介して、惑星の支配権を占有しようとするものと「中枢統括システム」は試算した。

 そのため「中枢統括システム」は初期段階で各浮遊都市における「任意のアカウント」にのみ「接触許可」を下し、その「接触許可者」を含む血族には「電脳魔導師」ではなく「魔導師」という称号を与えて、管理システム剥離端末、俗称「フェアリー」を経由した場合のみ管理システム「惑星の女王」への接触を許可した。

 約束を。

 冥王…プルートゥ」

 俯き加減で、聖杯黒の女王を騙る中枢統括システムの足元を見つめ淡々と述べていたハルヴァイトが、ゆっくりと鉛色の瞳だけを上げ、微笑む漆黒の美女を見つめる。

「…貴方は、正に「悪魔」ですね」

 黒の女王が、冷たく見据えてくるハルヴァイトに微笑み返す。

「約束? これは約束ですらない。

 わたしは、「臨界」を含む惑星の管理権を乗っ取る事が出来る。全ての浮遊都市を配下に治め、全ての「都市駐屯型自想式端末」の権利を剥奪し、惑星を劇的に回復させて地上を支配する事が出来る」

 ハルヴァイトは、「出来るだろう」とは言わなかった。

 悪魔は、「出来る」という。

「そんな意味のない実力の行使など、なぜわたしにする必要がある?

 わたしが望むのは世界征服でもなければ惑星の王になる事でもなく、ただ、恋人が幸せであればいいという、それだけだ。

 恋人の幸せのためになら何でもやろう。

 彼の安寧のためなら何でも。

 わたしの命をくれと言うのなら、喜んで差し出そう。

 ただし。

 彼の望まぬものに、指一本動かすつもりはない」

 だから。

「臨界も惑星も支配権も、いらない」

 一瞬の静寂。

 睨み合う黒の女王と、都市の悪魔。

 撫で過ぎる風に震える草原。草原。データ。草原。

 刹那の緊張を破ったのは、惑星の女王の口元を飾った、やけに人間臭い…呆れた薄笑みだった。

「判りました、都市ファイランの悪魔。約束を。都市ファイランに戻った暁には、恋人とご一緒に正規の手続きによる謁見をお願い出来ますか?」

 女王というよりも、慇懃な執事にも似た口調ですらすらと述べた<冥王=プルートゥ>が、瞬きしない黒い瞳は無表情なまま、口元にだけまたもにこりと笑みを乗せる。

「ミナミに会わせろと?」

 何をするつもりなのかと訝しんだハルヴァイトが微か眉を吊り上げて問うと、<冥王=プルートゥ>は「はい」とはっきり答えた。

「お尋ねしたい事があります。その時、<わたし>が貴方の恋人に危害を加える事はありませんので、ご安心を」

「当たり前だ。そんな事になったら即刻舞い戻って貴様など初期化してやるから、覚悟しておけ」

 今度は明らかな不快を含んだ台詞を、<冥王=プルートゥ>がやはり口元だけで笑う。

「はい、肝に銘じておきましょう。しかし、「都市ファイランの悪魔」と称されて「臨界」の恩恵を預かっておきながら、面白い事を言いますね」

 ゆらり、と揺れて身を屈めた惑星の女王は、言いながら足元で震えるデータの若草に指先で触れた。

「全ては「人」の意思から始まったと言いながら<わたし>が初期化出来ると思う、貴方は」

 ふ、とデータに触れた指先が崩れる。

「まさに、「臨界=データ」の申し子でもあるのでしょう」

 言って、微かにいたずらっぽい光を浮かべた緑の瞳でちらと見つめられて、ハルヴァイトは…。

 指先から呑まれるようにデータに変換され、萌える若草に乗り消えた女王の居た場所を眺めつつ、ああ、そうか、と今更ながら溜め息みたいに呟く。

「始祖階層に存在する<冥王=プルートゥ>は…そういえば…」

「そう」だった、と、判っていたのに失念していた事を思い出し、悪魔はやれやれと肩を竦めた。

           

 すべてのひとよ、うらむなかれ。

  

   
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