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18.インターミッション デイズ

   
         
1)インターミッション デイズ-1

  

 平和と退屈は紙一重だなとその時、一連の騒ぎの発端であり経緯であり結果である王下特務衛視団電脳班班長ハルヴァイト・ガリューは、全くやる気の感じられない態度でデスクに頬杖を突いて、思った。

 あえて言うなら、する事がないのではない。藪をつついて蛇を出す気があれば、「事件」は飛躍的に進行するだろう。しかし、ハルヴァイトにその気はない。相手の出方を待っていると言えば聞こえはいいが、実際は、面倒なので適当に時間に流されてみているだけなのかもしれないし。

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングが行方知れずになった事で、王城周辺は常に厳戒態勢を取らざるを得なくなった。いつどこで何が起こるか判らない。と、先日出席した会議でクラバインは言ったが、ハルヴァイトにしてみれば、予兆は必ずあるはずだから、そんなに力まなくてもいいだろうにという所か。でも、そんなやる気のない発言などしようものなら出席者の殆どから非難されるのは目に見えていたから、あえて「そうですね」とどうでもいい台詞を選んで答えておいた。

 危機回避能力が上がったな。などと決定的に間違った方向のスキルの伸びに感心しつつ、ハルヴァイトは欠伸を噛み殺した。

 部下を含む特務室の面々は先日までの「事件」で収集した資料の検証やら整理やらに、忙しく走り回っている。それを横目に、当の悪魔は疲れが取れないとかなんとか言って、全く反省の色もなく執務室で怠惰を満喫しているのだが。

 事実、神経的疲労はピークを突破した。だから妙に気が立って、落ち着かない気分がここ数日続いている。自宅に戻って睡眠を取っても、それが休養に繋がっていないのは問題かもしれなかった。

 思い切って休暇を申請し、ミナミとゆっくり過ごそうかとハルヴァイトは考えた。自分が休暇を取るのとミナミが休暇を取るのはワンセットで、誰にも文句は言わせない、と本気で思っている辺り、悪魔の我侭に一層磨きが掛かったといっても過言ではない。

 そういったものの責任の所在などまるで考えていないのか、ハルヴァイトは今度こそ明らかに欠伸して、デスクに置いていた手を膝に戻した。何かしている振りをするならリリス・ヘイワードでも呼びつけてみるのが適当か。それで、スケジュールが合わないので出頭は数日後にと言ってくれると、大いに助かる。

 自分に都合のいい進路だけを選んで取れないものかと、これまた大いに間違った方向の希望を世間に対して抱きつつ、ハルヴァイトは膝の上に置いていた指を組み合わせてそれに視線を落とした。

 グロスタンは暫く動きを見せないだろうと都市ファイランの悪魔は予測する。隠れ蓑だったサーカスは特務室の監視下にあり、彼ら…これにグロスタンは含まれない…の崇拝するアドオル・ウインと、切り札と言ってしまっていいだろうアリア・クルスもこちらの手にある。だから何にせよ、その先がどう転ぶにせよ、彼らは入念な準備期間を必要とするはずだ。

 だとしたら、やはり手を打つべきはリリス・ヘイワードか、とハルヴァイトは内心嘆息した。サーカス事件の関係者で唯一消えた二人の名前と顔を思い出せるのは、臨界面からその正体を探れなかった彼のムービースターだけだ。

 一旦呼んでしまえば、万が一にもリリスが記憶操作を受ける危険性は低い。元より、敵の正体は既に白日の下に晒された。彼らが、手口も犯人も明白なのにわざわざ近付いて来て尻尾を出すような愚を犯さないでくれる事を祈る。

 妥当だな。と内心ひとりごち、ハルヴァイトは膝の上に置いていた手を解いて肘掛け椅子から腰を浮かせた。まずこの件についてクラバインに意見し、許可を得なくてはならないだろう。面倒だけれど。

「アリス」

 通常ディスクやら臨界式ディスクやら、びっしりと報告で埋まったデジタルペーパーの端末やらが壊滅的にぶっ散らかったデスクに片手を置いたハルヴァイトは、電脳班執務室と衛視執務室を繋ぐドアに視線を当てたまま、極小さな声で赤色の美女を呼んだ。今日はそれぞれ忙しく、アンもデリラもドレイクも居ない室内。雪崩落ちたら生き埋めになりそうな資料の山と格闘していた彼女が、幽鬼のようにゆらりと顔を上げ、「何」と…物凄く機嫌悪そうに言い返してくる。

「……どうかしたんですか?」

 その沈んだ声音を不審に思ったのだろうハルヴァイトの鉛色がゆっくり旋回し、半眼で睨んで来るアリスに据わると、彼女は盛大に溜め息を吐き、わざとのように荒っぽい動作で椅子の背凭れに身体をぶつけた。

「ちょっとは空気読んでよ、ハル…。忙しいのよ、忙しいの! ただでさえサーカス関係の資料整理もあるっていうのに、君のおかげで仕事が増えたのよ、あたしは」

 さて、それはどんな仕事だろうかと思いつつ、ハルヴァイトが「ああ、そうですか」と腑抜けた答えを返す。

 それを見て、アリスはちょっとハルヴァイトを殴ってやりたい気になった。軽くでいい。落とす気はない。でも、勢い余って落ちてしまった場合の責任は取れないが。

「都市運行管理者緊急交代の事後承認のために臨時議会が召集されたでしょう? その議会に提出する臨界側事由書の作成に今朝まで掛かったのよ、あたし。おかげで、ブルース君たちの調べたサーカス地下施設の構造報告書が出来てなくって、議会が終わったらすぐに次の会議が待ってるっていうのに、添付資料が…」

「ブラックボックスを持ち込ませて、本人に報告させればいいのでは?」

 アリスがこれ見よがしに指差したディスクの山を苦笑いで眺めつつ、ハルヴァイトが言い返す。

「バカね。君がこき使ったおかげで、第七小隊の若いコたちは臨界接触制限中よ、今」

 冷たくあしらわれて、ハルヴァイトは仕方がないので肩を竦めた。それだけで何の返答もないのに、今度はアリスが溜め息を漏らす。ああ、もう、この非常識! と言ってやりたい気持ちをぐっと堪えフル稼働中のモニターに視線を戻した彼女は、キーボードに指を置いた。

「とにかく、あたしは忙しいの。自分の用事は自分で足してて!」

 部下が上官に対して言う台詞ではない。

 しかしハルヴァイトは「じゃぁ、そうします」と神妙な顔で頷き、見事…執務室から退去する理由を手に入れた。

 しかし。

 それでは、と意味なく言い置いてそそくさと執務室から出て行こうとしたハルヴァイトの背中に弾ける、呼び出し音。それが自分のデスク備え付けの通常通信端末なのを訝しみ、ドアノブに手を置いたまま首だけを巡らせた鉄色が吸った息を吐く暇もなく、今度は、アリスの通信機がけたたましい悲鳴を上げる。

「はい、電脳班し…、…班長?」

 刹那で沈黙した班長デスクの端末から正面に顔を向け直し、ハルヴァイトはそのまま部屋を出て行こうとした。緊急の連絡でもなさそうだし、どうでもいいかと勝手に決め付け、余計な仕事が舞い込む前にその場を逃げ出そうとしたのか。

「え?! ええ、判ったわ、すぐ向かわせる。はい。…待って、ハルっ!」

 どうやらヒューと何か話していたらしいアリスが、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がりながら、最後の部分だけをハルヴァイトに背中にぶつけて来る。その、妙に切迫した悲鳴のような声に、ハルヴァイトはドアを開け放つ途中の姿勢でまたも赤色の美女を振り返った。

「な…」

「すぐ議事堂に行って! ミナミが!」

 倒れた。というアリスの悲鳴を最後まで聞かず、ハルヴァイトは突風のような勢いで執務室を飛び出した。

  

   
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