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18.インターミッション デイズ

   
         
8)幻惑の花-1

  

 唐突にやって来た怠惰な日常。

 さて、降って沸いた暇をどうやって潰そうかとミナミは思案し、ハルヴァイトは機嫌よくどうとでもなると言った。

「…確かに、結構どうにでもなるモンだよな。うん」

 呆れ半分に呟いてからミナミは、濡れた手をタオルで拭きながらキッチンとリビングを隔てるカウンターに向き直った。

 開け放たれた窓に掛かる紗のカーテンが微かに揺れ、隙間から天蓋越しの淡い光がリビングに射し込む。水遣りを忘れていて随分弱っていた観葉植物もすっかり元気になり、今は瑞々しい葉の表面に小さな白い光を纏っている。乾き切った土に水を吸わせながら、枯れてしまったら可哀想だと呟いた青年に、恋人は、植物は人に手を掛けて貰わなければ生きて行けないかもしれないけれど、実は意外に丈夫なものなのだと薄く微笑んで言い、その通り、緑はすぐに息を吹き返した。

 ドクター・ラオ・ウィナンに無期限休養を言い渡されたミナミとハルヴァイト…ミナミに事情を説明する際クラバインは、ハルヴァイトにも疲労の蓄積が見られるので休養を言い渡したと告げていた…が揃って自宅に戻ってから、今日で四日になる。その間青年は、適当に家事をこなし、適当にだらけ、悪魔は朝から晩までだらけ切って過ごしていた。

 簡単な昼食を終えて食器類を片付けたミナミがキッチンからリビングに移動すると、ハルヴァイトは今日もまたソファに寝転がって顔の上に何も表示していないデジタルペーパーを載せ、うたた寝していた。

「…しっかし、良く寝るよな…。これ以上育ったらどうすんだよ」

 寝る子は育つ、などと言うが、出来ればハルヴァイトにはこれ以上育たないで欲しいとミナミは切に思う。縦には言わずもがな、横にだってゴメンだ。

 意味もなく足音を忍ばせてハルヴァイトの向かいに腰を下ろし、ミナミも生欠伸を噛み殺した。眠い。座面に両手を投げ出しただらしない恰好で、落ちてくる瞼に抵抗も出来ないまま、うとうとと…。

           

 刹那。脳裡でフラッシュする、白い、光。

          

 ミナミははっとして、落ちかけた瞼を瞬間で上げ息を停めた。

 微かな恐怖か驚愕に彩られたダークブルーが、低いテーブルを挟んだ向かいで未だ惰眠…文字通りの…を貪るハルヴァイトの姿を凝視する。肘掛けに預けたクッションから座面に流れる鋼色の髪と、淡いクリーム色のシャツに載せられた手。持て余し気味の長い足は、頭を載せているのとは反対の肘掛けに引っ掛かっていた。

 そう。何も変わりない。いつもそうだったはずだ。

 ミナミは苦い息を吐いて顔を顰めると、眠気の覚めてしまった頭を軽く左右に振った。だから大丈夫だと自分に言い聞かせるように、呪文のように胸の内で繰り返しながら苛々と金髪を掻き回して、ハルヴァイトから視線を逃がす。大丈夫? 何が? と自分の内側に在るもう一人がしきりに首を捻っていたが、それはあえて無視した。

 一度綺麗に飛んでしまった眠気が戻る気配なく、ミナミは仕方なしに、音を消したままだったテレビに向き直った。そういえば昨日、ムービーチャンネルにリリス主演作品をリクエストしておいたから、今日辺りダウンロードの許可が下りているかもしれない。それでも観て夕食までの時間を潰そうと青年は、弱々しく嘆息しリモコンに手を伸ばした。

        

        

「…―――。リリス・ヘイワードというのは、もっと髪の短い青年じゃありませんでした?」

 公開されたばかりの最新作ではなく、一年ほど前に撮影されたアクションムービーを散々観て、いい加減エンディングに入ろうかという頃にようやく、ハルヴァイトがぽつりと呟く。

 ミナミがダウンロードしたリリスのムービーを観始めてすぐ、ハルヴァイトも目を覚ました。それで、別にする事もないからとコーヒーを淹れてお茶菓子を用意し…これは当然ミナミなのだが…、では改めてリリスの活躍でも拝もうかという事になったのだが。

 二時間近く鑑賞したハルヴァイトが急にそんな事を言い出して、ミナミは呆れるの通り越し思わず笑ってしまった。

「あんたに常識求めようなんてさ、さすがの俺でも思ってねぇんだけど、それ、遅過ぎだろ」

 くすくす笑いながらソファの背凭れに身体をぶつけたミナミを、ハルヴァイトが恨めしげに見つめる。毎度の事ながら言い返せないが、余りに酷い言われようだ。

「これはリリス・ヘイワード」

 差し上げられた細い指の先からそれの示すテレビに視線を移して、ハルヴァイトが頷く。

「班長の弟さんですよね?」

「それは、セイル・スレイサー」

「同一人物でしょう?」

「まぁな」

 半分しか聞いていなかっただろうとは思ったが、どうやら半分もセイルの話を聞いていなかったらしい悪魔が本気で首を捻り、ミナミがまた呆れたように笑う。それで青年はなぜか、ムービースターの苦悩とでも言えばいいのか、この閉鎖された空間で有名になるという弊害について、身をもって知っていてもいいはずなのに周囲に頓着しない極めておおらか(?)な性格のおかげで全くその被害に気付いていないハルヴァイトに、懇々と説明するハメになった。

「はぁ、なるほど。色々とご苦労なさってるんですね」

 などと妙に感心したような事を言うハルヴァイトを無表情に笑うミナミも実は、城内における認知度はハルヴァイトどころか陛下並みに高いくせに、まるで他人事みたいに「あんたも少し気にした方いいんじゃねぇ?」と言う。果たしてそれに言い返すべきかどうか鉄色の恋人は悩み、しかし、どうでもいいかとすぐに発言を引っ込めるのだが。

 停めずに流されていたムービーのスタッフロールに視線を戻し、ミナミはそろそろ夕食の支度でもしようかと考えた。

「…つか、この平和さはなんなんだ」

 数日前まで怒涛のような騒ぎが連続していたと思えない、余りにものんびりした空気に、青年は一抹の不安を感じる。

 それで、無意識にちらりとハルヴァイトの方を窺って、ばっちり目が合ってしまったミナミは、少し戸惑うように薄い唇を震わせ、でも、何も言わなかった。

 何を訊いていいのか。何を話せばこの正体の知れない不安が解消されるのか、青年にはすぐに判らなかったのだ。

「最近、体調どうです?」

 戸惑うミナミの空気を察したのか、元より何か言おうとしていたのか、それともただの思い付きなのか相変わらず読めない唐突さで、テーブルに載せられていたテレビのリモコンを手に取りながらハルヴァイトが言う。それに青年は一瞬表情を固くし、しかしすぐに何もなかったかのように思案する仕草を見せた。

「んー。元々さ、ドクターが言うような、なんか悪ぃって感じ…あんましてねぇし、休みに入ってからは随分のんびりしたし、悪くねぇと思うよ?」

 空腹感はいまひとつはっきりしないまでも、休養を取り始めてから少しは落ち着いたのか、食事の後に遣って来る妙な嘔吐感はなくなっていた。それを「良い」と判断するか「まだ悪い」と判断するかは微妙なところだが、とりあえずミナミは悪くないと答える。

 未だ、何が悪いのか、正直な所青年にも判らないのだ。

「それなら、どうでしょう。無理にとは言いませんが、気分転換も兼ねて、リリスくんに出頭願うというのは」

「つうか、気分転換てなんだよ…」

「退屈そうなので、あなたが」

 薄く笑ったハルヴァイトの長い指が、リモコンのキーを軽く押す。

「そんな理由で呼び出されるムービースターも迷惑だなとか、思わねぇ?」

「全然」

 ハルヴァイト、即答した。

「ついでに仕事もしますし」

 ついでかよ。と普段通り無表情に突っ込んで来たミナミを、恋人が晴れやかに笑う。

 変わったばかりのテレビに映し出されたのは、なぜか芸能ニュースだった。丁度、台頭して来た若手俳優たちの大勢出る新作ドラマの記者会見の様子を写す画面に、ミナミが視線を向けて首を捻る。

        

―――主役のロメオさんにお訊きします。今回の作品にかける意気込みをお聞かせ願えますか?――

 芸能リポーターのありきたりな質問に、精悍な顔立ちの若い俳優が、色ガラスを入れた眼鏡越しに目を眇めて微笑む。

――今回、初めてのアクションという事で、いつも以上に気合入ってます。今まではどこか情けない二枚目みたいな役柄が多かったけど、これを機会に幅広く活躍出来そうな、そんな気がするんで。――

――アクションといえばやはりリリス・ヘイワードですが、彼の主演作品のドラマ版リメイクという事についての、気負いなどはありますか?――

――ああ、それはないですよ。というか、追いつけ追い越せ、って感じですかね。「ミランダ」と言えばロメオ・リィって、そう言われたいかな。――

       

 そうなんだ。とミナミがテレビを横目で見ながら思う。

「事実ですね、リリスくんを放置するのもそろそろ限界かと思うんですよ」

 果たしてなぜこの番組を選んだのか、偶然か、ハルヴァイトは手にしていたリモコンをソファの座面に放り出し、構わず話を続けた。

「限界? て?」

 それに意識を引き戻されたミナミが正面を向き直すと、悪魔が偉そうに腕と足を組み、恋人のダークブルーを見つめ返して頷く。

「グロスタンが逃走し、今、あちらの足取りは掴めて居ない。だとしたら、当然こちらは、消えたサーカスの団長と団員から向こうの所在を探り出そうとするでしょう? その時、あの日サーカスに居て唯一消えた二人の顔をはっきり覚えているだろうリリスくんは、こちらにとって都合よく、あちらにしてれみば都合が悪い」

「…もしかして、あんた、リリスが…連中に狙われるかもしれねぇって、そう思ってんの?」

 俄かに緊張したミナミの声に、ハルヴァイトはもう一度ゆっくり頷いた。

「遅かれ早かれリリスくんの周囲で不穏な動きがあるかもしれないとは、予想出来ますね。だから早急に、そういった姑息な「攻撃」は無駄だというフラグを提示しておく必要があるでしょう」

 涼しい顔で言い放ったハルヴァイトの表情をミナミが凝視する。

「呼ぶだけじゃ、ダメ…じゃね?」

「はい。彼の記憶にある二名のモンタージュをすぐ作ります。でも、公開はしない」

「なんで?」

 モンタージュを作成したのならすぐに公開し捕獲した方がいいのではないかとミナミは思った。しかし、ハルヴァイトはそうではないと言う。

「ちらつかせるんですよ、向こうに。こちらはいつでも総力を挙げて逮捕追跡に出られる。でも、まだ泳がせておく。というスタイルをね」

 それにどんな意味があるのか、ミナミは眉間に皺を寄せて唸った。

「とっとと捕まえりゃいいんじゃね? と、俺は思うんだけど」

「グロスタンを含む「あちら」を、ただ捕まえたいのなら」

 ハルヴァイトはそこで、ミナミでも背筋を凍らせるように薄く微笑んだではないか。

        

「わたしはね、ミナミ? グロスタンの手足を捥(も)いで身動きを取れなくしたいんですよ」

       

 だから彼に与する「あちら」の捕獲はあくまでもついでだと、悪魔は悪魔然と言い放った。

 100%攻撃態勢の思考。

 ハルヴァイトは、邪魔なグロスタンを…抹殺しようというのか。

 抹殺、…クリアに。

 言葉もなく硬直したミナミに改めて柔らかな笑顔を見せてから、ハルヴァイトは組んでいた腕を解いた。

「それに、いち早く向こうのモンタージュを作成してしまえば、リリスくんに対する攻撃は無意味になります。まさか、彼のムービースターに四六時中見張りを付けておく訳にも行きませんしね」

 何も変わらないようにして激変してしまった恋人を見つめていたミナミが、ふと息を吐いてハルヴァイトから視線を逸らす。

 そう、これは臨界の悪魔。都市ファイランの悪魔。

 最早、停める術はミナミにも、ない。

「……。じゃぁ、アンくんに連絡して、リリス…セイルくんか、のスケジュール確認して貰わねぇとな」

 テレビの中で繰り広げられていた記者会見はとうに終わり、今度は監督だという男が一人、綺麗に飾られたスタジオの肘掛け椅子に収まり、笑顔で司会者の質問を受けていた。

     

――ええ、そうです。

 次の作品は、「メブロ・ヘイメス・クラウン」のリメイクですよ。―−

  

   
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