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18.インターミッション デイズ

   
         
7)インターミッション デイズ-5-2

  

 ある意味耳慣れた、長靴の踵を床で削り取るようなぐだぐだの足音が、床に転がって肩を押さえているアン少年に近付く。

「一人百面相の次は自損事故かい。なんつうか、自己完結してんねぇ、お前も」

 心底呆れたような低い掠れ声が頭上から降りたのと同時に腕を掴んで引っ張り起こされ、アンは強か打った背中を丸めて、「…すいません」と意味も判らず謝った。

「や、別に、謝って貰うような事はないんだけどさ」

 王都警備軍電脳魔導師隊第九小隊副長、ベッカー・ラド。ハルヴァイトかヒュー並みに背が高いのに正真正銘の痩せぎすで、少し強く押されたら倒れてしまいそうな薄い身体の持ち主は、長い足を二つに折ってアンの横にしゃがみ込んだ。

 やや襟足の長いオールバック気味のアッシュブロンドを骨ばった手でざっとかき上げ、金色の双眸をのろりと動かしてアンの涙目を覗き込む、ベッカー。

「何やってんの、アンちゃん。今日、うち(第九小隊)で使用許可取ってんだけどねぇ、ここ」

 ここ。と膝に置いた腕の先端、下に向けた指で自分の爪先を示したベッカーの甚だ緩い表情と態度に、アンはきょとんとした顔を向けた。

「…えと、確か、電脳班使用中は魔導師隊での使用不可って、通達してあったはずなんですけど?」

「んー。どこに通達?」

 会話の内容としてはハルヴァイトもかなり酷いが、テンポと言うならベッカーの緩さは凶悪だなと思いつつ、アンは汚れた漆黒の長上着をはたはた叩きながら立ち上がった。それに釣られてなのか一緒に立ち上がったベッカーのアッシュブロンドが、アンの目の前を通過する。

「大隊長の所ですよ。そこから全隊に告知してくださいって、もう五日も前の話です」

「あ、そう。…メリ」

 短く息を吐き、それから短くアンに答えたベッカーの眠たげな視線が、ゆっくりと旋回する。

「全隊一斉告知て、受信したかぁ?」

 外観の細さを裏切って低すぎる声が通り難いと常々零しているベッカーは、普段からでは考えられないほどはっきりと、必要以上に声を張り上げつつ演習室のドアを振り返った。それで、含まれた名前に一瞬ぎょっとしたアンが、薄い猫背越しに出入り口を窺う。

「…あ…、え、と、はい…。受信したんですが、文字化け…」

「アイター」

 アッシュブロンドの掠るうなじに手を当て演習室の高い天井を見上げた小隊副長が、何か都合の悪い事があってもやっぱりやる気なく呟く。

「フォーマットミスか、変換ミスか…。どっちにしたって、ウチの手違いだろなぁ。―――ってコトで、訓練なんないし、帰るわ」

 何にせよ人為的ミスで通達内容を把握出来ていなかった件についていともあっさり認めた上に責任の所在も確かめようとせず、ベッカーはうなじから外した手を左右にひらひら振り、長靴の踵を床に擦りながら…鮮やかなスカイブルーの制服に身を包んだアンの兄、メリル・ルー・ダイの佇んでいるドアに向き直った。

「か…帰るわって…、ラド副長…」

 おいおい。と思わず突っ込み、肩を落とす、アン。

「? だって、忙しいんでしょ。ほれ、それ」

 アンに半ば背を向けたまま細い顎をしゃくるように上げたベッカーの暗い金色が示す、二体の機械式。その無表情なマスケラと無気力な緩い表情の間で二度視線を往復させたアンが、何か煮え切らない態度で二言三言、口の中でだけ呟き、もう一度…ちらりとドアの方を上目遣いに窺う。

 少年の戸惑うような視線の先に居るのはウチの小隊長と事務官か…、と内心うんざりしつつも、ベッカーは再度うなじに手を当てた。

「つうかさぁ、お前、何であんなモンとにらめっこしてんの?」

 実際それに興味があるように見えないから、では義務か何かなのか、一旦アンから離れかけていた身体を戻したベッカーが、俯いたままで問う。この男、自分で質問しておきながらやる気なく答えを受け流したり、訊いたくせに答えてくれなくていいと言い出したり、正直、行動にかなりのムラがあるのだ。

 だから結局ベッカーの真意が判らず、アンは大きな水色を見開いて眠たげな金色を見返した。

「…組み立ててるんですけど…、なんか、部品が余っちゃってて…」

 壊れたピエロの足元に置かれた透明なケースをアンが指差すと、ベッカーは首を伸ばしてその中を覗き込んだ。雑多に放り込まれたとしか思えない部品の数々が折り重なった箱から、微かにグリスの匂いがする。

「んー。肘関節のベアリングが三本分もあんじゃんよ。全部使ったら、へんなモン出来るぜぇ、アンちゃん」

 透明ケースの中身を勝手に検索したらしいベッカーは、苦笑交じりに言いつつアンの肩先を躱して直立する機械式に近付き、垂れ下がった腕を掴んで目の高さまで持ち上げると、千切れた先端からはみ出しているケーブルやらフレームやらをしげしげと見つめた。

「そっちの最新式に比べてさぁ、こっちのこれ、内部機構が大造りなんだよなぁ、確か」

 長さが半分になってしまったピエロの腕を上下に振り回し、無理矢理押し込まれていた余計なナットを払う、ベッカー。その、相変わらずダルい動作を刹那ぽかんと見上げていたアンは、咄嗟に腕を伸ばして男の長上着の裾を掴んだ。

「お?」

 ガクンと背後に引っ張られ薄い身体を仰け反らせたベッカーが、この期に及んでも気の抜けるような声を出す。

「もしかしてラド副長、設計図と部品照らし合わせたら、組み立てられます? これ!」

「……残念…」

 ぴかぴかの水色を上空から見返す、眠たい金色。一瞬頬を紅潮させたアンは、ベッカーの漏らした囁くような掠れ声に、あからさまな落胆の表情を見せた。

「設計図なんかいらないからさぁ、とりあえず、工具用意しようぜぇ、ルー・ダイ衛視」

 お前、素手で組み立てる気だったのかよ。とベッカーは、先からずっと出入り口付近に突っ立ったままだったイムデ少年とメリルに手を挙げて見せながら、これで暫くあの小隊長と新任事務官の世話係から解放されると、本気で…安堵の溜め息を漏らした。

       

        

 第七小隊のちびどもにサーカス地下施設の詳細を聞き取りに行こうかどうか散々迷った挙句、デリラは結局電脳魔導師隊地下演習室に爪先を向けた。それで目的地に到着してみれば、予想外の人が予想外の恰好で居たものだから、一重の悪い目付きをますます訝しげに眇めて、眉間に皺を寄せてしまう。

「デリ、そういう顔するの、外ではやめた方いいと思うよ」

 腕を組み、やや無精髭の目立つ頬を片手でがりがりと掻いていた同僚を、同じ漆黒の長上着に身を包んでいながら全く別世界の住人に見える少年が見上げ、呆れたように言う。衛視の制服を着ているからまだいいが、これで下手にダークスーツ姿だったら、とりあえず誰かは警備軍に通報するかもしれない。

 と、いうくらい、ガラが悪い。

「なんで?」

 かなりの急角度で跳ね上がっていた片眉を戻したデリラが首を捻ると、悪人顔の砲撃手を悩ませていた張本人が、薄い肩を震わせて笑った。声を立てる訳ではない。ただ、猫背気味の背中を小刻みに揺らすだけの、そんな笑い方だった。

「うわー、ミナミさんがここに居ないの、すごい残念…。絶対的確且つ辛辣に突っ込んで貰えたって、デリが」

「おれかい」

 アンのにやにた顔をわざとのように睨んでうんざり返してから、デリラは再度正面の機械式、その手前に座り込んでいるベッカーの背中に視線を戻した。

 ただ広く何もない演習室のほぼ中央に置かれた二体の機械式。そのうち一体は綺麗なものだったが、もう一体、ベッカーの前に突っ立っているピエロには、片足と両腕がなかった。本来なら派手な衣装を着せられているのだろうが、組み立てに邪魔だからとそれも取り去られていて、凹凸のない平坦な裸体を晒している。

 中肉中背とでも評すればいいだろうそれの胴体、腹部には奇妙な陥没があった。蜘蛛の巣のようにひび割れた樹脂製の表面の一部分は、剥離して足元に落ちている。それから、向かって左の腕は肘から引き千切られ、右の腕は肩の稼動部、球形のパーツごと本体から外されていて、やや視線を下に移すと目に入る大腿部はおかしな形に歪み、こちらも膝から下は外れていた。

 本体から離れた腕と足は床に並べて置いてあり、周囲に部品が撒き散らかされていた。ボルト、ナット、コード、リール、ゴム製らしいパッキンやらボールベアリングやらワッシャーやらが、あちこちで山を作っている。

 それら全部を正面に置いたベッカーはと言えば、白いタオルを海賊被りにした白シャツ姿で、ついでに裸足だった。適当に脱ぎ捨てたのだろう長靴と靴下…なぜ靴下まで脱ぐ必要があるのかさっぱり判らない…が、デリラの足元に投げ出されている。

 ネクタイも締めずに緩めたカラーと、肘まで捲り上げたワイシャツ。それでどこかの作業員みたいにタオルを頭に巻いているというなんともだらしない恰好が、可笑しな話、だらけた空気を纏うベッカーには妙に嵌っている。

「んー。これ、整形出来ない? アン」

 アンとデリラに背を向けたままのベッカーが、肩越しにぽんと何か小さなものを放って来て、アンは慌てて、それを掬うように受け止めた。少年の掌に載った、本来なら真っ直ぐであるべき細めのボルトは、頭の近くでおかしな角度に曲がってしまっている。

「…あんまりそういうの得意じゃないんで、時間かかりますよ?」

「ああ。いいんじゃね? それで。外的作用はホントなら攻撃系の作業分野だからさぁ、時間かかっても出来そうだってんなら、お前、立派だよ」

 一度も振り返らず手を動かしながら、いかにもダルそうに、ベッカーはさらりとそう言った。

「…。えーと…、陣張って計測しながらやるので、ちょっと…離れますね?」

「はいよ。仕上がりだけには手ぇ抜くなよー」

 薄い背中が、軽薄に返す。

 何か奇妙な表情で遠ざかって行くアンの後ろ姿から、先も今も一切変わりないベッカーのダルい背中に視線を流して、一呼吸、デリラが小さく吹き出す。

「褒めんならね、もうちょっと判り易く言ってやった方がいいんじゃねぇかね」

「そりゃぁ誰に対する過大評価だ? デリ。別に、褒めてねぇでしょー」

 薄い肩が、忍び笑いにまた揺れた。

 伴侶のスーシェが以前同じ小隊に属していた関係で、デリラとベッカーは比較的仲が良いようだった。だからといって連れ立って呑みに行くとか、休日にお互いを訪ね合うとかいう親しさではなく、顔を合わせれば程よく力を抜いて、程よく軽口を叩き合う程度なのだが。…まぁ、片方はいつも極端に力が抜けているので、結果的にデリラがリラックスしているようにしか見えないけれど。

 デリラが、会話する間も休む事無く動くベッカーの手元を肩越しに覗き込むと、引き千切られた腕を膝に乗せ、ひび割れた体表素材の内側からはみ出している細いケーブルを一本ずつ引っ張って、無機質な細い指先を眠たい表情で眺めている最中だった。それがどんな作業なのかと首を捻り、どんなに考えても判りそうにないと、とっとと無駄な思考を放棄する。

「…そういやぁ、いっぺん組み立て終わったんじゃなかったかね、こいつ」

 ぼーっと突っ立っているピエロを見上げたデリラが、ぽつりと呟く。

「そうらしいねぇ。でも、稼動実験してみたらあちこちから部品が落ちて、まともにも動かなくて、泣き入ってたらしいよ。アンの説明によれば、だけどさ」

 一通りケーブルを引き終わるとベッカーは、選り分けた数本の端に白いマーカーで印を付けてから無造作に床に置いた。

「それにしても、まさかラド副長にこんな特技があるなんて、意外だね」

 そもそも、他の工業製品とは一線を画し芸術品の域にも達する「機械式」は、殆どが手作業で造られる。組み上げるマイスターの拘りや癖などを多分に内包した二足歩行式ともなると、ここまで壊れてしまったら製作者でなければ再生出来ないとまで言われているはずだ。

「特技っつのは、驚いて貰って自慢してからこその特技でしょ。ま、おれのは自慢になんないけどねぇ」

 口元に薄い笑みを刻んだベッカーが、周囲に散乱した部品の中から微妙に長さの違うバネの類をひとつひとつ手にとって顔の前に翳す。

 確かに彼が魔導師だとしたら、これは自慢にならない特技だろう。そもそも、こんなイレギュラーな事件でも起こらなければ、誰もベッカーの意外な特技を目にする事はなかった。

「…趣味で機械式でも組み立ててんかね? もしかして」

 床に座るベッカーの隣に膝を抱えてしゃがみ込んだデリラが、なんとなく問う。

「んにゃ。おれがやってんのは、「からくり人形」の方」

「ぜんまい式の?」

「そ。発条仕掛けの」

 そりゃぁまた高尚な趣味? だな。と内心呆れつつ、デリラは短く息を吐いた。

「よくそんな暇あるもんだね」

「スゥがデリに構ってる時間と、同じでしょー」

 言われるなり、デリラの悪人顔が引き攣るように歪む。

「それは、どう受け取ればいいんだね…」

「たまにゃ自分で考えな。休ませてばっかじゃ、脳の皺が伸び切るぜ」

 伸びる暇なんかねぇよと不貞腐れて言い返したデリラがベッカーから顔を背けると、視線の先ではアン少年が何かのモニターを睨んでいた。それを見るともなしに眺め、なんとなく口を噤んだ砲撃手の横顔を、暗く生気のない金色がちらりと窺う。

「…アンさ」

 ぽつりと漏れたベッカーの溜め息みたいな声に、デリラは慌てて顔を戻した。

「うちのメリと、連絡とか取ってんの?」

 再度膝に上げた腕の機構部分を覗き込みながら、ベッカーが極小さな声で囁く。

「いや…。こっちもね、色々と忙しかったりしてたし、おれの知る範囲じゃ取ってねぇんじゃねぇかね」

 こちらも小さく答えたデリラに、ベッカーはやはりというべきか、「ふうーん」といかにも関心のない声でのんびりと答えた。そういえば、あまりの忙しさ…というか騒動続きと言った方がいいのかもしれないが…で忘れていたが、スーシェ転属後第九小隊事務官として取り立てられたのは、他でもない、アンの二番目の兄だったのだ。

「んー…、メリもさぁ」

 膝元に転がっていたドライバーを拾い上げる、ベッカー。一時も作業の手を休めず緩い表情を保ったままの彼を横目で窺いつつ、デリラは微かに苦笑する。

 これはある意味完璧な「マスケラ」ではないかと。ミナミのような無表情でもなく、タマリのような悲壮な笑顔でもなく、何も心に響かず右から左に通り過ぎて行くのを眺めているだけを装う、眠たげな表情。

「マイクス辺りもよくこっちに顔出すし、仕事覚えんのにスゥんトコ通ったりして、ようやく最近職場環境にも慣れて来たなぁって、そういう感じなんだけどさぁ、どうも、アンにゃまだ何も連絡してないみたいなんだよねぇ」

 もしかしたら深刻な話をしているのかもしれないのに、揺るがないダレた空気。

「ぼうやのアニさんを魔導師隊に推挙したのは、ダイ魔導師とスゥって事になってんだよね?」

「表向きは…。つうかさ、デリ」

 それまで手元に落ちていた金色の双眸が、ゆっくりと動き水平に据わる。それと一緒にますます沈んだ声は酷く聞き取り難く、デリラは息を詰めて耳を澄ました。

「確かに、メリを推挙したのはマイクスだし、面会して採用したのはスゥかもしんないんだけどさぁ、じゃぁ、なんでマイクスはメリをスゥに推したのか、ってのが、重要なんじゃないの?」

 この場合。と付け足して、それからベッカーはふっと吐き出すように笑った。

「…ま。どうでもいいわ、そういうの」

 何か言ってしまったという事実ごと沈んだ空気を一蹴するように、ベッカーはいつもと同じにダレた空気を纏って呟き、またもや膝に視線を落とした。千切れた無機質な腕の内側、フレームとワイヤーと、ぎっしり詰まった合金類を見つめる緩い横顔に、デリラはわざと人の悪い笑みを返す。

「覚えとくよ」

「そういう都合悪い事は、忘れようぜぇ、デリ」

「覚えとくよ」

 言い直してからベッカーの肩をぽんと叩き、デリラは自分の膝に手を突いて立ち上がった。

「…だからおれは、電脳班の連中が嫌いなんだよ」

 抗議する声にもまったくやる気のないベッカーを背中で笑ったデリラが、手を挙げてアンに退室を知らせてから、踵を返す。その時目端に映った佇むピエロが、まるで、自分の千切れた腕を弄り回すベッカーを恨みがましく見下ろしているような気がした。

 ぼろぼろの…ピエロ。

 ぼろぼろの…。

 スライドドアを潜って薄暗い非常階段室に入るとすぐ、遥か頭上からきゃぁきゃぁした甲高い声が聞こえた。さては執務室待機で暇を持て余したタマリが誰かを巻き込んで、アンの様子を見に来たなとデリラは思う。

 それでふと脳裡を過ぎる、色の薄い…伴侶の面影。

「…………」

 華奢な手摺に白手袋の指先を置いて一段目に足を掛け、デリラはなんとなく上空を見上げた。

 メリル・ルー・ダイという兄。アンという弟。周囲などどうでもいいような顔で受け流してばかりのくせに、おかしな事を言い出したベッカー。倒れたスーシェ。怒ったタマリ。デリラは、停められなかった。

「…だからおれは、電脳班の連中が嫌いなんだよ…ね。おれも、ラド副長に激しく同意だね」

 徐々に近付いて来るタマリの甲高い笑い声と、時折何かを言い返している誰かの声と、複数名の足音を聞きながら、デリラは、演習室で恨みがましくベッカーを睨んでいた機械式を思い出す。

 あの銀色があそこまでして守りたかったのは、王の名誉か。

 違うのか。

 ただ、自分にだってぼろぼろになっても守りたいものは、ある。

 この先、まだ「何か」がこの都市を揺るがそうとするならば。

「………、学ぶべきは、心意気…かね」

 呟いてデリラは、すぐ傍まで迫った足音たちを迎えるべく、わざとうんざり顔を作った。

  

   
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