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18.インターミッション デイズ |
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10)幻惑の花-2 | |||
結局ミナミがリリス・ヘイワード…セイル・スレイサーとの会見でしたのはただの世間話みたいなものばかりで、具体的な捜査協力の内容については殆ど話さなかった。 当初はもっと突っ込んで、サーカスから消えた二人の団員について聞き取りを行なうつもりでいたのだが、場所を特務室からオープンカフェに移す直前、ミナミがヒューに「療養中」だと告げたのを聞いていたセイルが気を遣い、今日は手短に捜査協力内容の確認だけを行なって、詳細については後日改めて訪問するから無理をするなと言い出したのだ。 わざわざスケジュールを空けてくれたらしいムービースターにミナミは食い下がったが、言い出したらきかない性格なのか、セイルはがんとしてミナミの療養優先を主張し、最後には同行していたハルヴァイトの苦笑とミナミの溜め息でその場を締め括るに至る。 「…ああいうとこ、なんつうか、スレイサー一族だよなぁ」 にこにこと柔らかに微笑んでいたかと思えば、自分の主張を口にする瞬間にはがらりと気配を変えて笑顔もなく、目を逸らさずにきっぱりと言いたい事は言う。わざとのように繰り出した世間話には簡単に乗って来るくせに、少しは仕事しようかと持ち掛けると慌てる必要はないの一点張り。 呼気を読み不意を突いて言い負かそうなんて、もっての他だ。 次回の会見日時を決めて一緒に下城しようと話す頃には昼に近くなり、早々に昼食を摂るのだろう兵士たちがカフェに姿を見せ始める。そのうち、あの日サーカスで顔を合わせていたイルシュとジュメール、ブルースを見つけたセイルが手を振ると、少年たちも少し遠くから手を振り返した。 その時の事を鮮明に思い出しながら、ミナミは点けっ放しのテレビを胡乱に見つめて少しだけ微笑んだ。今日はハルヴァイトだけが登城し、青年は一人留守番している。 暫しソファにだらしなく座っていたミナミが、ことりと横に倒れて座面に寝転ぶ。掃除も面倒だし昼食は摂る気も起きないしで、青年は暇を持て余しているようだった。 帰りがけ、セイルはミナミに少年たちは仲良くやっているのかと遠慮がちに訊いた。ムービースターがサーカスで出会った時にはまだ、イルシュもブルースもジュメールもそれぞれ複雑な内情を抱えていて、どこかぎこちなかったからだ。 それにミナミは、もう彼らは大丈夫だと答えた。
「みんなが一方的にお互いを牽制? してるつうなら心配するべきなんだろうけどさ、イルくんたちは、それぞれ理解し合おうとする努力つうのかな、そういうの、ちゃんとしてるから、もう大丈夫」
薄く微笑んだミナミを見て、セイルもにこりと微笑み返した。 二人は、他愛もない話を幾つもした。セイルはミナミも、当然ハルヴァイトも知らない…知っている訳はないのだが…ヒューの事を嬉しそうに教えてくれた。残る三人の弟たちがどれほど兄を慕っているのか、どれほど自慢に思っているのか話す時、ムービースターは歳よりも子供っぽい「弟」の表情だった。 青年もまた、自分が極度接触恐怖症である事も、その原因と理由は曖昧にしたが聞かせた。ハルヴァイトとミナミの大まかな経緯や、ヒューと始めて会った日の事や、日常的に起こる様々な騒動も。 しかしミナミは、つい先日ハルヴァイトが姿を消した時の事にだけは、なぜか一言も触れなかった。なぜそれを口に上らせなかったのか、そもそもセイル出頭が遅れた最大の原因であるにも関わらず、青年は…拒否したのだ。 その「空白」を、思い出す事。 ソファの座面に横たわってぼんやりしながら、ミナミは内心溜め息を吐いた。思い出す事を意図的に拒否してみても、青年の記憶が消えてなくなる訳ではない。思い出そうとすればそれは目の前で再演されるかのように鮮明に脳裡に描かれ、そうでなくても…。 閃光のように閃く、刹那の記憶。 全てを焼き尽くす白い光。 ころりと寝返りを打って仰向けになったミナミは、広げた両手で顔を覆った。影に飲まれた視界が暗く沈むのを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。 途端、背中からソファに埋没するような疲労を感じた。疲れている。眠い。身体中の骨がぎしぎしいい、気を抜いたらばらばらになってしまいそうだ。
しかし。
うつらうつらする間もなくすとんと意識を失うようにミナミが眠りに落ち、観葉植物の葉が微かに揺れて触れ合う囁きと、誰も気に留めないテレビの音声だけが垂れ流される、室内。ほんのいっとき、ソファに寝転んだ青年が規則正しい寝息を漏らし、顔を覆っていた腕が不安定にぐらりと傾いで、瞬間。
ミナミの腕が跳ね上がり、掴み掛かったソファの背凭れに爪を立てるのと同時に、青年は真っ青な顔で跳ね起きた。
全身にねばついた嫌な汗が噴き出し、小刻みに指先が震える。何があったのか、ここがどこなのか理解出来ず、青年は瞬きもせず息を詰めて目玉だけを動かし周囲を窺った。 テレビ。 意味不明の言語が吐き出され、極彩色の映像が目まぐるしく入れ替わる。 クウキ。 澱んで重いそれがソファの上で小さくなった青年を圧し、息苦しい。 ミドリ。 艶めいた観葉植物の葉が無秩序に揺れて、極小さくさざめく。 ミナミ。 口から飛び出しそうな心臓を無理矢理元の位置に戻そうと、青年は固く握った拳で自分の胸の辺りを叩いた。 ばくばくと爆発しそうに暴れる臓器が邪魔をして、声が出ない。これは、覚えのある「恐怖」。助けを呼ばなくては。声を出せば居場所が知れてしまう。青年はがたがた震える手で頭を抱え込み、背中を丸めてその場に蹲った。 固く閉じた瞼の内側で破裂する、白い、閃光。 ミナミは、喉に悲鳴を詰まらせて自分の額に爪を立てた。
リ、リーン。
刹那で全てを冷やすような澄んだベルの音に、ミナミは顔を上げた。妙に硬い金属音が錯乱状態の脳に到達し、甦るのは、「記憶」
「なんつうか、これさ、なんでこんなに硬い音なんだろうなって、俺は常々思ってんだけど?」 「…このくらい気に触る音でないと出てこないだろうと失礼な事を言って、ドレイクが勝手に変えて行ったんですよ」
ミナミは、頭を押さえていた手をばたりとソファの座面に落とし、詰めていた息を深く吐いた。 今、自分に、何があった? やや混乱気味に周囲を見回す青年の耳を、再度硬いベル音が叩く。それにはっとしてソファを飛び降りたミナミは、乱れた金髪を手で撫でつけ、額に浮いた脂汗に気付いて顔を顰めつつぐいとそれを腕で拭って、なんとかいつもと同じ無表情を取り繕うと、玄関先に出てインターフォンのスイッチを押した。 「どちら様で…、って、リインさん?」 小さな画面に映し出されたタキシード姿の壮年を目にしたミナミが、首を捻る。訪問の連絡もなくリインが現われたのに、驚いているようだった。 『突然の訪問申し訳ございません、ミナミ様』 無表情の中に感じられる当惑に謝意を示し丁重に腰を折ったミラキ家執事頭の後ろに見知った青年の亜麻色を見つけたミナミは、内心ますます首を捻りつつちょっと待ってと言い置いてドアを開けた。そこには見た通り素晴らしく姿勢のいいリイン・キーツと、もう一人、ミラキ家若執事、アスカ・エノーが立っている。 無表情に見つめられてもアスカは動じた風なく、にこりと微笑んで会釈した。何度もミラキ邸に足を運ぶうち、いつの間にか身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるようになった若執事に、ミナミも薄い笑みを返す。 「いらっしゃい。…あの人、今日は登城してて留守だけど?」 アスカからリインに視線を移したミナミは言いながら、二人を中へ招き入れた。 「はい。ハルヴァイト様ご不在は存じ上げております」 見る人もないというのに丁寧に礼をしてから玄関を潜ったリインに続いて、アスカも同様に頭を下げる。城詰めの衛視になってから様々な階級、職種の人間と会う機会が増えたミナミにしてもミラキ邸の使用人たちはやはり別格だと思わせるのは、こういう所なのだろうか。 人目が有る無しに関わらず、彼らは礼儀を怠らない。流言飛語など鵜呑みにせず、噂話などもってのほかで、休日に外で出会っても一部の隙もなく執事然と振る舞う。 二人の先になってリビングに戻り、元居たソファに腰を下ろしても、ミナミはリインとアスカに座るよう言わなかった。 勧めても、無駄に頭を下げさせるだけだ。タキシードに身を包んだリインとアスカは「ミラキ家執事」であり、ミナミは彼らにとって主人と同じ立場にあるのだから。 「あの人がいねぇって判ってたってコトは、俺になんか用?」 「はい。ですがミナミ様」 さすがに後ろでは話し辛いと思ったのか、アスカをリビングの入口付近に残したリインは、ミナミの正面に置かれているソファの端の辺りまで進んで軽く腰を折り、青年と目線を合わせるように静かに言った。 それでなぜかミナミが、慌てて姿勢を正す。 実はこの執事頭、穏やかな声で相当厳しい事を平気で言う。それはミラキ家当主のドレイクだろうがハルヴァイトだろうが容赦はなく、もちろん、彼らと同様に扱われているミナミにしても例外ではない。 「まず、お話の前に昼食をお摂りになられますよう、お願い申し上げます」 一般常識的ランチタイムなどもうとうに過ぎている時間だったが、ミナミは未だ食事をしていない。それどころか、ハルヴァイトが登城する前に摂った朝食の片付けさえせず、だらだらと半日以上経過している始末だった。 あからさまに散らかったダイニングテーブルとシンクを脳裡に思い描いたミナミが、無表情に冷や汗を浮かべる。ダメだ。食べましたから大丈夫ですなんて言い逃れは出来そうにない。 「アスカ」 ソファの背凭れに貼り付いて黙り込んだミナミから視線を外したリインが、身を起こしつつ背後のアスカを呼んだ。それに答えて、青年執事がミナミに向け丁寧に頭を下げる。 「それでは、失礼いたします、ミナミ様」 どうせリインには、ミナミが療養中だと筒抜けだろう。ドレイクの事だから、何かあったら即刻世話を見に行くようにとかなんとか言っていたに違いない。 「…だからって、急襲はねぇだろ…」 療養に入って始めてだらけていた日に限って来るなんて、なんか卑怯だ。とミナミはがっくり肩を落としつつ思った。 一旦玄関から出て行ったアスカが一抱えもある箱を持って再度現われ、リビングを通らず直接キッチンへ入って行くのを目で追いながらミナミが呟くなり、リインが申し訳なさそうな顔で深々と頭を下げる。 「申し訳ございませんでした、ミナミ様。ハルヴァイト様が至急こちらへ向かうようにと申されまして、ご連絡差し上げる間も惜しんでまいりましたもので」 言われて、ミナミは無表情にリインを見つめた。 「…あの人が? ミラキ卿じゃなくて」 「はい。本日屋敷の方に居りました旦那様に、ハルヴァイト様がそのような電信を」 リインの意外な発言にぽかんとする、ミナミ。 「ハルヴァイト様は、療養中でありながら余りお休みになって居られないミナミ様を大変案じておいでです。ですので、せめて家事の軽減だけでもと旦那様に申されましたもので」 それならそれで、では、なぜ、ハルヴァイトもドレイクも自分で連絡して来ないのかと青年はちょっと考えたが、どうせ自分たちが言ったのではミナミがはいそうですかと折れる訳もないと判断されたに違いないと…実際、彼ら相手だったら「いらない」の一言で済ませるだろう…すぐに気付き、嘆息する。 ミナミは、持ち込んだ材料と道具で簡単な昼食を作るアスカの薄い背中と、正面ソファの端に佇むリインをぼんやり眺めた。 迷惑だとは、多分思っていない。でも、何か妙な気がする。リインやアスカに世話をして貰う事に、抵抗はない。しかしそれはあくまでもミラキ邸の中だからであって、どうも…。 落ち着かないというべきか。 アスカが用意してくれた昼食は、ミラキ邸料理長手製らしいバターロールと、スライスしたラディッシュの色合いが華やかなグリーンサラダと、どうやって作るのか本気で不思議になるようなふわふわしたスクランブルエッグに、これは多分最初から持たされて来たのだろうチキンのハーブ煮込み、デザートは、柑橘系のフルーツを数種類ブロックに切り、混ぜてシロップを掛けたものだった。品数は普通だがそれぞれ量は多くなく、食欲不振気味のミナミにも無理なく食べる事が出来たし、フルーツに至っては消化を気遣ってか、一つ一つ丁寧に房から剥かれていた。 青年が食事する間、リインとアスカはキッチンを片付けてくれていた。タキシードのジャケットを脱いで袖を捲り上げ、黒いサロンを巻いた二人の姿を、デザートのフルーツを口に運びながら、ミナミがちょっとだけ笑う。 「なんか、珍しいモン見た気分」 そろそろデザートも終わる頃だからか、シンクの掃除をリインに任せたアスカが、紅茶を蒸らし始めた耐熱ポットと、やや背の低いタンブラーに氷を詰めたアイスティーサーバーを仕掛け、トレイに載せてリビングにやって来たのにミナミが言う。 「珍しいものですか?」 ミナミの傍らに膝を置いてトレイをテーブルに乗せながら小首を傾げたアスカを、青年のダークブルーが見た。 「俺、タキシード着てねぇリインさん見たの、始めて」 あれ。と細い指先が、シンクに向かって嫌に真面目な顔をしている壮年執事を指すと、アイスティーサーバーに紅茶を注ぎながら、アスカが笑う。 「お庭のお手入れの際には腕抜きと長靴(ながぐつ)ですよ?」 「嘘。今度見に行こうかな」 「その際にはお迎えに上がりますので、是非ご連絡を、ミナミ様」 シンクの水垢を睨みつつ言ったリインに、ミナミは大袈裟に驚いて見せた。 「聞こえてたんだ」 「耳が遠くなるには、まだ早過ぎますもので」 冷たく仕上がったアイスティーにシロップ漬けの檸檬を一切れ落としたアスカが、ミナミの前に置かれた食事のトレイを下げてタンブラーを置き、一礼して立ち上がる。なんつうか、至れり尽くせり。ってか、サボり癖が付きそう。などと無表情に言う青年に、若執事がにこりと微笑んでみせる。 腰まで長い亜麻色のストレートに、聡明そうな広い額を晒した優しげな風貌。長い睫とオリーブ色の目が殊更柔らかな印象を持たせるアスカに、ミナミが短くどうもと礼を言う。 キッチンに下がったアスカと入れ替わりに、タキシードを着込んだリインがミナミの傍にやって来る。これはそろそろ「お話」とやらの時間かと身構えた青年に、執事頭は柔らかく微笑んだ。 「ミナミ様」 「…はい」 無意味にソファの座面に正座したミナミが、緊張した無表情でリインを見返す。 「ミナミ様とハルヴァイト様のお世話をアスカに申し付けてございます。明日から暫くの間、こちらにご厄介になりますが…」 「それ、さ」 このまま最後までリインに喋らせたら押し切られるとでも思ったのか、ミナミは失礼を承知で口を挟んだ。ミラキ家執事頭はそれを咎めなかったが、ミナミは、不自然に切れた台詞にそこはかとない恐怖を感じた。 ぜってー別の機会に説教される…。 そう思いつつも青年は、既に痺れ始めた足を崩して座り直すと、困ったように金色の髪をがしがし掻き回した。 「いや、うん…。まず、迷惑とか、そういう風には思ってねぇ。今だって、正直、自分ひとりで食事の支度してさ、食って片付けるって結構面倒だなって思うし」 空いた食器を洗うアスカを見ながら、ミナミは淡々と続ける。 「でも、なんだろ…、俺はまだ、俺たちの事は俺たちで出来るんだって、そう…思ってるから…」 もしかしたら「出来る」のではなく、せめてこの家に居てハルヴァイトと二人だけの時は、まだミナミが衛視になる前のように振る舞いたいだけかもしれなかったが、青年はあえてその思考を頭から追い出した。 それでも続く言葉に詰まってしまったミナミを、リインは無理に促したり責めたりしなかった。根気良くも待ってくれている執事頭にダークブルーを向けた青年が、戸惑うように微か眉を寄せる。 「あの人に言われてここに来てくれたリインさんとアスカには、感謝してるし、二人がさ、簡単に帰れねぇってのも、判ってるけど」 悪いけれど、今はまだ「邪魔をしないでくれ」とミナミは言いかけた。 しかし。 「申し訳ございません、ミナミ様。今度ばかりはこのリイン、片時もミナミ様をお一人にせぬようにとのハルヴァイト様のご指示に従い、旦那様の、ミナミ様にご承諾を得てから伺うようにとのお言葉も振り切って参りました。差し出がましいとも、ご迷惑であろうとも重々承知の上でお訪ね致した私共の我侭を、どうぞ、寛大なるお気持ちでお許し願えませんでしょうか」 リインはきっぱりとそう言って、深く頭を下げた。
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