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18.インターミッション デイズ

   
         
11)インターミッション デイズ-7

  

 時間は少し戻って。

 午前のお茶の時間を過ぎてすぐ、それまで一言も喋らず難しい顔をしていたハルヴァイトが突如非番のドレイクに電信し、リインをミナミのところへ向かわせてくれと言うのを聞いていたヒューは、彼の悪魔が通信を終えるのを待って口を開いた。

「…ミナミに、何かあったのか?」

 数日前に一度顔を出した時は別段変わりなかったミナミの様子を思い浮かべつつヒューが問うと、自分のデスクに着いていたハルヴァイトがゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。今のところは落ち着いているようで、別に何かがあった訳ではありません。ですが…どうも、何も無さ過ぎで薄気味悪いというか、表面に出て来ないだけで燻っているのかもしれないと」

 色々と確認や承諾の必要な事柄が幾つかあって、今日はハルヴァイトだけが登城した。どうせ暇なのだろうから一緒に来るかと言ったハルヴァイトにミナミが、少し疲れたような顔で留守番していると告げたのを、彼はずっと気にしていたのだ。

「セイルと一緒に来た日も、別に変わった様子は見受けられなかったがな」

 だが、ハルヴァイトが何かあるというなら間違いはないのだろうと、ヒューは一つ重たい溜め息を吐いた。

「取り越し苦労なら、それはそれでいいんですけどね」

 少しの苦笑もなく呟いたハルヴァイトが、回転椅子から腰を浮かせる。それを目で追っていた銀色が、ようやく思い出したように首を捻った。

「で? お前は一人で何しに来たんだ?」

 その遣り取りを自分のデスクで仕事しながら聞いていたデリラは、なんだか可笑しくて笑いそうなのを必死に堪えていた。何をしにと言われれば確かにそうなのだが、電脳班の執務室に遣って来てそこの主に掛ける台詞ではないなと思う。

「アンが、来いというもので」

 当然デリラのようにまっとうな意見を抱くはずもないハルヴァイトは、偉そうにソファに座ったヒューに顔も向けずにそう言い残して、さっさと執務室を出て行ってしまった。その後ろ姿を妙な表情で見送った銀色に、悪人顔の砲撃手が人の悪い笑みを見せる。

「さすがは大将つうのかね」

「なんとなく、これで腹など立てたら負けだと思うのは、俺だけか?」

 アンが来い…というか、まさかそんな偉そうな物言いではないだろうが…と言ったのはいい、それは判った。では、なぜ少年がハルヴァイトに来てくれと言い出したのかとか、そういう方面の説明はなしかと内心うんざりしつつ、ヒューは肩を竦めた。

「本当に、コルソン衛視たちは立派だよ」

 あの上官の下で普通に働き、その働きを認められて(?)衛視にまでなった電脳班の面々を、本気で尊敬しそうになる。

「腹が立つってぇのはね、班長、相手がこっちの思い通りに動いてくれねぇからって、そういう我侭の部類だと思うんだよね」

 だから、端からハルヴァイトがこちらの希望、または常識通りに行動してくれないと理解してさえいれば、無駄な怒りなど覚えて疲れる事はないだろうと、デリラは喉の奥で笑いながら言った。

 確かにそうかもしれないが、それもまた良し悪しだとヒューは思う。正常な会話が成り立たないのは、時に「自分を誤解させる」要因になるだろう。

「誤解されんのが嫌だからね、おれなんかは、だから言い訳するよね。世間に対して好意的、友好的に接しようって努力は、別に悪かねぇからね。ウチの大将は、その辺ちょっと違うんだけどね」

 誤解。

 ヒューはふと息を吐いて、ソファの背凭れに身体を預けた。

「…データの齟齬」

「スペックの違い、つうのかね」

 送る側と受け取る側の言語形態が違うとでも言い換えればいいのか。ハルヴァイトはだから、すぐに諦めてしまう。読み取れないデータを幾ら送ってみたところで、所詮、解読不能なのだと。

「そう考えるなら、さしずめミナミは変換機みたいなものか」

 二つも三つも上のステージに立ち、誰も理解出来ない言語と行動パターンを駆使していたハルヴァイトをヒューたちの居るフィールドに引き摺り下ろしたのは、結局ミナミなのか。

「それにしては、時たまとんでもない誤作動も起こすけどね…」

 遠い目で乾いた笑いを漏らすデリラに同意して頷き、ヒューはようやくソファから立ち上がった。

「……―――班長」

 それまでモニターに据えていた視線を執務室から出て行こうというのだろうヒューに移して、少し迷い、デリラがふと沈んだ声を掛ける。

「? なんだ」

「ちょっと相談…つうか、話しっつうかがあんだけど、いいかね」

 呼び止められてドアノブに手を置いたまま半身になって振り返ったヒューが、いっときデリラの顔を見つめてから薄い笑みを零し、改めて砲撃手に向き直った。

「コルソンにしては歯切れの悪い物言いだな」

 出入り口を塞ぐように立ち腕を組んだヒューの素晴らしく安定した姿勢を、デリラが少しだけ目を細めて見遣る。

「しかも俺に相談だか話しだかがあるとは、一体どんな天変地異の前兆だ?」

「まさかおれぁ大将だとか旦那だとかと違うからね、班長に相談事のひとつふたつあっても、別に驚くほどでもねぇよね」

 自分のデスクを離れたデリラが、ヒューにソファを勧める。

 促されて再度腰を落ち着けたヒューの正面に座り、端正な顔を見つめて、デリラが短く息を吐いた。直後、銀色の薄い唇に意味不明の笑みが浮かぶ。

「班長にね、ちょっと…まぁ、稽古を、付けて貰いたいなと、思ってね」

「入門希望なら道場に行け。訓練希望なら室長に許可を」

 言い終わるや否や間髪入れずに繰り出された返答。

 デリラは表情を引き締め、ヒューを見返した。

「今はまだ、自分でも何が本当の目的なのかね、おれにだってよく判らねぇんだよ。でもね、班長。退いちゃいけねぇって、なんでかね、そう、思うんだよね」

 退いてはいけない。

 その背に何を守っているのか自分でもまだはっきりしなくても。

 半ば睨んでいるようなデリラの表情をいっとき眺めてから、ヒューがふと短く笑った。

 何が目的なのか判らないと、二つだか三つだが年上の男が言う。しかしヒューはその曖昧な言葉を笑ったのではなかった。

 目的など、入門してから今日まで二十年も修行して来たヒューにさえ判らない。「強くなりなさい」という師範の言葉の含む意味は深過ぎるくらいに深く、それはただの経緯に混じるほんの一面であって、「彼」の目的…到達すべきところ、か…は、未だその尻尾さえ見せては居ない。

 それでもヒューは、自分に諦めも妥協も甘えも許さなかったし、これから先も許せないだろう。探しているのは、「意味」か。もしかしてそれが彼の「目的」なのかもしれないが、それを見つけて終わりではないとも思う。

 ただ、「強くなりたい」のではない。

 なぜ、「強くありたい」のか判らなくても。

 でも、「退きたくはない」。

 不意にヒューのサファイヤがすと逸れて、デリラは不審そうな顔をした。その銀色の表情そのもの、発する空気そのものは普段と全く変わりないように見えるのだが、何か妙な感じがする。

「俺を指名するからには、上品に指導して貰えると思うなよ。…時間があれば相手になる」

 判っているスケジュールを合わせて空き時間の被った時だけ、道場で実戦形式の組み手に付き合ってやる。と横柄に言い残し、ヒューはさっさとソファから立ち上がり部屋を出て行った。

 答える間もなく取り残されて、本来ならなんだあの物言いはと憤慨してもいいはずのデリラは、しかし、ようやくふっと息を吐いて背凭れに身体を預け、天井を見上げた。

 ちょっとだけ、自殺行為だったかと思わなくもない。寄りによってあの銀色をチョイスした自分の度胸に、今更ながら感服した。

「…手っ取り早く強くなるだけならね、他の誰かの方が良かったんだろうけどね…」

 例えば、もうだめだ敵わないと対峙した瞬間に計れる相手に遭遇しても、一歩も、半歩も、微塵も退かぬ気持ちの強さを。

 見習いたいのでもないし、学びたいのでもない、とデリラは思った。

 あの銀色を選んだからには。

「…――――――。俺も、相当無茶言ったモンだ」

 思わず苦笑を漏らしてからデリラは、勢い良く上体を起こしソファから立ち上がった。

 奪い取り、自分のものにするだけの気概無くしてあの銀色の前には立てないと、そう感じた。

  

   
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