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18.インターミッション デイズ

   
         
(21)インターミッション デイズ-9

  

「…ドレイク、喜んでたでしょう?」

 赤色の美女に小声で問われて、青年は無表情に頷いた。

「一昨日の夜はミラキ卿に、昨日、荷造りの最中にはさ、様子見に来たリインさんにありがとうとか言われて、正直居心地悪ぃ」

 微かな溜め息混じりに言ったミナミの後ろめたい気持ちを、ソファに陣取ったアリスが朗らかに笑い飛ばす。

「ドレイクとリインがミナミに感謝したい気持ちは、あたしにだって判るわ。今まで誰がどう言ってもミラキ邸に引っ越すなんてこれっぽっちも考えなかったハルがよ? ミナミが少しでも仕事しやすいように、通勤に無駄な気を遣わなくていいようにって、そういう邪な理由でも、ドレイクのところを頼ったって、それ、凄い事だと思うもの」

「つうか、俺は邪な理由かよ」

 ちょっと自分でも否定しきれない部分があったからか、ミナミは覇気なく言い返してから淡い苦笑で唇を飾った。

 本格的にミラキ邸別館へ移る今日、昼に近い時間に登城したミナミは、その後ずっと室長室に篭城(?)して、時たま様子を見に来るヒューと他愛もない話をし、先ほどやって来たアリスとは益体のない会話を楽しみつつ、陛下の時間が空くのを待っていた。ちなみに、途中一度顔を出したハルヴァイトはなぜか即刻退去を命じられ、苦笑いしながら退場する。

「…ミナミ、ハルと喧嘩でもしてるの?」

 いい加減ほとぼりも冷めたと思ったのか、丁度良く話題が途切れたからなのか、香りのいいアップルティーを頂きながら、アリスがそっと上目遣いに青年の様子を伺いつつ問う。

「別に」

 ハルヴァイトの名前が出た途端、それまでのやや和やかな空気をすっかりどこかへ追い遣ったミナミが、素っ気無く答えて口を噤む。いつものソファにゆったりと座り、いつものように冷然とした無表情を保っているようにして、なぜなのか、青年はいたく神経をぴりぴりさせているように赤色の美女には見えた。

 気のせいなどではなく何かおかしいと感じつつ、アリスはそれならいいけど、と歯切れ悪く言い置いてわざとのように溜め息を零した。

 まさかドレイクではないからなんでもかんでも相談して欲しいとは思わないが、困っている事があるなら言ってくれてもいいのにとアリスは思う。解決するのは結局自分たちなのだからとやかく意見を言うつもりはない。でも、もしかしたら、胸に蟠る気持ちを吐き出して楽になり、実はその悩み事が悩み事にもならない些細なものだと気付くなら、それに越した事はない、とも思う。

 しかしながら、相手は痩せても枯れても、体調不良で弱っていてもミナミだ。この強情が言わないとなれば、死んでも言わないだろう。

 アリスの発散する微妙な空気に戦きつつも、ミナミはやはり「それ」を彼女に言うのを躊躇った。というか、正直そのうちバレるのだからここで笑い飛ばしておくくらいの度胸が欲しいと心底思うが、問題は重大であり、馬鹿馬鹿しくもあり、青年にとっては切実だった。

「…いや、うん、でも…、陛下つうか…」

 意味もなくソーサーを添えたカップを見つめ、ミナミが小声で呟く。その、恐ろしく青年らしくない戸惑い気味の声に、アリスは思わず身を乗り出してしまった。

 組んだ脚の上に固めた両手に、ぎゅっと力を込め。

「ウォルには…相談つうか…」

 言っているうちに混乱してきたのか、ミナミはしどろもどろになりつつも、別にアリスに話せない訳ではないのだがと必死になって言い募った。ごめん、でも今は無理。もう少し冷静になったらというか、いつか判るというか、判られても困るというか、なんで俺がこんなに悩んでるのか実は俺が一番よく判ってない。とか。

「…―――、ちょっと…大丈夫? ミナミ…」

 尋常でないミナミの慌て振りに、アリスも本気で慌てた。

「あんま大丈夫じゃねぇ」

「って冗談やめてよ! そんな笑えない事言うなら、今すぐハル呼ぶわよ!」

「頼むから、今は勘弁して!」

 なぜか逆ギレのアリスが険しい表情で言い放つなり、ミナミは顔を上げて無表情に懇願した。相当本気で。

 何があった、ミナミ…。

 き、訊きたい。猛烈に問い質したい。これがミナミでなかったら締めてでも白状させたい。と、アリスは呆気に取られながらも思った。

「…とりあえず、久しぶりに、ミナミって…ホントかわいいわぁ」

 なんとなく悪い事ではないと察したアリスが漏らすなり、ミナミがぷいと赤色の美女から顔を背ける。その横顔がまたおかしくて、彼女はくすくすと肩を震わせて笑った。

「ま、いいでしょ。あたしじゃなくても、ウォルには何か言うつもりあるんでしょう? だったら、それで十分よ」

 ミナミとウォルといえば、組んでとんでもない悪巧みをする時も多々有るが、誰よりもお互いを信用している仲の良い友達同士なのだ。アリスは自分を、ミナミの中の友人という括りの中ではウォルの次だと認識しているので、疎外されたとは考えない。

 ミナミの中でハルヴァイトが特別であるように、ウォルもまた別方向で「特別」だ。

 それからまた少しアリスがミナミをからかっているうちに、陛下私室に繋がる通路からクラバインが顔を覗かせる。陛下の時間が空きましたよと地味な笑顔で彼が告げると、ミナミは、ウォルと個人的な話があるので席を外してくれと言い置き、暗い廊下へ消えて行った。

 それを、妙な表情で見送る、クラバイン。

「…何か、あったんですか? ミナミさん」

 華奢な背中が暗がりに飲まれてから向き直って来て小首を傾げたクラバインに、アリスが朗らかな笑みを見せる。

「ウォル様に、内緒の相談したいそうよ?」

 ふうん。と、再度細い廊下に視線を流してから、王下特務衛視団衛視長クラバイン・フェロウは、「その割にはミナミが落ち着いているな」と思った。

「? 何、クラバインにー様。にやにやしちゃって」

 不思議顔のアリスに問われたクラバインが、慌てて緩んだ頬を引き締める。

「いや、別に」

 きっと今頃、陛下は大いに笑っておられるか、大いに弱っておられるかのどちらかだろうと思いつつ、クソ真面目な顔で首を横に振って何も知らない振りをするのだけは忘れなかった。

         

        

 果たして、「ウォル」の顔に戻った陛下は、ミナミの切り出した「相談」…ですらないと思うが…を耳にして脳が理解した後、クラバインの期待を裏切り、思い切り呆然とした。

「それで、僕に、どうしろっていうの? アイリー」

「いや、どうしていいのか判んねぇのは、俺なんだけど…」

 口篭るように言って俯いたミナミの腕には、全体が淡い水色で光沢がなく、山吹色の縁取りと房のあるクッションがしっかりと抱えられていた。

 暫し見つめ合う、ミナミとウォル。

 不毛な睨み合いから先に視線を逃がしたのは、やっぱりミナミの方だった。

「ぷ…ははは、はっはっは!」

 それで急に可笑しさが込み上げてきたらしいウォルが、上等なカウチの中で身体を二つに折り爆笑する。

「笑うトコじゃねぇ」

 完璧拗ねた声で弱々しく言い捨てられても、ウォルの笑いは収まらない。

 だってあれだ。これを笑わずにしていつ何を笑えばいいのか。馬鹿らしい。でも、ミナミの当惑も判らないでもない。

 結果ウォルはそれから実に数分間も、呼吸困難で背中を上下させる程笑った。

「はー」

 散々笑って気が済んだウォルはようやく身を起こしてカウチに座り直すと、底の浅いルームシューズを爪先に引っ掛けたまま優雅に足を組み、ミナミに微笑みかけた。完全に機嫌の傾いている天使は恐れ多くも、取って付けたような威厳を発散する陛下を冷たい無表情で睨んでいたが。

「つまりお前は、引っ越してもいいと言ってしまった手前、今更「それ」についてガリューを責められない、という事だろう?」

 冷然と確認されて、ミナミは「う…」と喉を詰まらせた。

「先に確かめなかったはお前の不注意だし」

 そうなのだ。しかし「それ」の確認を怠ったのは確かにミナミかもしれないが、ハルヴァイトもまた、土壇場まで一言も言わなかった。

「というか、何を今更ダブルベッドごときでそんなに騒いでるんだ、お前は」

「死活問題だろ!」

 抱えていたクッションをなぜか頭の上に乗っけたミナミが、にやにやするウォルに厳しく言い返す。

 爆弾は、新しい家…ミラキ家別館の寝室で息を潜めて待機していた。リビングなどとは一線を画し、極薄い灰色に細かなドットの集合で極めて淡い模様を描いた、落ち着いた内装の室内。クローゼットはバスとトイレに向かう廊下の手前に造り付けてあり、ハルヴァイト、ミナミそれぞれが持ち込んだ端末が、床と、小さなテーブルに置かれていたその部屋の「主」は、ヘッドボードの両脇に間接照明を備えた、シンプルで品の良い、しかしその存在感を否応なく見せ付けるような、キングサイズのベッドひとつだったのだ。

 表面上は笑っているものの、もう少し放っておいたら泣き出すんじゃないだろうかとウォルが心配してしまうほど、ミナミはうろたえていた。

「でも、シングルサイズのベッドをふたつ置く余裕はないんだよね?」

「……もともと、セミダブルのベッドがひとつ在っただけの場所だって、リインさんが言ってた」

 頭に載せていたクッションを膝の上に戻したミナミが、ぽそぽそと答える。

「ふーん。意外と狭い部屋なの?」

 ほっそりとした指先を顎に置いて考え込むような顔をしたウォルに、力なく頷いてみせる、ミナミ。

「ウォークインクロゼットが結構場所取ってんだよな、あの部屋。あと、端末二台持ち込んだりとかしてっし」

「だから、シングル二台は置けない。…それで、普通のダブルサイズじゃなくキングサイズにしたっていうのが、ギリギリの配慮かな」

「ギリギリ? 何?」

 抱え直したクッションに顎を乗せたミナミが小首を傾げる。

「キングサイズくらいだったら、間にブランケットでも丸めて突っ込んでおくだけの余裕あるだろう?」

「………」

 ある。間にイルシュを突っ込んでおけるくらい、余裕はある。

 いや、別な意味でそれは無理なのだけれど。まずそんな事をしたら、ハルヴァイトが黙っていない。

 本人が聞いたら涙目で拒否しそうな恐ろしい例えを思い浮かべつつ、ミナミはまだ戸惑うように視線を揺らしている。

 それを暫し眺めていたウォルは、カウチの背凭れに預けた腕で頭を支え、やっぱり可笑しくて、少し笑ってしまった。

 確かにミナミは迷っているようだが、その「迷い」は彼の抱える事情に付随した「恐怖」ではないとウォルは思った。もしも「恐怖」が先に立ったのだとしたら、青年は即刻ハルヴァイトに抗議する事が出来るはずだ。

 では、ミナミは何に迷っているのか。

「ねぇ、アイリー」

 ウォルは、蒼白い美貌に淡い笑みを浮かべ、優しく問いかけた。

「嫌だとは、思ってないんだろう?」

 水色に山吹色の飾りを着けたクッションをしっかり抱き締めたミナミが、じっとウォルを見返す。

「…………」

 答えがない。

 やはり、ミナミが迷っているのは…。

「お前にはもう、そういう些細な所でガリューを遠ざけなくちゃならない理由はないと思うんだけど?」

「でも、さ…」

 呟くように言ったミナミのダークブルーがゆっくりと下がる。俯き加減になった青年の白い顔を動かずにいっとき見つめてから、ウォルは薄笑みを崩さずきっぱりと言い切った。

「お前は、目を閉じていてもガリューを間違えたりしない。僕が保証する」

 何も恐れる事はない。

「それに、今度はお前が徹底的に迷惑をかけてもいいんじゃない?」

 順番として。とミナミの杞憂などどこ吹く風で上機嫌に言い放ったウォルに青年は、謹んで突っ込んだ。

「いや、そういうのに順番とかねぇから…」

 その弱々しい突っ込みにウォルは、これは本格的に「ダメ」だなと、やっぱり…ハラを抱えて笑ったが。

  

   
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