■ 前に戻る   ■ 次へ進む

      
   
    2.冷たい恋人    
       
(10)

  

 ひと騒動終わった後、絶妙のタイミングでリインが運んできた紅茶は、合成ではなかった。安価な合成紅茶を精製するためのオリジナルとして下層のファームで栽培されている高級品が一部で出回っているらしいとは聞いていたものの、スラムだとか一般居住区だとかで殆ど浮浪者生活を送っていたミナミに馴染みがある訳もなく、まさか、そんなものを日常的に飲むような階級の人間と付き合うなど夢にも思っていなかった彼は、普段通りの無表情ながら、関心したように呟いたものだ。

「ミラキ卿って、意外と贅沢なんだ」

 笑いを含んだそれに、ドレイクは悠然とした口調で答えた。

「育ちがいいっつえよ」

「口は悪ぃけどな」

「アイリーにそう言われたら、立つ瀬がないね」

 ミナミの正面、ドレイクの傍らに寄り添ったウォルが、くすくす笑いながら慣れた手つきで角砂糖をひとつだけカップに落とし、上品にかき混ぜる。それをじっと、いつもの観察する目で見つめていたミナミが、「あなたもな」と軽く突っ込むと、ウォルは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 気性の激しいタイプなのだと、ミナミはウォルを判断した。でも、今このなんでもない、肩に力の入らない平凡な会話を楽しんでいるようにも見えて、妙な感じを受ける。

 何者なのか…。

「それにしたってミナミは運がいいよな、まったく。こっちからクラバインに連絡しようと思ってたんだけどよ、なんだかんだで手間が省けた」

 長椅子の背凭れに腕を這わせてふんぞり返っていたドレイクが、ウォルを見つめて言う。

「? クラバイン? 僕でなく?」

 わざと拗ねた顔で意地悪に問い掛けたウォルを、ミナミが小さく笑う。

 子供みたいに、素直なひとだ。

 その質問に、ドレイクは複雑な笑みを持って答えに変える。

「…用事が済んだら遊んでやるから、それまで大人しくしてろ」

 言い置かれて、ぷいっとそっぽを向く、ウォル。

「ミナミ、ミル=リー・アイゼンに会いたいってのに、変りねぇな?」

「ないよ」

 一分の迷いもなく答えたミナミに、ドレイクが好ましげな笑顔で頷く。

「じゃぁ、ウォル。ちょっと…手ぇ貸せ」

「いや。クラバインに借りたらいいじゃないか」

 こちらも、見事に一分の迷いもない。

「……なんでお前、そんな怒ってんの?」

 苦笑いでドレイクが問い、ミナミは必死に笑いを堪え、ドレイクとウォルの背後に控えたクラバインが吹き出した。

「僕の予想より、アイリーが綺麗過ぎだから。これでガリューとの関係を知ってなかったら、僕はドレイクが彼を屋敷に入れたって軽率さを、この先百年は責めるぞ」

「…そういうのってつまり、焼きもちとかいわねぇ?」

「正解。お前は頭がいいな、アイリー。好きだよ」

「…………つうか、バカでも判るだろ…普通」

 溜め息交じりに呟いたドレイクに婉然とした笑みを投げかけ、ウォルは「でもお前はさっぱり判ってないじゃないか」と棘のある口調で言った。

「どうも俺はタイミングよかったらしいけど、ミラキ卿はやっぱ、なんもしねぇで家に閉じこもってた方がいいみてぇだな…」

「だったら城にしなよ、ドレイク。どうせ暇なんだから」

「…なんでもいいけどよ、先に進んでいいか?」

 なんだかふたり掛かりでからかわれているらしい、とようやく気付いて、ドレイクは背凭れを背中で押して身を乗り出した。

「かいつまんで説明するけどな、ウォル…」

 真顔に戻ったドレイクは、ミル=リー・アイゼンがグラン・ガン経由でハルヴァイトに渡してきた手紙の内容を、包み隠さずウォルに教えた。詳細自体は殆ど知らなかったミナミもそれに黙って耳を傾け、その後、軍施設内部でハルヴァイトの起こした携帯端末の故障騒ぎと、警戒警報の誤作動騒ぎの下りでは、思わず苦笑いさえ浮べていた。

「なるほど、それでお前とエストがアイリーに泣き付いて、アイリーはミル=リー・アイゼンに直接会いたい、という訳か」

 それまでやる気なく中空を眺めていたウォルの黒瞳がじろりと動き、ミナミを捉える。

「内容によるね。お前が何をしようとしてるのか知らないけど、僕の気に食わない事なら手は貸さない」

 かなり脅迫めいた言葉に、しかしミナミはあっさりと答えた。

「諦めて貰おうと思って」

 ドレイクが、唖然とする。

 ウォルが、きょとんとミナミを見つめる。

「? 俺、なんか変な事言った?」

「「いや」」

 ふたり同時に姿勢を正し、顔の前で左右に手を振りながら、ドレイクは徐々に、猛烈に、可笑しくて可笑しくて笑い出した。

「ホント、お前って判りにくい顔して面白ぇ事言うよ」

 でももしハルヴァイトがここにいたら、ミナミは絶対にそれを口にしないだろう、ともドレイクは思った。単純な話、ミナミはハルヴァイトに一言「そんな手紙は断ってくれ」と言えば済むのだ。なのにミナミはそれをおくびにも出さず、黙ってドレイクと出掛けてますます恋人の機嫌まで損ね、あまつさえ自分でミル=リー・アイゼンに会って話をしたいと言う。

 ものすごい強情なのかもしれない…。

(……いや、もしかしたら…)

 平然と紅茶を口に運ぶミナミの顔を窺いながら、ドレイクが口元を綻ばせる。

(だったら、俺の今日までの不運は全部チャラに出来るんだがなぁ)

「クラバイン。アイゼン家にこれを持って行って、ミル=リー・アイゼンと一緒に一時間で戻って来い。一秒でも遅れたら、僕は死んでもここを動かないからな」

「私を脅かすのはやめてくださいませんか、ウォル様。とはいえ、一時間とは随分条件が緩いですね。普通ならここで、三十分と言いかねないお方なのに…」

「アイリーの愉快な決断に敬意を表してだよ。感謝なら彼にするといい」

 言いながらウォルは、テーブルの上に置かれた便箋に何やら書き付け、それをクラバインに手渡した。

 その中身を改めて丁寧に折り畳み、クラバインがミナミに向き直る。

「ありがとうございます、ミナミさん」

 腰を折って見事な礼を披露してから、これまた見事な動作で身を起こし、踵で回って颯爽とドアに向かって歩き出す、クラバイン。

「あぁ、クラバイン…。今晩のウォルの予定な、どうなってんだ?」

「……会食が一件…でございますが……」

 背を向けたままドアノブに手をかけたクラバインが笑いを含んだ声で答えると、長椅子の肘掛けに凭れてちょっとからかうような視線だけをミナミに向けたドレイクが、傍らで拗ねた顔をしたウォルの黒髪を、指に絡めた。

「断れるか?」

「おおよそ」

 ぎっ、と軋んだ重いドアが開き、向こうには、超然と佇んでいるリインの姿が見える。

「なら、ウォルは明日の朝まで帰さねぇ。上手くやれよ、クラバイン」

 にやにや笑いのままきっぱり言い切ったドレイクに、ぎょっとした顔を向ける、ウォル。

「ご随意に。…その程度で驚いていては、あなた様方にお仕えする事など出来ませんので」

 ドレイクのこんな無茶は、数ヶ月に一回しかないのだ。毎日のように空き時間を作れと喚くウォルよりも扱いやすいが、一度言い出したら絶対に譲らないのだから、どっちもどっち、というのが、あくまで冷然と微笑み頭を下げて退室していったクラバインの感想だった。

 まったく事情の飲み込めないミナミは完全に傍観者を決め込み、ウォルは一瞬の茫然自失から立ち直り、髪に絡んだドレイクの指先を払い退けようとして…やめた。

 だから、ぎゅっと握り締める。

「僕はお前の、そういう…、周りの迷惑を顧みないところと変な時にだけやたら決断の早いのが、気に食わないんだ!」

「……お前がそれ言うか? ウォル」

(なんとなく、同感…)

 とミナミも思ったが、さすがに邪魔をしては悪いので、突っ込むのは避けた…。

  

   
 ■ 前に戻る   ■ 次へ進む