■ 前に戻る   ■ また次回お逢いしましょう

      
   
    3.まるでそぼ降る雨のよに    
       
(5)

    

 口から出任せではないにせよ、どっちが本当か? と言われたら、シュウが入隊してハルヴァイトと顔を合わせてしまい、それで、ハルヴァイトがまた不機嫌そうな顔をする…というか、何かしでかすかもしれない、という方が切実な問題だった。

 とミナミは、シュウの残していった空のカップを胡乱に見つめたまま、短い溜め息を吐く。

 でも、それでやっぱりシュウがハルヴァイトに脅えてしまうのは嫌だと思ったし、一時でも一緒に暮らしシュウに頼っていたミナミとしては、シュウにも、ハルヴァイトの事を少しでいいから判って欲しいとも…思った。

 無理だったみたいだけどな…。と苦笑いを零し、ずり落ちそうに椅子に引っかかったまま、うなだれる。

「恐かねぇだろ…、別に。いや、多分…。……………自信ねぇ…、けど」

 やっぱり、少し電脳魔導師の事を調べてみようと思った。ハルヴァイトに直接訊いてもいい。そのくらいはきっと、ハルヴァイトも許してくれるに違いない。

「……珈琲は、お嫌いでしたか?」

「………………」

 うっそりと顔だけを上げたミナミの正面、先刻まではシュウのいた場所に、ハルヴァイトが偉そうな態度で座っている。軍属らしく姿勢がいい上に、ゆったりと腕を組んで小首を傾げたいつもの姿は、なぜか、ミナミを妙に安心させた。

「なんでいんだよ、ここに」

「? 帰る途中で気が変わったので、戻って来ました。けれど、先程の彼は…もうお帰りになったんですね」

 穏やかな表情でミナミに問い掛ける、ハルヴァイト。でもその「穏やかな表情」を取り戻し、保つのに、彼が多少なりとも落着く時間を必要とした事を、ミナミは黙って肯定する。

 あの、観察者の瞳でハルヴァイトを胡乱に見つめ…。

「お名前を窺い忘れたと思いまして。それから、お礼もね」

「…礼って、なんの?」

「ミナミがお世話になりました…、かな」

 何が可笑しかったのか、ハルヴァイトは言って少し笑った。余計なお世話だと言われるのを予想したのか、それとも、そんな気のないセリフを吐く自分自身があまりにも空々しかったのか、どちらにしても、ハルヴァイトは仕方なさそうに笑った。

「……わたしは、こんなにダメな人間だったんですよね…。本当に…」

 溜め息にさえなり切れない呟き。

 ミナミは、椅子にきちんと座り直した。

「あいつは、シュウ・リニエール。俺が…、アンタに出逢うほんの数時間前まで一緒に住んでたヤツだよ。民間の家電ソフト開発メーカーに勤めてて、よく、あの書店に資料を探しに来てたらしい。偶然俺があのインフォメーションカウンターに座ってた日にもな…」

 驚いた風もないハルヴァイトの瞳を見つめたまま、ミナミは独白するように話し続ける。

「六ヶ月半くらい一緒に暮らしたよ。俺は途中でバイト…出られなくなってさ、でもシュウの稼ぎでどうにかなるからって、そのまま暫く置いて貰った。……結局、俺はシュウんトコ出て来たし、それでシュウはいろいろ考えたって言ったけど、俺は……もっと単純に、…………感謝してる」

 言い置かれた言葉に、ハルヴァイトは微か眉を寄せた。

「アンタとスラムの入り口で出逢った時、俺はシュウの部屋から出て、途方に暮れてたんだよ。とりあえず安宿でも取ろうかとか、そういうのも考えんの面倒で、ただ道端にしゃがみ込んで、なんで俺は…こうなのかなって、ちょっと考えたり…しててさ。……シュウの部屋は、五五番通りにあったんだよな、そう言えば。でもシュウの行動範囲は七六番通り方向で、スラムには爪先も向けないようなヤツだった…。だから、俺はスラム方向に…」

「彼の部屋を出て、スラムに行って、……………わたしに逢った?」

「そう…なる。アンタの前がシュウでなかったら、きっと、俺はアンタと…出逢わなかった…」

 少し困ったような顔で、ミナミがハルヴァイトから目を逸らした。

「だから、シュウ・リニエールには感謝してる」

 ミナミが胡乱に見つめたのは、素知らぬ振りで歩き過ぎる誰も彼も。でも本当はみんな何か…言いたくない何か…言えない何か…そういうものを抱えているのかと思うと、ミナミもハルヴァイトも特別に深刻な悩みを持っている訳ではないと…、そんな風に思えた。

「今度会えたら、そう言ってあげるといいでしょう。きっと彼も、喜んでくれると思いますよ」

 ようやく本当に微笑み、テーブルの上に頬杖をついてミナミの顔を覗き込む、ハルヴァイト。ミナミはそれに顔を向けようとせず、恥ずかしそうに俯いて「…会えたらな」と、素っ気無く呟いた。

「…ではその時は、わたしもちゃんとお礼を…」

「いや…やめろ。それだけはやめとけ。つうか、やんな…」

「…………別に、脅かしたりしませんよ」

「…ウソ…」

「わたし、そんなに信用ないんですか…」

 複雑、とでも言いたげに口を引き結び拗ねたような顔をしたハルヴァイトを上目遣いに窺っていたミナミが、わざと大袈裟に肩を竦める。

「そうじゃねぇって…。アンタがどうこうじゃなくて、つまりな…、俺がちょっと先に脅かしちゃったから…………、そんな殊勝な事言われると困るかなぁって」

 何度かぱちぱちと瞬きを繰り返したミナミが、ハルヴァイトの顔色を見て、微かに口元を歪めた。

「まぁ、やってしまった事はしょうがないですね」

 正面で笑いを堪えているミナミを鉛色の瞳で一回だけじろりと睨んだハルヴァイトが、すぐに相好を崩し「帰りましょうか…」と、頼んだだけで手を付けられなかった珈琲に視線を流しながら、立ち上がった。

 聞き流された、最初の質問。それが、少し気になっていたのだ、ハルヴァイトは。

「………アンタがさ」

 ハルヴァイトに一拍遅れて立ち上がったミナミが、ダークブルーの瞳で佇む恋人を見つめる。

「アンタがなんかすっげー楽しそうに淹れてる珈琲…、あれの方が、ここのよりも………好きなんだ」

 日が暮れて、あまり手のかからない食事を終えたら、いつもそうであるようにキッチンのテーブルにサーバーを持ち出したハルヴァイトが珈琲を淹れ始めると、ミナミはスツールに腰掛けてそれを見ながら、くだらない、気のない会話を吹っ掛ける。

 それだけ。

 時折ハルヴァイトは、ドレイクやアリス、小隊の部下達の話をミナミに聞かせる。

 それだけ。

 ただ…穏やかに。

 呟いたミナミに引き寄せられるよう、ハルヴァイトが振り返った。

「………好き」

 傾き始めた太陽が天蓋の向こうの空を赤紫色に燃やしている。それを背に、硬質な鋼色の髪がさらりと揺れ、ミナミはついにその…、本当は「何」なのか正体の知れない人の「恋人」に…無理なのかもしれないけれど…なれたらいいのに、と思った。

 だから、シュウ・リニエールに…………感謝した。

「珈琲だけですか?」

「うん」

「…………そんな…即答しなくても……」

「つうか、そのサーバー片づけるのも、結局俺なんだけど?」

「…」

 そんな顔など、して見せようとはこれっぽっちも思わなかったけれど…。

  

2002/06/22(2002/08/13:2005/12/16訂正) sampo

  

   
 ■ 前に戻る   ■ また次回お逢いしましょう