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    4.内緒の生活    
       
(10)

  

 ガリュー家のキッチンには、大きめのダイニングテーブルとスツール二客が、壁を這うようにして周囲を取り囲んだシステムキッチンの他に、置かれている。

 いつもなら、そのダイニングテーブルに支度されているのは、銀色のサイフォンと白磁のカップが二揃いと、珈琲ミル。それで豆から贅沢に珈琲を煎れるハルヴァイトをミナミはスツールに座って眺め、時々、気のない会話を楽しむ。

 だが今日、そのテーブルに置かれているのは暖かい湯気を立ち上らせる耐熱ガラス製のタンブラーと、ロックグラスがそれぞれ一個。満たされているのは、バターに砂糖にラム酒を混ぜたホットバターラムに、ドライジン…。

 実のところこの経験は殆ど始めてだったので、スツールに座って待つように言い渡されたミナミは、自分から仕掛けて置きながらかなり緊張していた。まさかどちらも正体がなくなるほど酔ってみようという気はなかったが、珈琲かカフェ・オ・レ、という健全さからは少し遠ざかってしまった日常に、戸惑いを隠せない。

 どうぞ、と朗らかに勧められて暖かいホットラムのグラスを両手で包んで、なんとなく居心地悪そうにハルヴァイトの顔色を窺うミナミに、彼は邪気なくほんのりと笑って見せた。

 ハルヴァイトは、長い足を組んでスツールに腰を下ろし、テーブルに片肘を軽く置いた姿勢のまま、ごく自然な仕草で空いた方の手をロックグラスに伸ばす。細長い指先がグラスの濡れた表面に触れて引き寄せるのを見つめてたミナミはふと、今更ながら、ハルヴァイトが何をやっても様になるのだと気付いた。

「……それで部屋散らかさなきゃ、完璧なんだけどな」

 なんとなくそう呟いてからホットラムのグラスで口元を隠したミナミが、笑う。あくまでそのセリフはミナミがハルヴァイトに吐き付ける常套句であり、本気でそう思っている訳ではないのだから。

 ハルヴァイト・ガリューというひとに、本当になんの欠点もなかったら、ミナミはここにいないだろう。と彼は、静謐な観察者の瞳で狂った閉鎖空間を見つめ続ける青年は、思う。

「それで? アンタ…俺になんか話しあんだろ?」

 甘いホットラムが喉元を過ぎて身体の中心に染み込む感覚に小さく息を吐いてから、ミナミはハルヴァイトの顔を見つめ直した。ダークブルーの瞳と、綺麗な顔と、微かに色付いた唇。それに一瞬全ての感覚を奪われて惚けたハルヴァイトに、ミナミは金色の髪を揺らし小首を傾げて見せた。

 天使のような、ミナミ。

 透き通るような声。

 彼に「好きでいて欲しい」と思うなら、この告白は…避けて通れない。

 ハルヴァイトは、悪魔を抱えている。

「明日…、登城します」

「? さっきも聞いたろ、それ。連盟の本部ステーション離れるまで、城で待機…」

「いえ。第七小隊は、待機から外されました。…というよりも、当初からウチは、待機とも、陛下の警備に当たる特別警護小隊とも別動任務に就く予定で、一時下城の許可が出てたんです」

「別?」

 訝しそうに首を傾げたミナミに、ハルヴァイトは苦笑いを向けた。

「…………ファイランは、イーランジャァから展覧試合を申し込まれ、それを受諾しました。つまり第七小隊は…、その展覧試合に出場する事が内々に決められていたんですよ」

 かなり渋い顔で一気に言ったハルヴァイトが、ドライジンを呷る。すぐには彼が何を言ったのか理解出来なかったのだろうミナミは一瞬きょとんとハルヴァイトを見つめ、それからやっと、口を開いた。

「展覧試合って…何?」

「双方で選出した電脳魔導師をステーションのフィールドに立たせて戦わせる、いわば力比べみたいなものですが、一般の試合と違って、双方の最高指導者がそれを見に来るんですよ…。今回は特に複雑な政治的思惑絡みで、両国とも「最強の電脳魔導師」を出す条件になってますから」

「それに、アンタが出んの?」

「第七小隊五名全員が出場します」

「………………」

 ミナミは、ホットラムのグラスをテーブルに置き、ハルヴァイトを正面に据え直した。

「俺、観に行ける?」

 意外な質問に、ハルヴァイトが目を見張る。

「…いえ。残念ながら、あくまでも展覧試合は非公開なんですよ。ファイラン国王は大変…偏屈な方で、中継されるのを嫌がったそうですから」

 実は今し方ドレイクが慌てて連絡して来たのは、降下風景を取材させない代わりに国王は、今回ステーションで展覧試合が行われる事と、それに電脳魔導師隊第七小隊が出場する事を告知してしまい、その、第七小隊の降下風景にファイラン国営放送の取材許可を出した、という情報を内密に受け取ったからだったのだ。

 だから、ハルヴァイトはどうあってもミナミに展覧試合の事を秘密にして置けなくなった。秘密にしていて、でもファイラン中に放映されたのでは、なんとも間抜けだろう。

「…なんだ……」

「……………それに…」

 なぜか微かに落胆したようなミナミの呟き。それに多少の疑問を抱きつつも、ハルヴァイトが溜め息を吐く。

「わたしはそれをあなたに話したくなかったし、出来れば、降下風景も中継されたくないと思ってます」

「? ………なんで?」

 率直に問いかけてくる瞳。それから逃れるように瞼を閉じ、ハルヴァイトは吐息のように呟いた。

「…………わたしは、「わたし」が嫌いなんです」

        

      

 次の日の朝、いつものように出掛けるハルヴァイトと素っ気ないキスを交わしたミナミが、彼を見送る。

 くちづけは、一瞬。掠めるように。それがハルヴァイトに許された刹那。

「いつ戻れるか判らないので、出迎えはいいです」

「うん…」

 深緑色の軍服に、黒い革ベルトとネクタイ。それに緋色のマントを羽織った恋人を玄関先で見送ろうとするミナミが、ふと足下に視線を落とす。

「…あのさ」

 戸惑うように言われて、ドアノブに手を掛けていたハルヴァイトが振り返った。

「もしかして負けたりしたら、なんか…、都合の悪い事とかになんの? …アンタが…」

 昨日少し話をしたきりだった展覧試合についてなのだろう、ミナミはどこか不安そうにごもごもと呟いたが、ハルヴァイトの顔を見ようとはしない。

「強制労働区に収監されるかもしれませんね。…政治的な意味合いの強い試合ですから」

「…………………」

 そのミナミの様子に何を思ったのか、ふといたずらっぽく微笑んで、ハルヴァイトが小首を傾げる。

「もしかして、少しは心配してくれてるんですか?」

「…してねぇよ…。アンタ、だって強いんだろ?」

 俯いたままで突き放すように言ったミナミに向き直り、ハルヴァイトは自信たっぷりにこう答えた。

「強いですよ。勝つのも負けるのも、自分で決められる程ね」

 途端、反射的にミナミが顔を上げる。

 驚いたように見開かれたダークブルーの瞳を覗き込んで、逡巡。ハルヴァイトは、何か言いかけたミナミの薄い唇にいつもよりコンマ数秒長いくちづけを落としてから、「いってきます」と言い置いて、彼に背を向けた。

 ミナミはそのまましばらく玄関先で固まっていた。

 ハルヴァイトの言い置いた言葉がからかいを含んでいたのは、判る。でも、なぜ今ここでそのセリフなのか、と、思わなくもない。

「…つうか、ちょっとは俺に気ぃ使えよ」

 勝ちますとか言え。と今日は勝手に少しハラを立て、ミナミはぷいっとドアに背を向けた。

 と?

「すいませーん。アイリーさんにお届け物ですー」

 妙に間延びした声に驚かされつつもミナミが再度玄関を開けると、そこには、郵政局の制服を着た若い配達員がにこにこ顔で立っていた。

「おはよーございまーす。ここ、サイン貰えますか?」

 ずいっと差し出された受け取りに目を通し、電子書類に「ミナミ」と書き込んで手を引っ込める。

「じゃぁ、これ」

 と言って突き出された小箱を、ミナミは…受け取れなかった。

「? あ! すいません。えーと、ここ置けばいいんですか?」

「え?」

 てへ。となぜか困ったようにぽりぽり頬を掻いた配達員が、玄関先に置かれている花瓶用のサイドテーブルに、その小箱をことりと載せる。ミナミにとってそれは非常に有り難い事だったがが、なぜかやたら照れ笑いする配達員の表情が気になって、彼は思わず訊いてしまった。

「なんで…笑ってんの?」

「…だってその…、アイリーさんはもんの凄く嫉妬深い恋人にまるで宝物のように囲われて生活してるから、万が一にもその指先に触れてしまおうものなら地獄の果てまで追いかけられてバラバラにされる、って聞いたもので…。いや! 愛されてるって素晴らしいですね!」

「…つうか、誰だよ、そんな恥ずかしい事言ったのは…」

 配達員に触れてしまう心配はないから有り難いが、余りにもその理由は恥ずかし過ぎるし、信じるヤツも信じるヤツだ、と言いたいのを、ミナミは堪えた。

 ついでに、さっさと帰ってくれ…。と言うのも、一応控えてみる。

「あなたの全てがその熱烈な恋人のモノなんですね!」

「てか、帰れ」

 その努力は、きらきらと目を輝かせた配達員によってすぐなかったモノになったが…。

「ううう…ひどい」

 と泣くマネをしつつとぼとぼ帰って行く配達員に一応「ごくろうさま」を…かなりげんなりと言い、ミナミは大きく溜め息を吐いた。

「配達員て、案外暇な職業なのか?」

 ぶつぶつ文句を言いながら置き去りにされた荷物を手に、リビングへ戻る。おおよそ誰がそんなデマを言ってくれたのかは想像がついたので、とりあえずそれは無視しさっさと忘れようと心に決めた。

 差出人は”ウォル”とだけ。受取人はハルヴァイトではなく、「ミナミ・アイリー」になっている。

 妙にタイミングのいい届き方に多少の不審を抱きながらも、ミナミは包みを開いて中を改め………首を傾げた。

「メモリチップ内臓の、招待券? 表面になんも書いてねぇじゃん…」

 小箱に入っていたのは、「招待券」とだけ書かれたカードと、パーソナルメール。まず招待券を携帯端末のリーダーに差し込んでみると、モニターにいきなり読み込み不能の文字。その後、「このメモリには特殊なブロックが…」云々と長ったらしいメッセージが出たのでさっさと諦め、次にパーソナルメールを差し込んでみる。

 メモリされていたのは、文字だけだった。

        

 アイリー、この招待状はお前に真実を見せてくれる。

 自分も、ガリューも、自分に関わる全てのひとが傷つかず平和に暮らせるなんて本気で思っているなら、お前は一生無力なままで居るといい。

 ただし、僕はお前がそれほど愚かで臆病だなんて、思ってないからね。

 悪魔に逢う勇気があるなら、この招待状を持って、連盟ステーション行きの最終モノレールに乗るといいよ。係員を捕まえてこれを見せれば、きっと案内してくれる。

 これは―――

       

「展覧試合への…招待状?」

 最後の一行を口の中で呟いて、ミナミはもう一度何も書かれていないカードを見つめた。

  

   
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