■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
    4.内緒の生活    
       
(12)

  

 半日後、連盟本部浮遊ステーション内円形闘技場。

 控え室に当てられている、フィールドに面した小部屋には、試合開始まで残り十数分、というぴりぴりした緊張が…。

「つうかよ、なんでおめーが一番引き攣ってんだ? アンちゃん…」

「こ…、声かけないで下さい、ドレイク副長! 発現プログラム忘れちゃったらどうしてくれるんですか!」

 部屋の片隅に置かれたパイプ椅子。それにちょこんと座りがちがちに固まっているのはアン・ルー・ダイ電脳予備修士であり、その他の四人はそれぞれ適当にくつろいでいた。

「忘れそうって…、臨界にアクセスしたら勝手に読み込まれるものなんですから、別に今忘れても問題はないと思いますけど?」

「どこかにエラーが出たらどうするんですか、ガリュー小隊長は!」

 色の薄い金色の猫っ毛に、これまた色の薄い水色の瞳のかわいらしい少年に噛み付かれたハルヴァイトが、素っ気なく肩を竦めて見せる。

「キャンセルしますよ、当然。再読み込みの時間は、デリラに稼いで貰います」

「そそそそんな余裕ないです、ボクには。だって、その間も向こうは攻撃してくるんですよ!」

「んー。まぁ、ひとりでフィールドに立たされるなら別ですが、ドレイクもわたしもいますから、ね?」

 そう言って小首を傾げたハルヴァイトを、バックアップシステムの立上げを行っていたアリスが、横目で盗み見ながらくすくすと笑った。

「どっちが最前線に立たされるのか判らない会話ね」

 それを聞いて、テーブルに頬杖を突いてにやにやしていたデリラと、そのテーブルに軽く腰を下していたドレイクが盛大に吹き出すなり、アン少年が拗ねた顔をふたりに向ける。

「……みなさんは、緊張しないんですか? だってこの試合、負けられないんでしょ?」

 今回展覧試合に選ばれた理由を、ハルヴァイトは小隊の全員にきちんと説明していたのだ。真相を隠して、でも「絶対に勝て」と言うのではなく、理由を明確にして「負けられない」と言う。ハルヴァイトとは、そういう人物だった。

「やるべき事を普段通りにやれば負けません。緊張して無闇に自分の能力を制限するような真似は、するよりしない方がいいですしね」

 ついでに、余程自分に自信があるか楽天家かの、どちらかでもありそうだが。

「フィールドに上がる前のわたしの指示は、変わりませんよ、アン。この試合に負ける気はない。それだけです」

 無機質な鉛色の瞳が朗らかに微笑む。きっとハルヴァイトがいれば大丈夫だ、という安堵を植え付けるように、彼はゆったりと小首を傾げただけだったけれど。

 必要以上の緊張がそれで一気に解けた訳ではないが、それでも少年は強ばった顔で笑顔を見せた。三流貴族のルー・ダイ家、しかも何の期待もされていない三男。第七小隊に編入するまでのアンは、そんな蔑みの視線に耐えてばかりだったが、ここでは誰も、名前にも地位にも関心を示さない。

 二人の上司は、名前を脱いでも正真正銘の天才なのだ、今更家名など、どうでもいいのだ。

 少年の緊張を解くのに数分を費やし、その間にアリスの準備も終わった。

「ま、後はなるようにしかなんねぇよ」

 溜め息みたいに吐き出したドレイクがテーブルを身体で突き放して、手近な椅子に引っかけていた濃紺のマントに手を伸ばした刹那、非常に遠慮がちなノックの音が室内に木霊した。

 控えめなのに絶対の優先順位を誇って鳴り響くノック。

 ドレイクは嫌な予感に顔を顰めつつ、どうぞ、と短く答えた。

「失礼いたします」

 物静かな声でそう挨拶しながら入ってきたのは、漆黒の制服に緋色のベルトを巻いた男。顔立ちが地味で一度見たくらいでは憶えられそうにないが、彼の纏った緋色の腕章を掲げた長上着はしかし、王都警備軍の誰もが知っている。―――いや、ファイラン全ての国民が、か…。

「クラバイン…。どうかしたのか?」

 さも訝しそうに訊ねたドレイクに、クラバイン・フェロウは深々と頭を下げた。

「申し訳ございません、ミラキ卿…」

 その沈鬱な声にハルヴァイトとアリスが目配せしあい、無言でデリラとアンを促し退室しようとする。しかしクラバインは首を横に振って、彼らが出て行くのを拒否した。

「ナヴィ様にもハルヴァイト様にも、デリラ・コルソン、アン・ルー・ダイ両名にもお聞き願いたい…一大事でございます」

 その一言に、誰もが凍り付く。

 非常に……………不吉。

「試合開始までの残り時間二十分弱という大切なお時間でありますが、皆様には、ドレイク・ミラキ副長を一時お借りする旨をご承諾頂きたいのですが」

「? 手短に終わる用事なら、まぁ構わねぇ…よな?」

 確かめるように室内を見回したドレイクに、誰もが頷いて見せる。

「………いえ。どうあっても、お戻りは試合開始後になるものと思われます」

「え!」

 思わず短い悲鳴を上げたのは、アンだった。が、それ以上の抗議を控えたのは、その漆黒の制服が、非常に特別なものだったからだろうか。

「理由を説明して貰えませんか? クラバイン室長」

 室長。彼は、王下特務衛師団衛視長は、王城内部に設けられた「特務室」の最高責任者なのだ。

「ファイランより到着致します最終モノレールにて、ミナミ様とマーリィ様が闘技場にお着きになるそうです」

「待ってっ!」

 クラバインの一言に惚けたハルヴァイトが何か言うより前に、両手をテーブルに叩きつけたアリスが弾けるように立ち上がった。

「聞いてないわ、そんなのっ!」

「はい。みなさまが登城なされてからご連絡を差し上げたそうですので」

「…落着いてんじゃねぇ、クラバイン。無性に腹立つから…」

 溜め息すら出ない程愕然としたまま、ドレイクが突っ込む。と、やっとクラバインの言った意味を理解したらしいハルヴァイトが、佇むクラバインを躱して控え室から出ていこうとした。

「待て、ハル! お前は…行くな」

ドレイクに呼び止められて、無言で振り返るハルヴァイト。刹那、部屋の天井付近で盛大な荷電粒子の火花が爆裂した。

「……俺が謝るのも、お前が怒るのも後だ、今は頭を使え。ミナミとマーリィーがわざわざここに来たのは、お前に迎えて貰うためじゃねぇ。お前が勝つのを見るためだろう? だったら、お前は黙ってフィールドに上がるべきじゃねぇのか」

 完全に座った目つきで睨まれて、でもドレイクは腕を組んだまま淡々と話し続ける。

「最終モノレールが駅に着くまで、後何分ある? クラバイン」

「七分少々です」

「…判った。ハルヴァイト、アリス…、ミナミとマーリィーは俺が責任を持って必ず安全な場所に預ける。だから今は、二人の事は忘れろ」

「無理に決まってるでしょう、ドレイク! こんな人の多い場所に来て…マーリィーがどんな目で見られるのか、君は判ってないわ! それに、ミナミだって…」

 雑踏を歩けない、ミナミという綺麗な青年。好奇の目も好色な誘いも…無意識に誰かとぶつかってしまう事すら、恐怖でしかないのに。

「俺は確かに何も判ってないかもしれねぇが、判ろうとする努力を惜しんだ事はねぇ」

 言い捨てて、ドレイクはハルヴァイトを睨み返した。

「作戦を編成し直せ。十五分ありゃぁ出来る。出来なきゃてめーも、第七小隊も無能だと思え。ただし、それが出来ると思われたから、あいつはこの土壇場でクラバインをよこした、それは忘れるな。それから、アン」

「はいっ!」

 真っ青になり部屋の片隅で震えていた少年は、いつにない威厳と風格のドレイクに呼ばれて、すっかり脅え切った顔を彼に向けた。

「ハルヴァイトを頼む。俺が戻るまでこいつが持ち堪えるかどうかは、お前にかかってる」

「でも…」

「………ばっかやろう。二秒もあのディアボロ停めたヤツが、そんな情けねぇ声出すんじゃねぇよ。俺が出来るつったら出来る。判るか? 俺もハルも、お前が本当に三流魔導師だったら、とっくにむちゃくちゃな訓練なんて辞めてんだよ」

「でも!」

 両の拳を握り締めて震えるアンににっと笑って見せて、ドレイクはハルヴァイトの肩先を躱しドアに向って歩き出した。

「言い訳は負けてからだ。勝ったら俺のおかげだつって胸張れ。大丈夫、お前がどんなに迷ったって、デリラが後ろで援護してくれる。考える時間は絶対に仲間が作ってくれる。ひとりじゃねぇってのはそういう事だろ? なぁ? ハル」

 黙して佇むハルヴァイトの背中にそう声をかけ、ドレイクはクラバインを促し控え室を飛び出した。

「かー! 真っ直ぐ行って帰ったって、十五分以上かかんだぞ、駅からここまででも、だ!」

 細長い廊下を全力疾走しながら、ドレイクが白髪を掻き毟る。

「おい、クラバイン。すぐに展覧室行って、ガン卿に特別小隊を駅に向わせるよう伝えろ。衛視は…一応残してやっていいから」

「判りました」

「そん時な、エスト卿にだけはミナミが来てるからって言っとけよ。言えば判る。…ここでミナミに何かあったら、ステーション墜落し兼ねねぇぞ…」

「ごもっともです」

「それから、展覧室に他の貴族連中がいたら全員追い出して、上等の椅子用意させとけよ!」

 吐き捨てて、ドレイクはT字通路を右へ曲り、クラバインは息一つ乱さずそれを左に折れていった。

 それにしても、一体なんて真似してくれたんだ! と内心悲鳴を上げながらも、ドレイクは通用門目指して廊下を突っ走る。

「やろー…、そのうち足腰立たねぇくれー泣かしてやるから、憶えてろよ!」

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む